2019年9月30日月曜日

猫翁「異界への閂とばす野分かな」(第150回「豈」東京句会)・・



 昨日、「豈」句会としては恒例の隔月最終土曜日ではなく、いつもとは違う曜日、29日(日)の第150回「豈」東京句会(於:白金台いきいきプラザ)だった。いつもは点がばらけるのだが、珍しく、ブログタイトルにした句が、参加者13名の過半数を制しての最高点句になった。以下に一人一句を挙げておきたい。

   眼下の敵はぼくら疾走の刈田       川名つぎお
   白露にふれる指先生きんかな        早瀬恵子
   秋思とは二センチほどの椅子の距離     渕上信子
   跳ねるまま冷凍となる鰯かな       伊藤左知子
   止まり木の隣は幽霊夏のBAR       武藤 幹
   愛し人と乞食したや曼珠沙華        猫 翁
   まだ若き九月の森のうらおもて      小湊こぎく
   試験管の五本目秋になりました      羽村美和子
   感情を操る練習秋の雲          杉本青三郎 
   搬び来し己を佇(た)たせ南風(まじ) 打田峨者ん
   鰯雲寄らで去りゆく氣比の浦         登羊亭
   一抱へ備前に活けし吾亦紅        笠原タカ子
   秋 一行で佇つにんげん詩         大井恒行





★閑話休題・・成沢洋子「夾竹桃白昼の白さえわたり」(府中市中央文化センター地域文化祭・府中中央俳句会)・・・

28日(土)、29日(日)の両日は、愚生がシルバー人材センターで施設管理を請け負っている府中市中央文化センターの地域文化祭だった。各種団体の日頃の活動の成果が展示物として公開されている。その中に中央俳句会の短冊のコーナーがあり、かつその中の一人が、「ひらく会」に欠かさず参加されている愚生と同じ府中市シルバー人材センターの会員、理事でもある成沢洋子。中央俳句会は、愚生がかつて地域の労働組合に所属していたときに、縁のあった元衆議院議員の常松ひろしの俳句会でもあるらしい。短冊には、

  道三筋川二筋の他青田     ひろし

の句があった。



撮影・葛城綾呂「あら、見てたのネ~」

2019年9月26日木曜日

松林尚志「亡羊を追ひきし荒野月赤し」(『山法師』)・・



 松林尚志第三句集『山法師』(ふらんす堂)、著者には、『古典と正統』から始まって多くの評論集があるが、それに比すると句集は少なく、今回が第三句集で、ある意味で待たれていた句集であろう。そのあたりを、「あとがき」に、

 私は詩を読むことから俳句に入っており、無季を容認した瀧春一先生のもとで学び、また金子兜太さんの「海程」にも加わって歩んできた。また詩誌「方舟」を立ち上げ、詩集も出している。詩はどちらかといえば思いを述べる表現志向が強い。俳句はゲーム性を具えた連句から出発したように、季語や切字など約束事の中で芸を磨く面が強い。(中略)
しかし俳句も詩歌の一端を担うとすればやはり思いを陳べる表現志向も底流しているはずである。(中略)私の場合、これまでの長い歩みを通じて詩は細り、芸道的な面での俳句に浸ることが多くなってきているが、やはり、自己表現的な句や生活記録的なものが入り交じっていて前書のある句も多い。前書の句ではとりわけ追悼句の多さに時の流れを痛感する。

 とある。さびしく哀しいことだが、追悼句はかなりの数にのぼっている。三、四を挙げておくと、
  
     悼 鈴木石夫氏急逝
  風峠越えれば彼岸山法師                         尚志
     村井和一氏を悼む
  句友また戦友花を待たず逝けり     
     加藤郁乎氏逝去
  雨季来り斧一振りに逝かれしや
     金子兜太師逝去
  青鮫の去りにし庭か梅白し

 集名に因む句もいくつかあるが、その中から次の句を挙げておこう。

  山法師心が急に軽くなる
  晩年は素のままがよし山法師

 ともあれ、集中よりいくつかの句を紹介しておきたい。

  黄塵やユーフラテスに滴る血
  夜間飛行機火星にめくばせしてさやか
     癌告知
  図らずも夜叉と向き合ふ終の坂
  象の皺は地球の皺や秋時雨
  冬虹の地を踏まへ立つ地の暗さ
  昵懇の地蔵に野菊添へてけり
  牛蛙胸で空気を食べてゐる
  首井戸に八手は花をつけずあり
  地は寒き灯をちりばめて天冥し
  地球のどこか切れて血を噴く去年今年
  今年また今年かぎりの賀状あり




  
☆また、松林尚志は、毎月、句会の冊子「こだま(木魂)」を出し続けている。末尾にある2,3ページほどだが、そのエッセイ「山茶庵消息」は年輪を刻んだ含蓄深いものばかりである。今回は、高山れおなの新著『切字と切れ』に触れてあるので、抜粋、紹介しておきたい。

 (前略)れおな氏おいえば「豈」同人で、『荒東雑詩』や『俳諧曾我』など異色の句集で衆目え、兜太の後をうけて朝日俳壇の選者を勤めるまでになっている。そんなイメージがあるだけに、俳句の基礎的な技術論というべき切字、切れの問題にこれだけ踏み込んだ論を出したことに私は戸惑いを禁じ得なかった。(中略)
 れおな氏の凄いところはここで改めて松下大三郎という国語学者の切字説の検討にまで及ぶ。外堀を埋める感じであるが新見はみられない。
 私はれおな氏が朝日新聞の選者に選ばれたことを喜んだが、その選はもう一つ新鮮味がなくて物足りなかった。考えてみれば一日何千句の選事体たやすくなじめるものではない。しかも既成俳壇の大家に伍して選をするのであるから大変である。れおな氏は改めて俳句が長い歴史の上でつみ重ねてきたものが何であったかを徹底的に調べ上げ、現俳壇の一番ホットな問題に向き合おうとしたのではなかったか。
 れおな氏は最後に「昭和、特にその前中期はやはり俳句の黄金時代であって、その遺産が簡単にのりこえられるものではないこともわかりきっていた。平成無風、ありていにいえば閉塞感は基本的には厳然たるこの事実に由来する。」と記し、「今や、平成三十年間がほったらかしてきた主題や主体の問題こそがあらためて議題にあがらなくてはなるまい。」と結ぶ。(中略)れおな氏のこの言葉にすっきりした。ともあれこの書は朝日俳壇の選者としての覚悟を示したものとして私は重く受けとめた。

 とあった。松林尚志の慧眼だろう。

 松林尚志(まつばやし・しょうし) 1930年長野県生まれ。

              
           撮影・葛城綾呂 ホトトギス疾走す ↑

2019年9月23日月曜日

高岡修「蜂の眼よ死せば涙の乾きし眼」(『剥製師』)・・



 高岡修第7句集『剥製師』(深夜叢書社)、帯の惹句には、

 〈原爆〉と〈東日本大震災〉は、私たちにとって実存にかかわる痛切な問題である。高岡俳句の〈白虹の包帯で巻く原爆ドーム〉や〈みちのくに指紋まみれの空がある〉などは、『史記』に出てくる「白虹、日を貫けり」の奇跡的出現といえないか。ここには過酷な時代状況を踏まえ、自己の存在責任と歴史における主体性を闘いつつ、それを独自の表現へと形象化する営為が見てとれる。高岡俳句が「現代思想の小舞台=言語宇宙」といわれる所以である。

 と記されている。また、著者「あとがき」には、

 私は十八冊の詩集を刊行しているが、第一詩集以外は全て書下ろしである。早いものでは二日で、長くても一ヶ月半ほどで一冊分の詩を書き上げた。(中略)
 結果的に私は一ヶ月半ほどで二百句ほどを書き上げた。それほどの数だからテーマの持ちようもないはずだ。ところが、かなりの数の作品が二つの事象に収斂されてゆくのが分かった。二つの事象、原爆と東日本大震災である。
 原爆は私の師・岩尾美義の生涯のテーマであった。十代の頃から岩尾師に心酔していた私もまた、原爆というひとつの地獄を、私の内界深く沈めることとなった。原爆はまさに人災の極限だが、3・11以降、原爆にあの巨大な天災も加わった。

 と述べている。あるいは、また、「形象」2019年5月号からの高岡修の抜粋も帯裏に引用されている。それは、

  世界に(あるいは全宇宙に)無数にある痛点を、言葉の針によって刺し貫く、その痛点の輝きが、現在の俳句の喩空間である。

 と・・。集名に因む句は、

  夕焼の腸(わた)豹に詰め剥製師     修

 だろう。ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておきたい。

  陽炎を朱肉としたる印を押す        
  破鏡のそらあつめて風船ふくらます
  蝶の舌水の殺意に触れひるむ
  春泥にまみれていたる虹の足
  死者の息足して激しき草いきれ
  原爆の影を折り継ぎ鶴とする
  死螢を流し死にたる火を流す
  蜥蜴より切れ永遠がピクピクす
  土踏まず何を踏むべき帰り花
  ビルのあいだの縊死する空のための縄

 高岡修(たかおか・おさむ)1948年、愛媛県宇和島市生まれ。


  
撮影・葛城綾呂 逝く夏の・・ ↑

2019年9月22日日曜日

武藤幹「秋風の冷(れい)より冷(ひ)えし言葉かな」(第8回「ことごと句会」)・・


二次会「天狗」にて・・↑
  
  昨日、9月21日(土)は、第8回ことごと句会(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。攝津幸彦健在のころの「豈」歌舞伎町句会は、この店で行われていた。当時は、店に行きつくまでの通り道に客引きがいたり、覗き部屋があったり、句会に参加する女性の方々の評判は、環境が悪い・・・だった。この店のすぐ近くには小宅容義の「ひょっとこ」という飲み屋(めし屋)もあった。俳人のたまり場でもあった。夏石番矢と一緒に波多野爽波に会ったこともある。爽波は競馬が好きで、現俳協の大会などでは、席を外しては競馬中継のラジオを聞いていたこともある。もっとも、かくいう愚生も席を外してお茶をを飲んでいたこともある。それというのも、主要な議題は、大会直前に開催される幹事会で決まっていたから、大会の議事進行中は中座も可能だったのだ。
 ともあれ、一人一句を以下に挙げておこう。雑詠3句+席題は「草」。

   遠峰に鳥渡りたる動悸かな     照井三余
   水蜜桃一縷の火種孕みつつ     渡邉樹音
   津軽路は石っこ流れて葉は沈む   銀 畑二
   草の花風に生かされ風に死す  たなべきよみ
   風情にて「助演賞」受く草の花   武藤 幹
   名の草のみどりいささか水の辺に  大井恒行



           撮影・武藤幹↑

★閑話休題・・・武藤幹「秋風や表札消えた扉(ドア)ひとつ」(第195回「遊句会」)・・


 武藤幹参加の二句会の高点つながりで、9月19日(木)、第195回「遊句会」(於:たい乃家)。愚生は、諸般の事情で欠席投句。兼題は、敬老の日・枝豆・風。

  いつまでも他人事(ひとごと)のごと敬老の日 中山よしこ
  背に沿ひて色なき風の通りけり        山口美々子
  転がりし枝豆食べる愛犬(いぬ)も亡く     武藤 幹
  ひと吹きやぜい弱文明風に泣(な)く      川島紘一
  風は泣く風は笑う風は怒る           村上直樹
  一莢(ひとさや)に四粒枝豆世は平ら      山田浩明
  神の手に余る年寄り敬老日           石川耕治
  玩亭を偲び頬張るだだちゃまめ         渡辺 保
  風に屁を泳がしたるを聞かれけり       春風亭昇吉
  枝豆の塩の白さと血圧計           植松隆一郎  
  えだ豆の皮積む皿や男酒          たなべきよみ
  そこ此処に加齢の病敬老日           前田勝己

☆番外投句・・・

  風紋や足跡置きに秋の浜            林 桂子
  かなうなら風に生まれよ次の世は       原島なほみ
  晴天の七十路の霹靂秋の風           橋本 明
  敬老の日もうひとつメガネを買ふ        加藤智也
  のびのびと敬老の日の水飲めり         大井恒行

 次回は、10月17日(木)、兼題は、冬構え・凩(こがらし)・蒟蒻(こんにゃく)。
また、次回は例会の翌日が坂東孫太郎(輝一)宗匠の祥月命日にあたり、前倒しして、
句会前の墓参が計画されている。
  
 
   
撮影・葛城綾呂 高所作業↑

2019年9月19日木曜日

武馬久仁裕「雪だるま武馬久仁裕によくにてる」(『健一&久仁裕の目からうろこの俳句授業』)・・



 中村健一・武馬久仁裕著『健一&久仁裕の目からうろこの俳句授業』(黎明書房)、表紙の惹句に、

 日本一のお笑い教師・中村健一と気鋭の俳人・武馬久仁裕がコラボ!
 目からうろこの面白授業、子どもの俳句の読み方など満載。
 新鮮な気分に包まれる一冊。
 子どもも先生も感動!

 とある。第1章「子どもも先生も楽しい俳句の授業のネタ」を中村健一が執筆、第2章「目が覚めるほど面白い俳句の読み方、楽しみ方」を武馬久仁裕が分担して書いている。中には俳句作りに役立つコラムやパズルもある。子どもに俳句の授業を活き活きと、共に楽しみながらできるノウハウ、ヒントがたくさんある。こうした授業なら、縁のない愚生でも一度はためしたくなる気分だ。愚生がいつも思っているのは、川柳でも俳句でも何でもいいから「とにかく、五・七・五でつくっちゃえ」ということだが、本著は、それをあえて「とにかく五・七・五で川柳をつくっちゃえ」と項目を立てている。本著は実践の書だから、それも仕方ないだろう。武馬久仁裕も述べているが、子どもに「自己紹介俳句を作ろう」と持ち掛けて、盛り上がる授業は想像できる。よい俳句と自分をむずびつけて表現する大いなる切っ掛けになるだろう。小見出しに「ダジャレ五・七・五」「地域カルタ」「会話川柳」「川柳しりとり合戦」など、また「本格的でなくても俳句にしちゃえ」と門戸は広くとってある。
 「おわりに」で中村健一は、

 (前略)一番勉強になったのが、「楽しく学べる川柳&俳句づくりワークシート」。実は、この依頼をいただくまで、私は俳句に興味がありませんでした。また、子どもたちにこだわって俳句を作らせたこともありませんでした。(中略)
 この時勉強したことが私の教師人生に生きています。お陰で俳句づくりの指導は私の特技の一つになりました。
 この本の第1章では、その技をいくつか紹介しています。
 また、第2章は、武馬氏が担当してくださっています。
 特におススメなのは、「こどもたちの俳句を楽しく、面白く、深く読もう」ですね。
 こういう読み取り方をすれば、子どもたちの俳句が生きてきます。そして、こういうふうに読んで褒めてやれば、子どもたちはますます俳句づくりが好きになるでしょう。

 と記している。俳句授業をされている皆さん、一度手にとられてはいかがだろうか。

   福笑い 中村健一 大笑い
   桜咲く 安本直和 誕生日
   ひまわりの 田村良助 背を超えた
   クリスマス 佐藤絵里香は 早起きだ

 中村健一(なかむら・けんいち) 1970年山口県生まれ。
 武馬久仁裕(ぶま・くにひろ) 1948年愛知県生まれ。




★閑話休題・・・志鎌猛展(名古屋・於 Idumi Art Gallery) 9月17日(火)~10月1日(火)10時~18時・・会期中無休。 


 黎明書房と名古屋つながりで紹介する。志鎌猛の案内状に、「さて、私はこの秋、名古屋にて初の個展を開催していただくことになりました。森の襞ーSilent Respiraition of Forests. うつろいーEvanescence、観照ーContemplation:京都・奈良の三つのシリーズより、未発表作品も交え展示いたします」とあった。場所は

   Idumi Art Gallery 
   〒467‐0028 名古屋市瑞穂区初日町2-13 TEL052-833-1231 
   http://idumi-garo.com

 いづみ画廊では新たな取り組みとして、古典的写真技法によるプラチナプリント作品をご紹介させていただく運びとなりました。日本画の支持体として馴染みのある雁皮紙に、独自に調合した感光剤を刷毛で塗布して印画紙を手作りし、撮影されたネガフィルムから拡大ネガを作成し印画紙と密着させ画像を焼き付ける。プラチナプリントは、デジタル全盛の時代に逆行するかのような滑らかなグレーの色調は一点ものとも言うべき詩情的な表情を醸し出します。

 志鎌猛は、愚生の若き日からの友人です。一見の価値あると思います。お近くの方は是非ご覧になっていただきたい。海外での評価が高いようで、この展示のあとは、

 香港 10月4日~7日:Fine Art Asia
 パリ 11月6日~10日:Paris Phto  

のフェア出展ともあった。

志鎌猛(しかま・たけし) 1948年東京生まれ。



           撮影・葛城綾呂 伊達男↑

2019年9月18日水曜日

加藤知子「桜はなびら塩漬けにしてきた心臓」(「We」第8号)・・



 短歌俳句誌「We」第8号(We社)の巻頭評論は加藤知子「『けものの苗』考ードッペルゲンガーを中心として」は竹岡一郎の第三句集『けものの苗』論である。さらに竹岡一郎の20句の作品が掲載され、さしずめ竹岡一郎の特集のような感じさえする。

   大獄の灯や豊年を招く聲      一郎
   大戦後月は美味くてチキチータ
   焼跡や蜻蛉ら余熱喰ひ漁る

 「『けものの苗』考」には、次の記述がある。

 句集の象徴的な句となっているのは次の句と思われる。
 ドッペルゲンガー白檀茂る工場内    「浜降」
 「ドッペルゲンガー」(=自己像幻視)はキーワードである。狂気の沙汰のことではなく、当事者竹岡にとっての、〈本気〉、〈実在〉、〈事実〉を描くのである。たとえば、極度の暴力に晒され続けると、そのうち精神は肉体から乖離し、ドッペン(ダブル)の人格が現れてくる。そして、徐々にその防衛が習い性と化していく。このような自己の分身による実体験の作品といえようか。(中略)
  花よ如何に誦し山伏は火のかたち       「蜜の空輸」
 各章は俳句形式で書かれた短編小説のようでもある。ドッペルゲンガーを作品化することは、古来追求されてきたようだが、竹岡のそれは、自己との格闘を赤裸々に描く究極のリアリズムに貫かれているといってもいい。
 花びらをつつむ虚空という男       知子 

 と、ほぼ激賞している。竹岡一郎は、父母の影響で「鷹」に入り、俳人協会員にして、攝津幸彦論で現代俳句評論賞も受賞している。期待の俳人というべきだろう。「We」も、充実の号である。全部は紹介しきれないので、少ないが、愚生がお会いしたこちとがある方の作品を以下に挙げておこう。

   糸やうじとてもまじめに梅雨に入る      森さかえ
   「もう帰る」「もう帰るんだ」「うん帰る」天使のGの掛かった部屋で
                                  柳本々々





★閑話休題・・・羽村美和子「行く春の美貌の石をふところに」(「ペガサス」第5号)・・


 加藤知子と同じく「豈」つながりで、代表・羽村美和子の「ペガサス」第5号。こちらは羽村美和子の「雑考つれづれ」が「三橋鷹女を追って⑤」と文字通り鷹女を描いての連載である。言えば三橋鷹女の全作品をまとめ上げた『三橋鷹女全句集』(立風書房・1976年)の刊行に力を尽くした高柳重信の功績を忘れてはならないだろう。いわゆる新興俳句系の渡邊白泉、富澤赤黄男などもしかり、それらの作品をテキストとして後世に残さなければ、俳句史からは無かったことになってしまうという、髙柳の無私の志があった。そしてそれが俳句形式への愛だったのだ。あきらかに、髙柳も書いているように「羊歯地獄」以後の鷹女はいわゆる俳壇からは疎外されていたのだから・・。
 ともあれ、「ペガサス」から「豈」同人の作を以下に挙げよう。

   八月の水の冥さを受けとめる     中村冬美
   古代蓮あしたはいつも未来です   羽村美和子



2019年9月9日月曜日

鳥居真里子「くちびるの外に雨ふる血止草」(第3回浜町句会)・・



 去る9月6日(金)は、第3回浜町句会だった。数ヶ月に一度、福田鬼晶と白石正人が日程を調整して開催している。平日にもかかわらず、若い人たちの多い句会である。もちろん、愚生の参加している句会では、もっとも平均年齢が若い。愚生や鳥居真里子や福田鬼晶、白石正人が平均を押し上げているが、この句会の若者たちは、たぶん愚生の半分以下しかまだ人生を生きていない。いや、もっとかもしれない。羨ましいというべきか。光陰矢の如し。敢えて言っておくのだが、作句においては、いまだ俳句のかたちが書かせている、チョッピリ冒険心に乏しい感じ、これも今後に期待というところであろう。ということを言ってしまえば、本句会では、愚生の特選にとった加藤又三郎「夕焼を列車傾きだれも魚」が他のベテラン勢の句よりも心に響くいい句だった(もっとも相対的な評価になるが・・・)。
 申し訳ないことは、愚生の事情で昼間の限られた時間しか参加できないのが残念(たぶん充実の二次会だっただろう)。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。席題は一句で「桃」。

  桃の夜をマントの中也とびをるよ        福田鬼晶
  独り身や桃に汚れし刃を洗ひ          福田健太
  夕焼や列車傾きだれも魚           加藤又三郎 
  人格のひとつはけもの露葎           西田克憲
  天体の類かの桃を冷やす                 鳥居真里子
  格子戸に白き人影水蜜桃            三輪 遊
  新涼の鞄に独身証明書             枝 白紙
  芋蟲のみしりと太る天袋            白石正人
  その笑みは退いてくれかと七竈        亀井千代志
  芋虫の点字ブロック超えてきし         市原みお
  秋うらら足首見ゆる試着室           中西 碧
  私年号(しねんごう)に「福徳元年」秋めく多摩 大井恒行




★閑話休題・・・佐藤文香「大暑なり日暮里駅を西に出て」(ビッグコミックオリジナル、8・20号)・・・


 先日、ひと月に一度の、いつもの医院で血圧降下剤待ちで、ふと、マガジンラックに目をやったら佐藤文香の句が目に飛び込んで来た。前号のも見たら、表紙に一句入っていたので、連載なのかもしれない。さすがにお仕事をしているなぁ・・と思った。彼女の第一句集『海藻標本』(ふらんす堂)を、愚生の務めていた書店に持参してきたときのことをふと思い出した。もう十年以上前のことだと思う。そうだ、池田澄子が「大変なライバルの出現だ」と言っていたなぁ・・・



           撮影・葛城綾呂 のら仲間 ↑

2019年9月6日金曜日

谷口智子「冬満月阿部鬼九男の訃報聞く」(『蛇眠る』)・・



 谷口智子第一句集『蛇眠る』(現代俳句協会)、第一句集とはいえ句歴は長い。昭和50年、加藤かけい主宰「環礁」に入会し、句作40年余りという。ブログタイトルに挙げた阿部鬼九男の追悼句があるが、阿部鬼九男もまた加藤かけい門だった。2015年12月19日に没し、享年85。谷口智子の略歴をみると、愛知県刈谷市、浄土真宗大谷派末寺にて誕生とあるから、集中に、

   暁烏敏全集雪の万年床      智子

 の句があることも頷ける。暁烏敏(あけがらす・はや)は真宗大谷派の僧侶で、仏教の近代化と精神主義の鼓吹に努め、戦時中から眼を病み、後に失明。1951年には宗務総長となり、句は虚子学んだという。
 集名に因む句は、巻尾の、

  蛇眠る椎の木樹齢八百年

だろう。この句の椎の木は「あとがき」にある、

 生家の境内に市の天然記念樹に指定された樹齢八百年と言われている椎の大木があります。昭和三十四年九月の伊勢湾台風で半懐しましたが、いまも春になれば芽吹き、夏には生い茂り、特有の匂いお発散させます。秋には黒光りした木の実を落とします。

 という椎の大木のことである。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  人体の壺に花びら殺到す
  凍蝶を広辞苑より剥がしけり
  印鑑より水が漏れ出る大枯野
  仏壇を背負いきれない春の昼
  貨物列車出てゆく蛇を眠らせて
  花の昼死なせてあげたき人と居る
  捨て切れぬ一つ一つが冬に入る
  空爆のさなか秋刀魚を裏返す
  隣席は泡立草となっていた
  二月の部屋誰も居ないが誰か居る





★たまたま、谷口智子が現在所属する同人誌「韻」第36号(韻俳句会)が届いたので、その号からも以下に二句挙げておこう。

  あの世より椿の落ちる音がする     智子
  螢とびあるかなきかの老いの恋

谷口智子(たにぐち・ともこ) 1942年、愛知県生まれ。

2019年9月3日火曜日

芭蕉「辛崎の松は花より朧にて」(『切字と切れ』より)・・



 高山れおな著『切字と切れ』(邑書林・1819円+税)、帯の惹句には、

 総合的切字論57年ぶりの登場

 平安期の前史から現代に至る切字と切字説を通覧。
 「切れ」が俳句の本質でもなければ伝統でもなく、1960~70年代に切字説から派生した一種の虚妄であることをあきらかにする。

 平成俳壇を覆った強迫観念を打破する画期的論考!

 とある。だが、この惹句が大袈裟ではなく、今後に切字や切れを論じようとする人があれば、本書を抜きにしては、まず語れないだろうという労作の一書である。必読の書と言って差し支えないだろう。以下に目次を挙げるだけでも、その内容の濃さが分かろうというもの。

 主要目次
第一部 切字の歴史
    第1章 切字の誕生(短連歌から長連歌へ 平安~鎌倉時代など、5項目)
    第2章 芭蕉と切字(『去来抄』の切字説・三冊子の切字説など、5項目)
    第3章 「や」の進撃と俳諧の完成(上五末の「や」をめぐってなど、4項目)
    第4章 古池句精読(古池句という謎など、9項目)
第二部 切字から切れへ
    第5章 「切字/切れ」の現在(エポックメイキングだった『俳句と川柳』など)
    第6章 切字の近代(切字など論ずるは愚の至りー子規の場合など、7項目)
    第7章 国語学と切字(松下大三郎の非歴史的切字説、など2項目)
    第8章 切れという夢(切れと実存?見出された切れ、など8項目) 

 切字、切れの定義など実際の文献を示しながら、かつ、高山れおな自身の作句経験のなかから考察された、説得力に充ちた物言い、その語りに思わず引き込まれてしまう面白さがある。「はじめに」では、冒頭近く、

 (前略)すぐに思いつくのは、しばしばいわれてきた「平成無風」のフレーズである。(中略)一方で、俳句研究者の青木亮人(まこと)はこの時代には、〈俳句史上、最も「平均値」の高い句が詠まれ続けているかに感じられます〉と述べている。まとめれば、波風たたずいまひとつ面白くないが、作品を作る技術はそれなりの高さでたもたれているということになるだろうか。「平均値」の見つもりについては異論の出る余地もありそうだが、ともあれ平成の俳句界についての右の要約は、大方の実感とおそらくさほどかけはなれてはいまい。私としてはそこに、平成とは人びとがなぜか「切れ」に過大な夢を見た時代であった、という一項をつけくわえておきたいと思う。

 と述べ、「あとがき」には、巻尾近く

 (前略)切字の発生史的な目的である脇からの切断は、明治以降、発句がジャンルとして連句から独立してしまった以上、たてまえとしても無意味になっていたから切字の目的はもはやどこまでも修辞の上にしかない。山本はその空白を質量感とか固有性といった価値基準で埋め、あとは芭蕉を盾にして俳人たちを威嚇したのだった。
 しかし、それでも地球はまわる。新派俳句・新興俳句・戦後俳句は切字説を神棚にまつり上げながら、実作においてはみずからが望むように前進を続けたのである。個々の切字は修辞上の実体としてなお生きているが、制度あるいは観念としての切字はもはや維持できなくなり、現代俳人はこれに代えて切れという新たな言説ツールを発明した。切れ説もまた切字説と同様、修辞学の部分と、虚妄の夢の部分とからなる。修辞学の方は(私もそんなに重要とは思わないが)ともあれそれをもとめる初学の人びとがいるのであれば、提供するのもよろしかろう。夢の方はただただ(愚の至り)である。いや、そうではない。夢は見るべきだが、形式の外形性への期待を夢ととりちがえてはならないのだ、といいなおしておこう。

 と記している。スリリングな一書である。先日のフェイスブックでは、坪内稔典も推奨していた。是非、手にとってみていただきたい。いたるところの卓見をすべて引用したいところだが、本ブログの紙幅がないのが残念。ところで、一年に一度の刊行なって久しい「俳句空間ー豈」62号は、10月には発行予定である。高山れおなの本書にもたびたび登場する川本皓嗣、仁平勝、筑紫磐井等の執筆で「現代句俳句の古い問題ー切字と切れは大問題か」も特集される。こちらも面白いと予言しておこう。

 高山れおな(たかやま・れおな) 1968年 茨城県日立市生まれ。



撮影・葛城綾呂 ボスの彼女↑

2019年9月2日月曜日

酒巻英一郎「天縛や/降り籠られし/葛の花」(『多行形式百句』より)・・



 林桂編著、俳句詞華集『多行形式百句』(鬣の会・風の冠文庫26・1000円)、本著は類を見ない労作である。それを著者自身「あとがき」の冒頭に、

  多行形式を〈史〉的に論じたものも、またその詞華集も今まで知らない。言わばそれを多くの俳人や研究者の興味関心の対象外だったからかもしれない。荻原井泉水を嚆矢とするという指摘や戦前の吉岡禅寺洞の存在を指摘するのを散見するが、それが具体的にどのようなものであったかまで踏み込んで論じるものに出会っていない。戦後に限っても、多行形式は髙柳重信の形式であるという浅薄な認識は散見するが、戦後の青年達の俳句改革の試行の中から誕生したという正確な認識に届いているものを見ない。(中略)
 それぞれの多行形式は有機的な影響関係を持つにしても、それぞれの形式を求めての道程にある。多行形式とは何より個々の志によって立つことを示すものである。でなければ、そ形式をもって排除の力が働くような現在の俳壇にあって、書き続けることは困難である。

 と述べている。本書の序として、高柳重信「『多行表記について』部分「俳句評論」第九十三・九十四号・昭和四十四年七月」が掲げられてる。それは、

  端的にいうならば、多行表記は、俳句形式の本質が多行発想であることを、身にしみて自覚しようとする決意の現れである。したがって、俳句表現を、一本の垂直な棒の如きもの、として、認識しようとする人たちには、もちろん、多行表記が存在し得るはずはないのである。まして、俳句形式について、如何なる洞察をも持たないか、あるいは持とうとしない人たちには、はじめから、一行も多行も、それこそ、何も存在しないはずである。

 と、記されている。思えば、1969年のこと、すでに半世紀、50年前のことだ。愚生はまだ弱冠20歳。髙柳重信にも出会っていなかった。そして、この序をしごく真っ当なことだと思う。本詩華集の巻頭作品は、

   船焼き捨てし
   船長は

   泳ぐかな          髙柳重信(『蕗子』昭和25年8月)

 巻尾は、

   日没(にちぼつ)
             (みづ)
           (はな)るる
   (たま)   いくつ      中里夏彦(『無帽の帰還』平成30年11月)
 
 後半は句集ではなく、「Ⅱ雑誌」よりの再録があり、その巻頭は、
 
   潦に残る夕日
   繪本拡げをる露店     荻原井泉水(「層雲」大正3年)

巻尾は、

  揺れっ
      だ

  時計口の中で冷たい     林 稜(「鬣」第69号・平成30年11月)  


ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

  莟ム
  薔薇
  満月ハ
  渤海ニ在ル       志摩 聡(『裸婦学』昭和35年10月)
   *
  ふりかへる
  長き尾が欲し
  枯野驛         大岡頌司(『抱艦長女』昭和48年3月)
   *
  焼野匂(やけのにほ)へり
  (とほ)
  
  性慾花(せいよくはな)のごとし  林 桂(『黄昏の薔薇』昭和59年3月)
   *
  癩病院
  埋める ひまわり
  埋まらぬ  まど     野原正作(『放心圖』昭和61年12月)
   *
  森羅
  しみじみ
  萬象
  一個の桃にあり      折笠美秋(『火傳書』平成元年3月)
   *
  われら昔
  虚数なりけり

  二十歳         岩片仁次(『冥境歳時記』平成15年7月) 
   *
  幾春かけて
  水上飛行機
  はるかも
  はるか          高山れおな(『俳諧曾我』平成24年10月)
   *
  撃チテシ止マム
  父ヲ
 
  父ハ           上田 玄(『暗夜口碑』平成30年10月)

以下は「Ⅱ雑誌」より・・。

  夜ぞよべり
  海門(みなと)に死にしおほなつを  左部赤城子
                   (「天の川」昭和10年10月号)  
   *
  日像(ひ)
  ひかり平和に
  ひとつひとつの石器たち  山崎靑鐘(「山脈」22号 昭和16年)
   *
  風 風 風
   骨止む
  黒い蟻の埋葬       富澤赤黄男(「群」9・10月号 昭和22年10月)
   *  
  胸の都 ただれ
   だれか 駆け抜け
  夢の輪 くずれ      楠本憲吉(「弔旗」第2号 昭和24年5月)
   *
  敗走の 
  未明 ぐるりは
  葦折れぬ         本島高弓(「詩歌殿」2集 昭和25年3月)
   *
  ひろしまに
  あゝ
  血まみれの
  鳩を抱き         野田 誠(『平和祭』昭和27年5月)
   *
  きつね火の
  ポポロ
  ポポロ
  と 睡る森       寺田澄史(「薔薇」昭和31年3月号)
   *
  甕沈む

  万の祷りの
  万の水甕        川名 大(「俳句評論」第28号 昭和38年11月)
   *
  老婆の貌
  花蕊に灯る
    底なし沼     水野とみ子(「俳句評論」第91号 昭和44年4月)
   * 
  鳥刺(とりさ)しや
  竜飛(たつぴ)
  冬(ふゆ)
  足袋(たび)も穿(は)かず 澤好摩(「未定」NO25・26昭和60年7月)
   *
  凶器研ぐ

  羽化寸前の
  學校靈           田辺恭臣(「夢幻航海」第15輯 平成10年9月)
   *
  兄のからだに
  兄の血ほろび
  
  牡丹雪           外山一機(「鬣」第67号 平成30年5月)
    
 他に論考としては、林桂「多行形式の道程」(「鬣」71号 令和元年5月)の転載が、俳句形式の辿ってきた道をつまびらかにしていて貴重である。
  

 撮影・葛城綾呂 オッ、カラスだぁ↑

2019年9月1日日曜日

有馬英子「人間に代わり向日葵前を向く」(『火を抱いて』)・・・


            西日中ぶっきら棒が立っている ↑

 有馬英子第二句集『火を抱いて』(白俳句会)、献辞を加藤光樹「輝け心の火」、序をかわにし雄策、跋に飛鳥遊子「英子俳句と書」がそれぞれしたためられている。集名に因む句は、

  火を抱いて獣を抱いて山眠る     英子

 だろう。献辞のなかに、

 (前略)小生が常に思うことは、身障の身で介護の方の手助けを得て毎日を過ごされている英子さんが、「白」の主要同人として休むことなく作句に精出されていることは素晴らしく、感謝の他に言葉がありません。作品を拝読しても、「白」に表記されている「白の主張」、即ち「俳句は抒情詩・・有季定型の要件を踏まえ、*個性の発揮*新味追求*表意率直を表現手段として、象徴性を目指す」を心した作句姿勢が覗えます。

 とあり、また、序の中に、

 (前略)作者の人間に向ける眼差しは、私たちの心を温めてくれます。歴史と時代に正面から向かい合い、この国の在り方の真実を見ようとされています。
 東日本大震災、原発事故の被害、軍国化への前のめりになっている社会や政治の現実に対して揺るぎないプロテストの意思表示です。

  銃口にタンポポ一輪挿しておけ
  万緑の奥へ奥へと核のゴミ
  八月のネジが三本落ちている
  片蔭のショーウインドウに機関銃

 二〇〇九年、東京都現代俳句協会の大会で一位になった句、

  初蝶を次のページで捕まえる

 英子さんの前には今後も様々な初蝶が現れることでしょう。それは夢であったり、希望であったり、未来に向かって成熟してゆくものの象徴です。

とある。そして、跋にはまた、

 英子さんと書との出会いといえば、あるとき、短冊に自句を書いて提出すべしと言われたおり、ご自分で書かれることをお勧めしたのが始まりだったと記憶する。ほどなくして筆ペンに飽き足らず、毛筆を使われるようになり、自句をはじめ、お好きな詩や一文字漢字を積極的に書かれるようになった。字は力強く訴求力のあるもので、周りの人たちは”口々に元気をもらった”という。そこで、句集にも英子書を載せようということになった。

 と、記されている。その文字について、有馬英子は「あとがき」で、

  私の書く筆文字は「書」と呼べるものではないと思っています。正しい筆の持ち方でもなく、力の抜き方もかなり難しい。ヘルパーに紙を送ってもらわなければならない。しかしそれをふくめて自分なのだと思い、載せることにしました。題字を書けたことが一番の喜びです。

 という。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

  母はまだ遊び足りない大花野
  ヘルパーの上腕二頭筋薄暑
  頬杖が外れて秋思粉々に
  福笑いこれを自画像と決めた
  青空を睨み返して鵙の贄
  風花のハミング明日は晴れますか
  鵯の絶叫車椅子走れ
  ナイフなら投げたい梨なら齧りたい
  光陰の矢を追い越して敬老日
  天狼が見つめるフクシマの行方
  クリスマスローズ祈りの膝を折り
  時として命も奪う水を飲む

 有馬英子(ありま・えいこ) 1949年、石川県金沢生まれ。



             撮影・葛城綾呂 ヒヨドリ君 ↑