2018年7月10日火曜日

田中淑恵「はるかに遠い天の書斎で/退屈な天使の頁を切る音」(『若三日月は耳朶のほころび』)・・



 田中淑恵詩集『若三日月は耳朶のほころび』(東京四季出版・限定500部)、装幀家、豆本作家でもある田中淑恵の第二詩集である。もちろん装幀は著者自装による瀟洒な出来栄え。加えて、カバー、帯、表紙、見返し、扉、本文、花布、栞紐それぞれに使用された紙や布のデータも奥付前に記されている。
 帯の惹句は皆川明〈ミナベルホネンデザイナー)、それには、

 宙に産み放たれた言葉は/ほんの僅かな光と共に/囀り、愛しみ、渇き、熟れ、往来し、潜った。
 それは朽ちることなく/生命を育み/絶望と希望の鼓動を/記憶に刻み続けるだろう。/振子のように。

と記されている。また、著者「あとがき」には、

(全略)しかし、「絶望のなかの希望」が生涯の自分のテーマだったし、それがあったから、どのような苦難も乗り越えられた。存在のかなしみは存在のよろこびと裏表なのだ。絶望のなかにも、あやまたず胚芽のような幽かな希望が内包されると信じる。

 そうなのだ。人はたった1%の希望でもあれば、それは100%の希望に転化するのだ。そうして絶望を希望に転化させながら生きてゆくことができる。愚生の勝手な読みでいうのだが、制作年一覧によるともっとも最初の詩は1989年の「白鷺」である。言葉の持っている緊密感は、収録された詩篇の中では、もっとも高いように思えた。ただ、最近、昨年、一昨年あたりの詩がもっとも多く収載されているのだが、それはそれで、安定感の増した言葉たちが置かれれいる。実際に手に取って読まれるのがよいだろう。ここでは、スペースの都合もあるので短い詩篇を一篇のみ挙げさせていただこう。

         古書街の五月

 古書街の五月
 カスタニエンの花の下は
 開封された小指の嘆きに満ちている

 花の蕊々(しべしべ)がふりそそぎ
 古い時の記憶があふれはじめて
 ふいの落涙のように
 舗道の敷石にはらはらとこぼれる
 
 風のひとすじを引き抜いて
 あふれやまない指先を
 こぼれぬうちに封印する

 記憶の使者である
 わが指先を愛しみながら

 田中淑恵(たなか・よしえ)東京生まれ。 



3 件のコメント:

  1. 大井さん、早速拙著を丁寧に取り上げてくださってありがとうございます。詩集は生涯に一冊だけでいいと思っていたのですが、長い時を経て、はからずも第二詩集にして最後の詩集が完成しました。★退屈な頁を切る音→退屈な天使の頁を切る音 天使がいます。

    返信削除
    返信
    1. 大変失礼いたしました。さっそく訂正させていただきます。暑さの折り、お身体大切にご自愛下さい。

      削除
    2. ご丁寧にありがとうございます。天使も汗をかいています。早く秋になってほしいものです。

      削除