題字は三橋敏雄 ↑
「多摩のあけぼの」NO.129(東京多摩地区現代俳句協会事務局)の巻頭エッセイは、遠山陽子「阿部青鞋と三橋敏雄ー敏雄の密着癖」である。最近、若い俳人たちのあいだで人気急上昇中らしい阿部青鞋の様子も伺えて興味深い。昭和15年、新興俳句弾圧事件で、俳句を発表することを断念していた三橋敏雄、阿部青草鞋について、文中に、
(前略)一晩三百句の句会も続けられ、この頃の成果は青鞋の墨書手書きの句集『尺春庵集・上』に収められている。
淋しさや竹の落葉の十文字 羽音(うおん・青鞋)
白梅の影おとしたる匂かな 雉尾(ちび・敏雄)
春かぜやあまくつめたき菓子一つ 仆兎(ふと・白泉)
逆立つて流れてゆくや彼岸花 吹石(すいせき・昇子)
味噌蔵の前をとびゆく螢かな 母屋(もおく・吐霧)
冬河の遠き流や茨の実 三梅
暖かやはやての中の紅椿 古柚(こゆう・青柚子)
この手書きの句集を見るだけで、青蛙が非常に面倒見のよい丹念な人であり、カリスマ性を備えた人物だったと判るのである。敏雄は青鞋を深く敬慕し、青鞋も敏雄の才能や人間性を愛した。昭和十七年、敏雄が自宅でささやかな結婚式を挙げたとき、青鞋が仲人をつとめている。
と記されている。また、
昭和四十八年、句集『眞神』において敏雄は主題と主峰の見事な転換を見せる。新興俳句の新しさを求める精神と古典の古格を備えた、他に類のない世界を作り出し、世を瞠目させたのである。長かった船上の苦悩が実を結んだのだと言えよう。(中略)
平成元年六月『畳の上』で蛇笏賞を受賞する。無季俳句作者の始めての蛇笏賞受賞であった。阿部青鞋との出会いも、賞をもたらした大きな力の一つであったと言えよう。その平成元年二月、青鞋は都下東村山市の次女宅で没している。
ともあった。記事中よりそれぞれの句を以下に挙げよう。
梟の目にいつぱいの月夜かな 青鞋
雑巾が大きく颱が熄んでゐる
くさめして我はふたりに分かれけり
かあかあと飛んでもみたいさくらかな
たましひのまはりの山の蒼さかな 敏雄
絶滅のかの狼を連れ歩く
鈴に入る玉こそよけれ春のくれ
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