原満三寿第9句集『木漏れ人』(深夜叢書社)、著者「あとがき」に、
「主役は人ではなく大自然である。人はそのおこぼれに与って慎ましい生を得ているに過ぎない。」(医師・中村哲 73年の軌跡」BSスペシャル)
これはテレビ番組で報じられた中村哲医師の言葉です。まったく私も同じ思いです。「木漏れ人」には、そんな寓意がこめられています。(中略)
おこぼれは句(まが)った言語(げんぎょ)や俳乞食
「句(まが)った」のルビは、見慣れぬものでしょうが、「句」という文字に曲がったという興味深い意味があるのを知って使ってみました。
「俳」も「句」も意味深な言語なんですね。(中略)
秋彼岸ややっ兜太はうんこかも
は、兜太さんの句を知らない人はなんじゃこりゃと思われるかもしれませんが、兜太さんの句、
長寿の母うんこのようにわれを産みぬ 『日常』より
を踏まえての句です。
ちなみに、金子光晴には、「恋人よ。/たうとう僕は/あなたのうんこになりました。」(「もう一篇の詩」『人間の悲劇』)、という衆妙なスカトロジーがあります。
少々慎ましさに欠けると自覚していますが、こんどの句集も、大自然はもとよりさなざまな世界の言葉や万象のおこぼれをいただいて成り立っているわけです。まさに俳乞食を僭称する所以でもあります。
とあった。愚生は、原満三寿には、故多賀芳子宅での句会や、ワヤン(影絵の人形芝居)や、金子光晴展でお会いしているが、随分と長い間、ご無沙汰している。その間に、「海程」、「ゴリラ」での彼の盟友だった谷佳紀も急逝された。ご健在らしく、かつ、新境地を開かれており、喜ばしい。ともあれ、愚性好みになるが、集中より、以下にいくつかの句を挙げておきたい。
群生海はぐれて往くや木漏れ人 満三寿
切株の幻樹に巣くう空の碧
凩や湖面を嗤いころげ逝く
奇形トマト 勝手の闇に鬼火する
萩の径プラトニック・ラブ濁りだす
生国は砰山(ズリ)を枕に月ねむる
人の網(い)に火宅か火車か彼岸花
三月の海に死蛍きて灯る
連翹なだれ海と墓域が睦みおり
万緑は緑棺である粉黛す
夏の耳〽草むす河馬ネと拝聴す
春ふたり ひとりをだくに手をひろげ
悪食して日に日に老いは鮮(あた)らしく
あの世でも冬眠の穴さがすのか
わが臨終 絶句がひどく〈死にともない〉
心なんてあってもなくても空の碧
・金子光晴/・病妻(森三千代)に元彼が見舞いにくるというので。
病妻に紅さすおとこに「人非人伝」
文明を誤嚥しがちな俳乞食
俳乞食いまだにおのれを徘徊す
紅葉して朽ちてゆくにも嬉々として
地球(ぢだま)病む明日の森を夜が埋め
木漏れ人 群生海に還るかな
撮影・中西ひろ美「少しずつ蟷螂は枯れ歩(すす)むかな」↑
0 件のコメント:
コメントを投稿