2019年10月14日月曜日

後藤秀治「日を置いて痛みは来たり蓼の花」(『国東から』)・・



 後藤秀治第一句集『国東から』(書肆麒麟)、装画は河口聖。帯には、

  行く秋のひたすら笑ふ神事かな  
国東は、奈良から平安時代にかけて、仏教(天台宗)に宇佐八幡の八幡信仰(神道)を取り入れた〈六郷満山〉と呼ばれる神仏習合発祥の地で、寺院や旧跡も多い。その地に生を得、かつ、育まれた著者によって発信される渾身の第一句集。

 とある。また、著者「あろがき」には、

 本句集は俳句を始めた五十代半ばから平成三十一年までの約十五年間の二百余を収めた。(中略)
 独学で通していたら私の意欲はとうに潰えていただろう。俳句表現の新しい可能性を真摯に求め続ける「円錐」でこれからも学びながら、俳句に携わる以上はどこかでかすかなりとも芭蕉や子規につながっていたいと思う。(中略)
 国東から周防灘へ句集という瓶を流す。どこで誰に拾われるのだろう。いつか誰かに拾われて、中の一句だけでも面白いと思ってくれたらうれしい。「国東から」という書名にはそんな思いをこめている。投瓶通信のゆくえを思うことは私の希望である。
 
 と記されている。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。

   澄むほどに青き地球や鳥渡る     秀治
   冬麗の石を起こせば仏居り
   鳴きまねで笑うて鶴を送りけり
   自然薯の食ふには惜しき捻ぢれやう
   天網にちよんと触れたる凧
   したたかに酔はせ桜が鳥を吐く
   八月や黙禱ばかりしてをれぬ
   故郷は老いを赦さずつくつくし
   郭公や床上げの母連れ出しぬ
   箱庭に亡き弟を泣かせたり

 後藤秀治(ごとう・しゅうじ) 1951年、大分県生まれ。



撮影・葛城綾呂 ども~ ↑

0 件のコメント:

コメントを投稿