2016年1月15日金曜日

松林尚志「地は寒き灯をちりばめて天冥し」(「澪」111号)・・・



実は昨年初秋の頃に恵まれた松林尚志『和歌と王朝』(鳥影社)について、早急に取り上げて、そのお礼を兼ねようと思っていたのだが、読了しないまま月日のみが去って行きそうな気配なのである。
内容は、目次をひろうと「藤原良経と後鳥羽院・実朝ー『新古今和歌集』成立の周辺」や「宗良親王私記ー流離の歌人」など文字通りの和歌に関するものだったので、愚生にはちょと荷が重すぎたのだ。とはいえ、「長塚節と斎藤茂吉ー節の『赤光』書入れをめぐって・・・」はスリリングで面白かった。
かつて、松林尚志著『日本の韻律 五音と七音の詩学』(花神社、1996年)を早稲田の古本屋で偶然手にしたことがあったが、その後も子規、斎藤茂吉、芭蕉、蕪村などに関する多くの著作があり、詩歌をめぐる論作両輪の俳人である。




そうこうしているうちに松林尚志が代表を務める「澪」に連載されている「山茶庵雑記 25」の「『船団』の座談会と関悦史氏近業に触れて」が眼に入り、行き当たった。
松林尚志(まつばやし・しょうし)は1930年生まれで、「海程」同人でもあるが、その論には定評があるし、現在の俳句状況についてもつねに真摯な発言をしておられる。
その「船団」の特集・「俳句を壊す」(愚生は眼にしていないが)の関悦史に触れた部分を孫引きして、紹介しておきたい。

  「俳句を壊すじゃなくて、俳句によって自分が壊される方を目的にした方が、いい俳句ができるように思う」とも語る。「どこかの次元で作品の言葉と現実の言葉が結びつい渡りあっていなかったらどんどん空虚というか陳腐なものになります。」という発言は貴重と思った。現在俳句にこれだけ熱く向かい合っている作家はそうはいまい。

この座談会は関氏の独演会のような内容になったが、氏を知るうえでもう一つ別な仕事に目を向けてみたい。それは「円座」に連載している「平成の名句集を読む」で28号時点で第七回となっている。(中略

もう一人の竹岡一郎氏の『ふるさとのはつこひ』は「SF的想像力と御霊」とコメントされていた。全編連作になっているようで、「比良坂変」から二句を引く。
   斃れざり雪女より生まれし兵
   折々の兵器と契る鬼火かな
 かなり異様な世界で、氏は「サブカルチャー・オタク文化の発展による感性の変容を、ここまで大々的に俳句に取り込んだ例は極めて希少だろう」と述べる。竹岡氏は「鷹」に属して普通の句集も出しているようであり、この試みは壊すというより、別な世界といってよい。
 



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