2018年7月26日木曜日

田中葉月「道化師のポケットいつぱい虹の種」(『子音』)・・



 田中葉月句集『子音』(ふらんす堂)、【第一句集シリーズ/1】と銘打たれているから、ふらんす堂の新句集シリーズである。大昔に、まだ、ふらんす堂社主が牧羊社時代の時に、確か「処女句集シリーズ」?というのがあって、それを思い起こす。もっとも今の時代にはそぐわないシリーズ名だから、当然ながら、「第一句集シリーズ」なのだが、かつてそのシリーズから多くの俳人を生み出してきたように、その名誉ある第一冊目が「豈」同人でもある田中葉月だというのは嬉しい。過不足のない序文は秦夕美。その末尾に、

 若い頃、外国暮しをした葉月さんは、体感でそれを捉えていた。この句集も自らの皮膚感覚を先行させて編まれたので、歳時記的に見れば季の感覚はずれていよう。それでいい。それが葉月さん。『歳時記』もマニュアルの一つにすぎない葉月さんはやがて「老い」という未知の分野に踏み込んでいく。その時、三賢人をベツレヘムへ導いたように、俳句が道しるべになってくれるといい。俳句にはそのちからがある。そう信じ続けて欲しい。

 としたためられている。句集名に因む句は、

  ふらここの響くは子音ばかりなり    葉月

 だろう。著者「あとがき」には、

  世界最短詩とも言われる俳句とは何だろう。私にとって俳句とは心のキャンパスにして描く絵のようなもの。今更ながらそう思う。まだまだ思うに任せないのが現実だが、なぜか大抵言葉が遅れてくるような気がする。その奇妙な時間のずれが不思議な感覚となって快い。 

 とあった。田中葉月にはまだまだ今後がある。ともあれ、いくつかの句を挙げておきたい。

   白蓮や大地は胎児差し出しぬ
   さつきですめいですおたまじやくしです
   鍵穴を無数の蝶の飛び立ちぬ
   短夜やゆらゆら歩く零(ゼロ)の影
   月下美人しづかに闇をはきだして
   原爆忌振子時計の螺子の穴
   閻王の集めし舌や唐辛子
   百八の窓に百八秋茜
  
シリーズの装幀は和兎。これもシンプルながら大胆で良い。
田中葉月(たなか・はづき)、1955年、岡山県生まれ。


          撮影・葛城綾呂 サルスベリ↑

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