2021年9月30日木曜日

酒井弘司「星涼しこの世の人は灯をともす」(『地気』)・・・


  酒井弘司第9句集『地気』(ふらんす堂)、平成26年から令和2年までの7年間、371句を収載し、70歳代の後半から80歳代初めの作品だという。「あとがき」の中に、


 句集名の「地気」は、辞書をひもとくと、「動植物をはぐくむ大地の精気」とある。

 北丹沢の鄙びた谷戸に長らく棲んで、見えないが天地を充たすもの、その精気の働きに惹かれてきた。

 その谷戸を、くまなく歩き、ときに畑を耕して俳句にしてきた。今は、この七年間の軌跡をよしよしたい。


 とあった。ますます、自在の境地というべきか。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


  天上のシリウス帰途の見えぬ旅      弘司

  立夏・小満・芒種天地のはじけくる

  小鳥くる戦火の話などもって 

  この星に生まれいのちのあたたかし

  青山河声を挙げねばわれ在らず

  太陽系の外から届く水の音

  虫の音を踏まないように闇の道

  手で掬う真水のひかり白露くる

  飛ぶ電波見えず勤労感謝の日

  三月十日過ぎ十一日光の中

    誕生日

  長崎忌わが生まれしは朝のこと

  カンナ燃ゆまっすぐに立てわが叛旗

  吊革の誰もが揺られ開戦日

  天命という言葉ふと二月尽く

  どくだみ白し青春の旗遠く遠く

  戦後遠しどくだみの線路跨ぐとき

  鳥になれず少年歩く夏の朝

  冬銀河死は遠くとも近くとも


酒井弘司(さかい・こうじ) 昭和13年、長野県に生まれる。



  芽夢野うのき「さざんかさざんか日輪がさめざめ涙した」↑

2021年9月29日水曜日

榎本好宏「花萩に音ありとせばひゆるひゆる」(『花合歓』)・・・


 榎本好宏第11句集『花合歓』(樹芸書房)、著者「あとがき」に、


 かつて吾が家の庭に、樹齢四十年の合歓の木があった。東京駅にあるデパートの屋上で買った十センチほどの苗木を育てたもので、その花を振り返ると、吾が生涯の半分ほどと重なってくる。 昨年出版した『季語別榎本好宏全句集』にも合歓の句が多く入っているが、中にはこんな一句もある。(中略)

 五十歳少々で早逝した家内の思い出の句も入れてある。

   髪切りて花見に来ませ合歓のころ

がそうで、合歓の咲く、六、七月ごろ、夏向きに髪を切って、「花見に戻っていらっしゃい」と黄泉の家内に呼び掛けた一句である。

 少々哲理めいた一句だが、こんな一句も混じっている。

   合歓の花見上げて遺書を書くつもり

 十数年前の作品だから面映ゆいが、一句に貫通するところに変わりない。それ故、今句集のタイトルに「花合歓」を据えてみた。


  とあった。また、自書の帯文には、


   昨夜亰に今宵大阪祭り鱧

 吟行好きに辛いことだが、ここ三、四年体調を崩したこともあってか、『花合歓』には吟行句が少ない。掲出の「祭り鱧」の一句も言ってみれば、過去の回想から出来た作品。私の分類では、これも吟行句になる。


 と記されている。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


   屋根葺きもお薄の席に招ばれけり       好宏

      悼

   引鶴の羽音のやうに兜太逝く

   合歓に花一人にさせて下されよ

   神の在(ま)す仏の坐(いま)す夏木立

   春日傘すぼめて花を払ひけり

   戦なき世とな思ひそ若楓

   砂日傘ひとつ畳めばつぎつぎに

   瀬の音を言祝ぐやうに合歓の花

   歌のやにこよなく晴れし長崎忌

   柿に色呪文のやうにありがたう

      悼

   汝の記憶横顔ばかり桜守

   桜花ひとつ赦してみな赦す

   ますらをに突かせ下され心太

   人の世に急ぐことあり合歓の花

   十二月八日この日を忘れさう

   

 榎本好宏(えのもと・よしひろ) 1937年、東京生まれ。 



   撮影・中西ひろ美「名を伏せて二十日の月を待つ今宵」↑

2021年9月28日火曜日

横山康夫「たましひの生(あ)れては蒼穹(みそら)しづくせり」(『自我得佛來ー〔無〕に抗する3』より)・・・

 


 森山光章『自我得佛來(じがとくぶつらい)ー〔無〕に抗する3』(不虚舎)、その「後記」に、


  表題は、『妙法蓮華経・如來壽量品』から取った。〔書物〕は、わたしの〔墓〕である。

 〔佛は根源の法を提示する〕が、〔衆生〕を救わない(・・・・)。わたし達は、〔本佛〕である。〔自(みずか)らを自(みずか)らの手で、救わなければならない〕。〔暁は近い〕。わたしは、〔終わり〕の闇(・)から〔終わり〕へ、出撃しつづける(・・・・・・・)


 とある。森山光章三冊目のアフォリズム集である。森山光章は、第一句集『眼球呪詛吊り變容』(弘栄堂書店・1991年刊)で、その特異とも言える完成された文体をもって、登場してきた。その栞の結び近くに、林桂は「森山氏が屹立した作品世界に副脈として隠し持つ時代と個人の幻想の悲しさと可笑しさを愛するのは僕だけではあるまい」と記している。森山光章は、これまで、句集、歌集、詩集、評論集など20冊以上の著作を世に問うてきている。また、実兄は小説家・帚木蓬生である。ともあれ、本集中の数ある箴言からいくつか、主に俳句に関するものをあげておこう。



            『眼球呪詛吊り變容』(帯は紛失)↑

      *

「仁平勝」氏は、わたしの〔俳句〕作品を評して、「遊び」と言われたことがある。わたしの〔俳句〕作品は、〔死亡遊戯〕である。そこでは、ポスト・モダ二ミズム的「遊び」は、踏み躙られている(・・・・・・・)。〔俳句〕とは、〔終わり〕の闇(・)の〔血祭り〕である。〔終わり〕が、叫喚する(・・・・)。

      *

 「たましひの生(あ)れては蒼穹(みそら)しづくせり」「飢ゑふかくつひにひとりは点りたり」「振りの鉈より揚羽翔ちにけり」「手毬唄柩のなかは雪明り」「枯萱を分けて父なる人も夜叉」ー一九八八年十一月刊行の「氷翼」の〔俳句〕である。「横山康夫」の実質的な(・・・・)第一句集である。〔コスモス領〕と〔非在領土〕の二領土(・・)から顕現する(・・・・)作品群である。(中略)「横山」氏の作品には、〔面妖さ〕のなかに〔優しさ〕が同在している(・・・・・・)

      *

 「五・七・五」定型という「イデオロギー」を〔血祭る〕ことが、〔俳句〕である。〔政治〕を踏み躙る(・・・・)ことが、〔俳(あら)ず〕である。

      *

伝統俳句は、〔俳句〕ではない。イデオロギーとニヒリズムの〔構造〕のなかに内閉されている(・・・・・・・)。高浜虚子の言う如く、〔文学〕ではないのであろう。「高等遊民」の〔遊び〕なのだ。

      *

〔俳句〕は絶えざる(・・・・)〔変革〕の運動(・・)である。「松尾芭蕉」を観よ(・・)!「伝統俳句」は、〔俳句〕ではない。錯誤してはならない(・・・・・・・・・)

       *

〔俳句〕は、〔終わりへの改変〕の生命力(フォーシス)を有する。

       *

  〔この道を果(はて)なく行かむ秋の空〕―。

       *

 〔椎の実の踏みしだかれし山の道〕―。

      *

 この〔民衆〕の〔地獄より地獄〕を生きる(・・・)〔存在態様〕に、〔責任〕を取ろうとする者はいない。〔神仏〕も、すでに敗北している(・・・・・・・・・)。〔終わり〕だけが、ある。

           *

〔神の死とともに、人間は死んだ〕。それを、〔終わり〕と呼ぶ。


  森山光章(もりやま・みつあき) 1952年、福岡県生まれ。



        撮影・鈴木純一「昏昏と高きに登る裾さばき」↑

2021年9月26日日曜日

萩原慎一郎「非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ」(「俳句界」10月号)・・


 「俳句界」10月号(文學の森)、ブログタイトルにした萩原慎一郎「非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ」という短歌は、同誌の「佐高信の甘口でコンニチハ!」からの孫引きである。対談相手は福島みずほ(弁護士・社会民主党党首)。その中に、


(前略)佐高 社民党の「弱音をはける社会へ。」というのはいいスローガンだよ。今は声をあげられない人がいるからね。私は、いまの日本を非正規雇用から連想して「非正規社会」だと言っているのね。その中での皺寄せって、より女性にくるわけじゃない。(中略) あなたは死刑廃止も推進していて、勲章を貰ったよね。

 福島 そうなんです。フランス政府から、シュバリエ勲章を。死刑廃止とジェンダー平等のふたつでいただきました。 (中略)国家がやる殺人って、戦争と死刑であると私は思っているんですが、死刑は法にのっとって執行するわけだから、法にのっとって停止することができるんです。それに冤罪の問題もありますからね。国家権力は強大で、民主主義ももとですら、暴走する可能性がある。だから、人の命を奪う権利まで国家に与えてはいけない、と思っているんです。(中略)

佐高 ちょっと話がそれるけど、オリンピック。あれはヒトラーが利用したように、国家の水位を高くするもんなんだよね。メディアの問題とも絡むんだけれども、今回新聞がオリンピックのスポンサーになったのは初めてなんだって。

 福島 中立でいるためですよね。

 佐高 そう。それが今回は、朝日、毎日、読売、日経、産経、北海道、六社もいるから、批判できるのは東京新聞と週刊誌だけだった。これは、ものすごく大きな話だよ。(中略)

 福島 まず権力をチェックすることからはじめなくちゃいけないですよね。だから、護憲の何が悪いのかって思います。憲法を守らなくてどうするのかと。安倍元総理に加計学園のことを質問したとき、それまで新聞は「K学園」とぼかしていたんですが、私が「加計学園」と名前を言った途端に、「福島さん、名前出しましたね、責任とれるんですか」でしたからね。権力をチェックするのが野党の役目なんだから、質問するのは当然じゃないですか。いまの権力は、批判され、チェックされて当り前という感覚が薄いんです。

佐高 だいたい固有名詞をださないと批判じゃないんだよ。(中略)

佐高 世界的にみると、別姓の方が多い?

福島 というか、同姓を強制しているのは日本だけなんです。だから夫婦別姓裁判といわずに、夫婦強制合憲判決といったほうがわかりやすいかも。

佐高 日本は最初から同姓なの?

福島 いえ、もともとは夫婦別姓、別氏なんです。北条政子とか日野富子とかもそうですね。姓を持たない女の人もいたとか。だから、実は日本の伝統は、夫婦別氏。同姓になったのは明治からです。


 同誌の他の特集は、「俳句における”無常”の世界」と「40代俳人」。その中から、それぞれ句のみになるが一人一句を以下に挙げておきたい。


   さらにつくせもういつぱいの新走り               今瀬剛一

   みぞおちに音のこもれる菊月夜                 秦 夕美

   倒る時来て勝独楽も倒れけり           石井いさお

   始まりの終りのなくて蓮枯るる          山尾玉藻

   鳥の巣を形見とおもふ朝かな          黒澤麻生子

   西瓜切り分ける大人になつてゐる         田口茉於

   死ぬ木蝶の木ふたりで食事している木       田島健一

   瓦礫より赤い毛布を掴み出す           曾根 毅

   賀客来る東山より東から             如月真菜

   落し角阿修羅の捨てし腕ならむ          篠崎央子

   吾よりも高きに蠅や五六億七千万年(ころな)後も 堀田季何 

   こゝろもち大きな方の柏餅            若杉朋哉

   遠隔会議画面顔顔顔朧              相子智恵

   仮初に涼しと詠みて徐々に情           岡田一実


  


★閑話休題・・・”生きる支える政治へ”朝倉れい子(全国一般三多摩労働組合)・・


 佐高信との対談者・福島みずほ繫がりである。十数前、愚生が、全労協全国一般三多摩地域支部委員長を務めていた頃の、辣腕書記長が朝倉玲子だった。様々な現場、団交、労働委員会、裁判闘争などで幾度もタッグを組んだが、争議の解決時期の判断、決断では、おおむね一致していたと思う。その彼女が、どうやら、次の衆議院選挙、東京24区から社民党公認候補ででるらしい。「政治を変えてもっと職場を楽しくしましょう」と訴えている。その24区、八王子市の労働者分布は2016年の国勢調査では正社員46%、非正規労働者42,2%だという。奮闘を祈る!!!



   芽夢野うのき「むらさきに生まれるなんてなんて国難」↑

2021年9月25日土曜日

浦戸和こ「ははがりのはろかとなりしあきざくら」(『起き臥し』)・・


 浦戸和こ第1句集『起き臥し』(朔出版)、序は水内慶太、その中に、


    起き臥しは流れにもあり魂送り

 「あとがき」に「存分に仕事をやり終えてからの遅い入門でした」と述べているように、浦戸和こさんはメガバンクや芸能事務所で長年秘書として活躍していたようで、各界の多忙な方をサポートしたり、機密情報に触れたりする際に細やかな気遣いと柔軟性で対処してきたであろう、その能力の高さがおのずと見えてくる人である。(中略)

 しかし和こさんの賢明さは俳句という世界最短の詩を、自我の把握をすることから始めたのだ。それは身ほとりの観察、すなわち身ほとりの起き臥し的な句材を選りつつ、一種の自画自賛化を試みることで、諧謔の詩、つまりイロニーを獲得することができた。反語的に真意、真情の在り処が仄かに立ちあがってくる。この俳句的方法を身に付け、表裏が見える幅の広さを獲得した。


  とある。また、その著者「あとがき」には、


 私はかけがえなのない友人を二人失くしました。一人は俳句の縁に導いてくれた友であり、一人は俳優の范文雀です。二人とも才能豊かで真っすぐで何事にも真摯に立ち向かう姿がそっくり、輝かしい未来が開けるはずの命が病に斃れました。私が挫けそうな時に立ち直れるのは、この二人への想いからです。

 また、前途を見失いそうな私を励まし寄り添って下さった先輩に、友に、背中を押されて今日までまいりました。


 ともあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


   戸籍とふ生生しきを春寒し       和こ

   軍籍の墓並列に冬ざるる

   ガラス器の底に沈めし青野かな

   擂粉木は代替わりせずとろろ汁

   鏡面を切り裂く小舟かひやぐら

   切株の哭く夜もあらむ寒昴

   われに声戻るくちなは消えてより

       山口

   七彩の海白秋を染め上げぬ

   海桐咲く海深深と忌を重ね

   草萌や生き行くものは影生みて

   ガラスペン言の葉の虹かけにけり

   早梅や風はひかりの私淑して

   烏瓜咲き無音界ひろげたる


  浦戸和こ(うらと・わこ)1937年 東京生まれ。



      撮影・鈴木純一「山別れティアラも金も呉れてやる」↑

2021年9月24日金曜日

赤城弘「郵便はこなくても昼の空は青い」(『群妙 30号記念 自選句集』)・・


  『群妙 30号記念 自選句集』(自由句壇クラブ)、序は富永鳩山、それには、


 「群妙」は平成十九年六月に創刊いたしました。先月三十号を上梓し、そしてこの度「記念自選句集」を上梓することができました。(中略)

 過去の句を選び出すことは、意外と骨の折れることだったのではないでしょうか。句と共に作者の歴史も見えてきます。ざっとふるいにかけることで、作者の個性が浮かび上ってくれば、面白いと思います。自選句集を上梓するにあたり、物故者の皆様の作品も十句選ばせていただきました。


 とあった。愚生は山口県生まれなので、「群妙」も山頭火のふるさと、山口県防府市あたりを中心に頑張っておられるので、親しみが湧いている。本号の最初の赤城弘の作品下段エッセイを読んで、縁がある不思議を思った。それには、


 赤旗紙上(二〇一二・九・二六)の「俳壇」で大井恒行が「自由律句の復権」を載せ、『現代自由律100人集(平成24年版)』を論評していた。同本は本屋の店頭にはなく、発行元の「自由律のひろば」より手にして読んだ。そんな機縁で代表富永鳩山より「群妙」への参加を誘われ、まよわず、第13号から誌友、第26号より会員となり現在に至った。


 とあり、現在は86歳になられているという。そういえば、かつて愚生は、「赤旗」に月一度の俳壇時評を2年間やっていたことがある(よい勉強になった)。本書には、100名以上の方の10句が掲載されているので、すべてを紹介しきれないのが残念だが、以下に幾人かの一句を、挙げておきたい(なかには、愚生のお会いした方もおられる。懐かしい)。


   線量を被ったいつものキノコに おはよう     赤城 弘

   壁に描いた窓でも鍵は開けておく         荒木 勉

   がんばって実ったきゅうりいただいている    石竹和歌子

   妻の楽しそうな寝言を介護する       いまいきれ尚夫

   妻の死を受け入れて月は満月           大倉 明

   春風に乗りかえる              金澤ひろゆき

   形見の背広で親父を纏う             喜多賢治

   こんな夜は猫背になって掌(て)の中の父と語る  小山貴子

   ういろうはふるさとほろほろとあまい     白松いちろう

   触角を拒否した街にいる             新山賢治

   鳥たちはフクシマの空に線を引かない       田中里美

   ついに老人ひとりごころの自転車こぐ       田中 陽

   みんなちがう顔してまるくなった石        富永鳩山

   色のない時間に夢を注ぐ             中村好徳

   死んでる場合じゃないと下駄をそろえる     平岡久美子

   立てたままでいる君のまな板           平田雅敏

   おもいでに雨エンドロールにふりしきる     松岡月虹舎

   古里デハ吐息ガ夜ヲツナイデイタ        近木圭之介



★閑話休題・・久松良一「月日が語り出すひなたぼっこの丸い背中」(自由律俳句協会ニュースレター」NO.15より)・・・


「自由律俳句協会ニュースレター」NO.15(自由律俳句協会)、記事なかに「『自由律の泉賞』〈第1回〉互選結果発表」があって、投句作品による鑑賞文は、機関誌「自由律の風」第3号に掲載の予定だという。因みに、掲載されている作品を以下に紹介しておこう。

 〈第1位〉月日が語り出すひなたぼっこの丸い背中      久松良一

 〈第2位〉空の青さが降ってくるひとりぼっちのベンチ  金澤ひろあき

 〈第3位〉君が見ていない景色を君に見てゐる         柳泉洞

      妖精がきっといる今日の月夜           部屋慈音

 〈第5位〉宴げのあと淋しさが隣りに座る          原さつき

      ただ会いたいふる里の空はソーダ水       佐川智英実

      小さないのち運ばれていく春の地面        富永順子 


◆第27回自由律フォーラムのお知らせ・・・・

・開催日 11月23日(祝)午後1時半より

・場 所 東京「江東区芭蕉記念館」分室会議室

・投 句 自由題2句(未発表のもの)

・投句料 1000円(下記までお振込み下さい)

    「ゆうちょ銀行 10180-54162271」中塚唯人 口座宛

・応募要項 申し込み用紙に①~⑤までを必ずご記入の上で郵送下さい。(ハガキ・メール・FAXも可)

 ①氏名(所属会名) ②住所。電話番号、メールアドレス(極力こちらを使用ください)

 ③投句2句 ④当日の出・欠 ⑤懇親会、出・欠(後日選句の差異に変更可能』)

  *懇親会を会の終了後、引き続き同所で行う予定です。(費用1500円) 

・投句先 〒154-0012 東京都世田谷区駒沢2-28-14 海紅社中塚唯人宛

     電話・FAX 03-3422-6962 メールは tadato8008@nifty.com  まで

・締 切 令和3年9月30日(期限厳守)

・主 催 東京自由律俳句会、プロデュース「海紅」   


     芽夢野うのき「露人ふいにおしろい花を摘み去る」↑

2021年9月23日木曜日

加藤又三郎「天高しついに語らぬ死刑囚」(『森』)・・・


 加藤又三郎『森』(邑書林)、表紙挿画は著者。序は小川軽舟、その中に、


(前略) ラジオよりニートの持論春の昼

      年札や浄瑠璃坂の上の月

     春月や斧の重さの赤ん坊

     南極に氷崩るる日傘かな

 ニートにはニートの言い分がある。帰属する社会の論理と、そこから疎外された同世代の主張。作者の心はその間を揺れ動く。

 浄瑠璃坂は江戸時代の仇討ちで知られる。年始回りに見上げる月は清らかだが、下界にはかすかに血の匂いが残る。赤ん坊を待つ禍々しい運命を予言するかのよう。

 地球温暖化の事象として、南極の氷が崩れ落ちる映像はテレビで何度も見ている。そこに眼前の日傘をコラージュしたさりげないメッセージ。一人の人間としてできるのは日傘で自分のための日影を作ることくらいのことだと言うのだ。(中略)

 「意味ばかりの言葉から離れたくなると、ひとりで森に向かいます」ー鷹同人になった挨拶に、又三郎はこう記している。(以下略)


 集中、集名に因む句はいくつかある。


    囀や頭の中も外も森

    八月の森に錨を下ろしけり

    青空の匂いの森をぬけて冬

    森の樹の直立寒気来たりけり

    更待や森の奥処に鳥の声


ともあれ、集中、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


    虫の音はかえす言葉の浮かぶまで

    廃駅は日と綿虫のただなかに

    一人なり一匹の蟻追うときは

    記憶より緩やかな坂木の芽雨

    茅花流しそう幾つもの帰路はなし

    七月や鳥入れ替わる避雷針

    どの舟もひとり無月の潮流れ

    交番の白き沈黙クリスマス

    日盛や首に巻き付く社員証

    傷付けず傷付かず秋立ちにけり

    雪吊をひとりくぐる子その子われ


  加藤又三郎(かとう・またさぶろう) 1977年、千葉県松戸市生まれ。



     撮影・中西ひろ美「烈日をからくも逃げぬ飛蝗かな」↑

2021年9月22日水曜日

金田一剛「二枚目の便箋それは白い秋」(第29回「ことごと句会」)・・・   

  


  第29回「ことごと句会」(9月18日付け切手句会)、もうひとつの高点、同点句である渡邉樹音「考えるふりがお上手いぼむしり」があったが、このところ、毎回のように渡邉樹音が高点を独占していたので、一矢を報いた金田一剛「二枚目の便箋それは白い秋」に敬意を表してブログタイトルにした。以下に一人一句と寸評を挙げておこう。因みに兼題は「鳴」と雑詠。


  考えるふりがお上手いぼむしり         渡邉樹音

  九月の風季節は多重人格で           江良純雄

  迎え火に苦手な隣人(ひと)の歩き来る     武藤 幹

  うずもれて書架の迷路や司書の冷え       渡辺信子

  秋暑し黒猫を抱くラララ           らふ亜沙弥

  今朝も雨 9月の床に発条(バネ)つける    照井三余

  鵲の空鳴きピカピカジャポニカ         金田一剛

  秋五彩(あきごさい) 雲にも風にも乗りたまえ 大井恒行


*「二枚目の便箋・・」ー儀礼的に添えられた白紙の二枚目だろうか?きっと一枚目も極短い文なのだろう。あっさり書かれたようで私には沁みた。(幹) /昭和のフォークデュオという感じがします。(樹音)

*「九月の風・・」ー多重人格がえもいわれぬ・・・(亜沙弥)

*「迎え火に・・」ー都会に住みだすと、田舎と違い、会いたくない奴と玄関の前で朝に会う。(三余)

*「うずもれて・・」ー静寂の中に立つ書架は確かに不思議な迷路。慣れている司書も迷路に妖気を感じる時も。迷路に尽きる。(純雄)

*「秋暑し・・」ー黒猫を抱いた絵でいえば、竹久夢二の黒船屋だろうか。なげやりとも思えるラララがいい。何しろ厳しい残暑だ。(恒行)

*「今朝も雨・・」ー雨の日は物憂い。ダラダラと時間が過ぎるのを止めるために跳んでみる。字空けの効果はいかに?(純雄)

*「鵲の・・」ーカササギから始まるカ音の引き出してくる言葉遊びの句である。最後もジャポニカのカで念を押したのだ。そこにいささかの諧謔味がある。(恒行)

*「秋五彩・・」ー清々しい秋晴れには、何でもできそうな気がする!(信子)




★閑話休題・・春風亭昇吉「負けても勝っても母秋刀魚焼く」(「プレバト」9・16放送)・・・


 遊句会のメンバーで、今年5月に真打昇進を果たした春風亭昇吉、その売りが、東大卒、初めての落語家ということだが、その後見人とでもいうべき人が武藤幹である。真打披露公演にも出かけているはずだ。今回のプレバトの春風態昇吉の原句は「負けても勝っても母秋刀魚焼く」であった。夏井いつきの添削によって「試合如何(いかに)子の好物の秋刀魚焼く」であったが、この両句の出来に、いかほどの差があるかないかは、読者のみ知るところだろう。もちろん夏井いつきの手が入ることによって、表現的にはなめらかに進歩したかも知しれないが、句の稚拙によるエネルギーに魅力はないのか・・・。それにしても、プレバトデビューを果たした当初、「万緑に提げて遺品の紙袋」はよく完成された句だったと思う。古人も言っているように、生涯に一句でもあれば瞑すべしと・・・。



         撮影・鈴木純一「雑巾を沈めて静か秋の水」↑

2021年9月21日火曜日

星野椿「問はれても名も無き山や粧へる」(『遥か』)・・・


  星野椿第11句集『遥か』(玉藻社)、序は星野高士、それには、


 いよいよ「玉藻」が創刊九十一周年になる。

 そして同い年なのが星野椿。

 そのおふくろが第十一句集「遥か」を出すことになった。(中略)

 これは私共だけではなく、世界中の行事や祝い事が中止や延期になってしまった。

 そんな中でおふくろが句集を出すというのは暗い世の中で明るいことである。常に前向きなおふくろならではの選択でもあり、迷いはなかったであろう。

 「遥か」という題名は考えてのことだと思うが、未来を見据えた題名でり、希望がある。(中略)

 今後益々元気で活躍を期待していきたく、つたない序文の筆をとった次第である。

 乾杯!


 とあった。集名に因む句は、


   あのことも遥かとなりし梅雨雫    椿


であろう。表4には、色紙に染筆された、


   花に住みあゝ幸せと思ふ時


の句も掲げられている。 著者「あとがき」の中に、


 『虚子亰遊句録』という一冊の和綴じの本がある。昭和二十二年に中田余瓶氏が京都に過された時の虚子の句を一冊にまとめたものである。

 昭和二十二年と云えば終戦まもなく日本はまだ戦後の混乱の中にあった頃であるにも拘わらずこんな立派な本が出来たいたとは俳句の底力である。その本は明治時代からのものを拾った余瓶氏の花鳥諷詠詩である。虚子の句と一緒に余瓶氏も句の上で遊んでいる感じである。

  朧夜や一力を出る小提灯

  枝豆や舞妓の顔に月上る  (中略)

  山桜四月八日の祭かな

 ここで私ははたと驚いた。

 四月八日とは虚子の忌日ではないか。何かそこに暗示があるような一句である。

  舟ゆくがまゝに緑の嵐山

 そして無季句

  祇王寺の留守の扉や押せば開く

 花の扉としないところが又魅力である。その時一緒に居たのは高浜年尾であったと記されていた。

 何と無季ながら奥行の広い句ではないか。

  静かさや松に花ある龍安寺

  大根の花紫野大覚寺

  春雨や忽ち曇る鷹が峰  (中略)

 中田余瓶氏の京都のお宅には多分私が十九歳の頃、虚子・立子について泊めて頂いた記憶がある。

 広い広いお宅であった。今は能楽堂になってると聞き、まあ素敵と感動した。一度はお訪ねしてみたい処である。


とあった。ともあれ、本集より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


  笹鳴や結界もなき寺の木戸        椿

  陽炎や人は遠くをいつも恋ひ

  惜春の蝶を仏と思ふ日よ

  秋声や俳句川柳育つ国

  平成を惜しみて春を惜しみけり

  若き日は誰にもありて花に佇つ

  秋日背に眠くなるとは贅沢な

  叡山に虚子の塔あり雪女

  酔芙蓉出かける時は白い色

  亰の月鎌倉の月同じ風

  有馬先生見事な最期十二月

  迷走の政治と共に去年今年

  立子忌の果して初音こぼれけり

  ポスト迄夕鶯を伴として

  明易し今日はワクチン予約の日  

  

 星野椿(ほしの・つばき) 1930年2月21日~、東京市生まれ。



    撮影・芽夢野うのき「落ち葉動かす手旗信号ふりにけり」↑

2021年9月20日月曜日

浜脇不如帰「かなしみははやくちいさく蜆蝶」(『ぷらずま・はいきっく』)・・・


  浜脇不如帰第二句集『ぷらずま・はいきっく/plasma・haiku-ick』(私家版),

跋は花谷清。それには、


 句集『ぷらずま・はいきっく』にはたのしい作品がたくさん収められている。著者の浜脇不如帰さんと出合ったのは和田悟朗さんが代表をされている「風来」の定例句会であった。句座を共にした「風来」句会において、若手メンバーの浜脇さんが、物事を広く知り、よく記憶している特異な才能の持ち主だということを折に触れ感じさせられた。(中略)

 浜脇不如帰さんの作品の特徴のひとつは、『広辞苑』の全ページを暗記しているのかと思わせるほどの、ボキャブラリーの豊富さにある。(中略)

   零という偶数過るかまいたち

   偶数の素数あふれる天の河

 〈零という偶数〉は真、〈偶数の素数〉は偽である。一句目は、〈かまいたち〉との取り合わせが軽妙である。二句目は、〈天の河〉そして、宇宙には、真偽か分からないものが溢れていることを暗示しているのではないだろうか。


 とあった。また、著者「あとがき」もさることながら、「著者略歴」を記しておくほうが彼の作品を理解する手掛かりにはなりそうだ。収録句もざっと計算すると、1000句を超えるほどはあろうか。その略歴を抜粋しておくと、


 浜脇 野放流 不如帰(はまわきのほうりゅうふじょき)

 1979年、俳句の日にひとつチコクして生まれる(最近気づきました)

 小学5年~中学年まで、「河岸英語サークル」で、すぱるた三昧。おかげで、高校で全国偏差値76。

 17の終りに、統合失調症になり、句作を始める 高校四年生を過ごす。

 19歳、大学の先生の紹介で白燕に顔を出す。平成17年入会、最年少。

 21年、白燕終巻。続いてまた和田悟朗の「風来」入会。28年、風来、悟朗逝去により終刊。

令和3年現在、子燕、北の句会、祭演同人。現代俳句協会会員。句群、18万五千句。

twitter 浜脇 野放流 不如帰 で、出てくると思います。よろしくお願いします。

本名 昇


 本名が「昇」、子規の幼名=升(のぼる)と同じだから、そしてホトトギスの異称・子規のあやかって、俳号は「不如帰」なのだ(野放流・のほうりゅう=のぼる、からだろう)。句の表記は自在。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


  フミキリをX軸に揚天雀(ひばり)      不如帰

  教科書に載ってナイのが夏休み

  白玉と双璧をなす正露丸

  生きるとは片道切符瀧の音

  寄居虫(やどかり)や終の住処はチョココロネ

  「席どうぞ」「次でおります」あたたかし

  プチプチで包むピチピチ初がつを

  ポッキーに折れることなき恋心

  熱(ほとぼり)がプラズマ化する脂照 

  エイプリル・フールなのには違いねぇ

  天高しそれよか地軸より深し

  にんげんはちゃんとしくじる大嚏(くしゃみ)

  菜種梅雨ふやけぬように手を翳す 

  初富士やどっかは不便新幹線

  扇ぷう機なんでもなさを送りけり

  敬老日さてここまでのダイジェスト

  キリストは居たしじっさい居るし鮎

  あまのがわくだけきったら皆水素

  √5のあつかいかたに天の河

  主イエスの血さらりキッパリ霜柱



 撮影・鈴木純一「届きましたキンモクセイもギンモクセイも」↑

2021年9月19日日曜日

芥川龍之介「葡萄噛んで秋風の歌をつくらばや」(「新・黎明俳壇」第4号より)・・・

 

 「新・黎明俳壇」第4号(黎明書房)、特集は「夏目漱石VS.芥川龍之介」、例によって、「各8句を武馬久仁裕が選び、組み合わせ、気鋭の俳人8人に、伝記によらずに、俳句の言葉に即して鑑賞していただいた」とある。いわば漱石と芥川の句合わせである。その執筆者は、赤野四羽、月城龍二、山本真也、川島由紀子、山科誠、なつはづき、田中信克、千葉みずほ。季節柄、ブログタイトルにしたのは秋の句。VS漱石の句は「白き皿に絵具を溶けば春浅し」、論者は山本真也。それには、


 漱石の句よりは、葡萄と秋に直接的なつながりがあるものの、やはり食べ物という遠い二者の間に一本の橋をかけた。(中略)芥川のこの句は漱石とは反対に、逆説の連関と取って良いかもしれない。あまりに濃密な果実を味わうことで覚えた、罪の意識。嚙み捨てた葡萄の皮のごとく、秋そして冬と世界は死んで行く。実りを食い潰したこの口で、挽歌を歌おう。蕭条とした素風の中で。


 と結ばれてあった。他の論者も、気鋭らしくイキが良いので、直接、本書に当たられたい。ともあれ、特選句とユーモア賞の句を紹介しておこう。


 【特選】  

    地球儀の海の青さも淑気かな   安城市  山口正惠

    春昼や魔法の効かぬ魔法瓶    静岡市  栗岡信代

    葉桜や音沙汰なしの友来たる   豊田市 甲斐由美子

 【ユーモア賞】

    まご沢山でもお年玉はあげないよ 碧南市 斉藤きよ子

    梅の花一度は行きたいラブホテル 碧南市  生田智子

    声ひそめ護憲談義の武者人形   西尾市  丸目藤二


【新・黎明俳壇への投句のお誘い】/投句料は無料。締め切りは、9月末、11月末、1月末、3月末、5月末、7月末。結果は翌々月の1日に黎明書房ホームページに発表。

・投句は一回につき2句まで。462-0002 名古屋市中区丸の内3-6-27 EBSビル 黎明書房 黎明俳壇係。メールは、mito-0310@reimei-shobo.com

・未発表作品に限る。二重投句不可。詳しくは、黎明書房ホームページをご覧下さい。


 

★閑話休題・・川上弘美「秋彼岸叔父のみやげは水グラス」(『文豪と俳句』より)・・・

 岸本尚毅『文豪と俳句』(集英社新書)、「新・黎明俳壇」第4号の特集つながりで・・・。もちろん夏目漱石、芥川龍之介も入っているが、現役で活躍中の作家で、一章が与えられているのが、唯一、川上弘美である。その副題に「小説をヒントに読み解く俳句の謎」とある。「はじめに」で岸本尚毅は、


 小説家の作風が多様なのと同様、その俳句も多様です。

 泉鏡花、内田百閒(ひゃくけん)、川上弘美などの句は。その小説と同質のあやしさを漂わせています。

 幸田露伴、尾崎紅葉、森鴎外(おうがい)、室生犀星(むろうさいせい)などは、日記や評伝から窺(うかが)われる作家の生き方と俳句との関わりが興味深い。

 俳句を俳句として読ませるのは芥川龍之介です。

 太宰(だざい)治や宮沢賢治は俳句に中でも太宰であり、賢治です。(中略)

 多様な小説家の多様な俳句にどう切り込むか。頭を悩ませながら書き進め、最終章では夏目漱石対永井荷風の句合わせを試みました。はたしてどちらが勝つのでしょうか。


 ともあれ、本書より一人一句を挙げておこう。


  蝶の羽に我が俳諧の重たさよ       幸田露伴

  渾沌として元日の暮れにけり       尾崎紅葉

  春浅し梅様まゐる雪をんな        泉 鏡花

  死は易(やす)く 生は蠅にぞ 悩みける 森 鴎外

  蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな     芥川龍之介

  秋立や地を這(は)ふ水に光りあり    内田百閒

  日ぐらしや主客に見えし葛の花      横光利一

  夜となりて他国の菊もかほりけり     宮沢賢治

  鯛(たい)の骨たたみにひらふ夜寒かな  室生犀星

  追憶のぜひもなきわれ春の鳥       太宰 治

  目ひらきて人形しづむ春の潮(うみ)   川上弘美 

  落る葉は残らず落ちて昼の月       永井荷風

  風に聞け何れか先に散る木の葉      夏目漱石


 岸本尚毅(きしもと・なおき) 1961年、岡山県生まれ。



   芽夢野うのき「から泣きのコムラサキの実泣きだしぬ」↑

2021年9月18日土曜日

大野今朝子「箱庭に戦車も壕も傷兵も」(「甲信地区現代俳句協会・第34回紙上句会結果発表」)・・・


  「甲信地区現代俳句協会会報第98号・第34回紙上句会結果発表」(甲信地区現代俳句協会)、その後記に、


  コロナ禍のもと、昨年に引き続き今年度も吟行会が開ける状況には至りませんでした。唯一の事業として通信による紙上句会が行われ、結果を本号に掲載いたしました。(以下略)(一志)


 とある。ブログタイトルにした大野今朝子「箱庭に戦車も壕も傷兵も」は、愚生が特選に選んだ句である。また、入選に選んだ2句は、


  夏祓森に木の声鳥の声       関 道子

  麦星の光の雫飲み干さむ     岩井かりん


であった。特選句に対する愚生の評は、


 (前略)特選にした句の「箱庭に」は、もはや脳裏に刻まれた記憶の光景の謂いではなかろうか。でなければ、もともとが、山水、名勝地を模した風流の慰みであった「箱庭」に、わざわざ戦場という宇宙を映しだすことはしない、といささか勝手な読みをしてみた。「箱庭」が歳時的に夏のものであれば、なお、そこに込められた戦場の光景は様々な思いを喚起させる。


 と記した。ともあれ、以下に、各選者の特選句を挙げておこう。


  蟬の去り己を探すごとき木よ     原田宏子 (秋尾敏選)

  風草のささやきばかり君の死後    小林貴子 (神野紗希選)

  変りゆく己が顔(かんばせ)梅雨穂草 堤 保徳 (宮坂静生選)

  鵼鳴くやとりとめもなき自画自賛  高橋佳世子 (城取信平選)

  論語喰らひ頭でっかの紙魚走る    宮坂 碧 (中澤康人選)

  滝落ちて一途に森の黙を解く     小澤斉子 (佐藤文子選)

  箱庭に戦車も壕も傷兵も      大野今朝子 (小林貴子選)

  八月やマンゴー色の灯が点り    一志貴美子 (窪田英治選)

  八ヶ岳岸壁に干す登山靴      斉藤文十郎 (島田洋子選)

  楸邨よ兜太よ蟇の聲ひびく     西村はる美 (久根美和子選) 



 撮影・鈴木純一「フェンスから出ちゃ駄目ふうせんかづらでしょ」↑

2021年9月17日金曜日

古谷泉「鳩尾も鎖骨も深し秋の水」(『水の出会う場所』より)・・・


  魚住陽子『水の出会う場所』(駒草出版)。挿画・加藤周。つい先日、「魚住陽子さん(うおずみ・ようこ)=作家、本名加藤陽子(かとう・ようこ)8月22日、腎不全で死去、69歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は夫一夫(かずお)さん。埼玉県出身。89年に『奇術師の家』で第1回朝日新人文学賞を受けた」という訃報記事(9月1日)に接した。どこかで聞いた名だ、と思った。一時期、愚生が作品評を書かせていただいていた俳誌「らん」70号の皆川燈のエッセイを思い出したのだ。それには、


  俳句がところどこに配された美しい小説に出会った。(中略)

  舞台はリタイヤした六十代の夫婦が住む避暑地で有名なK町。夫婦のもとへ年数回。俳句仲間が吟行に訪れるようになって数年がたつ。夫は吟行で訪れるメンバーの一人、泉という女性にひかれている。

 かれは泉のことを思い出すとき、句会で出された彼女の句を思い出す。

  鳩尾も鎖骨も深し秋の水

  塩壺に匙残したり雪籠り

 俳句は、ストーリーのところどころに、まさに滾々とあふれる泉のように湧き出て、深々とした余韻を残す。登場人物たちの思いを凝縮させているだけでなく、楽譜に例えればアクセントや休符や転調の記号のように小説の流れに静かな起伏を形づくっていく。俳句と散文が見事に響きあう世界に魅了された。

 魚住陽子が登場した九〇年代、私は『奇術師の家』や『公園』を読んでたちまち引きつけられた。(中略)

 俳句が大好きな魚住陽子の小説世界と不可分の詩の泉であることが何だか無性にうれしかった。


 とあった。従ってブログタイトルにした人名も句も、すべて小説のなかでのものだ。その水の出会う場所での会話がある。


  (前略)一瞬、私たちは指一本髪一本触れずに、同じ水に触れ、抱き取られ、縒(よ)りあわされながら、一緒に飲み込まれた。

 「この湿原にはたくさんの泉が隠されていて、その地下水が集まって流れている。歩きながらずっと、ここは水が出会う場所だと思っていました」

 そうか、ここは水が出会う場所なのか。二本の濡れた木のように、草原の岸に立ちながら僕をここに導いてくれた彼女に、言葉では言い表せない神秘的な力を感じていた。


 ともあれ、作中には、多くの句があるが、その中からいくつかの句を挙げておこう。合掌。


  御神渡り罠はまっている夕陽      泉

  草莽や虹の門立つ家を出て

  雪原の無音も尽きし信濃川

  将来は鳥博士になる毛糸帽

  まて貝や身体というぬるい水

  水芹の水に汚れていたりけり  

 

  水餅の膨れに似たる一日かな     浩二

  どの花の蜜とも知らず朴の匙

  戻り梅雨水につまづくあめんぼう

  草の実のはぜて無頼の土となり

  百夜かけ木の実を落とす山であり

  大葦切騒ぎやめたる野の訃報


  白きもの短冊に切る夏料理       

  萩の月寝台二つ繋ぎをり       

  花梨漬け猿梨を漬け日々を漬け

  犬の子の従者とならん春の泥


 魚住陽子(うおずみ・ようこ) 1951年10月23日~2021年8月22日、享年69.埼玉県生まれ。




★閑話休題・・・犀星「秋ふかき時計きざめり草の庵」(萩原朔太郎・室生犀星『二魂一体の友』より)・・・


 萩原朔太郎・室生犀星『二魂一体の友』(中公文庫)、表4の惹句に、


 僕等はツバぜり合いの刀の下で、永久に黙笑し合っている仇敵であるーー北原白秋主宰の詩誌への寄稿で知り合い、近代詩を牽引する良きライバルとなった朔太郎と犀星。交流を描いたエッセイからお互いの詩集に寄せた序文までを集成する。それぞれが語る四半世紀に及ぶ友情。文庫オリジナル。


 とあって、巻末には、萩原朔太郎の長女・萩原葉子と室生犀星の娘・室生朝子との対談(「第九回犀星忌の集い」1987年3月)が収録されている。それぞれのエピソードが面白い。



     撮影・芽夢野うのき「火の玉の砕け散りゆけ秋夕焼け」↑

2021年9月16日木曜日

宮入聖「葛引くや飛びちる夕日如何にせむ」(「句歌」第十集)・・・


 「句歌」第十集(発行 保坂成夫)。宮入聖の「浮子ひとつ」(句集『暗い絵・草の罠』1992・未刊より)と「一夏不會」(句集『定本 家霊』昭和48年・未刊)の句がそれぞれ登載されている。「作者付記」には、


  本集『定本 夏霊』は昭和四十八年夏の間に書かれた436句全句をほぼ原句のまま収録し定本とした。同年、俳句研究社主催第一回五十句競作応募作「夏霊」50句はこのなかから選んでいる。

 なお、別に『長岡裕一郎筆写 宮入聖一夏一會』(冬青社)がある。


 とある。本誌にはもう一人、小海四夏夫とおぼしき保坂成夫の「窮乏ブログ/1月6日~2月26日」と短歌・保坂成夫「ベランダの風」26首が掲載されている。「窮乏ブログ」の日録はとびとびだが、短めのものと句と歌を以下に紹介しておきたい。


 一月六日 網走湖でワカサギ釣り。いいな、いいなあ。遥か、遥か彼方にゃオホーツク。燃えるこの身は北の果て。

 一月九日 一般的にチェーンソーを使用するなら講習を受けるか、経験豊かな林業家に習うべきと考えられる。

 斧を使った薪割りの消費カロリーは444キロカロリー。テレビ鑑賞は74キロカロリー。雪かきは481キロカロリー。(ラーシュ・ミッテング著「薪を炊く」より)

 一月十六日 ウイルスに打ち勝ったり、消去することは出来ません。それは無益な闘いです。長い進化の過程で、遺伝する情報は親から子へ垂直方向にしか伝わらないが、ウイルスは遺伝子を水平方向に運ぶという有用性があるからこそ、今も存在している。その中の一部が病気をもたらすわけで、長い目で見ると、人間に免疫を与えてきました。ウイルスとは共に進化しあう関係にあるのです。(福岡伸一)

 二月十五日 中国の広州に十万人規模のリトルアフリカがあるそうだ。昨年の春頃から彼らがウイルスを持ち込んだのではないかという情報が飛び交い、アフリカ系は酷い目にあったらしい。いまもその後遺症のなかにあるという。


 カードホルダーに遺書を忍ばせ十四歳の少女はデモに出で行きたるを     成夫

 畳店の跡地にコインランドリーが建ちて回るよ時代は回る

 「桜桃の実れる頃」を聞きながらセルフネグレクトする昨日今日

 不要不急の外出は控へ長雨の八月は読み書き算盤

 「一握りの勝者と圧倒的多数の敗者のカーニバル」ならつい先だっての・・・


 駅でなく水引草のところです        聖『暗い絵・草の罠』より

 くらいくらい絵であった水蜜桃二つ

 ゆきゆきて伏字伏字の夏野原

 帰省子へだれがさいしょにおどろくか

 うめよふやせよ国民的月見草

 日を抱いて合歓まどろみの息すなり      聖『定本 家霊』より

 夏柳かくれごころの昼の道

 銀漢に地の蟲むせびわたるなり

 夢しぼむばかりといひて蟻つぶす 

 蛍見の闇をへだてる水喧嘩



   
 撮影・中西ひろ美「この世にて笑う茸となりにけり」↑

2021年9月15日水曜日

茅根知子「ここからは管理区域となる茸」(『赤い金魚』)・・・


  茅根知子第二句集『赤い金魚』(本阿弥書店)、解説は仁平勝「ときには少女のように」、それには、


 茅根知子の俳句は、しばしば時間が止まっている。というより、彼女の創り出す俳句の場面には、時間を止めたいという願望があるように思う。(中略)

   少年のひとりがやがて虫売に

 こんな風景も懐かしい。虫売りのオジサンを囲んで、少年たちの輪ができている。それを作者は(いかにも少女らしい想像力で!)その一人が虫売りになると勝手に決めている。映画なら、アップで映る少年の顔がそのまま大人の顔に変わり、カメラが引くとそれが虫売りだというショットになる。時間は止まるどころか、タイムスリップしてしまう。私のもっとも好きな句だ。

 もしかして私は、茅根知子の「少女」性にこだわり過ぎるだろうか。けれども、子供の心を持たない詩人(俳人)とは形容矛盾でしかない。読者は『赤い金魚』のなかで、たぶん何度となく自身の遠い記憶に遭遇すると思う。


 とある。また、著者「あとがき」には、


 本当に長い時間が経ってしまった。『赤い金魚』は私の第二句集である。第一句集から、気がつけば十七年が経っていた。この間、まわりの状況は大きく変わった。俳句を教えて下さった今井杏太郎はもういない。ひとりで選をしているとき、いない人のことを強く意識した。句集のタイトルは、下町を吟行しているときに詠んだ〈永遠に泳いで赤き金魚かな〉から取った。先生が「知子さんらしいですね」と言ってくださる気がして、決めた。


 と記されている。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  朧夜の部屋いつぱいに鳥の羽根       知子

  東京はあをぞら紙の鯉のぼり

  先生と遊んで春の野にをりぬ

  ひとりづつ帰るところが春の暮

  麦笛を乾ききつたる空へ吹く

  地下道にゐる人間ときりぎりす

  孑孑の許可なくつぎつぎに増ゆる

  天高し真ん丸の目の鬼瓦

  画用紙の絵が貼りつけてある襖

  明るさを間違へてゐる海鼠かな

  青い絵を行列のゆく寒さかな


 茅根知子(ちね・ともこ) 1957年、東京生まれ。




★閑話休題・・アンサンブル・イマージネ2021コンサート「音楽と映像のコンサート」(10月2日〈土〉14時開演 於:新宿角筈区民ホール)・・・


 ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ+電子楽器からなるアンサンブルユニットENSEMBLE IMMAGINEによる映像と音楽のコラボレーションコンサートです。オリジナル曲やクラシックのアレンジ曲などをスクリーンでオリジナルショートムービー、絵本作家カワチ・レン氏のイラスト世界と共にお楽しみ下さい。(映像協力・夜窓社)

・チケット 一般 3000円(税込)/学生1500円

     親子券 3500円(大人1名/子供2名まで)

     ペア券 5000円

・予約問い合わせ Keim@Keimmusic.com 



      撮影・鈴木純一「縷紅草生まれかわりがあるという」↑

2021年9月14日火曜日

飯島章友「ある日来た痛み 初歩だよワトスン君」(『成長痛の月』)・・・


  飯島章友川柳句集『成長痛の月』(素粒社)、帯文は東直子、それには、


 確かにこの世のことのようで、でもなんだかそんなことはどうでもよいように思えてくる。永遠の興味津々と平熱の茶目っ気が句の中に閉じ込められた。


 とある。また、著者「あとがき」には、


 本句集には、二〇〇九(平成二十一)から二〇二一(令和三)年までの二四八句を収録しています。この十二年間、現代川柳・伝統川柳・狂句的川柳・前句付・短句(十四文字・七七とも呼ぶ)などいろいろなスタイルを経験してきました。そればかりではありません。創作活動の半分は現代短歌に費やしてきました。だからこそ自分の作品はクロスオーバーなのだ、などと言えればかっこいいのですが、とてもそこまでは達していません。ただ、もしもいくらかの多様性と、それをやんわり統一している人格とを感じていただければ嬉しいです。


 とあった。集名に因む句は複数ある。例えば、


   少年は成長痛の器かな           章友

   しおりひも垂らしたままの成長痛

   

 ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておきたい。


  ことだまにたまった水を抜いてやる

  鶴は折りたたまれて一輪挿しに

  浮いてたね鏡文字など見せ合って

  芽キャベツの早口にまだ慣れません

  継ぐ者の途絶えた「流し川柳」だ

  図書館の書庫のどこかに獏がいる

  自画像を描いて殺意を確かめる

  遺伝子が違うのでもう読めません

  はじまりは回転寿司の思想戦

  うっすらと白髪くっきりと昭和

  地球儀をなでゆく夜の ここが痛点

  月の墓場をだれも知らない


飯島章友(いいじま・あきとも) 1971年、東京都生まれ。



  撮影・芽夢野うのき「傷また増えてわれは美しき花韮になる」↑

2021年9月13日月曜日

伊丹三樹彦「古仏より吹き出す千手 遠くでテロ」(『伊丹三樹彦の百句』)・・・


  伊丹啓子&青群同人『伊丹三樹彦の百句 解説と鑑賞』(ビレッジプレス)、謹呈紙に「伊丹三樹彦遺族/伊丹啓子・矢野夏子・Lee凪子」とあった。「本書を泉下の伊丹三樹彦に捧げる」と献辞がある。「あとがき」は遺族代表・伊丹啓子。その中に、


  俳人であり、私の父である伊丹三樹彦は二〇一九(令和元)年九月二十一日に永眠した。満九十九歳七か月の大往生だった。(中略)

 伊丹三樹彦の八十有余年に及ぶ永い俳句人生を概括するには、故たむらちせい氏が示された四期に分けることが出来る。すなわち、先師日野草城主宰の膝下で「靑玄」を編集発行した十年間を第一期。草城師逝去の後、「靑玄」を継いで主幹となり「第二次靑玄」に入った第二期。第二期には三樹彦自身が編集発行業務のすべてを背負った。(中略)第三期。この頃よりかねて願望があった写真を始め、「写俳」のジャンルを創始した。満八十五歳で脳梗塞で倒れ、再起不能と思われながら精神力で復帰した晩年の第四期。(中略) ところで、「第二次靑玄」に於いて伊丹三樹彦が打ち出したテーゼは【リアリズム リゴリズム リリシズム】(三リ主義)であった・リリシズムは本来三樹彦が持ち合わせていたもの。あらゆる時期の句に感じられる。リゴリズムは五・七・五音の「活用定型」が実践された。三樹彦はあくまで「定型感(活用定型を含む)」を重視した。リアリズムであるが、三樹彦はリアリズムの作家である。これは間違いのないところだ。更にそのリアリズムの内容を突き詰めるならば「ドキュメンタリズム」ということになろう。(中略)

 父は行動する作家なのだった。写真界ではカメラのレンズが捉えた瞬間を「一瞬世界の飛翔」と表現したりする。三樹彦の「ドキュメンタリズム俳句」というのはカメラマンの「一瞬世界の飛翔」に似ている。(中略)つまり、その瞬間を実体験しなければできる筈もないのだ。だが、病後の第四期には遠出がままならかった。だからこの時期の句が回想や日常些事の詠出となったのはやむを得ない。父は死の前日までも原稿用紙を放さず、陸続と句を詠み続けたのだった。


 とあった。本書の見開きページには、三樹彦の一句と合わせて解説鑑賞文が置かれている。執筆は第一部50句を伊丹啓子、第二部50句を鈴木啓造、小嶋良之、政成一行、東國人、岩崎勇、魚川圭子、瓜生頼子、鎌田京子,久根純司、など20数名の方々の「青群」同人が執筆している。そういえば、伊丹三樹彦は、「ボクの財産は人です」と言っていたことを思い出す。伊丹三樹彦が病から復帰して、現俳協の大会の懇親会に来た時、双方を認めるが早いか、金子兜太とひしと抱き合っていた姿を今でも思う。わずかだが、その兜太よりも長く生きたのだ。ともあれ、以下にいくつかの句を引用しておきたい。


   長き夜の楽器かたまりゐて鳴らず         三樹彦

   誰(た)がわざや天衣(てんね)あかるむ花菜など

   大阪やラムネ立ち飲む橋の上

   父死して得たり無用の洋杖(ステッキ)まで

   金輪際坐る行者に ガンガ明り

   草城忌 わが還暦の言上(ごんじょう)

   俳句一生(ひとよ) わが和魂(にぎたま)に 下令して

   一碧の天を戴き 彼岸花

   地に残す爪跡 おのが 十七文字(とおななもじ)

   みほとけに秋かぜの瓶(みか)かろからむ

   梅咲くと 生死の 生の側を行く

   摘むは防風 あれは墓だか石ころだか

   杭打って 一存在の谺 呼ぶ

   抱けば子が首に手を纏(ま)く枯野中


伊丹三樹彦(いたみ・みきひこ) 1920・3・5~2019・9・21 兵庫県伊丹町生まれ。享年99。



      撮影・鈴木純一「菅、総理やめるってよ!マジか?」↑

2021年9月11日土曜日

大高霧海「生あらば句の鬼なれや竜の玉」(『鶴の折紙』)・・・

 


 大高霧海第7句集『鶴の折紙』(本阿弥書店)、その「あとがき」に、


 (前略)第七句集『鶴の折紙』は平成二十五年から同三十年の間の三七一句を収録した。句集名は〈大統領の鶴の折紙淑気満つ〉から採用した。オバマ大統領が平成二十八年五月二十七日、米軍により原爆投下された広島市を訪れて今年五年になる。その日に私はたまたまこの「あとがき」を書いている。現職の大統領が広島市を訪問し、原爆資料館・原爆ドームを見学し、慰霊碑に献花して被災者を慰霊された。戦後七十一年にして初めてのことであった。そして原爆の残り火の「平和の火」の前で十七分にわたる演説が、謝罪は別にして大統領の良心にあふれ、核兵器の非人道性を現実に確認した上で、広島・長崎の罪科(つみとが)なき被災者に追悼の言葉をかけたことは画期的であった。(中略)「なぜ私たちはここ広島を訪れるのか。私たちはそう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に想いをはせるために訪れたのです。十万人を超す日本人の男女そして子供たち、何千人もの朝鮮人、十数人の米国人捕虜を含む死者を悼むために訪れるのです」と広島訪問の使命を述べ、「私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません」と世界平和を宣言している。最後に「しかし今日、この街の子供たちは平和に暮らしています。 なんて尊いことでしょうか。それは守り、すべての子供たちに与える価値あるものです。そしてそれは私たちが選べること出来る未来です。広島と長崎が『核戦争の夜明け』ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです」と結んでいる。(中略) 

 私は日本が二度と戦争をしてはならないと、ひたすら祈念している。私は原爆投下の日はまだ小学生であった。夏休みであったので、広縁で「幼年俱楽部」という雑誌を読んでいたときであった。ピカドンの「ドン」の音を確かに聞いた記憶が今でも残っている。(中略)その夕刻から黒い雨が降り始め、わが町に多くの原爆被災者が避難して、小学校校舎に収容された。母は婦人会のメンバーとして看護に動員された。そして日々死亡する人が多く、小学校の運動場で火葬に付されていた。この悲惨な記憶が今でも明白に残っている。


 と記されてあった。思わず長い引用となってしまった。ともあれ、本集よりいくつかの句を挙げておきたい。


   朧夜や地球おぼろの中にあり       霧海

   十薬や野にあり祈り忘れざる

   パスカルのパンセに耽る冬木かな

   鷹鳩に原爆ドーム群翔す

   アテルイの怒りもまぎる虎落笛

   走馬燈考妣(ちちはは)と逢ふ媒(なかだち)

   夜なべてふ昭和貧乏物語

     「風の道」三十周年

   三十年の菊の賀客に先師も在り

   忍を持せし妣の生涯寒椿

   昭和の日激動の焦土と敗戦と

   虹の橋島より出でて未完成

   白寿まで生きれば亀も鳴くでせう

   銀河仰ぐ戦あるなと兜太の声

   

 大高霧海(おおたか・むかい) 昭和9年、広島県生まれ。



     芽夢野うのき「政局はバタバタひまわりは作りもの」↑

2021年9月10日金曜日

広渡敬雄「六甲全山縦走釣瓶落しかな」(『俳句で巡る日本の樹木50選』より)・・・

                             

  広渡敬雄『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)、広渡敬雄は山歩きの、いや登山の猛者であることは、知っていたが、水を得た魚のように、まず「俳壇」(本阿弥書店)で「日本の樹木十二選」の連載を始めた。それが4年間継続して48回となり、「今回二つ追加して『俳句で巡る日本の樹木5選』として書籍化する」(「あとがき」)ことになったという。「あとがき」には、さらに、

 

(前略)本書に載せた樹木の最適地は、私なりの「樹木の俳枕」である。

 外来種を含めた単体の樹木だけでなく、その対象を魚付林、水道水源林、人工林、街路樹、街道樹(一里塚)、大学演習林、防風林(屋敷林)、樹海、公園林、森林浴のセラピー効果の森等々、人間との関わり深い森や林にも広げた。あまり一般の方が見られない山の樹木は避け、かつ花の代表である桜・梅は除いた。丈が僅か十センチの可憐な高山植物の「ちんぐるま」が、れっきとした木であることを認識していただければ有難い。(中略)

 写真は連載時は白黒であったが、本書ではフルカラーとしたので、視覚的にも美しい樹木を楽しんで頂けたら嬉しい。全体の樹形に加え、接写した花、葉、幹、実も入れた。


 とあった。どこを開いて読んでもいいのだが、ここでは季節的にも近く、愚生の句を採り上げていただいたので、その部分を紹介しておきたい。最後の「㊿石榴(神戸) 西南アジア原産の落葉樹」である。


(前略) 露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す   西東三鬼

     初がすみうしろは灘の縹色      赤尾兜子

     白梅や天没地没虚空没        永田耕衣

     妻来たる一泊二日石蕗の花      小川軽舟

     摩耶山の彩づきそむと障子貼る   小路智壽子

     「俳愚伝」紅葉の雨と神戸港     大井恒行

     滝の上にまづ水音の現れぬ      和田華凛

       (日本三大神滝・神戸布引の滝)

     鮊子の海に淡路の横たはる      三村純也

     六甲全山縦走釣瓶落しかな      広渡敬雄

 俳句弾圧事件後、東京より神戸に逃れ山本通の「三鬼館」で暮らすが、革命で国を失い当地の日本人妻も失った隣人、孤独な白系露人のワシコフの日々の一齣を切り取る(三鬼)、東西に長い神戸の初春の景(兜子)、阪神淡路大震災で辛くも九死に一生を得た感慨(耕衣)、神戸での十年近い単身生活の日々を描いた句集『朝晩』で俳人協会賞に輝いた。妻の来訪は嬉しい(軽舟)、摩耶山の麓に住み、その紅葉を目処に障子を張り替える(智壽子)、三鬼の神戸時代を含む自伝、神戸初日は初冬の港の見える宿だった(恒行)、「風詠」四代目主宰、曾祖父後藤夜半の滝の句を念頭に継承の覚悟を詠う(華凛)、神戸の春の風物詩「釘魚」の鮊子(いかなご)は、明石海峡周辺が好漁場(純也)、毎年十一月下旬、須磨から摩耶山、六甲山を経て宝塚に下る、関西のハイカー憧れの全長四十七キロの大会、終日大阪湾を望む(敬雄)。


 広渡敬雄(ひろわたり・たかお) 1951年、福岡県生まれ。



  撮影・鈴木純一「だらしねぇのすがしはさりぬたるみたれども」↑

2021年9月9日木曜日

松根久雄「隠国(こもりく)のこの闇にして火の祭」(『窮鳥のこゑ』より)・・・

                                    

  谷口智行『窮鳥のこゑ/熊野、魂の系譜Ⅲ』(書肆アルス)、装幀・間村俊一、著者「あとがき」には、


  (前略)人の為せること、知り得ることなど高々知れており、そこへの歩み寄りは厳しく、切なく、どう足掻いても満たされることはない。ここにある種の悲しみが生まれる。

 その悲しみゆえに人は、何ものかに向けて語り、書き、語らずにはいられなかったのである。

   くれあきの窮鳥のこゑかとおもふ     智行

 秋も終わりの熊野市波田須町で得た一句。

 落莫とした森の奥から聞こえて来たのは哀切極まりない鳥声、追い詰められ逃げ場を失った窮鳥の叫びである。

 

 とあった。また、


(前略)第Ⅰ巻『熊野、魂の系譜』では「歌びとたちに描かれた熊野」について、第Ⅱ巻『熊野概論』では、歴史的・民俗的見地から熊野の大要を記した。

 本書第Ⅲ巻『窮鳥のこゑ』の内容は多岐に渡るが、「熊野、」と銘打つように、筆者の視座はあくまで熊野なのである。

 構成は次の通り。

 Ⅰ贅言集  言わなくてもよいような事々。

 Ⅱ漫筆集  思いつくままに。

 Ⅲ小考集  他愛無い考察。

 Ⅳ詞華集  選りすぐりの句に鑑賞を添えた。

 Ⅴ四季逍遥 四季の移ろいに心を寄せて

 Ⅵ論考   凡慮。汗顔の至り。


 ともあった。論考では、愚生の出会った人々のあれこれを思い出すよすがになった「俳句から読み解く『少年』の発達心理」の結びを以下に記しておきたい。


 (前略)一つの俳句が誕生するまでには、少年、少女時代から現在に続く種々の心理機制が関与している。その表現形式の具体的方法の一つとして俳句を選択した者を俳人と呼ぶ。俳句の源流に湧き続けるのは、畢竟「少年の心」と言える。

  死なむとす春潮臍に来るまでは    谷口 智行


 とある。ともあれ、大冊のほんの一部分ではあるが、集中より、主にⅣ詞華集より、いくつかの句を挙げておこう。 


  日にかざす空蟬といふ匣ひとつ     中田 剛

  見る限り戻り鰹の潮色に        茨木和生

  旅なれや汝が指すものを鷹と見き    大石悦子

  草の罠月光かかりゐるを待つ     鳥居真里子

  だんだんに手足大きく踊るなり     島 雅子

  遠雷や薬の数は病める数        横山民子

  健次忌の河口や砂嘴の切れてゐて   上野山明子

  建売住宅販売の旗盛夏かな       瀬戸正洋

  自転車のチューブ引き出す春の暮    岩城久治

  海の日の一番線に待ちゐたる      涼野海音

  芒穂を握りて水に消えたりや      島田牙城

    悼 川崎展宏先生

  あたたかなフユといふ日に逝かれけり  藤田直子

  秋の灯にひらがなばかり母へ文     倉田絋文

  綿虫や雑木林をむらさきに        林 桂 

  敷居まで日の差し秋の更衣      山下知津子

  波郷忌の風あゆましむ鶴その他     河野 薫

  ハイビスカス臆すことなく赤であり   赤城喫茶

  初日影死者より伸びて来し羽か    高野ムツオ  


 谷口智行(たにぐち・ともゆき) 昭和33年、京都生まれ。2歳から新宮市で育つ。



 撮影・芽夢野うのき「黄花コスモスあの子がいないいない秋」↑