第2回ひらく会(於:府中市市民活動センタープラッツ)の今回の選句は一人5点持ちの持ち点制で行い、かつ、作者名を伏せて相互批評の後、作者が名乗った後に、俳人が嫌う自句自解の弁を述べること・・・、という趣向で行われた。4点を一句の最高点としたので、その場合は、残りは一点で一句、合計2句しか選べないのだ。さすがに今回は拮抗した作品が大方を占めたので、最高は3点止まり、1点句を2句、合計3句を選んだ人が一人だった。
ともあれ、以下に1人一句を挙げておこう。
湾(のた)れというや研いで青くなる冬 中西ひろ美
小鳥来て古楽の木の実啄むや 渡辺信明
金銀薄(すすき)空手(くうしゅ)に遊べ乞田川 救仁郷由美子
冬の蝶満ちたるあかりたぐり寄せ 大熊秀夫
漬けられて世慣れしたよな大根(おほね)かな 武藤 幹
冬の夜大三角を子等は指し 成沢洋子
轉生す
第71階層世界
有難し 鈴木純一
石膏の瞑りて無言「第九」かな 猫 翁
木の葉飛ぶ空は瑠璃なり大きかり 大井恒行
大本義幸唯一の句集『硝子器に春の影みち』(沖積舎)↑
★閑話休題・・・ 大本義幸「われも死ぬいまではないが花みずき」(「豈」61号より)・・10月18日、死去。
大本義幸の訃が届いた。享年73.たぶん肺癌だったと推測する。大本義幸の弟氏のハガキによると、亡くなったのは10月18日、連絡が遅れたことを詫びてあった。ただ、誰に知らせればいいのか、きっと分からなかったのだと思う。筑紫磐井からは、いつもの「俳句新空間」への原稿もなく、堀本吟からは北の句会への出欠の返事もなかった、と聞いていた。愚生の本ブログを楽しみに見ているということを聞いていたので、とにかく近況を知らせてもらって、それを彼の住まいのある「はっとりつうしん」(仮題)として、ブログに載せるから、何でもいいから書いて下さい、と返信用のハガキを何枚か入れて、送ったのだった。その返信が訃報だった。
2003年、胃癌を手術、2004年咽頭がんを手術、2005年食道がんを手術、2007年舌癌手術、その後も大腸がん、そして、昨年には肺に転移していた。これまで、泣き言などはなく、いつもそれらを克服してきたから、今回もそうなるだろうと思っていた。ただ、さすがに今回は抗がん剤の副作用で転倒を繰り返していることが書かれてあったこともあった。単純計算でも15年の間、何かしらの癌の病と闘ってきたのだ。お疲れさまでした。独特の句と独特の文体に若い俳人のファンもいた。「オオモッチャンの骨はオレがひろう」と言った攝津幸彦と今ごろは泥酔しているかも知れない。創刊同人の訃は痛ましい。奇しくも明日は「豈」創刊38年の忘年句会だ。そこで黙禱を捧げようと思う。合掌!
撮影・葛城綾呂↑