2019年10月24日木曜日

八木幹夫「簪(かんざし)や遊女がねむる春座敷」(『郵便局まで』より)・・



 八木幹夫詩集『郵便局まで』(ミッドナイト・プレス)、ブログタイトルにした句は、詩編「かんざしの時間ー金沢にて」に挿入されている末尾に置かれた句である。巻頭に置かれた句は、「阿弥陀仏となえ坂ゆく宝泉寺」。著者の号は山羊という。その号での詩篇に挿入された短歌もある。

 ますぐなる杉の神木ゆがみたるわが生涯と並び立つるも             山羊
 糾(ただ)す声ききて寂しき黒白(こくびゃく)をつけたるものに眞(まこと)なきゆえ

 収められた詩篇は40編、初出一覧を見ると2002年から2019年。この間に詩友を多く亡くされている。愚生の知っている人もいる。その人たちに捧げられた詩もある。長田弘、辻井喬、井上輝夫、辻征夫、清水昶など。 たまたま、眼にした書評、久保隆「詩語を重層化させて不思議な物語を生起とつひとつに」(「図書新聞」10月16日・第3420号)には、



 八木幹夫の詩編に接するといつも、いいようのない心地いい感慨に浸ってしまうことになる。(中略)
 詩は一篇一篇がひとつの作品だ。だが、詩集に纏められた時、一篇一篇は、長編小説の一章のように長い物語性を胚胎していく、八木幹夫の詩集は、わたしにとって、特にそのことを強く感受させてくれる。それはたぶん、八木幹夫の優しさや淋しさといった感性が詩語ひとつひとつに潜在しているからだといいたい気がする。

  と記されている。ともあれ、もっとも短い詩を一篇以下に挙げておこう。

      西瓜のひるね

 こどもを抱いた
 こぶりのスイカのような重さだ
 まるい眠りに錘(おもり)がついている
 落としてはいけない不安の重さだ
 みずみずしいスイカの香りと
 ミルクの匂いが
 部屋いっぱいに広がる
 笑顔のしらが頭が
 スイカを抱いている
 (いま ここには 
 どんな夢が渦巻いているのだろう)

 今日は暑すぎるので
 夢について考えるのはおしまい
 発熱する
 子供のあたまよ 
 団扇(うちわ)の風に
 冷やされて
 ねむれ スイカよ
 いっしょに わたしも
 

 八木幹夫(やぎ・みきお) 1947年、神奈川県生まれ。



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