2014年8月11日月曜日

「豈」56号、石母田星人「五島高資小論」について・・・



残暑お見舞い申し上げます。
「豈」56号の「特集●第三次『豈』十年の新撰世代・五島高資」における石母田星人氏の「五島高資小論」についての玉文中、2か所2行にわたる脱落文が生じましたことを、まずお詫び申し上げます。
著者校正のもどり、並びに再校ゲラを確認しましたところ、校了までのゲラには、2か所の脱落文は生じておらず、現在、印刷所に原因を問い合わせているところです。
とりあえずで恐縮に存じますが、読者の方々には、石母田星人「五島高資小論」に以下の脱落部分の文を加えて、訂正の上、お読みいただければ幸甚です。
よろしくお願い申し上げます。


☆「豈」64ページ下段、最後の行の末尾に以下の文を加える。

・「をとった。どうだ、これが五島高資だ。」


☆65ページ上段最後の行の末尾に以下の文を加える。

・「評論を掲載する零細なページだったが、『俳句スクエア集』とい」


石母田星人氏並びに読者の方々にはご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます、とともに、時期は遅れて申し訳ありませんが、改めて次号「豈」57号に訂正の上、全文を再掲載させていただくことでご了承をお願いいたしたく存じます。

末筆になりますが、皆様のご健勝、ご自愛を祈念申し上げます。


2014年8月10日日曜日

「平成百人一句鑑賞のための自信作」余録・・・



外は台風11号の影響で時折り激しい雨が降っている。風も少し強い。
昨日は、第32回現代俳句新人賞の選考委員会が開かれた。その台風に追われるように三重県から橋本輝久委員も上京されていた。選考委員は7名(浦川聡子・大井恒行・佐怒賀正美・鈴木明・対馬康子・橋本輝久・林桂)。
例年になく長時間の選考委員会となったが、結果は近日中に現代俳句協会から発表されるだろうから、それを待ちたい。
現代俳句協会主催の新人賞だが、応募は協会内外に開かれているので、このところ協会員以外の方々からの応募も多くなっており、今回は43編中24編が協会員外で、ついに応募の半数以上を協会員以外の方が占めた。もちろん、無記名の選考が行われていて、最後に受賞者があきらかになるのだが、中には日ごろからいい作品を作って注目している俳人もいる。しかし、文字通り、新人らしい、力技を引っさげての応募者となるとなかなか難しい。選考委員の方も、愚生も含めて、つい俳句らしい俳句の方へ、安全な選句をしてしまいがちなのである。
今回も応募作品はおおむね表現レベルが確保された無難な、いわば、安心して読める応募作が多かったが、今回もまた、初回の予選10篇を選ぶ際に選考委員全員7名が残した応募作は、論議の最初で、沈んだ。例えば句会でいえば、10句選の十番目に選んだ句が全員いて、高点句になった、というようなものである。
さて、愚生は、表題の「平成百人一句鑑賞のための自信作5句」の続編を「ブログ俳句空間」に不定期に連載しているのだが、余録として、今回はこの「日日彼是」に原稿の写真を、当時のいわゆる俳壇において、新人中の新人だった攝津幸彦、田中裕明を載せておきたい。

句は、

・攝津幸彦

立ち上がり皇国(すめら)乙女となりしかな   「俳句研究」平成2年3月号
厠出て小さきをみな青葉せり           「俳句」 〃   5月号
傘さして馬酔木見し人隠さるる           〃
日輪もスープもさびし青あらし           「豈」90年春号
簾して仔牛の肉を叱りたり               〃

「日輪もスープもさびし青あらし」の一句鑑賞者は仙田洋子。

・田中裕明

楪に筆のはやさと眼の速さ          「青」平成2年3月号
春氷からの鞄を持つて出て            〃      5月号
空港で鞄にすはるチューリップ          〃      6月号
夏鶯道のをはりは梯子かな           〃      7月号
さみだれは赤子の髪に細かかり             〃      

「夏鶯道のをはりの梯子かな」の一句鑑賞者は、はらだかおる。  

                                        アゼリア↑


2014年8月8日金曜日

「豈」56号ようやく出来・・・



いつものこととはいえ、「俳句空間ー豈」56号がようやく出来てきた(購読の申し込みは邑書林へ・・)。
表紙絵は、故・風倉匠のデカルコマニーを夫人の好意もあって、ずっと使わせてもらっている。深謝。今号もまた20名近い外部の方からの寄稿をいただいた。感謝することしきりである。
ともあれ、以下に冒頭の作品のみで恐縮だが、一人一句を挙げておきたい。

     清き故迷ふ白鳥黄泉平坂          花尻万博
     わだつみの母郷つらつら椿かな      恩田侑布子
     紅梅と赤子のおしり見較べる        金原まさ子
     忘却は剖きぬる頭の睡蓮(ロチュス)より  小津夜景
     たくさんの鳥の群よわむしのわたしたち   鈴木瑞恵
     松籟を夜伽のころと思いけり         曾根 毅
     海中(わだなか)にダイオウイカや春の星  冨田拓也
     双眸に未踏の噴水がありぬ         青山茂根
     月光の柱テーマに揺るぎなし         秋元 倫
     山頂へ続く黙あり岩煙草           飯田冬眞
     大なり小なり我らにハート春告鳥      池田澄子
     春風の手の鳴る方へ深ねむり       丑丸敬史
     風のいろ火のいろなべて立木の色      大井恒行
     雑密を鉢植えすれば砂時計ささくれて    大橋愛由等
     奇(くす)けきひかりよカップラーメンのエビよ 大本義幸
     風花のあってはならぬ写経には        岡村知昭
     春寒の伊勢佐木町のへび屋かな       鹿又英一
     瓶の蓋なかなか開かぬ近松忌        神谷 波
     月満ちて来る赤子の黄金の腕        神山姫余
     体内模型のビル街吹きさらし         川名つぎお
     カタクリの花に届くや村太鼓          北川美美
     妄信の梵か偽魔女の一撃か         北野元生
     蜂生れる景色睨んで逆さまに        北村虻曳 
     理想都市 まつすぐ伸びる腕と道       倉阪鬼一郎
     立春や川の話をはじめよう           小池正博
     フェラガモの靴履く男道をしへ         小湊こぎく
     青梅雨窓よりひかり板の間に         小山森生
     帚木や真昼の星を集めたる          五島高資
     オールトの雲渺々と漱石忌           堺谷真人
     からすうり伊吹山からさざれ石         坂間恒子
     鬼は外家中がでこぼこする          杉本青三郎
     
     ねぶのはな
     たがよ
     たがよ 
     とりかへこ                   鈴木純一
 
     見の中に明るきところ裕明忌       関 悦史
     春の空見てと始まる友の遺書       関根かな  
     入梅の空の果てまで行きたき日      妹尾 健
     兇火の中なる擬卵あたためし        高橋修宏
     絵本魔術師つがるからつゆいり      高橋比呂子
     夏蝶の焦点があるもらいにゆく       津のだとも子
     はるともし孔雀なきゐるやうきえり     夏木 久
     C面の夏が漂っている海          成宮 颯
     見上げれば顔・貌・かお・カオ・紅葉山  萩山栄一
     鬱陶しい立つこと春が冷えている     橋本 直
     波羅蜜は縁なしいざや昼寝せむ     秦 夕美
     お降りの畏くもこの世でこぼこ      羽村美和子
     「椿榎楸柊」-俳ー秋津島        早瀬恵子
     バルコニーから虫をばらまく花婿だ   樋口由紀子
     北里に幾年月の花菜雨          福田葉子
     此処彼処亜細亜悪霊産卵期       藤田踏青
     軽羅着て三囲神社ぬけて行く      藤原龍一郎
     芍薬にかくまいしままあさき夢      堀本 吟
     春の闇常世の妣がものを曳く      真矢ひろみ
     白猫に飼われし一家布衣(ふい)の人  森川麗子
     三鬼の忌計量カップで呑んでいる    森須 蘭
     そぞろかな加茂の春月青々と      山上康子
     フクシマの春泥宮城(きゅう)の春泥   山﨑十生
     松林(しょうりん)に魚の骨しらしらと   山村 嚝
     空豆の方言を水位している       山本敏倖
     そうめんぞするり解けて「神の数式」  わたなべ柊
     砂糖宿舎(さたやどい)湯気もおぼろの船ランプ  亘 余世夫  

ちなみに、特集は「攝津幸彦以降の『豈』」、新撰世代の「豈」論。


        

2014年8月6日水曜日

永田耕衣「空蟬に肉残り居る山河かな」・・・



閑話休題のみ・・・
昨日は、昼近く、府中市立図書館の側の府中公園を散歩したら、蟬しぐれとともに、蟬の穴や空蝉の多さにいささかあっけにとられた。
愚生といえば、だらしなくTシャツからのぞいていた首筋がすっかり日焼けして痛く・・・
たちまち、疲れて昼寝をしてしまった。
今日ですか?
今日は、シルバー人材センターの関係で、普通救命講習でAED扱いの講習を受けました。


   空蟬に肉残り居る山河かな    耕衣
   空蟬を拾い跡見る見損かな   





2014年8月5日火曜日

高幡不動尊散策・・・句碑めぐり・・




数日前、歩かなければいけない、という義務感に似たものにかられ、散歩がてら、近くにありながら、一度も行ったことのない高幡不動尊に散歩気分で出かけた。
噂には聞いていたが高幡山金剛寺貫主であり俳人・川澄祐勝の縁であろうか、多くの句碑にめぐり合えた。
散歩の目的は、句碑めぐりではなく山内拝八十八ヶ所めぐりで歩くことだった。
とはいえ、写真におさめた句碑を掲載しておこうか(順不同)。



                      誓子↑

 夏風↑


鏡水↑

陽平↑

山埼千枝子↑

ゆう(禾偏に由)子↑


波郷↑

盤水↑



悦男↑

芭蕉↑

*閑話休題
突然思いついて、日本橋三井ホール「アートアクアリウム2014」にでかけたが、日が悪く、当日券は入場制限つき一時間半待ちだったので、さっさとあきらめて、地上に出て目の前にあったのが三井美術館「能面と能装束ーみる・しる・くらべる」が開催中(7月24日~9月21日)とあり、愚生の趣味ではないが、そちらに寄ることにした。小面に般若面、翁面、尉などそれなりに楽しんだ。


2014年8月2日土曜日

大岩旅人木「六十九回また巡りくる爆忌くる」・・・



「藍生」8月号は特集「原爆忌」である。いまどきと言っては申し訳ないが、その愚直な編集に敬意を表したい。俳句関係の総合誌は今や特集はおろか原爆忌に関する記事が目に触れることがないと、言っていいくらいの体たらくである。
もし、それら原爆忌の句を読み、そこに非核への意志を明らかにすることが、単に愚かな人間主義だと言うのであれば、それが、たとえ偽善の人間主義であってもかまいはしないと、大きく開き直ってもいいと思う。
世界に知恵をもった人間こそが戦争の悲惨をくりかえすのだとしたら、それこそおろか極まりないことだ、と言わなければならない。為政者にこそ愚直な人間主義を貫く理想がなければならない。
「藍生」の会員の方々であろうと思われるが、この「原爆忌」特集に精一杯応えられているのには胸を打たれる。
そのエッセイは、たまたまその日(原爆が落ちた日)に、体調を崩して、学校をやすんだり、偶然にその直撃をわずかに免れ、生き残ることができたといい、ために多くの友人は命を落としたという慙愧を抱えて生きて来られたことがうかがえる。


     六十九回また巡りくる爆忌くる     大岩旅人木
     夏くれば想ひ出さるるきのこ雲       大岩 茜
     命とは一握の灰原爆忌          髙橋冨久子
     友らひとりも棺なし爆忌くる          〃
     

確かに今年は69回目の原爆の日が、もうすぐやってくる。思い出したくない悲惨さはいまも暗く沈んでいるのだ。

    核の冬天知る地知る海ぞ知る       高屋窓秋
    地平より原爆に照らされたき日      渡邊白泉
    墨の絵となりゆく松や原爆忌        原 裕
    湾曲し火傷し爆心地のマラソン      金子兜太
    片仮名に書くヒロシマの忌なりけり    新延 拳
    人間の息に囲まれ原爆忌         竹岡一郎


東京の第45回原爆忌俳句大会は今年も8月10日に専売ホールで行われる。


2014年8月1日金曜日

吉村毬子「水鳥の和音に還る手毬唄」・・・


待望された吉村毬子の句集『手毬唄』(文學の森)が上梓された。
栞文は安井浩司・志賀康・豊口陽子・福田葉子。吉村毬子にとっては縁の深い先輩俳人たちである。
帯文はその中から安井浩司。

  吉村毬子は、何時からかじつに不思議な詩的夢幻境に身を挺するに到った。三橋鷹女を過ぎ、中村苑子を越えて、遂に吉村毬子その人の詩的風景に達した。
吉村毬子の〈修羅〉の彼方にぼんやり浮かぶのは、じつは毬子の詩的浄土そのものではなかろうか。

吉村毬子は中村苑子最晩年のもっとも若き弟子であった。福田葉子とともに苑子の側にあって、苑子なきのちも福田葉子に見続けられながら、自身は「未定」さらに「LOTUS」創刊同人として詩的飛躍を願い続けたことがうかがえる。
『手毬唄』と題するだけあって、毬に関する句も多い。煩をいとわずに挙げれば、

    毬落ちて水照りの天井揺れつづく       毬子
    しづかに毬白き夏野に留まりけり
    妹もゐる花降る刻の毬投げよ
    毬つけば男しづかに倒れけり
    毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた
    さみしさや乳房に毬藻飼ふ時間
    枯蓮の赭(そほ)に染まりゆく手毬
    水鳥の和音に還る手毬唄
   

現在、いわゆる「俳壇」流行のライトな句とは趣を異にするが、それは安井浩司の指摘したような自身の「修羅」から逃れられない心的風景を描き出そうとしているからにちがいない。
最後に愚生好みを句を、上記以外にいくつか挙げておきたい。

    日輪へ孵す水語を恣
    薄氷へ日は青々と腐敗する
    烏瓜鬼を産む女産まぬ女
    夜の梅 ゆつくりと真水に還る
    少し美し蛇の打たるる青標
    家に棲む真水は母を繰り返す
    月光の花屑重ね沖の村
    鵙の贄零(あや)して母の数へ唄
    海螢嫗翁と透きとほる
    
松村大輔の装丁もいい。