2015年1月31日土曜日

福田葉子「初蝶のかの一頭はダリの髭」(豈句会)・・・



今日は、隔月の「豈」171回の東京句会。愚生の住む多摩ではまだ昨日の雪が道路に残り、
夜、その雪は、日陰の道で凍てついていた。
以下に当日の一人一句を記す。

   初蝶のかの一頭はダリの髭         福田葉子
   感覚を束ね目覚める雪の音       杉本青三郎
   
   はくてう【白鳥】同じものと等しい
            ものは互ひに舞ふ      鈴木純一         
    
   湯たんぽに着せる豹柄ひつじ組     吉田香津代
   葉ぼたんの耳鳴り皇帝円舞曲      羽村美和子
   雪の白テロの黒い血占うて         岩波光大
   東京焦土層に雁首と釘           川名つぎお
   発熱の吾も乗らんにいかのぼり      堺谷真人
   お降りに助六さがる路地の見得      早瀬恵子
   山は尿りトリュフの脳は遠浅に       無時空
   黒き白き鳥すさぶ日の大和かな      大井恒行




2015年1月30日金曜日

「射ち来たる弾道見えずとも低し」三橋敏雄・・・7

「風」第七号↑

「風」は第7号で終刊する(昭和13年4月20日発行)。そのまま「廣場」に移行、創刊される。その終刊号に三橋敏雄は「戦争」57句を一挙発表する。同号には渡邊白泉の高名な句、「銃後と言ふ不思議な街を岡で見た」「遠い馬僕見て嘶(な)いた僕も泣いた」「海坊主綿屋の奥に立つてゐた」など「車輪」14句を発表している。
また「風」終刊後記に、白泉は以下のように記した。
 
 巻頭、三橋敏雄君の「戦争」五十余句は大勉強である。若いから、お年寄りだからといふ条件を芸術の世界で云為することは無意味なことでしかないが、この二十歳に満たない青少作家の将来はわれわれの注目に値する。この稚い混沌のなかには少なからぬ金純分量がふくまれてゐると思ふ。慢心と自恃とを混同せず、あくまで粘り強い根気を徑とし、若々しい才気を緯として精進して行ったら、素晴らしい作家ちなるにちがひない。

                 戦争                  三橋敏雄
        1
  迷彩貨車赤き日出をよぎり過ぎる          『弾道』所収
  ここだ照る迷彩列車はゆき戻らず           〃
  迷彩貨車車輪をも妖(あや)にいろどれる       〃   (・・・妖にいろどれる)
  房暗し迷彩を貨車の外にせり              〃
  迷彩貨車に日を見ずてゆく兵寝たり          〃
        2
  緑陰に酒を飲むべし若き兵               〃
  若き兵その身香し戦(いくさ)の前            〃  (・・・戦の前)
  総て軍馬臀立て憩ひ繋ぎある                  以下掲載句は総て『弾道』所収
  竝びては立てし銃口を支へ立つ
  鉄兜樹間にかむり鬱と立つ
        3
  酒を飲み酔ふに至らざる突撃
  射ち来たる弾道見えずとも低し
  砲音のわたるを背後より聞けり
  熱き風鋼管に湧けり湧きつづく
  好晴の野戦の弾に中るべき
  鉄兜頭蓋を隠し更に射たる
  熱き掌に射ち乾らびたる銃のあり
       4
  獄々(やまやま)の立ち向ふ獄(やま)を射ちまくる
    機関銃獄の斜面に射ちさだまる
  獄を攻む小銃腕にほのけぶり
  獄を攀ぢ射たれたり転げ落ち怒(いか)
  獄を撃ち砲音を谿に奔らする
       5
  砲撃てり見えざるものを木々を撃つ
  そらを撃ち野砲砲身あとずさる
  撃ちつげる砲音の在処(ありか)おなじならず
       6
  暁の敵前渡河の天(そら)をいかる
  弾に撃たれ河幅流れつつ漲る
  河の天(そら)故に砲声も流れ冷ゆ
      7
  戦車部隊日のもとに現(あ)れ地を覆ふ       〃  (・・現れ・・)
  戦車ゆく無限軌道は鳴りたるみ
  戦車ゆきがりがりと地を掻きすすむ
  喬き日に戦車かならず灼け転ぶ
      8
  散兵壕曲折あれば陰も照る
  塹壕に支那の活字の書を瞥す
  塹壕に硬き底ぞも踏まれある
  夜も赤き塹壕に身を落し寝る
  塹壕の夜も土匂ひ兵ねむる
      9
  機関銃黒し街区にしづみゆき
  窓の下機関銃手となり潜む
  機関銃隠れ噴きつつ月落ちたり
  機関銃射手駈け出でて持ちすすむ
  舗装路を匐ひ移りつつ射ちつくす
     10
  戦争の路地づたいゆき角に照る
  戦争の街区に見られ海たひら
  あを海へ煉瓦の壁が撃ち抜かれ
  商館に銃火あふるる窓あり扉あり
  夜目に燃え商館の内撃たれたり
  照明弾厦の高低を照らし降(ふ)りぬ          〃  (・・・降りぬ)
  壁厚く弾痕の各々に月出たり
      11
  壁残り厦のかたちは撃たれ立つ
  壁の街窓立ち残りたるままに
  壁の街硝煙匂ひ眼には見えず
      12
  戦友の血飛沫(しぶき)を見る火線なり       〃  (・・血飛沫・・・)
  火線構成昼の銃火は見えはしる
  撃ち挟まれ徒(あだ)に鉄条網曇る          〃  (・・徒に・・)
  鉄条網これの前後に血流れたり
  鉄の兵器彼我に忽ち燃えのこる

「戦争」57句は、約二か月後、「サンデー毎日」(昭和13年6月26日号)に於いて、山口誓子は、

 (1)こヽに挙げたものは総て無季作品であるが、かういふ無季作品を見てゐると、季といふ観念に捉はれないといふやうな消極的な意味においてゞなく、季といふ観念を全く漂白し去つたといふ潔い感じがする。これは戦争を戦争の裡に見ようとする絶対的な立場からは当然なことである。前線無季俳句はこヽまで行かないと嘘である。
 (2)私は主義として無季作品を作らないけれど、もしかりに無季作品を作るとすればかういう方向のものを作るのではないかといふ気がする。
  
と述べた上で「私はこの無季作品に近親さを感ずるのである」と激賞したのであった。それもそのはずである。18歳の三橋敏雄は「私は、なけなしの想像力を以て、競ひ応へやうと決意したものだ。表現の外形には、当面の鼓吹者、山口誓子の方法を借りる事とした。既に、山口誓子俳句の表現様式の典型は樹立されてゐたからである」(『弾道』後記)と、誓子の方法を自家薬篭中のものとしようとして試みていたのである。

モミジバスズカケ↑
 

2015年1月29日木曜日

「驛寒し機関車の汽罐見ゆれど噴かず」敏雄・・・6

                                             [
                                             「風」第6号↑

「風」第六号は第五号より予定より四か月遅れて、翌昭和13年3月1日発行となった(奥付は「風」第二巻一号)。三橋敏雄は「H驛断章」の題で5句を発表している。そのうち4句が、改作された句を含めて句集『太古』(『青の中』には再録)に収録。

       H驛断章 (句集『太古』では「停車場と改題)            三橋敏雄
  貨車の横冬の西日は遂になし
  驛寒し機関車の汽缶見ゆれど噴かず  『太古』所収
  冬の驛校内に煙すヽみて来たる       〃   (・・・構内へ煙すすみて来る)
  機関車の車輪ならびたる雪jけはひ     〃   (・・・竝びたる雪催ひ)句集『青の中』再録
  寒き夜を機関車走りいでむと動く      〃   (・・・出でむ・・・)

発刊の遅れた事情のいくつかを、白泉は「後記」で次のように記している。

(前略)★(注・編集兼発行者)兼尾さんは大分ご苦労様だつたのである。警察の人がたびたび調べに来たり、これはまあどこでもの話だから、別に問題の起こらなかつたことを幸としなければならない程であるが、購読者の人々からは一わたりずらつと催促される。(中略)三鬼さんに会へば、会つて俳句の話になつて僕のドグマチックが益々佳境に入つて僕の眼鏡が愈々僕の鼻からずり落ちさうになつて来ると、「時に、風は出ますか」と呼ぶ静かな声がきこえてぼくはしよげてしまふし、窓秋さんは僕の赤面を楽しみに何度も何度も僕に同人費を渡すし、初巳さんのうちへ遊びに行けば、そうれ御覧なさいと言はぬばかりの顔が何べんも僕の視力を弱めてしまふし、青柚子は俳句が出来た出来たと脅すし、三橋敏雄君には悲しさうな顔を示されるし、、僕も参つた。
★さあその皆様御待兼の「風」第六册が出来上つたのである。誰も文句はない筈だ(白) 

考えてみると、今は大小あまたの俳句誌があるが、愚生の所属する「俳句空間ー豈」を除いてはおおむね、月刊、季刊を問わず、キチンと遅れることもなく刊行され続けているのだから、よほど世の中は平和なのである。有難いことにちがいない。


2015年1月28日水曜日

「汝が額に花火の音はながからぬ」三橋敏雄・・・・5

                                                 「風」5号↑

「風」五号(昭和12年10月1日・一冊20銭、送料3銭)に、三橋敏雄は、「煙突林」の題のもと、10句を発表し、「愚昧の言」と題したエッセイを発表している。

         煙突林                                三橋敏雄
   煙突林暁けて来らしも四肢のほとり
   木々喬しまことに朝日はずみつつ          『太古』所収(木木喬し・・・)
   町々にをさなら暁けてはだかなる          『青の中』所収(町町に・・・)
   運河ひでりくるぶし太く沿ひ来たり            〃       (・・・来り)
         夜のうた
   戀しげく柿の裏葉の夜をかよふ           『太古』所収(「春秋」の題あり)
   汝が額に花火の音はながからぬ
         二百十日後日抄
   唐黍の垂毛やあかしうろこぐも *9 『青の中』所収・『太古』所収(「村」の題あり…赤し)
   唐黍やとほ山かけてのこりかぜ
   こどもらに唐黍の毛は高そよぎ           『太古』所収
   唐黍はたそがれみのり兒が食ふ            〃   (・・子が・・)

その号のエッセイ「愚昧の言」の「二」に三橋敏雄(当時17歳)は言う。

  我々は最後まで意識せずにほんとうのものを俳句に残してゆかねばならない。―といふことから、我々の出発点はつねに到達した地点に置かるべきである。
 そして其時の我々の周囲に、必ずなくてはならぬもの、それはまつたうな懐疑と、もう一つひたぶるな情熱、この二つだけである。

この「風」五号には、読者作品欄の選句を高屋窓秋が行い、作品を「春」と題して9句発表している。読者作品欄の「立場と方針」に「諸君は俳人の為に句を作ることを止し給へ」と記している。
また、作品「春」の9句の中の3句は「河」と括られた小題がある。その3句を紹介しておこう。

   花かげの別離男は河をゆきぬ                      高屋窓秋
   胎動に愁へり痛み眙(み)つむ河
   河玻璃にひえびえ泪にじむなり

この年(昭和12年)、高屋窓秋は書下ろし句集『河』を刊行。直後7月7日には盧溝橋事件によって日中戦争に突入した。


 
                    スイセン↑

 

2015年1月27日火曜日

「諸君は俳人の為に句を作ることを止し給へ」(窓秋)・・・・4



前回に引き続いて「風」のことに触れておこう(表紙・カットは小澤青柚子)。
「風」は三号で早くも「七月号が抜けた」(編集後記)。従って奥付によると「風」三号の発行日は昭和12年8月1日。編集・発行者も谷澤芳太郎に変わっている。新同人に高屋窓秋と阿部青蛙を迎え、窓秋は、読者俳句欄の選者を第5号から担当することになり、その募集広告が掲載されている。そして阿部青蛙は「葛飾の冬」46句の力作を発表し、「『俳句朗詠調試作』という傍注を付すべきかも知れない」と後記に記してある。

    (みさ)け飽かぬ鷺のまにまに氷(ひ)を踏みゆき       阿部青蛙
    ともるとき冬ぞらの藍篠の来ず
    うすら氷を踏み弾帯の光れりき




三橋敏雄は、「風」三号より同人として参加、「或る遺作展」12句を発表していることは前回にも触れた。今回は「風」四号(昭和12年9月1日発行・編集兼発行者 小西兼尾)に発表された「軍人」12句を留めておこう。

   軍人は晩婚にして鳥撃てり    (句集『青の中』所収)           三橋敏雄
   鳥銃を疎林に向けて暁けはじむ
   軍人の日焼けて持ちぬ金時計
   汗ばみて軍人は妻とほく連れぬ
      裏町Ⅰ
   露の路地汝が前額のひたにあり
   角時計鳴りわたりたり路地に吾に
   路地せまくはざまのそらへ髪伸びたり
      裏町Ⅱ
   路地の路地ひとかげあらず雷雨来る
   わが路地のくろき門標を雷わたる
   ひとのこにあつき雷雨はしみとほり
   みぢか夜にゆきむかひしは禿の爺
   植林にちらと老鶯のまなこあり

「風」四号の編集後記には渡邊保夫と発行者・櫻井武司の出征により「再び発行所が移転した」とある。とはいえ、後記の署名をみると、渡邊白泉、小澤青柚子が実質的に実務を担っていたと思われる。
因みに、同人住所録による人数は以下のように30名。
会津隆吉・阿部青蛙・荒木海城子・稲川榮一・飯島新松子・飯島草炎・江原佐世子・岡崎北巣子・奥澤青野・小澤青柚子・小澤蘭雨・熊木一男・熊倉啓之・小西兼尾・西塔白鴉・櫻井武司・澁谷吐霧・高屋窓秋・高井洒水・中島叢外・中村秀湖・南雲山査子・長谷川友太郎・羽根田左芙男・冬木胖・古川衛士・松澤黒洋・三橋敏雄・渡邊白泉・渡邊保夫。


   

「真の芸術はやがて真の自由主義に胚胎する」・・・3



タイトルの言葉は「風」創刊号(昭和12年5月1日・風発行所)の創刊の辞の一節だ。戦前発行の「風」である(創刊・昭和21年5月、石川県金沢から澤木欣一編集発行の誌とは別の誌)。
最後の結びを以下に記す。

 大志細心、昭和俳句確立のためにはわれらはただ邁進の一途あるのみ。時まさに五月、郭公暁天を浩ぐるのとき『風』はいま漂漂颯颯と出発する。文神まなこあらば幸に祝福を垂れたまへ。
          昭和十二年春
                                                 小 澤 蘭 雨
                                                 小 澤 青柚子
                                                 渡 邊 白 泉
                                                 小 西 兼 尾
                                                 熊 倉 啓 之
                                                 櫻 井 武 司

創刊同人は14人である。編集後記の署名は(白)とあるから渡邊白泉(編集人・渡邊威徳)である。発行人は小澤秀雄(青柚子の本名)。その編集後記の終りに、

 鳳作へ一部贈ることにした。好晴の日一冊を灰にして青柚子と僕と二人の手から風船とともに天上せしめる手筈になつてゐる。(白)

いかにも美しい仕儀である。前年の9月17日に鳳作篠原は帰天しているのだ。享年31。
勤務先東京堂で三橋敏雄を業務命令のごとく俳句会に引き込んだ、「風」同人・渡邊保夫の推挙もあって、三橋敏雄は三号(昭和12年8月)より「風」同人となった。「ある遺作展」と題して12句を発表している。敏雄17歳。
 
        ある遺作展                            三橋敏雄  

    遺作展階を三階にのぼりつめ  
    遺作展南なる窓ひとつ閉づ
    帽黒き人と見たりし遺作展
    遺作展階下ましろく驟雨去る
         動物園
    園茂り午後のジラフの瞳を感ず
    人間や河馬の檻には立ち笑へり
    ふきあげの見えゐる象の後足なり
         〇
    招魂祭とほく来りし貌とあり
    花火の夜椅子折りたたみゐし男
    指先の風にとまりし悍馬なり
    回転ドアめぐればひとがひかりゆき          
       
ちなみに、遺作展の最初の三句は、三橋敏雄句集『太古』に収録されている。「ふきあげ」はママ。「招魂祭」は「顔と遭ふ」と改作(『太古』には「靖国神社」の詞書で収載)、「花火の夜」の句はママで『青の中』に収載されている。また、10句目「悍馬なり」の上五・中七は改作され「八階に真昼見おろす悍馬なり」となっている。


霜畑↑

*閑話休題
昨年10月、このブログに、当時の雑誌に発表された三橋少年時代からの句の覚書のようなものを記録しておこうと始めたのだが、私事多忙を極めて2回で中断していたものを、何とか少しづつでも継続したいと思い、再び、その時間を作り出したいと思って再開した。


モグラの盛り土↑

2015年1月22日木曜日

眞鍋呉夫「子の畏怖(おそれ)ランプに風が唄ふなり」・・・



「石神井書林目録」95号(2015-1)は真鍋呉夫所蔵本だっただろう島尾敏雄、檀一雄、庄野潤三などの献呈署名入り本が多数掲載されている。それらのなかに真鍋呉夫句集『花火』(こおろ発行所・限定百部・非売品 昭16 毛筆句入り)がある。そして掲出の「子の畏怖(おそれ)ランプに風が唄ふなり」の毛筆句が認められる。162000円とある。
眞鍋呉夫(天魚)は1920年福岡県生まれ、2012年没。10代の終りに、阿川弘之、島尾敏雄、那珂太郎などと同人誌「こをろ(こおろ)」を出しており、戦地に赴く直前に句集『花火』を刊行した。
愚生が真鍋呉夫に初めて会ったのは、レンキスト・浅沼璞の紹介で、関口芭蕉庵で行われていた連句会に連れて行かれたことによる。たしか句集『雪女』(冥草舎)を出される少し前のことだった。その後『雪女』で詩人への賞である歴程賞を受賞され、続けて読売文学賞を受賞された。以後の天魚・眞鍋呉夫の俳人としての歩みは皆さんのよく御存じのところであろう。
その後、これも浅沼璞に連れられて、自宅にお邪魔し、ご夫人の手料理と帰りには漬物だったか、手作りの土産までもらった。また、沼津大中寺の句碑開きのことなどを思い出す。
最後に覚えているのは、何の折だったか、眞鍋呉夫は非戦論を主張していたが、保田与重郎の『絶対平和論』こそは読みなさいとしっかり言われたことである。

『雪女』には、有名になった序句、

     M-物言ふ魂に
  雪女見しより瘧(おこり)をさまらず

もさることながら、前書きのある以下の句なども忘れ難い。

     檀一雄氏と南紀太地の断崖に佇つ
  眩さのはてにありけり継子投

     ひと 亡父天門を「こつてうし」とよぶ
  狷介(けんかい)にして燈籠をこのみけり

     折笠美秋氏筋萎縮側索硬化症にて七年にわたる闘病の
     後刀折れ矢尽きて逝く その夜霰すこし降る 同氏の
     遺句「なほ翔ぶは凍てぬため愛告げんため」に和して
  春あられ折笠美秋なほ翔(と)ぶか

     島尾敏雄帰天
  さびしくて雪の安達太良(あだたら)身顫(ぶる)ひす


そういえば、何時だったか、正木ゆう子、眞鍋呉夫と同席したおりに、しきりに、ゆう子は現代の雪女です・・・と言っていたなぁ・・。



                    枯芭蕉↑