2016年6月25日土曜日
福島菊次郎追悼写真展で福島泰樹に会った・・・
本日と明日(26日)、愚生の勤めている府中グリーンプラザ5F展示ホール((京王府中駅すぐ)で「福島菊次郎追悼写真展」(主催・福島菊次郎写真パネル保存会・無料)が行われている。
午後の昼食後の巡回で展示ホールの前を通る時、見覚えのある人だな、と思ったら、誰あろう、愚生第二句集『風の銀漢』の跋文をいただいた福島泰樹だった。思わず声を掛け、久しぶりだと握手し、ハグした。写真展は夕刻5時の勤務が終わってゆっくり観た。
戦後民主主義の極みやマスメディアに飼い慣らされて国滅ぶべし 福島泰樹
府中グリーンプラザ入り口でポーズをとってくれた泰樹氏↑
そのパネルの中に、愚生が二十歳の頃に京都で出会って、先年亡くなった牧田吉明「ある挫折、牧田吉明の青春」というのもあった。また、郷里、山口県祝島の原発反対運動の写真にも興味を魅かれた。
福島菊次郎は国家からの年金支給を拒否し、島での自給自足の生活に入ったが、胃癌のために島での生活を断念した。
山口県下松市出身、94歳で亡くなる直前まで現役写真家としての生を全うした。かつて愚生が読んだのは『戦場からの報告』(社会評論社)の三里塚闘争を収めた写真集だったと思う。数年前に横浜の「日本新聞博物館」での展示を観た記憶もある。
展示の多くは「日本の戦後を考える」というテーマで括られ、原爆被災者、自衛隊、鶴のくる村、東大闘争、靖國神社など天皇制を含む差別問題など、いわゆる社会問題への批評を貫いたものばかりだ。まさに叛骨の写真家にふさわしい内容だった。
ワルナスビ↑
2016年6月24日金曜日
志賀康「言わざりしこと返しあう山と海」(『幺』)・・・
「俳句界」7月号(文學の森)の特集「私の一冊ースペシャル」は、それぞれの作者の在り様、現在の志が伺える好企画である。
そのなかでごく稀なことだが、安井浩司が執筆している(現在、総合誌に安井の文章が読めるのは本誌のみではなかろうか。貴重である)。
そこに、取り上げられているのが、志賀康『幺(いとがしら)』(平成25年刊・邑書林)である。安井浩司は以下のように記している。
過日、当方は恥ずかしながら〈宇宙開〉なる詩業に挑んだが、志賀康『幺』は、そこを更に推し進め、宇宙神秘の開示を志していたのだ。作者の言ういとがしら(傍点あり・・・・・)とは、その糸先の極細い、鋭い細密な探針をもって、自然の妙理、かつ古代実存の秘所を確実に探り当てようとするのだ。(中略)
そこでは、いわゆる意味の跛行運動というか、凡庸な意味の伝達を断ち、新しい関係が成されている。それは俳句史に於けるいとがしら(傍点あり・・・・・)的な尖端に誌心を預け、無限宇宙をまさぐる堂々たる試運転でもあろう。昨今の軟弱な姿勢の中で、強固な骨骼(こっかく)を現わした句集として、敢えて申せば、現代俳句の勲(いさおし)の一巻なのである。
因みに、その他の「私の一冊」の執筆者と書を挙げると、冨士眞奈美は松尾あつゆき著『原爆句抄』(書肆侃侃房)、眉村卓は坪内稔典著『一億人のための辞世の句』(展望社)、金原瑞人は御中虫著『関揺れる』、大輪靖宏は高濱虚子『俳句への道』、宇多喜代子は現代俳句協会編『昭和俳句史作品年表戦前・戦中編』(東京堂出版)、池田澄子は林桂著『ことのはひらひら』(ふらんす堂)、齋藤愼爾は原満三寿著『いまどきの俳句』(沖積舎)である。大輪靖宏を除いては、近年出版された著著ばかりである。スペシャルということで、編集部がたぶん近年に出版された著作を挙げるよう要望したのかも知れない(もっとも、松尾あつゆき『原爆句抄』は復刻と言ってよいが貴重な句集である)。句集のみから以下にいくつかの掲載句を挙げておこう。
子の母も死す、三十六歳
なにもかもなくした手に四まいの爆死証明 松尾あつゆき
自ら木を組みて三児を焼く
とんぼう、子を焼く木をひろうてくる
セックスぢゃなひんだ関の微振動 御中 虫
関揺れる人のかたちを崩さずに
咳をしても一人 尾崎放哉
日本の夜霧の中の懐手 髙柳重信
妹よ見えない先はまだ翼 志賀 康
葦原を八度潜れば風の卵(らん)
海の蝶最後は波に止まりけり(折笠美秋)
阿蘭陀坂に海の恵みの入日かな 林 桂
死亡退学届。手続きに両親の元に行く
のが辛くて、一人っ子だしね。とクラス
担任は言う。
葛の葉の起ちあがらんとして斜め
ノウゼン↑
2016年6月22日水曜日
山﨑百花「身の錆の水に溶けざる涼しさよ」(『五彩』)・・・
山﨑百花『五彩』(現代俳句協会)は彼女の第二句集である。がしかし、第一句集はまだ日の目をみていない。原稿が某版元に眠ったまま序文待ちだと聞いたことがある。従って『五彩』は第二句集ながら、昔風にいうと処女句集である。
本句集の序文は松浦敬親。序文そのものが、優れて、現代俳句論であり、芭蕉論、山本健吉論、桑原武夫論にもなっている。その最後に以下のように餞している。
最後にもう一つ。文学の言葉は自他との血みどろの戦いによって獲得するものである。だから、それを百花さんに強いたりはしない。虚子がしたように、第二芸術やそれ以下の現実にたっぷりと根を張り、そこから、豊かな養分を吸い上げて、時々第一芸術の花を咲かせる道もある。悩んだら、そう言って居直るといい。その方が長続きするし、文章力もつく。百花さんには文章の才能もあるので、これが一番よい道だろう。そうやって思いを深化させ、その深化を俳句の言葉として持ち帰った時、俳句は文学になる。
句集の装丁(小島真樹)も落ち着いた感じで良いものだが、挿画は「豈」同人でもあり、早逝した長岡裕一郎、感慨深い。それに本句集はよくある句集のように、四季別になっているが、何よりも歳時記の分類に従って、さらに時候、天文、地理、生活、行事、動物、植物の項目に分けてある。そして、雑の部立もある。それを、松浦敬親は、
「俳句で発句を含む歌仙の内容をすべて扱う道」ということになる。従って、歌仙の一句一句を独立させたような多様な句が並んでいる。巻末の「麻風(まふう)賞」(俳誌「麻」を創刊した菊地麻風を記念した賞。30句競詠)の応募作品8編は「歌仙のように、連作や群作で行く道だ」。一句一句が独立していることは言うまでもないが、30句全体でそれ以上の何か(思想や世界観など)が醸し出されていれば、作品として成功だ。
と解説する。そのようにみて、百花作品の成功率は高い、と思う。よろこばしいことだ。まだ見てはいないが、幻の第一句集より、きっと、この第二句集の方が優れているにちがいない、と思わせる。
ともあれ、以下にいくつか、句を挙げさせていただこう。
山﨑百花(やまざき・ももか)、1947年、青森県弘前市生まれ。
死してなほ骨立ちあがる敗戦忌 百花
ロザリオ祭長子も末子も母は愛す
見上ぐれば日のある不思議昼の虫
悲しみに添へぬ悲しみ梨を剥く
弟切草倒れ易くてたふれたる
ミトコンドリアにイブの血の濃さ寒卵
体力のこのあたりから風邪といふ
冬木の芽みな大空を胎として
大夕焼地球はいまも燃ゆる星
競泳の水着にもあり進化論
星飛ぶや人に地上の願ひごと
一灯へ集まる雪の五彩かな
壊れゆく母とは我か浮氷
仏眼や澄む水に日矢たちてをり
2016年6月20日月曜日
池田澄子「前ヘススメ前へススミテ還ラザル」・・・
池田澄子夫君の著書を紹介する。愚生の記憶では、攝津幸彦の亡くなったとき、夜、池田澄子のお宅に数名が集まって、その連絡にあたり、確か、各新聞社宛にその死亡記事を作っていただき、FAXを送る際に一度だけお会いしたことがある、と思うが、優しそうな人、という印象以外は、今、あまり思い浮かばない。ただ、夫君は、ここ数年、週に数度の人工透析をしながらの執筆だとは耳にしていた。
池田龍夫著『時代観照ー福島・沖縄そして戦後70年へ』(社会評論社)。略歴には、1930年生まれ。ジャーナリスト・日本記者クラブ会員。
主著に『新聞の虚報・誤報』(創樹社)、『崖っぷちの新聞』(花伝社社)、『沖縄と日米安保ー問題の核心は何か』(社会評論社・共著)などと、愚生が現役書店員だったころの社会科学書関係の懐かしい出版社の名が眼に入った。
ああ、そうなのか、この道一筋、筋金入りの人なのだ、と思ったのだ。内容は主にウェブ上の「ちきゅう座」「NPJ」に掲載されたものをまとめたとあるから、読めば、まさに只今現在の、現実認識に、その批評眼とともに、時代状況の困難さを思い知らされる。
第1部2010~2011年から第5部2015年までの項目のみの目次が13ページも続くのを見ても継続する眼を感じる。。そのことが帯文にしるされている。
2011年3月11日の東日本大震災・東京電力福島原子力発電所の惨事から、戦後70年を迎えた2015年、9月19日の自民・公明連立政権による安保法制の強行採決にいたる約5年間の、日本における政治的焦点をめぐる「観照」を集大成した。憲法を破壊し戦争ができる国家へと進む安倍晋三政権とそれに抗議する市民の抵抗の記録でもある。
ついでと言っては憚られるが、俳人にして写真家の豊里友行(39)の「基地の島直視 俳人が詠む」「沖縄の戦いは現在進行形」という東京新聞6月18日夕刊記事に彼の、沖縄を詠んだ句が紹介されていたので、以下に紹介する(記事には、彼の写真・シュワブゲート前・ガマの中の水没する遺骨なども掲載されている)。
蝶の影奪う基地は白い海 友行
蛙啼く声紋を剥ぐ基地の闇
怒怒怒怒怒怒オスプレイ怒怒怒怒怒怒
牛蒡(ごぼう)抜きされてく草の民の声
鮮やかな原野遺骨に星のさざなみ
ネム↑
2016年6月18日土曜日
森田廣「海全体が墓なんだよ飛魚とぶ」(『樹(き)』)・・・
森田廣(もりた・ひろし)は1926年島根県安来市生まれ。九十歳翁だ。健在である。
句集『樹』(霧工房)の「あとがき」に、
かつては未熟の歩みを重ねていたとしても、句想の飛躍をのぞむことが出来るという多少の自負もあった。が、九十歳の寿齢にめぐまれた今、感覚的な弾力がかなり乏しくなっているのは否めない。然し、諦念のはたらく一方で、内なる問いかけはおのずから自在性を得ているという思いもあり、たとえて、古木のさくらの枯れた風情を見せつつも、なお葉桜のそよぐはなやぎをもつ姿に通う意識と言ってもいいように思われる。
(中略)
混沌の思いは尽きないが、最晩年と言っても差し支えない只今の句業に、何程かの実りがあれば幸いである。なお、かなづかい表記は現代かなづかいに依っているが、例外として「いづも」は歴史的かなづかいとした。(中略)
二〇一六年 初春
先師福島小蕾の句「われひとや出雲純系雪消えゆく」をこころに。
と、しるしている。以下にいくつかの句を挙げさせていただく。
尽未来谷間の墓に春立ちぬ 廣
愛でらるる阿保は絶えて稲の道
夜時雨を近づくは聖赤ん坊
オオクニヌシという大闇や栗の花
母恋の陰恋となる星月夜
産土神(うぶすな)の深股妻も髪に霜
かぁんと鳴る寒林かわが首か
はんにゃはらみつ窪眼にあふれ寒昴
トケイソウ↑
2016年6月16日木曜日
首くくり栲象(たくぞう)「6月の庭劇場のご案内」・・・
愚生が二十歳を少しでたばかりのころ、古沢栲(たく)、現在の首くくり栲象(たくぞう)に出会った。
しばらくして、彼の部屋で、まだ、俳句界に登場していない仁平勝(その頃、彼の愛称はジミーだった)に、そして、「豈」の表紙絵を提供してもらっている風倉匠に出会った。
かつて杉並公会堂や草月ホールの大駱駝艦の公演など、彼のいくつかの首吊りも観た。
ユーチューブは「密着24時!首吊り芸術家 - The Hangman」で観られる。
梅雨空の下でも、自宅兼の庭劇場は毎月行われる。
終わると、彼は、酒と手作りのちょっとしたものを出す。6畳の部屋は、人で埋まる。
以下はその庭劇場の案内である。
●開催日と開演時間
〇6月28日(火曜日)夜8開演
〇29日(水曜日)夜8時開演
〇30日(木曜日)夜8時開演
開場は各々十五分前
〇雨天時も開催
〇料金→千円
〇場所→くにたち庭劇場
◎庭劇場までの道筋
中央線国立駅南口をでて大学通りの左側を一直線に歩き、二十分ほどで唯一の歩道橋に出ます。そを左折する。右側は国立高校の鉄柵で、鉄柵沿いに歩いて三分ほどで同高校の北門に到達します。その向かいの駐車場(赤い看板に白抜き文字で『関係者以外立入り禁止』の文字が目印です)に入って下さい。左奥で、木々の繁みにおおわれた、メッシュシートで囲まれた、平屋の中が庭劇場です。
なお国立駅と向かい合っています南武線谷保駅からですと、谷保駅北口をでて国立駅方面へ大学通りを直進。七分ほどで唯一の歩道橋に着きます、こんどは右折し、以下国立駅からと同記述です。
首くくり栲象
電話090-8178-7216
メールアドレス kubikukuritakuzou.japon.kooi@ezweb.ne.jp
庭劇場:国立市東4-17-3
http://ranrantsushin.com/kubikukuri/keitai/
クチナシ↑
2016年6月14日火曜日
川口重美「六月猫が曲つた方へ曲らう」(宇多喜代子『俳句と歩く』)・・・
25歳9か月で逝った夭折の俳人・川口重美の名を知ったのは、数年前、遺句集の復刻版『川口重美句集』によってである。これも宇多喜代子の手配によるものだった。川口重美は宇多喜代子と同郷の山口県、愚生にとっては同窓ともいえる山口高校、旧制山口中学には、ほかに詩人の中原中也、俳人・種田山頭火、小説家・嘉村磯多がいる。これに川口重美が加わったのだ。これには、さしたる意味もないが、とおく離れてしまった故郷の幾人かを何かにつけて思う望郷ナショナリズムのようなものかもしれない。そういえば、金子みすずもそうだが、愚生にはなじみが薄い。故人を別にすれば、現在の同郷の俳人ならば、宇多喜代子、江里昭彦、葛城綾呂、河村正浩、藤田美保子、福永法弘あたりが思い浮かぶ。
宇多喜代子は『俳句を歩く』(角川書店)に次のように記している。
川口重美が山高理科を卒業したのは昭和十九年九月、短縮卒業で東大第二工学部建築科に入学したのが同年十月、まさに戦火盛んな時期である。翌年が敗戦。敗戦後国家観や制度の変化変貌に混沌とした日を過ごした青年の一人であった。そんな中で俳句を始めた連中にとって、昭和二十一年五月に創刊された「風」は、いまや黄変はなはだしい全三十二頁の雑誌ながら、若者にはさぞ魅力があったろうと思われる内容である。(中略)
そんな若い重美は、女学校を卒業したばかりのS家の栗子さんの婿養子として結婚した。多分に経済的なことが絡んでことだったのだろう。ところが、大学三年の重美は、この幼妻から離れて倉石悦子さんという「戦争未亡人」と同棲(どうせい)するようになる。下関の小さな古書店を営んでいた女性で重美より六歳年上、彼女には十歳くらいの男の子がいた。
その幼妻・栗子との千葉での生活は、重美とは別の部屋を借りて暮らし、下関の身内には一緒に「居る」と思わせていたのだそうだ。やがて重美は大学を卒業、説得されて栗子同伴で下関に帰郷した。しかし、重美は死ぬ前日、上野燎に悦子と別れるつもりはないと話し、千葉から追いかけてきた悦子と旅館でアドルム(睡眠剤)を飲んで心中を選んだ。昏睡の二人を発見したのは、悪い予感を抱いた上野燎。
渡り鳥はるかなるとき光り 重美
生きたかり埋火割れば濃むらさき
泳ぐ身をさびしくなればうらがへす
焼跡やかつてもこゝらまくなぎ居し
炎天下穴に沈めり穴掘りつゝ
炎天の羽音や銀のごとかなし
炎天の鶏まつ毛なきまばたきを
金星見放しこの道曲らねばならぬ
ギンバイカ↑
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