2018年7月20日金曜日
中濱鐡「菊一輪ギロチンの上に微笑みし黒き香りを遥かに偲ぶ」(『菊とギロチン』より)・・
瀬々敬久監督作品『菊とギロチン』(於・テアトル新宿)、ワイズ出版社主・岡田博の招きで、昨夜、遊句会の帰りに最終の上映時間に駆け込んだ。三時間ちょっとの上映を終わると午後11時近かった。
つづめていえば、関東大震災直後の、朝鮮人虐殺、大杉栄虐殺をめぐる報復を計画するギロチン社の中濱鐡を中心に、昭和三十年代近くまで興行された「女相撲」との出会いと、その神聖なる土俵には、権力に対する抵抗があったことも描かれている。本質的に描かれているのは、当時の世情と若者の日常であるが、観客の客層は愚生のときだけかもしれないが、意外に白髪の翁、媼の高齢者の方々が多かった(愚生もそのひとり)。
絶対自由のアナキズム、いずれにせよ、何んらかのしがらみのなかにとらわれている「女一人を救えないで、何が革命だ!」と叫びつつ、民衆のアンビヴァレンツな天皇陛下万歳のバンザイ!の挙げた手に虚しい悲哀がこもっていた。
中濱鐡と古田大次郎。中濱鐡(哲)は、1924年「労働運動」の大杉栄・伊藤野枝追悼号に「杉よ!目の男よ!」という詩を寄せている。あるいは、獄中で自裁する酔峰・和田久太郎には次の辞世句が残されている。
もろもろの悩みも消ゆる雪の風 久太郎(昭和3年没、享年36)
また、大杉榮には、大逆事件により幸徳秋水以下12名の処刑が行われた、明治44年、生き残りの同志たちの茶話会で、
春三月縊り残され花に舞ふ 榮
と詠んだ句がある。
撮影・葛城綾呂 カラスウリの花↑
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