2019年10月6日日曜日

酒井弘司「緑夜なり水平に睡て水の星」(「朱夏」146号)・・


酒井弘司主宰 ↑



 本日は「朱夏25周年記念朱夏祭」(於:ホテル町田ヴィラ)だった。ごく内輪の会ということで、愚生は記念講演をさせていただいた。演題は、昨年亡くなった「豈」同人・大本義幸のことを思い、「大本義幸ー現代俳句に寄り添った男ー」にした。思えば、有り難いことに「朱夏」の節目の記念会には、幾度か招かれる栄に浴している。
 その朱夏祭の午前中には、第13回「朱夏賞」に村上司、第16回「朱夏新人賞」に後藤田鶴・藤井洋子、第8回「功労賞」に辻升人がそれぞれ表彰されている。

  きのふよりけふてのひらの白露かな    村上 司
  庇より初蝶入り来木々に雨        後藤田鶴
  もう泣いてくれるなと云う春にじむ    藤井洋子
  黄泉の道欄干の無い橋渡る        辻 升人(146号より)
  戦後遠しどくだみの線路跨ぐとき     酒井弘司( 〃 )
  鳥になれず少年歩く夏の朝         

 また、「朱夏」の創刊号が復刻されて皆さんに配布されたのだが、その「朱夏」創刊号は平成6年8月1日発行、同人は、池田ひかり、白井久雄、椎名ラビに、主宰の酒井弘司、4人での出発であったことに感銘する。他に清水哲男の寄稿エッセイ「砂糖水」。そして酒井弘司の「母を訪わむー寺山修司の俳句」(見開き8ページ)であるのみであるが、現在と誌の基本の構成は変わっていない。その最後は、

 わたしが、寺山に会った最後は、昭和五十四年三月であった。小田急線町田駅前の喫茶店で話したが、寺山は、いつもの踵の高いサンダルを履いていた。今にして思うと、この年は「レミング」の公演、カリフォルニア大学で映画作品を上演し解説した年でもあった。
 「こどもはいるの」
と、唐突に聞かれたのを、今でも鮮明に覚えている。素顔の寺山は、柔和で、作品で見せるような、かまえた顔ではなかった。

 記されている。創刊号の一人一句を以下に挙げておこう。

   かくれんぼの鬼もかくれて夏の暮    酒井弘司
   児が話す虹のはじめは回天木馬    池田ひかり
   白桃を啜れり花鳥とどまらず      白井久雄
   水底の銀河は動く豆腐かな       椎名ラビ



撮影・葛城綾呂 ホトトギス↑

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