「575」6号(編集発行人・高橋修宏)、本号本誌には別に「NS」1号が挟み込まれていた。「NS」は、二人詩誌、高橋修宏と本田信次の名のNとSだ。とはいえ、「編集/曳白」には、
Nは北、Sは南、正反対のような言葉の力学から、あらたな戦意が生まれることを願って。(T)
とある。ブックデザインは伊藤久恵。さて「575」だが、今号も高橋修宏の志向性に彩られている。偶然だが、「豈」同人の執筆者も多い。エッセイに打田峨者ん、佐藤りえ、井口時男。とりわけ、井口時男は、シベリア抑留時代の石原吉郎が「大方想太郎」という筆名を用い、それを、
三十六年前、石川徳郎という人が日本農民文学会の機関誌「農民文学」一九八四年三月号(通巻一八八号)に「過ぎゆきし時と人ー石原吉郎・その他」というエッセイを載せていて、そこに出てくる。
と記している。「『おおかたそうだろう』のもじりにちがいない。ラーゲリ仲間に読ませる娯楽を兼ねた文章の筆名である」という。松下カロのこれも面白く読ませるが、「傷痕としての三島由紀夫」には、『憂国』は「新婚数カ月の妻と共に自決する物語です」とあるが、この場面での(ガセネタとも思えないが)、愚生の聞いたことを又聞きながら、記しておこう。それは、もう40年以上前の話。コーベブックスの渡辺一考が中井英夫宅に泊まったときのこと、『憂国』には世間に知られていないもう一つの『憂国』がある。そのもともとの自筆原稿を中井英夫が所持していて、それを見せてもらった。一般に流布されている『憂国』・・・、妻との自刃の場面は妻ではなかった。勿論、女性ではない。セックスの最中の自刃であることは変わらないが・・・。というものであった。中井英夫亡き今となっては、確かめるすべはない。その折、中井英夫の秘書役として雇われていた山内由紀人(著書に『三島由紀夫の時間』あり)と親しくしていたので、是非とも真偽を確かめてくれと、彼に頼んでいたのだが、少年的美男だった彼は中井英夫にいろいろ迫られて、急に辞めてしまった。思えば、ワイズ出版から再販された中井英夫『黒衣の短歌史』の本文下段の注を山内由紀人と二人で分担執筆したことがあった。
もう一つ、いつもながら、緻密、犀利な論を展開する今泉康弘「終末の詩学」は、約めていえば、すぐれた高橋修宏論になっている。ともあれ、本号よりの一人一句を以下に挙げておこう。
秋立つや風の腑分けのはじまりぬ 三枝桂子
白旗の振られて涼し前線は 佐藤りえ
紛るゝは快(よ)しエッシャーの鳥雲に 井口時男
断絶やひょうたん二つ浮き沈む 増田まさみ
視えぬもの溢れて花の市場かな 高橋修宏
「接触歴」即サピエンス秋の指 打田峨者ん
撮影・鈴木純一「公助(すてられて)他助(たすけられたり)自助(たすけたり)↑