祝「圓座」創刊 「一山の鳥一つ木に秋の晴 魚目」↑
「円座」第48号(円座俳句会)は、武藤紀子の師・宇佐美魚目追悼号である。執筆陣のいずれの筆にもしみじみとさせられる。森川昭連載「新・千代倉家の四季(40)ー芭蕉・西鶴そして宇佐美魚目さん」では、発見された資料の真蹟書翰をめぐる部分の中の日記に、今でいう裏紙をはりあわせてある紙背文書(しはいもんじょ)というのがあって、それが西鶴からの手紙で、それを軸装にすると、片面が失われる事態を生じるので、
そこで魚目さんにお願いして日記の当該部分を臨写していただき日記帳にはめこむことになりました。私たちは魚目さんがいとも易々と書き写されるのを見て感嘆しました。
と記されており、書家としての魚目を垣間見せてもらった気がした。その他は、中田剛連載「宇佐美魚目ラビリンス」、中村雅樹「頬落葉、・二宮真弓「訃を聞く夜の時雨けり」、青木亮人連載㉟「刻まれた句、漂う夢ー氷、きさらぎー魚目追悼ー」、関悦史連載㉗「平成の名句集を読むー宇佐美魚目『薪水』-白昼のかくれんぼの鬼」、藤原龍一郎連載⑱「句歌万華鏡ー魚目俳句との交響」、松本邦吉連載㊱「魚目の内なる『魚目』、橋本小たか連載㊷「九尾のインバネス⑥魚目を読む」、高橋睦郎妄選「魚目百句」。その他、同人・会員欄の作品にも魚目追悼句は溢れていた。「百千鳥集」巻頭から5名の方のみになるが以下に一人一句を挙げておきたい(長谷川櫂は別)。
一生を白露まみれや魚目逝く 長谷川櫂
空海の
『風信帖』にしみじみ先生の墨の色 二宮真弓
セーターの白の面影記憶とす 山田歌子
悼・宇佐美魚目先生
みちのくに訃報を聞くも十三夜 白石喜久子
悼
鷹渡りぬあとは波音あるばかり 小川もも子
魚目先生ご逝去
しぐれ傘持つてゆかれよ彼の世にも 秋山百合子
★閑話休題・・宇佐美魚目「すぐ氷る木賊の前のうすき水」(「俳句」昭和48年5月号より)・・
「俳句」昭和48年5月号(角川書店)は、「特集・期待する作家〈鷹羽狩行・宇佐美魚目〉である。それには、宇佐美魚目「秋収冬蔵(25句)」、エッセイに森澄雄「古典の中に」、論に大峯あきら「白き『時の裸形』」。前掲出「円座」に青木亮人は、私淑した画家・香月泰男との比較で「香月が黒の画家とすれば、魚目は白の俳人といえようか」と述べていたが、大峯あきらもまた、同誌のなかで「魚目氏は現代俳句の中で白を描きうるほとんど唯一の貴重な作家であると、私はおもっている」という。その「宇佐美魚目略歴」に、昭和二十年八月十五日のま昼は鹿島灘の波打際にいた。からだ一つがやつとの穴の中から一個中隊の人間の眼が沖の方に吸いつけられていた。武器らしきものは戦車の主砲一門だけであったが弾丸は一発もなかった。いよいよ最期の時が来た。各員、「石ひろえ。」の声で巻き起こつた、かすかなさざめきも、石ころの少ない砂浜のかなしさもすべては遠い昔のように果敢なく、おぼろとしていて、現にあるのは水平線を蔽いつくす夥しい艦船とポケットの中の石の重みだけであつた。空も海もいよいよ青く、波はまつ白に砕けては散つた。しかしそこに在るのものは風景ではなく、箱の形をした空間があるだけであつた。
たぶん、宇佐美魚目もまた、敗戦に、敵艦を目前にして闘う武器もなく、玉砕を思ったにちがいない、その砂浜での光景は、永遠に描かれることのない「白」のイメージだったと・・・・。
以下は余談になるが、同誌のもうひとつの特集コーナー「古典と私」で、坪内稔典は「豊かな〈他界〉」と題して、以下のように書いていた。所属は、当時、愚生と同じ赤尾兜子主宰「渦」と記されてあった。
俳句を書くことは、自己の資性を掘りさげることでもあるが、自己の資性を掘りさげる試みは、いやおうなく時代との軋轢や亀裂を生じる。これは〈表現〉にとって不可避のことであり、例外は本来的にありえない。〈他界〉意識は、こうした軋轢や亀裂を根拠として生じる。
実に若々しい玉文である。もう46年前のことになってしまった。そして、
人間存在が,いつも〈他界〉をもち、〈他界〉を含めてこそ人間存在の全体性が言い得る限り、古典は日とともに私の内なるものとして重みを増すだろう。
と結ばれている。好々爺になるには、まだ早い。思えば先般、『月』を上梓した辺見庸と坪内稔典は、たしか同じ齢だったような気がする。