2018年11月30日金曜日

猫翁「児の海馬雪をしづかに貯へり」(「第2回ひらく会」)・・・



 第2回ひらく会(於:府中市市民活動センタープラッツ)の今回の選句は一人5点持ちの持ち点制で行い、かつ、作者名を伏せて相互批評の後、作者が名乗った後に、俳人が嫌う自句自解の弁を述べること・・・、という趣向で行われた。4点を一句の最高点としたので、その場合は、残りは一点で一句、合計2句しか選べないのだ。さすがに今回は拮抗した作品が大方を占めたので、最高は3点止まり、1点句を2句、合計3句を選んだ人が一人だった。
 ともあれ、以下に1人一句を挙げておこう。

   湾(のた)れというや研いで青くなる冬      中西ひろ美
   小鳥来て古楽の木の実啄むや            渡辺信明
   金銀薄(すすき)空手(くうしゅ)に遊べ乞田川 救仁郷由美子
   冬の蝶満ちたるあかりたぐり寄せ          大熊秀夫
   漬けられて世慣れしたよな大根(おほね)かな    武藤 幹
   冬の夜大三角を子等は指し             成沢洋子

   轉生す
   第71階層世界

   有難し                      鈴木純一

   石膏の瞑りて無言「第九」かな            猫 翁
   木の葉飛ぶ空は瑠璃なり大きかり          大井恒行 



  大本義幸唯一の句集『硝子器に春の影みち』(沖積舎)↑

★閑話休題・・・ 大本義幸「われも死ぬいまではないが花みずき」(「豈」61号より)・・10月18日、死去。


   大本義幸の訃が届いた。享年73.たぶん肺癌だったと推測する。大本義幸の弟氏のハガキによると、亡くなったのは10月18日、連絡が遅れたことを詫びてあった。ただ、誰に知らせればいいのか、きっと分からなかったのだと思う。筑紫磐井からは、いつもの「俳句新空間」への原稿もなく、堀本吟からは北の句会への出欠の返事もなかった、と聞いていた。愚生の本ブログを楽しみに見ているということを聞いていたので、とにかく近況を知らせてもらって、それを彼の住まいのある「はっとりつうしん」(仮題)として、ブログに載せるから、何でもいいから書いて下さい、と返信用のハガキを何枚か入れて、送ったのだった。その返信が訃報だった。
 2003年、胃癌を手術、2004年咽頭がんを手術、2005年食道がんを手術、2007年舌癌手術、その後も大腸がん、そして、昨年には肺に転移していた。これまで、泣き言などはなく、いつもそれらを克服してきたから、今回もそうなるだろうと思っていた。ただ、さすがに今回は抗がん剤の副作用で転倒を繰り返していることが書かれてあったこともあった。単純計算でも15年の間、何かしらの癌の病と闘ってきたのだ。お疲れさまでした。独特の句と独特の文体に若い俳人のファンもいた。「オオモッチャンの骨はオレがひろう」と言った攝津幸彦と今ごろは泥酔しているかも知れない。創刊同人の訃は痛ましい。奇しくも明日は「豈」創刊38年の忘年句会だ。そこで黙禱を捧げようと思う。合掌!



           撮影・葛城綾呂↑

2018年11月29日木曜日

中里夏彦「洗はれし/地に/照らさるる/頭蓋かな」(『無帽の帰還』)・・



 中里夏彦第二句集『無帽の帰還』(鬣の会・風の冠文庫25)、ブログタイトルに挙げた句も、その他、収載の句もすべての漢字にルビが付されている。懇切な解説は林桂「本懐としての脱『機会詩』」。表紙口絵者写真は谷内俊文、題字は金木和子。句集各章の扉には献辞がある。まずは目次裏に、

 「語ることができないものについて、人は沈黙しなければならない」とヴィトゲンシュタインは言ったが、このたびの未曽有の大惨事に遭遇し、今もなお故郷に近づくことすら許されない身として、ただ今の心境を綴っておくことも私の役目かも知れないと思い直して筆を執ることとする。
       平成二三年三月
          (「避難所から見える風景」からの引用、以下同じ)

 しるされているように、彼の家は「原子炉か直線で五kmに位置する」「私の家には再び事故前のような時間が永遠に訪れない、というあまりに無慈悲な事実に思い至ると、思考停止になってしまうのが常である」(「あとがき」)とも記している。
 林桂の解説は無比で、一行といえどもおろそかにできないものであるが、ここでは、そのごく一部を以下に引用する。

 先ほど、『無帽の帰還』は三・一一以前で三・一一以後をサンドイッチした構成であると述べた。それは基本的に間違ってはいない。しかし中里は三・一一以後の作品群に三・一一以前の作品をいくつか密かに滑り込ませている。その一つを見ておく。

    *
   前代(ぜんだい)
   光量(くわうりやう)
     そそぐ
   頭蓋(づがい)かな        (「海の裔」より)

    *
   前代未聞(ぜんだいみもん)
   光量(くわうりやう)
     そそぐ
   頭蓋(づがい)かな        (「平成二三年三月一二日」より)

 二句の違いは「未聞」のみ。「海の裔」句は、風光溢れる自然の中での姿を想起させる。一方、「平成二三年三月一二日」句は、放射能降り注ぐ中での姿として読める。そのような構成として間違いないと思う。しかし、初出を見ると、
(中略)ともに、三・一一以前の句なのである。これも予言の句のひとつとして、中里自身がそのように読み直して構成したものと思われる。
 
 また、

 中里には二重の視力が備わっている。もちろん、ひとつは現実を直視するリアリズムの力だ。たとえばそれは、責任ある立場で原子力発電所事故以後の職場の復興をめざす姿として、多くのメディアに取り上げられた。
(中略)一方、現実を客体化し物語の中へ収めて見る力がある。そこで現実は洗われ、昇華した詩の言葉で把握される。(中略)中里の多行形式のリズムは清澄だ。濁りがない。そこに中里の東北人としての明るさが反映しているとも言えるが、本質は〈物語る〉力に由来するものと言えるだろう。この二つの視力は、中里の中で支え合って一つになる関係だろう。

 と述べている。ともあれ、多行ゆえに僅かの句になるが、挙げておきたい。

  日没(にちぼつ)
            水(みづ)
          離(はな)るる
  魂(たま)   いくつ
    *
  原子爆弾製造所(はつでんしょ)
    ラララ
      僕等(ぼくら)
    未来(みらい)ノ子供(こども)
    *
  洋上(やうじやう)
  ピアノ
  流(なが)れて
  ゐたりけり
    
 中里夏彦(なかざと・なつひこ) 1957年、福島県生まれ。


           撮影・葛城綾呂 ↑

2018年11月28日水曜日

井原美鳥「師の落葉かなカサと舞ひコソと鳴り」(『分度器』)・・・



  井原美鳥第一句集『分度器』(文學の森)、序文は能村研三、栞文に相子智恵。集名は、能村研三の命名によるが、その句は、

   大いなる分度器鳥の渡りかな     美鳥

  である。ブログタイトルにした「師の落葉かなカサと舞ひコソと鳴り」句には、

 林翔先生に〈カサてふ落葉コソてふ落葉色たがへ〉の句もあれば

  の前書が付されている。また、著者「あとがき」には、

 二年余り前、長年の体調不良に対してこれまた長い病名が付き、外出が不自由に。大仰に言えば人生の仕切り直しです。健康であった半生とこの先の自分の間に一線を引きとにもかくにも前へ進まねばと思い至ったときに俳句がありました。

 とあった。そして、相子智恵は、

 〈前略〉美鳥さんの句は題材も表現も幅広い。その幅広さは、常に自分の外側と内側の世界に対して心を澄まし流転の中で明滅する一回性の光を、あるいはその光によって生まれる影を、貪欲に書き留めようとする真摯な俳人の詩的な営みによるものだと、私は思う。

 と、友愛深く述べている。愚生の感銘の一句は、

   親しきよ冬木となつてよりの樅

 ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておきたい。

   まんなかに母在る幸や雑煮吹く
   詩を捨てし父より知らず雪兎
   けふの木の芽あすの木の芽と湧きにけり
   某(それがし)と某(なにがし)同字秋暑し
   ずれがちの眼鏡憲法記念の日
   福藁や日は産土へ廻り来る
   虹の根を発ちたる電車濡れてをり
   復刻本に奥付ふたつ夜の薄暑
   日の丸に十字の折目文化の日
   
  井原美鳥(いはら・みどり) 1949年夕張市生まれ。



           撮影・葛城綾呂 さば雲↑

2018年11月27日火曜日

小池正博「侵食輪廻大きな虹がかかっている」(「川柳スパイラル」第4号)・・

 

 「川柳スパイラル」第4号(編集発行人・小池正博)、昨年11月に創刊され、ちょうど1年が経った。順調な刊行である。俳句、短歌などの短詩形についての熱い議論と交流が目的をもって意識的に実現されているという印象である。川柳に門外漢の愚生には小池正博の連載「現代川柳入門以前 第三回『読みにマニュアルはあるか』」はじつに参考になる。もちろん結論は、マニュアルなどはない、というのであるが、「作品に書かれてある言葉通りに読めばいいですよと答えることにしているが、読み方が分からないということには、いろいろなニュアンスがあるらしい」などと書かれていると、愚生もたまに聞かれることがある「俳句の読み方は難しい、どう読めばいいのですか」に対して同じ答え方をしているので、少し安堵する。そして、田中裕明「鮎落ちてくるぶしは風過ぎにけり」の句と石田柊馬「くちびるはむかし平安神宮でした」について、

  川柳には発想の起点がある。(中略)題詠の場合は、題が発想の起点になる。柊馬の句が題詠であるかどうかはさておいて、「くちびる」から「平安神宮」に飛躍させている。俳句の「取り合わせ」と川柳の「題からの飛躍」は結果的にとてもよく似たかたちになることがある。

 とあったりすると、そうなのかと納得する。また、

 (前略)これまで書かれてきた川柳作品の蓄積はあり、そこからすこしでも新しい領域を切り開こうとして現在の川柳作品が書かれている。(中略)だから過去にとらわれずいつもサバサバと新しい作品が書けるという利点はあるだろうが、川柳史を踏まえたうえでの新しい試みと感性だけで勝負している作品とではどこかに違いが出てくるかもしれない。

 とあり、おもわず、そうだろうと思う。ともあれ、同人の一人一句を挙げておこう。

  表出のあとのボンベのいまいまし     石田柊馬
  肋骨を連れてゆくから待っていて     畑 美樹
  ニヒルアヒルアヒルニヒルと分けていく  一戸涼子
  ウルトラ波酒がとてつもなく不味い    川合大祐
  生き残るためのハーフ&ハーフ      浪越靖政
  かりそめに北エレベーターで気絶する   小池正博
  たらちねにたどり着いたか鹿の王     悠とし子
  リアルボイスずるずると幸せになる    柳本々々
  ほじるな危険 垂れ幕と幟旗       兵頭全郎
  (ねこ)のコネ 使(つか)うは迂闊(うかつ) 下卑(げび)たヒゲ
                                  飯島章友
  文庫本のカバーをとって声がもれ     湊 圭史
  端的に言えば「枝葉をあずけて」     清水かおり
  

★閑話休題・・・石部明「空き家から鳥がでてゆく後日談」(「THANATOS」4/4)・・

「THANATOS」(小池正博・矢上桐子)は「川柳スパイラル」と同時に刊行されている。石部明の足跡を要約して読ませてくれる。石部明の言明と句(2003年~2012年10月27日)を以下に少し引用する。

 意味を飛び越えてことばを飛べ。読者を裏切れ。
そのためには、まず自分を裏切ることだ。 
        FIELD(2012.2.7)「作品を読む」

  鳥の時間時間をかけてだきころす    明
  喪の家の桃の匂いはいやらしい
  死顔の布をめくればまた吹雪
  眼球を放れば粒になって散る
  剃刀できれいに剃っておく祖国
  燃えさしのままの西半球である
  
 石部明(いしべ・あきら) 1939年1月3日~2012年10月27日、岡山県和気郡生まれ。


          撮影・葛城綾呂 サザンカ咲く富士 ↑
  

2018年11月26日月曜日

志賀康「天恩や落ちざる雪もありぬらん」(「LOTUS」第40号)・・・

 

 「LOTUS」(発行人・酒巻英一郎)第40号の特集は「志賀康句集『主根鑑』評」である。論考に澤好摩「己が源郷への旅」、高原耕治「創造行為の源泉へ」、さらに、表健太郎・九堂夜想・救仁郷由美子の鼎談「未完言語としての俳句」である。そのなかで高原耕治の俳句現況への言及を以下に紹介しておきたい。

 試しに、いわゆる現代俳句の諸相、特に若い俳人たちのそれと比較してみるとよい。何処か初々しい感じがしないでもないが、それは俳句の新しみ(・・・)ではない。一見、新しそうに見えるが、実は誰でも想いつき易いイメージとイメージを組み合わせただけの幻想で終わっているたわいのない作品、またイメージとイメージを絡み合わせ、積み上げたまではよいが、それが恣意的で強引な言葉の言い回しに依拠しているため、想像力の統合にまで行き着けず、俳句形式における意味的価値、芸術的価値が暗礁に乗り上げ、その形式自体に頓挫をきたしている作品、ほとんどそういうレベルの作品で溢れ返っている。一方、中年、老人の俳人達の作品にも目を通すことがあるが、おおむねそれらの作品は、偶々、いささかの屈折や巧緻さはみられこそすれ、すでに使い古された俳句技術によって書かれているため退屈この上ない。いずれにせよ志賀作品のような《存在学》的な新しい着想や発想を窺うことはできない。

 また、座談会において九堂夜想は、

  話さなくなりて程なく稲の花
という句に強くひっかかっていて、殊更に窓秋的ということでもないんですけれども、もしかしたら、『主根鑑』の中で一番の秀句なんじゃないかと思ってるんですが、この「話さなくなりて」というー。

 あるいは、表健太郎は、

 志賀さんは自然そのものではなくて、言葉にまつわる自然を言語として抽出しているように思えるんですね。だから読者に自然を想起してほしいとは思っていないじゃないか。それが独特な文体を作り上げていて、従来のアプローチでは捉え難いような気がするんです。すると、志賀さんの俳句を面白いと感じるには従来のアプロ―チから離れる必要があるわけで、それ自体が非常に難しい。

 と語っている。引用が長くなってしまったが、以下に同誌の一人一句を挙げておこう。

  雪やんで天の漂流始まりぬ      志賀 康
  天深くガラスのピアノ仰ぎ見る    表健太郎
  鳥食らつとに毬(があが)を咥えては 九堂夜想
  
  手毬忌なれば
  シャガールの夜へ
  雨                 熊谷陽一

  風の鋏にきりひらかれてかきつばた  三枝桂子
  
  縛縄の
  眠れる葱と
  なりにけり            酒巻英一郎

  今宵こそ花に尋ねん否諾かも -加茂 鈴木純一
  向日葵のいつまでつづく連鎖かな   曾根 毅
  向日葵やまわりみちして解熱    髙橋比呂子
    解読不可能性、困ったことが起きているという感覚。
  飛ばされゆく傘の群のむこうにキリン 古田嘉彦
  浜防風ハマヒルガオの前衛る     松本光雄
  みそがれて崩るる芯に天は熟れ    無時空映
  蓮の實の三世飛び越す日雷      丑丸敬史

  

          撮影・葛城綾呂 石段のモミジ↑

2018年11月24日土曜日

山田やよひ「白帝の文鎮に日の差しにけり」(『調律』)・・


 
 山田やよひ第一句集『調律 OPUS 2001~2018』(ふらんす堂)、集名に因むと思われる句は、

  調律師遠ざかる影涼しかり   やよひ

である。序文は佐々木六戈。その冒頭に、

 俳句とは身一つの詩形である。
 ひとり立ち尽くす姿であり、たとえば「一歩も後に帰る心なし。行くにしたがひ心の改まるは、ただ先へ行く心」(『三冊子』)のみを残した。後ろ姿というよりも常に前方を向いた棒立ちの風姿というしかないもはや協同の詩の空間は存在しない。わたしたちは「歌仙は三十六歩なり」(『同』)と述べた芭蕉の詩法から限りなく遠い。わたしたちの俳句は歌仙の脇句以下を断ち切った徒歩の一歩でしかない。すなわち、俳句は一句で途絶し、沈黙する。

 に記す心ばえを、改めて思わなければなないだろう。「この徒歩の一歩は、しかし、たったひとりどこまでも歩まなければならない」(同前)のである。そのことを、著者「あとがき」は、

  「草藏」に入会して十八年、月に一度の自然詠句会や千葉市花見川の定点観察吟行句会に参加し、懸命な命の営みが為されていることに改めて気づかされた。

 と述べている。ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。

  蹼の氷の際に立ちにけり
  人の影祭提灯揺らしけり 
  墓荒れて露草の色濃かりけり
  凩の子供のこゑをしてゐたる
  落ちてゐる羽に物の音澄みにけり
  桃色の紐で括るや春の畑
  炎帝に水の緻密を掛けにけり
  戻らざるひとりびとりの草いきれ
  鳥渡る天の百会を開きけり
  刈り残すすめらみ草に風威あり
  冬の川鳥を照らして降りてくる
  人の世の仕舞ひ方など野蒜摘む

 山田やよひ(やまだ・やよい) 1949年生まれ。


2018年11月22日木曜日

佐藤りえ「初御空ムスカイボリタンテス飛翔」(『景色』)・・・




 佐藤りえ第一句集『景色』(六花書林)、「豈」同人の期待の第一句集である。2003年以降の333句を収載したとあり、著者「あとがき」の冒頭に、

 ぼんやりしているいちに四半世紀ほどが過ぎてしまった。俳句のようなものを読み書きしながら流れた時間を振り返ろうにも、その景色は曖昧かつ朦朧と、杳として知れない。ただいつでも、どこにいても、この身は仮寓であるという思いはついにぬぐえなかった。常にどこか所在なく、浮草のような現身を扱いかねながら、偶々此の世に端居しつつ、気づけば手になにか書くものを握り、日々を汚している。

 としたためられている。いささかの韜晦があるようだが、句群は、愚生の感受の及ばぬ若さと、かつ極めて現在的な言語に満ちている。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

   箱庭も棲めば都といふだらう      りえ
   さうでない家のお菓子を食べてゐる
   乗るバスは走つてやがて止まるバス
   人工を恥ぢて人工知能泣く
   一本に警官ひとり夜の新樹
   あななすやうつけてゐれば夜が来る
   ここへ来て滝と呼ばれてゐる水よ
   穭田にハンク千体あらはるる
   ロシア帽みたいな鬱をかむつてる
   蒲公英についてくはしく考へる
   渡河といふならずものらの遊びかな
   散つてなほ桜を辞めぬ桜かな
  
 佐藤りえ(さとう・りえ) 1973年宮城県生まれ。



★閑話休題・・・松浦寿輝『秘苑にて』(書肆山田)・・・

著者「後記」に言う。

 『秘苑にて』-この一書もまた、ずいぶん長い歳月にわたってわたしに取り憑いていた猥りがわしい妄執の産物である。詩篇「割符」の三行を巻頭に置き「秘苑にて」のタイトルのもとに一書を構成しようと思い立ったのは、たしか一九八九年、わたしが三十五歳あたりの時期だから、以後、何と三十年近くの時間が流れてしまったことになる。

 その冒頭に置かれた三行の詩は、

       割符

  そこにはいるために必要なのは
  傷を負った無意識と
  蛋白石の艶をおびた比喩
  
である。そして巻尾に置かれた、これまた、三行の詩(本書初出)は、

      

  そこから出るために必要なのは
  傷が癒えたと錯覚しうるまでにかかる歳月と
  水にほとびた乱数表の断片 

である。「門」の直前に置かれた「井戸」(本書初出)の詩編の最後の7行を以下に記しておきたい。

  この庭は宇宙とおなじ広がりを持つこと
  いや この庭こそ宇宙そのものであること
  もはや風は何も囁かず 雲は何も映さない
  受け継がれた秘密はついに守りぬかれ
  わたしの秘苑は完成された
  遺された問題はただ一つだけだ
  ――そこからどうやって出るのか

 松浦寿輝(まつうら・ひさき) 1954年、東京都生まれ。 


2018年11月20日火曜日

樋口由紀子「いつだって反対側を開けられる」(『めるくまーる』)・・



 樋口由紀子句集『めるくまーる』(ふらんす堂)、装幀は野間幸恵。「あとがき」には、

  第一句集『ゆうるりと』(1991年刊)第二句集『容顔』(1999年)から十九年ぶりの川柳句集です。句集を出したいと思いながらもなぜかぐずぐずしていました。
 野間幸恵さんとの出会いが大きいです。『めるくまーる』は【作樋口由紀子・演出野間幸恵】で出来上がったものです。私にとっての「めるくまーる」です。

 とある。句数は約160句ほどだろうか、丁度いい。愚生は門外漢であるが、川柳の言葉の自在さにはいつも唸らされることがある。現代の俳句は詩情で勝負しようとするが、川柳はやはり底に何らかの批評性が要請される。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。

   キャスターがついているのが春の椅子     由紀子
   空想のかたまりである蝶ネクタイ
   ういろうは漢字で書きたい 外郎
   厚化粧だったり薄化粧だったりする笑い
   提灯を先に畳んでくださいな
   下着からはみ出しているいい気持ち
   どの部屋も老けたら老けたままでよい
   ビニールの底はニヒリズム
   空箱はすぐに燃えるしすぐに泣く
   返り点になれないものがまといつく

 樋口由紀子(ひぐち・ゆきこ)1953年生まれ。




★閑話休題・・川口ますみ「人間という砂山があり春の星」(『游神』)・・   

川口ますみ第3句集『游神』(新俳句人連盟)、著者「あとがき」には、

  (前略)游ーあそばせる、ただよう。神ーこころ、たましいの意である。人生をこのように生きられたらどんなに幸せであろうかと己の未熟さも省みず厚かましい希みを抱いている。文字面も大いに気に入っているのだが、「書」作品にはいましばらく鍛錬が必要と思っている。先ずは第三句集の表題とした。

 というように、もとは書道家らしい。従って題箋も著者(川口昌葉)なのであろう。「赤旗日曜版」の俳句選者を務めておられる。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  麦こがし母も昭和も噎せており      ますみ
  荷物下げねば転んでしまう冬の坂
  祭囃につづく軍隊行進曲
  加害より始まる戦春の雪
  アフターヌーンティーは薔薇の香のち介護
  人類は鉄板の上青あらし
  つらつら椿分けて真昼の救急車
  泣くちから嘆くちからも冬鷗
  筍を煮ており遺言書いており
 
 川口ますみ(かわぐち・ますみ)1939年、大阪死生まれ。

   

2018年11月19日月曜日

久保純夫「亀鳴くに孤立無援のすめらぎ」(「儒艮」VOL.26より)・・



 「儒艮」26号(儒艮の会)の特集は先般刊行された久保純夫句集『HIDAWAY』。歌人・天草季紅、柳人・樋口由紀子、俳人・瀧澤和治など10名の各30句選である。後記に「いろいろな方々に30句選をお願いしました。わくわくしています。『選は人なり』という言葉をかみしめています」とある。句数が多い句集だったこともあるが、多彩な句作りであり、どのようにでも書ける世界が久保純夫にあるということであろうか。この十名による30句選でもなかなか重ならなかったことが「選は人なり」の言になっていよう。それが面白い、ということに繋がっているからだろう(それ以外はほとんど重複しないか、せいせい1~2句どまり)。ざっと見で、間違っていたらごめんなさい、であるが、10名中3名の選が重なったのが以下の句である。

  白桃のこの世の影を作りけり     純夫

 悪くない、なかなかの味わいだと思う。だが、裏を返せば、とりわけ突出した感銘を読者に喚起する句が他になかったのではないか、ともいえる。あるいは,どの句でもある水準、表現レベルを確保されているという証であろうか。興味を惹いた選句は、新井美孝選「中学国語俳句教材の観点を基準とする」である。不明にして愚生はどんな基準か知らないけれど、基準が個人的感懐?ではない所に、姿の美しい、正しい俳句の姿をした句が選ばれていて、良い作品を選んでいる、と納得した。
 ともあれ、招待作家の作品から一人一句をあげておきたい。今号の注目は、古稀を迎えた妹尾健が俳句表記の仮名遣いを、永田耕衣、橋閒石、安井浩司などと同じように現代仮名遣いに改めたことである。作品も好印象である。

  「お話が・・・」つられて歩く帰り花    嵯峨根鈴子
  コスモスのグラデーションを頬に引き     久保 彩
  新鮮な傷口尾花ひらく前           岸本由香
  何にでも紅生姜のせ勤労日         近江満里子
  月見酒月があふれてしまいけり        上森敦代
  卵黄の赤いところを囃すなり         曾根 毅
  喉仏長き少年ついてくる           妹尾 健
  鹿の眼が三千 戦起こらざる        木村オサム
  断罪に使えそうなり扇風機          岡村知昭  
  火星接近トマト湯剥きにす         小林かんな

 そうそう、追伸めくが、過日、大谷清・津のだとも子夫妻の個展の際に上京された土井英一には、電話で声だけになってしまったが、それでも、およそ半世紀ぶりに声を聞くことができた(愚生の都合で一目会えなかったのが残念)。その土井英一、本号「『四季の苑』漫遊(21)-鳥取氏弔魂來由」も名散文である。


2018年11月18日日曜日

金子兜太「無神の旅あかつき岬をマッチで燃し」(「兜太と未来俳句のためのフォーラム」より)・・


左より横澤放川・橋本榮治・坂本宮尾・井口時男・筑紫磐井↑


          左より堀田季可・木内徹・菫振華・木村聡雄↑


左より福田若之・江田浩司・柳生正名・関悦史・高山れおな・筑紫磐井↑

 昨日は、「兜太と未来俳句のためのフォーラム」(於:津田塾大学千駄ヶ谷キャンパスSA207教室、入場料無料・要申込)だった。相撲人気の秋場所にあやかるわけではないが、当日前にはすでの満員御礼となってしまったので、出席を諦められた方もいらしたらしい。フォーラムの内容はぎゅうぎゅう詰めの中味の濃いものであったが、それは「兜太」(藤原書店・年2回刊、予価1200円)第2号に反映されるということなので、時期は後になるが、興味のある方は、「兜太」第2号を是非お買い求めいただければ、たぶんソンはないと思う。
 ブログタイトルに挙げた句は、第一部基調講演のなかで井口時男が「兜太」第一号「三本のマッチ」で述べた「『無神』という宣言」の項に対応した、「最後の〈無神の旅〉だけが突然変異のように『表現』の高みへと一気に跳躍しているのだ〉という句である。同号「三本のマッチ」は、兜太の俳句表現についての総括として、しごく真っ当なもので、愚生としては最後に記された、

 金子兜太の句のいつもの姿だ。実に充溢している。私は圧倒され、たじたじとなり、心から感嘆しつつ、しかも、あまりに充溢しすぎている、と時々感じることがある。この時々の私の違和感はもう一つの前衛・兜太論への入り口なのだが、それは別稿とする。

 とあって、その別稿を是非読みたいと思うのである。第二部セミナー「兜太俳句と外国語」も翻訳の問題を含め示唆に富んでいた。第三部シンポジウム「『新撰21』から9年」はパネラーの志向、また丁々発止のやりとりもあって、若者中心にしただけあって文字通り今後の俳句、未来俳句を語るには相応しいものであった。
 ともあれ、以下に当日の次第を挙げておこう。

(総合司会:佐藤りえ)

[司会:筑紫磐井]
<第1部>基調講演
井口時男、坂本宮尾、橋本榮治、横澤放川 編集委員のスピーチ。

[司会:筑紫磐井]
<第2部>「兜太俳句と外国語」
木村聡雄(司会)、木内徹、董振華(トウ・シンカ)、堀田季何

<第3部>「『新撰21』から9年」
筑紫磐井(司会)、高山れおな、関悦史、柳生正名、江田浩司、福田若之

<閉会の辞> 黒田杏子

  予定より、時間を押して二次会は近くの「漁火」、愚生はといえば、四国から遠路参加していた「豈」同人・真矢ひろみに初めて会い、久ぶりの渡辺誠一郎、中村和弘(重信13回忌に参加されていたことを思い出し、話したら本人も覚えていらした)。また宮崎斗士、高山れおななどと歓談(田中亜美にはチョッピリなじられ気味にからまれたが・・)。他に、「豈」同人では、羽村美和子、早瀬恵子、橋本直なども来ていた。




★閑話休題・・・第一回口語俳句作品大賞決まる!・・

    ・・ 久光良一「死神に目こぼしされたまま生きて酒のむ」・・


 第一回口語俳句作品大賞(口語俳句振興会・代表 田中陽)が決まった。久光良一「色の無い風」久光良一(山口県・層雲自由律・層雲・新墾所属)。同奨励賞に、鈴木瑞恵「真夏の花」(御前崎、主流所属)、本間とろ「長い夢」(加古川市、青穂・青い地球所属)、鈴木和枝「この春離農」(島田市、主流所属)。授賞式は、’09年主流新年は句会席上(1月19日、13時~島田市「プラザおおるり」)で行われる。


2018年11月16日金曜日

橋本明「一つひとつその名問いては茸汁」(第185回遊句会)・・



尾道・鷹羽狩行の句碑↑
撮影・渡辺保


  撮影・武藤幹。石飛公也への尾道俳句入選記念メダル↑ 

 一昨日は、遊句会(於:東京駅たい乃家)だったが、愚生は府中市シルバ人材センターの新町地域懇親会に参加したため出られなかった。伝え聞くところによると川島紘一御大は強力な風邪に、医者より句会出席を断念するよう説得されたとか、また、広島県出身の石飛公也は尾道俳句コンテストに投句したら、俳人協会名誉会長・鷹羽狩行先生選に見事入選、その賞状と記念メダル(上掲写真)を披露したらしい。今月の兼題は、崩れ梁・茸汁または茸鍋・縄跳び・当季雑詠。因みに、尾道俳句での鷹羽狩行入選句は、

   尾道や穴子売る声路地の奥      石飛公也

 である。さすがに鷹羽狩行はお目が高い。ともあれ当日の句会報より一人一句を以下に挙げておこう。

   笑い上戸の姉の好物茸鍋       村上直樹
   遠目する鷺は横目の崩れ梁      山田浩明
   月灯り瀬音乱るる崩れ簗       橋本 明
   縄跳や縄が取り込む岩木山      石飛公也
   崩れ簗役目をおりた者同士      武藤 幹
   茸汁味見か毒味か知らぬまま    中山よしこ 
   なわとびが倉庫のわきに捨ててある 春風亭昇吉 
   句読点打つ間もなけりきのこ汁    石川耕治
   肉ちょっぴりなば(松茸)ぎょうさんの鍋なつかしや 渡辺 保
   四万十に暴れ名残りの崩れ簗     天畠良光
   性豪も酒豪も老いて茸汁       石原友夫
   火付けして天に返して崩れ簗   たなべきよみ
   大ぶりの椀にぎゅうぎゅう茸汁   原島なほみ
   
番外投句・・・・

  崩れ梁老女の髪につげの櫛      林 桂子
  縄跳びを日課に入れるダイエット   加藤智也
  組織する額(ぬか)とぞ兜太縄跳びの 大井恒行

次回は、12月20日、兼題は、十二月・返り花・冬日和。



★閑話休題・・窪寺雄二写真展「追悼 首くくり栲象」・・・   

 於~11月18日(日、の16時)まで、会場:ルーニィ・247ファインアーツ
       (JR馬喰町駅2番出口徒歩2分、都営新宿線・馬喰横山A1徒歩3分)

 今日、午前中は、前立腺がん疑惑のPSA値を定期的に検査してもらっているのだが、本日の値は、11.328の相変わらずの高め横ばい。一度生検をやっているがその時は白。体質的にPSA値の高い人も居るとかで、経過観察中なのだ、次は来年3月予定である。この検査が終わって午後に写真展に出かけ、久しぶりに書肆山田・鈴木一民と歓談した。山形産の洋ナシをお土産にいただいた。写真の展示された狭間に首くくり栲象の以下の言葉があった。

  しかしいま栲象が思いいたったことも いずれすぐ
      に消えてゆきます だからこそ今宵の共感で そのこ
  とを窪寺さんに御伝えいたします。
  窪寺さんへ
                   首くくり栲象
 (09年11月23日「庭劇場」の後に届いたメール) 



 窪寺雄二(くぼでら・ゆうじ) 1955年東京生まれ。


宮﨑莉々香「かまきり白く長く階段たちつづく」(「オルガン1」5号より)・・



 「オルガン」15号(編集・宮本佳世乃、発行・鴇田智哉)、前号に引き続いて「座談会 続・『わからない』って何ですか?」は同人4名の真摯な論議になっている。もっとも若い宮﨑莉々香の疑問に対して、他の同人が誠実に根気よく答えようとしているという構図なのだが、熱心ですがしく良い。往復書簡は、今回は浅沼璞から柳本々々氏へで、「空芽による新たな平句にも、〈心地よい自然の無関心〉を受容する水平思考的《ふつう》さが脈打っている、としていいでしょう。いやはや、なんたる《軽み》」などと、スリリングな物言いで毎号興味が尽きない。今号の眼玉企画は、「対談 翻訳と制約 〈漢詩〉の型とその可能性を旅する 小津夜景×北野太一」であろう。先般、上梓された小津夜景『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)をめぐる著者と編集者のやりとりなのだが、いたるところに示唆的な俳句形式論とも思えるところが刺激的である。中に小津夜景は、

 (前略)あと批評が見落としがちなのは、定型が現実の時空とはまた別の存在形式であるってこと。ひとが普通に生きて、しゃべって、寝て、おきて、っていう時空をいったん忘れて、それとは違う時空に身を置くために、それはある。つまり定型は、現実に隷属するのではなく、むしろそこから亡命することにつながるんです。(後略)

という。もっとも、北野太一は、先に平出隆の言を引用して「定型と非定型とは、制約において異なった経験をし、拘束において同一の事態を経験する」と述べている(興味のある御仁は本誌に直接ご購読を!)。その北野太一こと北野抜け芝の「留書」によると、福田若之『自生地』が第六回与謝蕪村賞新人賞を受賞した記念にお祝いの連句を巻くことになり、捌きを浅沼璞、差合見(さしあいみ)を北野抜け芝で連衆はオルガン同人+五人で興行したという。以下にオン座六句の三連のみだが、以下に記しておこう。


   オン座六句「原つぱ」の巻    璞・捌/抜け芝・指合見
 
  原つぱが都へつゞく秋の川     宮﨑 莉々香 
   手にある草履はきなほす月    福田 若之
  とりどりのタイルの色を張り替へて 宮本 佳世乃
   ブラウン管は深くさゝやく    鴇田 智哉
  とゞかない夜こそ氷柱なす真空   田島 健一
   おなじみぞれの下のきやうだい  北野 抜け芝

  おくれ毛のうす約束に笑み給ふ   浅沼 璞
   覚めて覚えのなき香焚かれ    青本 瑞季
  若之がきて学校はずつと海     青本 柚紀
   あまりにふとつた鰐型の岩    西原 紫衣花
  活きのいゝサマンサタバサ本物さ  大塚 凱
   客の求めに濁音を消し         健一

  点から点を結びつらねて地球ができる   智哉
   ポピーの墓に自転車          佳世乃
  出会つた頃の建物の黄を変へた梅雨    莉々香
   液体の情忙しく         上野 葉月
  背中のはれたところで六弦かつぴいてる  若之
   アンプの八つのつまみ         紫衣花


2018年11月15日木曜日

村井康司「小田原の風涼しくて蓮の花」(「鏡」第27号より)・・


 
 「鏡」第27号(鏡発行所・寺澤一雄)、表紙デザイン=佐藤りえとあり、明後日開催の「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」(於:津田軸大学千駄ヶ谷キャンパスSA207号教室・定員90名)の司会を彼女が務める予定である。「WEP俳句通信」106号で坪内稔典が、
 
  (前略)もちろん、存在者と呼んで兜太を担ぐ俳人などがいたし、その人々に兜太ものっていた。担ぐ人も担がれる兜太もだめだと思った。そのだめな兜太は死後の現在、〈兜太〉として相変わらず人気のようだ。兜太の名をタイトルにした雑誌も近くでるらしい。

 と述べているが、そのダメ俳人の一人の愚生は、その会の片棒をかつぐので参加することになっている(だめ俳人と呼ばれる間が花かも・・)。
 話題を元にもどして、「鏡」表紙裏の連載「一句憧憬」は28回、今回の句は「鬼房は岩の仲間ぞ霧しまき 八田木枯」。誌中の句評も寺澤一雄で同人誌ながらも、誌の構成は主宰もようの健筆をふるっている。ともあれ、以下に「鏡」本号から一人一句を以下に挙げておきたい。
  
   ぢき消える火を捧げ持つ涼夜かな    村井康司
   散歩する犬を団扇扇ぎつつ       佐藤文香
   九月一日北へ行くヘリコプター     谷 雅子
   虹を背にシェーカーをふる男たち   笹木くろえ
   百年を黴ざる家のこゑしたり      八田夕刈
   着信のそのまま潜る茅の輪かな     波田野令
   はや九月一日二日三日かな      三島ゆかり
   鵙高音媚薬を計る竿秤         森山保子
   昼寝する猫しかをらぬ理髪店      井松悦子
   少年に十代永し鮎の川         佐川盟子
   辻々に違ふコンビニ梅雨明ける     大上朝美
   不老不死鰻を食べたくらゐでは     寺澤一雄




★閑話休題・・・「ユプシロン」第1号 ↑・・・


 月に一度四人で俳句を持ち寄って句会をやり、半日を過ごしているという。それらを一度まとめようと思い立ったのだとか。「あとがき」には、

 タイトルをつけて五十句、という以外には何の制約もなく、それぞれが自由にまとめてみたのがこの冊子です。

 とある。以下に一人二句を挙げておこう。

   細部までシンメトリーに揚羽蝶     岡田由季
   ばらばらの向きにペンギン立つ日永
   登ってはならぬ梯子や春の闇     小林かんな
   するすると枯蔓の出る発券機  
   給油所の煌々とあり冬銀河       仲田陽子
   人形の片目が閉じず桃の花  
   春の水永久機関の管の中        中田美子
   譜面より水鶏の声を取り出せり



       
              撮影・葛城綾呂 夜明けの欅↑

2018年11月13日火曜日

高野ムツオ「吹雪くねとポストの底の葉書たち」(『語り継ぐいのちの俳句』より)・・



 高野ムツオ『語り継ぐいのちの俳句-3・11以後のまなざし』(朔出版)、攝津幸彦と同年生まれだったこともあり、かつて「そして」という小冊子では、愚生も、ともに参加していた高野ムツオの書くものは、若い頃からほとんど眼を通してきたつもりだが、じつはここ二・三年の彼の仕事を丁寧には見ていない(雑誌・新聞などじつに想像を超える多くの仕事が彼にはあるからだ)。本書には講演録も収載されている。第十回「さろん・ど・くだん」は直接聞いているが、その他の講演は先日、と言っても数ヶ月前の現代俳句協会多摩の講演以外は聞いておらず、他は本書で通読するのが初めてである。
 著者「あとがき」には、彼の向き合ってきた姿勢の良さが伺われる。

 なぜ、俳句だったのだろうか。その後何度も考えたが、どうもよう答えが見つからない。ただ、言えることは、それまでも震災に限らず災禍にあって俳句を作り続けた人は数えきれないほどいたという事実である。ことに戦争という人災において、そうだった。
 おそらく、俳句を作ることが自分の存在証明だったのだろう。危機にあって俳句の言葉の中に、自分の鼓動する心臓、脈打つ血を再確認していたに違いない。言葉で生(せい)を、自己存在を確認していたのだ。

 そして、第三章は書下ろしの「震災詠100句 自句自解」である。
ブログタイトルに挙げた「吹雪くねとポストの底の葉書たち 平成二十九年」の句には、

 正月過ぎの福島駅前のポスト。西口を出てすぐにある。粉雪が強風にしきりに舞っていた。そこに賀状の返礼や寒中見舞いなどが何通か重なっていると想像した。葉書には、避難先の親戚、知人宛に混じって、この世にはない人の名や住所がしたためられているのもあったかもしれない。岩手県大槌町の風の電話宛の葉書も混じっているかもしれない。旅立ちを待って、かさこそと囁く音が聞こえた気がした。

 と自解がほどこされている。ともあれ、その第三章から句のみからになるが、句のいくつかを挙げておこう。

  四肢へ地震(ない)ただ轟轟(ごうごう)と轟轟と 『萬の翅』平成二十三年 
  膨れ這い捲(めく)れ攫(さら) えり大津波      〃
  車にも仰臥(ぎょうが)という死春の月         
  瓦礫(がれき)みな人間のもの犬ふぐり         
  億年の秋日を重ね地層とす            『片翅』平成二十四年
  死者二万餅は焼かれて脹(ふく)れ出す        〃 平成二十五年 
  児童七十四名の息か気嵐(けあらし)は        〃 平成二十六年
  人住めぬ町に七夕雨が降る              〃 平成二十七年
  生者こそ行方不明や野のすみれ            〃 平成二十八年
  狼の声全村避難民の声                  平成二十九年

高野ムツオ(たかの・むつお) 1947年、宮城県生まれ。


           撮影・葛城綾呂 アロエ↑

2018年11月12日月曜日

上田玄「玻璃震え/外闇(とやみ)は//昭和十五年」(『暗夜口碑』)・・



 上田玄・清水愛一『暗夜口碑』(鬣の会・風の冠文庫24)、上田玄の「あとがき」の冒頭に、

 上田の、多行形式によるものとしては第二の句集で、併せて清水愛一との二十一対の対句を試みている。

とあり、ブログタイトルに挙げた

  玻璃震え
  外闇(とやみ)

  昭和十五年

 この句中の「外闇(とやみ)」には、

 (前略)「外闇」という章は、三橋敏雄のひとつの句に触発されている。

    窗ガラス薄し外闇を兵送らる     『青の中』

 これがその句である。

 と記されている。その句末に置かれた昭和15(1940)年という年はどのような年であったのだろうか。世は皇紀2600年の祝賀の光りに彩られ、一方で翌年の真珠湾攻撃・太平洋戦争への露払いのように、新興俳句弾圧事件が行われた年である。俳句にtっては影の年でもある。それこそが、

   さまよう鬼あり
   俳句忌あり

 の多行短律句だった。川柳はその三年前に昭和12年に、鶴彬「手と足をもいだ丸太にして返し」(川柳人)の検挙が行われている。

   ジョニーハ
   次郎ハ

   丸太ヘト

 と上田玄は書き、それを「今、この時に公刊したいという危機感とで本句集に結果させた」とあるのは、たぶん現在の状況に対する過去と現在を通貫させているものへの批評が生み出した句であろうと推測する(まさか、自らの今後の余命を思ってのことではないと思いたい)。また本句集は清水愛一との連弾とあって、そのことにも何らかの想いがあるのだろうが、それは愚生には分からない。ただ集中の以下の対句を挙げておきたい。

 拾玖の初
   
   尋牛の
    山河
     噴き井に
   旗はあり          玄

 
   迷ひゐる羊か
   ルカよ

   -生きめやもー      愛一

 拾玖の附           
  
 ともあれ、上田玄の他の幾つかの句を挙げておこう(基本は髙柳重信晩年の4行の多行表記である)。

  晩霞
  晩鐘
  未病の祖国
  告げわたる

  撃チテシ止マム
  父ヲ

  父ハ

  二度ト
  夏ナシ
  蝉声鎮メ
  耳ノ塚

  暗夜惻隠
  酒を
  母郷の
  枷として

 上田玄(うえだ・げん) 1946年静岡市生まれ。
 清水愛一(しみず・あいいち)1956年、横浜生まれ。

 

           撮影・葛城綾呂↑

2018年11月11日日曜日

攝津幸彦「荒星や毛布にくるむサキソフォン」(『俳句の水脈を求めて』より)・・・



 角谷昌子『俳句の水脈を求めてー平成に逝った俳人たち』(角川書店)、帯には、

 昭和を生き、平成に逝った26俳人の作品と境涯。彼らはどのように俳句に向き合い、何を俳句に託したのか。そのひたむきで多様な生と、魂の表現としての俳句の水脈を探る。

 とある。巻尾に収載された俳人は先般98歳で亡くなっ良くも悪くも文字通り、虚子以来の巨星だった金子兜太、およそ本書の昭和~平成時代の締めを飾るにはうってつけの俳人である。
 愚生は、同時代を生きて来た攝津幸彦や田中裕明にどうしても眼が行ってしまうが、巻頭が飯島晴子であるのは、藤田湘子やアベカンとのエピソードを含めていささかの感懐があるので嬉しい。今、平成時代が尽きようとしているとき、愚生にも、そのほとんどの俳人の姿を目撃できた同時代の俳人であることも本書を身近なものにしている。第一章のインタビューに登場した俳人に女性が圧倒的に多いのも興味深く面白い。
 著者「前書きー俳句の力」には、

 本稿執筆により、影向や回向、すなわち魂を慰め、しかも自分を鼓舞するという俳句の力が、平成を通して見えてきた気がする。もしかしたら、ほんの一面かも知れないが、平成の物故俳人を振り返って実感したことである。やはり、俳句の力はここにある。生きて俳句を詠むのは、俳句の恩恵に浴しているからだと思う。

 と記されている。因みに「攝津幸彦ー俳句で探る存在の根源」には、

 創作者であり、批評家である重信を攝津は自分の審判者として選んだ。赤黄男、重信、攝津の三俳人に共通しているのは、抱え込んだ虚無感を反抗と否定の精神で超克し、独自の句境を切り拓いたことだろう。
 「感動を詠む」ことが現状肯定に繋がるのは当然だ。三俳人は、常に批判精神を抱き、従来の言語表現を単に踏襲せずに、「感動を創る」ため、意味の伝達性を排除して言葉を「書く」ことに集中した。彼らの創作態度は「諷詠」ではない。 

 と喝破している。もって瞑すべきか。最後に収録作家を列挙しておこう。それにしても本書を読むと戦後俳句は事実上終焉したように思える(もちろん、現在の若者を魅了している攝津幸彦、田中裕明はいる)。

 飯島晴子・野澤節子・川崎展宏・藤田湘子・佐藤鬼房・上田五千石・永田耕衣・能村登四郎・桂信子・三橋敏雄・森澄雄・飯田龍太・草間時彦・中村苑子・橋閒石・田川飛旅子・細見綾子・八田木枯・津田清子・古沢太穂・村越化石・鈴木真砂女・鈴木六林男・摂津幸彦・田中裕明・金子兜太。

 角谷昌子(かくたに・まさこ) 1954年、東京都生まれ。



2018年11月9日金曜日

山田耕司「この道のこのゆくゆくを水柱」(「円錐」第79号より)・・・



 「円錐」第79号(円錐の会)、特集は先般上梓された山田耕司句集『不純』。特別寄稿は福田若之「立ちのぼる主題のあやしさ」、論考は今泉康弘「オトナは判らせてくれない」、山﨑浩一郎「不純の果てに在るもの」。一句鑑賞は田中位和子、後藤秀治、宮﨑莉々香、橋本七尾子。ここでは、山田耕司「節電の柿の赤さを数へけり」への橋本七尾子の鑑賞の結びを紹介しておきたい。
 
  大体、俳句に「節電」などという言葉を若い男(中年とは言いたくない)が真っ向から使うだろうか。節電ははっきりとは目に見えず、人々がひっそりと行うマイナーでいじましい社会的行動である。そんなものを俳句の中に持ち込んでどうする。
 「節電」は目に見えないが、過去への、現在への、そして未来への漠然とした不安とそして反省を含んでいる。この句の中で「節電」という言葉の部分が私には暗く見える。痩せて見える。柿の赤さを対比させたせいか。「数へけり」は作者得意のひねり技だ。

なかなか山葵が効いている。そして、「ひねり技」のむこうに、

   焚火より手が出てをりぬ火にもどす
   藤棚より死なずに戻るひる休み
 高校時代の耕司の尖った作品に比べて、本句集はずいぶんとオトナになった、という感がある。その一方で、自分の内面を隠し、韜晦しようとする姿勢は、一貫して変わっていない。
 
 と今泉康弘は記している。橋本七尾子ともども、山田耕司の当初からの「円錐」同志である。愚生も歳をとってしまったが、山田耕司ならずとも、その成熟に向けて、膂力を尽くしてオトナにもなるだろう。ともあれ、「円錐」同人の一人一句を以下に挙げておこう。

  長いことそうして姉は考える       矢上新八
  婚約は破棄され八月十五日        大和まな
  忘れ傘もたれあうたり白秋の       山田耕司
  性悪(しやうわる)の兜太に与し終戦日 和久井幹雄 
  石斛(せつこく)の花断崖をいろどりぬ  澤 好摩
  法相のくちびる赤き夜のTV                       味元昭次
  広島や町かどごとに慰霊の碑       後藤秀治
  慶と弔どちらも白き胡蝶蘭        栗林 浩
  父逝きし谷間へ掛かる秋の虹      原田もと子
  里祭踊るだるまの転びたる       田中位和子
  もの憂さに薄く紅引く夜の秋      荒井みづえ
  嘗て戦下両国橋の揚花火        小倉 紫
    岡崎淳子に「寒葵」を戴く
  沙羅の花暮色まとへばなほ白し     横山康夫
  七五三道の右より左より        江川一枝
  極逆(チバ二アン)の地層発見鷹渡る  丸喜久枝
  七月やビニール傘でゆくあの世     今泉康弘
  水筒の闇は溢れず蟬時雨        山﨑浩一郎
  夏の夜の酒壮大に恋をする       橋本七尾子
  ゆふやけのあとつつがなくふる雨に   宮﨑莉々香



2018年11月8日木曜日

大久保橙青(武雄)「竜飛崎鷹を放つて峙(そばだ)てり」(新版『海鳴りの日々』)・・



 大久保武雄著新版『海鳴りの日々ーかくされた戦後史の断層』(北溟社)、同時刊に新版『原爆の証言』(北溟社)がある。その帯文には、

  広島の原爆を、直接あの場所で体験した著者は、「ただ神に祈ることしか考えられない」と語る。戦後、初代海上保安庁長官となり、政治家としても活躍。そして高濱虚子を敬愛した俳人でもあった著者の魂の叫び!

 とある。英訳も付されている。その大久保武雄の子息が大久保白村である。「『原爆の証言』新版について」で、

 「原爆の証言」の表紙は被曝より約一か月後の原爆ドームの写真である。写した当時まだ原爆ドームという言葉は定着していなかった。いつとなく誰が名付けたともなく市民の間で定着した言葉らしい。(中略)
 「原爆の証言」には被爆者の俳句と虚子の批評が掲載されている。
 その作品から二句を抽いて「原爆の証言」新版の「あとがき」を結ぶ。

  裸みな剥けし膚垂れ襤褸のごと    増本美奈子
  生き身はや蛆湧き死臭まとひつゝ

 と記している。その虚子の批評とは、「その時の写生」と題されたものであり、大久保白村の父・大久保橙青の原爆忌と題した10句も掲載されている。その句の幾つかを以下に挙げる。

  ケロイドの顔放心や原爆忌        橙青
  骨あまた包みてまつり原爆忌
  コスモスの咲いて原爆ドームかな
    永井博士邸跡
  黴の書の前にま白きデスマスク

 一方、新版『海鳴りの日々』は海上保安庁設立七〇年記念再刊のようであるが、こちらは戦後の海上保安庁設立の秘話、また米軍占領下とあって、戦後史に隠されたままになっていた貴重な証言がいくつもあるようで、読むほうも興味深々である。例えば、

  朝鮮戦争のときに、日本の掃海隊が出動したことについては、いままで断片的に報道された。しかし、それは必ずしも全体の真相を伝えるものではなかった。当時ダレス特使が来日し、日本は講和条約の締結をすすめるという微妙な国際情勢もあって、朝鮮水域への出動を極秘裏に運ぶこととした。それで世間が、朝鮮戦争の際の日本特別掃海隊活動の真相を知らないのも無理からぬことであった。曲げられた記事にたいしては、苦闘にたえた掃海隊員は等しく残念に思った。しかし、今日まで抗弁も出来なかったのである。

 としたためられている。当時、朝鮮戦争勃発に際し、北朝鮮は国連軍の上陸を阻止するために、多数のソ連製機雷を主要港に敷設していた。占領下の海上保安庁は第二次大戦中の米軍が施設した機雷の掃海に続き、米側の指令にもとづき朝鮮海域の掃海を実施、そして国連軍の行動の自由を確保するも、当然ながら蝕雷による死亡者、負傷者もでる。文字通り秘された戦死である。これらの掃海作業が極秘裏に行われたこともあって、三十年以上顕彰されなかったのである。

 中谷君の殉職を始め、特別掃海隊の死傷者は十九人を数えている。(中略)朝鮮戦争を契機として経済発展を遂げ経済大国に成長した日本の人びとには、祖国に殉じ、祖国のために傷つき、異国の戦地で風浪と闘い、機雷の掃海に労苦をいとわなかった日本特別掃海隊員のことを、思い起こしてもらいたいと思う。私はそのためにこそ、かくされた真相を世に問おうと思った次第である。   

 と著者の大久保武雄(俳号・橙青)は述べる。子息・大久保白村は今、父の政治団体を一つにまとめ「こゑの会」としてその事業を引き継いでいる。

大久保武雄(おおくぼ・たけお)熊本市生まれ。1903年11月24日~1996年10月14日。
大久保白村(おおくぼ・はくそん) 1930年東京生まれ。


2018年11月6日火曜日

福田甲子雄「わが額に師の掌おかるる小春かな」(『福田甲子雄全句集』より)・・・



 『福田甲子雄全句集』(ふらんす堂)、栞文は、宇多喜代子、友岡子郷、三枝昻之、井上康明、福田修二。既刊7句集、自句自解100句、評論が収載されている。著書解題は瀧澤和治。ブログタイトルにした句「わが額に・・・」について、遺句集となった第七句集『師の掌』の「あとがき」に夫人・福田亮子がしたためている。

  この句は、手術後小康を得て退院し、自宅で療養に専念しておりました所に、飯田龍太先生ご夫妻が、わざわざお尋ね下さいました時のものでございます。ベッドの脇の椅子に掛けられた先生は、主人の額にしずかにそっと掌をおかれ、顔を近々と寄せられて、心底快癒を願って下さいました。まるで時間がとまっているような、主人にとりましても、私にとりましても、それは何ものにも代えがたい至福のときでございました。主人は悦びと畏れのなかで、どんなことをしても元気になって、先生のお気持ちにお応えしたいと強く思ったに相違ありません。そのことに思いを致すとき、今でも胸が潰れる想いでございます。

 そして、愚生は、本著のなかの評論「俳句をささえるもの」に改めて以下に若き日の長岡裕一郎と攝津幸彦の句を発見した。
 
 狼の背に運ばれて冬の種子   長岡裕一郎

 こ
の作は、第四回五十句競作のなかのもので、作者は昭和二十九年生まれ、二十代後半の青春期に属する人だけに、新鮮な内容を大胆に表現して成功している。山野の茫々とした枯褐色の中を、一匹の狼が眼をかがやかせて走り去っていく。そうした光景が,いや応なしに読者の心にくい入ってくる。そして、ゆたかな日本の風土を思わせる。作家的年齢と実年齢が合致した力が、そこに観られるのだ。(中略)

 鳥籠の蜩へ海迫りけり     葛城綾呂(昭和二十四年生まれ)
 陽が射してゐる友の頸さくら鯛  林 桂(昭和二十八年生まれ)
 墓山の父と寝て見る春の雲   山下正雄(昭和三十四年生まれ)
 彦星よ北方は懺悔散華の庭   攝津幸彦(昭和二十二年生まれ)

 五十句競作の十代二十代の作品であるが、俳句という短詩型を開拓していこうとする青春の気迫に、生命の歓喜の声が聞かれる。概して「俳句研究」五十句競作には、青春期の人の作品に珠玉が多かった。

 思えば、若造であった愚生にも、いくつかの著書を恵まれていたが、そのお礼状を出したのかどうか、すでに記憶がない。ともあれ、本全句集よりいくつかの句を以下に挙げておこう。

  天辺に蔦行きつけず紅葉せり      甲子雄
  桃は釈迦李はイエス花盛り
  生誕も死も花冷えの寝間ひとつ
  春雷は空にあそびて地に下りず
  初湯出て山の茜と向きあひぬ
  雨の野を越えて雪降る谷に入る
  百合ひらき甲斐駒ヶ岳目をさます
  稲刈つて鳥入れかはる甲斐の空
  まづ風は河原野菊の中を過ぐ
  白毫か黒豹の眼か春の闇
  春の空わからなくなる妻の声