2015年9月29日火曜日
「大安吉日」(読んで書いて、心が洗われる言葉)・・・
武馬久仁裕編著『読んで、書いて二倍楽しむ美しい日本語』(シニアの脳トレーニング②、黎明書房)。
編著者・武馬久仁裕は、1948年愛知県生まれ。編著者には、すでに『G町』、『獏の来る道』,『玉門関』、『武馬久仁裕句集』などの句集があるが、この度の著は、自ら社長を務める黎明書房からの一般向けの書物。それも「シニアの脳トレーニング」シリーズの第二弾である。どうやら愚生らの世代をターゲットにした老化予防のために出版されている企画本のいくつかの中の一冊のようだ。目録によると「シニアのための何とか・・・」という我々の世代以上、つまり、世間からは、いよいよ高齢者と呼ばれて恥ずかしくない世代に向けての涙ぐましい努力と楽しみのための一冊である。
というわけで、人口に膾炙した「古今の美しい日本語、楽しい日本語を」(まえがき)紹介して、「①読んで,②書いて、二倍楽しめます」というわけである。ともかく冒頭には「①声を出して読んでみましょう」とあって、健康にもよさそうである。
眼目は、声に出して読み、それを書き写し、脳を活性化し、さらに心体の老化を防ぎ、いつまでも元気にいましょう・・というアイディアにある。
そこで、タイトルにあげたページの「25 大安吉日」を、武馬久仁裕ならではのオリジナリティーに触れてもらうべく、以下にそのまま紹介したい。
大安吉日(読んで書いて、心が洗われる言葉)(見開き左ページには②書いてみましょうの下書きの文字が配されている)。
① 声に出して読んでみましょう。
大安吉日(たいあんきちじつ)。
麗(うら)らか。
柳(やなぎ)は緑(みどり)。
花鳥風月(かちょうふうげつ)。
春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)。
勤(いそ)しむ。
《味わい》 「大安吉日」は、大安の吉(よ)き日ということで、何をやってもうまく行く日です。毎日大安吉日でありたいものです。
「麗らか」な日は、身も心も安心しきってお日様の光にゆだねることができます。(中略)
花(桜)、鳥、風、月は、日本人の美のエッセンスです。日本人は古来、それらを愛でて詩歌を作ってきました。私たちも風雅を楽しみたいものです。(中略)
「勤しむ」は良い言葉です。この言葉には損得を超え一途に働く人の美しい姿が見えてきます。ある人は、日本語の中でも最も美しい言葉だと言っています。
2015年9月27日日曜日
久保純夫「烏瓜孤高というがぶらぶらし」(『日本文化私観』)・・・
「あとがき」に、
畏友・土井英一氏は「儒艮六号」でこの作業を「エクフラシス」の実践と評価してくれている。
とあった。愚生は不明して、そのよって来るところをよく理解しているとはいいがたいが、簡単にいってしまうと詩と絵画、言葉とイメージの交渉ということらしい。広辞苑には「絵や彫刻を文章で記述する文学技法。最古の例は『イリアス』18巻の『アキレウスの楯造り』の描写」とあって、いささか味気ない。
ともあれ、モチーフは美術作品を吟行しているというところだろう。愚生にはなじみの薄い人もいるが、流行の人もいる。その作家たちの名は、船越桂、草間彌生、酒井抱一、伊藤若冲、フェルメール、ジミー大西、武田秀雄、藤平伸、藤田嗣治、新垣幸子、丸山応挙、竹内栖鳳、小野竹喬などである。
ともあれ、美術的作品と言葉との饗応の物語を読むように句集を読めばいいということだろう。句数はざっと700句というところだろうか(正確に数えてはいない)。
上りゆく色を愛しぬ立葵 純夫
の句の収録されている章は「酒井抱一+伊藤若冲++」の章であるが、読者はむしろ、それらの名を排除して、自在に久保純夫の織りなす世界に入ればいいと思う。一句一句を抄出するなど無駄とも思える句の出来栄えである。
触発されている対象が何かを問うことがなければ、久保純夫の内面に抱え込まれている性愛の句と読めてしまう絢爛さがあろう。それでも、これだけの句数をそろえるのは至難で自己模倣の極美とでも呼びたい感じさえするのは愚生の愚かさゆえであろうか。
かつて久保純夫には「水際に性器兵器の夥し」という句があるが、その片鱗を本句集「八月の精子が奔る水際かな」に見出した思いがした。果たしていかに・・・
ともあれ、当初「儒艮」に発表されたときよりも句数が減じられているとはいえ、「エクフラシス」とは土井英一に、よくも言ってくれたと敬意を表したい。
前述したようにいくつかの句を抄出してもその面白みは減じられるだろうが、勘弁願っていくつかを以下に挙げておこう。
紅梅にいくつかありぬ向こう傷
犯されている眼差の櫻鯛
野に遊ぶ緩む乳房と攻める臀
かりくびに目鼻がつきて白雨くる
穂芒の鎮めるために傾ぎけり
ちんちんがちんちんと子犬まるまる
拳から国家に対う赤ん坊
透きとおる躯の中の緑雨なり
瀧落ちて水のかたちを失いぬ
純愛を開いてみれば黒海鼠
久保純夫1949年大阪生まれ、句集『日本文化私観』(飯塚書店)。もちろん、坂口安吾の同名の書とは全く趣を異にしている。
2015年9月26日土曜日
川名つぎお「日だまりの石を記憶の秋の蝶」(「豈」東京句会)・・
隔月最終土曜日は「豈」の東京句会(第126回)である。
以下に一人一句を・・
草は穂に廃村国道むら雀 川名つぎお
秋の空理由もないがやまびこ 小湊こぎく
すれ違うだけなのに白さるすべり 吉田香津代
金木犀戦ぎはじめるさびしい手 羽村美和子
沐浴の父に月光脆く差す 福田葉子
月山に月読男出でませり 早瀬恵子
曼珠沙華茎根凶変たなごごろ 照井三余
目覚めてはアルツハイマー〇の中 岩波光大
白秋の鳥いる朝のひかりかな 大井恒行
次回11月28日(土)は恒例の忘年句会(場所は従来の白金台いきいきプラザではなく、白金高輪「インドール」・・・(それまでには攝津幸彦記念賞も決まっているでしょう)。
2015年9月22日火曜日
岡田史乃「歩く人皆春光の塵となり」(『ピカソの壺』)・・・
近年の句集は「後記」に色々書き連ねる人が多い。短い「後記」といえば、愚生などはすぐにも飯田龍太を思い浮かべたりするが、なかなかどうして岡田史乃『ピカソの壺』(文學の森)の後記も短く、実に気持ちがいい。以下がすべてである。
『ピカソの壺』は私の第四句集です。お目通しいただければ幸いです。
平成二十七年六月二十日
岡田史乃
句集名は、序句の、
父からのピカソの壺や夏立ちぬ 史乃
によっている。
一条九条岡田てふ蜃気楼
この句は愚生には難解だが、魅かれる。誤読を恐れずにいうと、「岡田てふ」は夫君・岡田隆彦のことではなかろうか、と思ったりする。愚生の世代にとっては、岡田隆彦は吉増剛造らと並んで現代詩人のスターであった(若くしてと言ってもよい享年58だ)。その詩人に『史乃命』という詩集がある。上句の「一条九条」は日本国憲法であるとしたい。一条は、もちろん、主権は国民の総意による象徴天皇。九条は、いまもっともかまびすしい戦争放棄、交戦権否定、戦力の不保持の平和主義。それらはすべて蜃気楼、いわば逃げ水であるといっている。それゆえ愛おしい。逃がしてはならない何かなのである。「春の章」の最後には「蜃気楼見えるかぎりは私ぞ」の句が置かれている。
蜃気楼とは幻影のことか。岡田隆彦の詩集『わが瞳』の「大股びらきに堪えてさまよえ」の冒頭には、
道を急ぐことはない。
あやまちを怖れる者はつねにほろびる。
明日をおびやかすその価値は幻影だ。
と、あった。
話は変わるが、辻村麻乃が岡田史乃(「篠(すず)主宰」)の娘であると知ったのはつい最近のことである。
ともあれ、以下にいくつか、愚生好みの句を挙げておこう。
木の枝も棒切れもなく囀れり
埃つぽい機嫌でありし羽抜鶏
物言はばいよいよあやし花菖蒲
着ぶくれて鏡天井皆仰ぐ
茶の花のこぼれはじめし坂の家
鬼を追ふ鬼のひとりが拾ふ豆
母死せば荒神(あらがみ)悴むごとくなり
ハナミズキ↑
2015年9月21日月曜日
岩岡中正「露けしや空に授かるものばかり」(『相聞』)・・・
句集『相聞』(角川書店)の著者・岩岡中正は露けしの人。露けしの句が目立つ。当然ながら露に関しての句は収録句462句のなかでも最多の季詞ではなかろうか。ざっと数えて約6%、30句近い。それは、たぶん淋しさがもたらしている。「さびしさをあるじなるべし」(芭蕉)とした詩歌の道である。
秋時雨淋しさは山越えてくる 中正
である。
三月三日 水俣川雛流し
わが流離ここにはじまる雛流し
この句は巻尾の、
水底に海霊(うなだま)の宮雛流す
一炊の夢に雛を流しけり
の句につながっている。句姿の正しい句群だ。
水仙に明治は高く香りけり
その奥の後生の桜見にゆかな
神の手をこぼれて滝の落つるなり
花仰ぐ文学にまだ遠くゐて
歩兵たりしを冬草の青々と
冒頭に露けしの人と言ったので(もっと言えば露けしの俳人格)、最後にそれらのいくつかの句を挙げておきたい。
水音に二三歩行きて露けしや
夢見しことも忘れて露けしや
草は露人はことばをこぼしけり
聖堂は祈りのかたち露けしや
九月八日~九日 グリーンピア南阿蘇
わが身より離るる一語露けしや
ルリマツリ↑
2015年9月20日日曜日
飯田冬眞「時効なき父の昭和よ凍てし鶴」(『時効』)・・・
『時効』(ふらんす堂)「あとがき」によると飯田冬眞は小説家になりたかった時期があるらしい。
師事したのは秋山駿(2年前の10月2日に亡くなった。もうすぐ忌日がくる)。その師に「(小説家になりたいのなら)砂を噛むような生活を三年続けてごらん」「本物の文学は、みな砂を噛むような生活のなかから生まれてきたものだからね」「けれども、多くの人は、たったの三年すら無味乾燥な生活に耐えられず、喜びや楽しみを見つけて、小説など書く必要がなくなってしまうから」とあった。俳句を敗北の詩といった高柳重信は「君は俳句をやるほど不幸なのかね」と問ったが・・・。
そして、飯田冬眞は「今は、俳句も小説と同じように砂を噛むような生活や時間のなかから生まれてくるものなのだと思い始めています」という。
近頃の句集にはめずらしく作者と言葉の距離がほとんどない作品集であることは間違いないだろう。かつてもいまも多くの俳句作品は境涯に支えられている。だが、その等身大を乗り越えるとさらに、句境は拡がるだろう。
「砂を噛むような生活はいましばらく続きそうです」と冬眞はいう。だが、それが、同時に、黄金の時期だったにちがいない、と、きっと振り返るときがあるだろう(それがなにより精神を支えている根源なのだから)。いまを手放すことなく生き抜いてほしい。愚生のように別の喜びや楽しみを見つけてしまわないように・・・。
集中の感銘句を以下に挙げておきたい。
涅槃の日ぐわれきは海へまかれたり 冬眞
海鳴りの父の帰らぬ雛の家
うしろから闇に抱かるる遠花火
闘牛の眼を赤く勝ちにけり
雲の峰こんなものかと骨拾ふ
痛みあるものから離れゆき朧
村相撲砂にまみるる蒙古斑
時効無き父の昭和よ凍てし鶴
力抜くために入りゆく巣箱かな
桃の日や母ひつそりと髪を染め
表札にアルファベットやエリカ咲く
燕来る父を詠まざる死刑囚
乳房あるマリアおそろし絵踏かな
愛と期待のこもった序を鍵和田ゆう(禾+由)子がしたためている。
献上一句。
時効無き昭和の父母に冬のまことよ 恒行
飯田冬眞(いいだ・とうま) 昭和41年札幌市生まれ。
マンジュシャゲ↑
2015年9月19日土曜日
強行採決ゼッタイ反対!国会前で江里昭彦に会った・・・
今朝は、小雨がちだった昨夜とは打って変わって、青空が広がっている。
たまたま先日の旧友の誘いで再び、戦争法案廃案!強行採決ゼッタイ反対!の国会前に、勤務が終わってから出かけて行った。
勤務での建物巡回の歩数と合わせると万歩計は帰路1万5000歩になっていた。
でも、思いがけないことがいくつかあった。
なかでも最大の感激は、山口県宇部市から来た江里昭彦に会ったことだ。
愚生が、国会前のステージ近くから帰りはじめてしばらくしたら、愚生の名を呼んだ者が居た。
なんと江里昭彦ではないか。彼の一声は「こんなにたくさんの人のなかでよく会えたね!」(主催者発表4万人超)。
思わず硬い握手をして、久しぶりだなあ!と抱き合わんばかりで、写真をとってもいいか、というと、いいと言う。近くにいたご婦人から、一緒に撮ってあげましょうと声がかかった。夜だったので、少しぼけたが、よい記念になった(江里昭彦は8・30にも国会前に来たという)。
愚生らの70年安保闘争時ともっとも違うのは、女性の参加者が圧倒的に多いということ。熱い高齢者層、赤ちゃんを背負い、子どもの手を引いているヤンママ、そしてシュプレヒコールではなく、若者主体のコールがラップ調で、音楽的リズムに乗り、ある種のハイテンションを創り出していること、そして、非暴力直接行動を原理としているということだろうか。
江里昭彦は、上野ちづこ(千鶴子)とともに「京大俳句」の最後の編集長を務めた。
のちに愚生と共に「未定」創刊同人。現在は「鬣」の同人でかつ、「ジャム・セッション」という個人誌を出している。確か今月号の「俳句四季」に作品16句が掲載されていた(先日、府中啓文堂で立ち読みした)。
彼の若き日の句を以下に(『ラディカル・マザー・コンプレックス』)。
触れ合って脚動かさずバリケイド 昭彦
母を恕さむ 冬の樹立の〈律〉正し
国旗まで垂らし真夏の義足店
波波波波波あ首波波
では、後から前から三菱銀行遊び
コミュニズム水で割ったらイタリアン
二枚舌だからどこでも舐めてあげる
で、愚生を集会に誘ってくれた旧友は、帰りに愚生の持病についての録画DVDをくれて体を大事にと言ってくれたのだった。
2015年9月17日木曜日
伊丹三樹彦「詩を書いて一生(ひとよ)の綿々 蝸牛」(『写俳亭俳話八十年』)・・・
伊丹三樹彦、1920年、兵庫県生まれ、95歳、現代俳句協会では金子兜太と並んですこぶる元気だ(病を克服して・・・)。『不亡一枚連結便③写俳亭俳話八十年』(青群俳句会)。
育った家は金物屋。養父母が読んでいたのは「キング」や「主婦の友」。文芸書などは見付からなかった。なのに、小学生の頃から詩歌集を好んだ。十代二十代では、「旗艦」や「新映画」への投稿に励んだ。徴用令での軍属時代は戦車隊の建設現場に出張し、大工や土方の監督をした。だが、合掌屋根の鋲打検査にはビビッて、見上げてばかりいた。
また、「京都での学生俳句デモ」の項には、「京都駅前での現代俳句派のデモを敢行した話」。
高揚した輪に、伊丹公子まで飛び入りしたこと。そのリーダーは坪内稔典だった。彼の大学時代だから四十年ほど前になるか。俳句デモなんて、俳句史にもなかったこと。当時は学生だった伊丹啓子も呼掛人になって東西に学生俳句連盟が出来た。澤好摩、穂積隆文らは青玄のスターで新人クラブを代表した。俳都松山でも集会をしている。私はデモ連中に担がれボス扱いを受けた。古都の京の人々は眼を丸くしていた。
このエッセイの後半に青玄の中川浩文と出てくるのが、愚生が京都時代、関西学生俳句連盟の句会で、7~80人はいただろうか、その選者として来ていた中川浩文が、誰一人取ってくれなかった愚生の句を唯一特選に選んでもらった記憶だけはあって、後日、調べたら「立命俳句」7号の「地底すむ流浪の目玉蟹歩む」だった。
そして、その坪内稔典から「三樹彦百句他解を出したいですねと嬉しい便りが来た。彼は私の処女句集『仏恋』の編集者であり、アイデアマンである」ともあった。
誰かわざや天衣あかるむ花菜など 三樹彦
杭打って一存在の谺呼ぶ
長き夜の楽器かたまり居て鳴らず
いま死なば すべてが反古の冬ごもり
2015年9月16日水曜日
佃悦夫「鳴る神と成り余るものともに鳴る」(『赤ちゃん』)・・・
佃悦夫、昭和9年、静岡県伊東市生まれ、81歳。重ねた年齢のイメージからすると、変わった句集名であると思う。その『赤ちゃん』(現俳句協会)について、「あとがき」に記している。
句集名『赤ちゃん』は筆者にとって、赤ちゃんの存在を鏡のように己れの意識としている只今の謂でもある。
集中の赤ちゃんは、
柳絮浴ぶ赤ん坊を原野といえり 悦夫
赤ちゃんの螺旋構造霜柱
満月は生き体であり赤ん坊
赤ん坊とたんぽぽの絮スパークす
赤ん坊いきなり初日鷲掴み
霜柱歯牙瞭らかな赤ん坊
赤ん坊真昼の鵙と大笑い
佃悦夫は昭和37年「海程」2号より入会し、同人。「海程」一筋の人である。
愚生は、昨年まで、現代俳句協会新人賞選考委員を務めたが、その時、お世話になった大先輩である。昭和51年第23回現代俳句協会賞を受賞している。
ウサギ飼い身に清潔な水たまる
新鮮なさすらいに似て草刈り場
集中の前書きのある句は捨てがたい。
母よ(三句)
スイトンを作りし乳房涸れ尽くす
白息をしつ割烹着飛び去りぬ
枯菊の紛れし骨をひろいけり
以下に興味を抱いた句をいくつか挙げさせていただく。
パラソルを一〇八回転しても此岸
冬の山熟睡児は羽納め切り
ながむしの屍無限大記号して
外されて月光とあそぶよだれ掛
あめんぼうという水面の過客かな
大寒や児は跳縄に縛されて
ずぶ濡れて案山子は輪廻の途次である
ハナニラ↑
2015年9月13日日曜日
鈴木瑞基「せみしぐれからぶりしたらきこえたよ」(第12回ジュニア俳句コンクール)・・
今朝は、江東区教育センターで行われた第12回ジュニア俳句祭(現代俳句協会主催・江東区教育委員会協力)に出かけた。
「俳句と友だちになろう」をテーマに現代俳句協会ジュニア部の出張俳句教室などの活動が実を結んで、今年で12回目を迎えるという。コンクールの優秀作品の表彰と合わせて、出席した児童生徒の句会が面白い。小学生の部と中高生の部での表彰が行われたが、大賞は、愚生も事前選考で送稿した中からの一句が選ばれていた。
☆大賞
せみしぐれからぶりしたらきこえたよ 鈴木瑞基 江東区立水神小4年
そのほか、現代ジュニア俳句コンクール 学校賞には、八王子市立みなみ野中学校が選ばれ、その他の受賞者を以下に記しておこう。
☆小学生の部 下段に☆中学・高校の部
現代俳句協会賞
缶ドロップしゃかしゃか鳴らすこどもの日 太田 圭 足立区立千寿小6年
青バナナ受験勉強始めます 金子史佳 八王子市立みなみ野中3年
江東区教育委員会賞
兄ちゃんの大きい背中梅雨夕焼け 山井遥斗 江東区第二辰巳小6年
背泳ぎの手に夏空を独り占 徳原悠月 江東区深川第三中3年
毎日新聞社賞
木琴をたたいてたたいて春を呼ぶ 田上まゆ 千代田区立昌平小6年
告白の予行演習夏の潮 星野明希子 愛知県立幸田高2年
KADOKAWA賞
ぬか床のきゅうり三本すいみん中 倉 諒平 江東区立扇橋小6年
校則をやぶりたくなる夏初め 中島綾香 町田市立町田第二中3年
文學の森賞
つゆじめりなんだか重いランドセル 山口煉太郎 江東区立南砂小5年
更衣白優勢のオセロかな 高澤杏実 文京区立第九中3年
その後の俳句会では、当日出句の句会が行われ、互選による最高点句は、
車窓から見えたコスモス夢の色 中村遥夏 私立開智日本橋中1年
愚生の選んだ句会の特選句一句は、
かきごおりべろだしあってわらいっこ 合原菜月 江東区立東雲小1年
であったが、KADOKAWA「俳句」編集長・白井奈津子氏と重なったので、別の一句を特選句に選んだ。こちらは、俳句を作りなれている生徒に違いないと思ったので、そう評した。
村芝居母の手紙を見開いて 星野明希子 愛知県立幸田高2年
*閑話休題
昨日は、現代俳句協会第16回年度作品賞の選考委員会が開催され、前田典子「夏帽子」に決定した。選考経過は、「現代俳句」11月号に掲載される。
年度賞選考委員は、今年度は大幅に入れ替わって、石倉夏生・浦川聡子・大井恒行・こしのゆみこ・佐藤映二・田村正義・原雅子の7名。
2015年9月9日水曜日
鳥居三朗「日の中の鵙の村なり澄みにけり」(『てつぺんかけたか』)・・・
鳥居三朗、第4句集『てつぺんかけたか』(木の山文庫)、1940年愛知県吉良町生まれ。
波の来て海のひろがる吉良忌かな 三郎
愚生が初めて鳥居三朗に会った時は、「童子」の頃の懐かしい名、鳥居三太だった。もうずいぶん以前のことになる。「童子」が創刊されて間もない頃であったろうか、綺羅星のように有望な人たちがいた。それらの中で、彼の独特だった第一句集『小林金物燃料店』は面白かった。
三太改め三朗になってもその親しみは変わらなかった。今では、歴とした「雲」の主宰である。
本集では、第一にオノマトペの作家だと印象した。もちろん、日の光も加えて・・。
というわけで、愚生好みの句に、オノマトペの作をいくつか以下に挙げておこう。
波に浮くひとゐて沖は晩夏かな
さよならを云はずに春の逝きにけり
ぶらんこの子どもは雨に何かいふ
月に添ふ星に住みたる我らかな
正月をうつらうつらと京都まで
ふるふる西のあふみのたびら雪
ぐるぐるぐる田螺の道のつづきをり
七月のはじめぶらぶら手をふつて
秋麗の鳩のふんふん歩みをる
双六のもどつてもどつて休みかな
くしやくしやにまぶりて春の帽子かな
大阪のかんかん帽の男かな
つるつるのかほしてゐたる蝗かな
買初の水をしくしく飲んでゐる
ぎざぎざのはうれん草に日の沈む
夏鶯きよつといふなり雨になる
おほばこの花のちりちり鳴りはじむ
つぴつぴが来てゐる森の青葉かな
鴨の水脈するする伸びてゆく光
2015年9月8日火曜日
大高霧海「虹の輪に天と地と海それに山」(『菜の花の沖』)・・・
大高霧海第6句集『菜の花の沖』(文學の森)は「風の道」創刊30周年の記念に、ともいうべき句集だから、ごく自然に「風の道」を創刊主宰した先師・松本澄江に捧げた句が多く目につく。その「あとがき」には以下のように記されている。
想えば俳句の道にかかわったことで、長い青春を享受することができ、今日の自分があることに満足している。この端緒は実は私の法律事務所の客員弁護士故上山太左久先生のお誘い、ご指導によるものであった。先生は俳号如山と言って風生・梧逸門の一人であった。ここに如山先生にも衷心よりお礼申し上げたい。日本固有の短詩型文芸の俳句は師系を大切にすることにある。私も師系を大切にしながら、師系を超える俳句を一句でも残すことを目標としてこれから命のある限り俳句の美の狩人として生きたい。
「美の狩人として生きたい」は見事なる心映えというべきだろう。本句集の前の第5句集『無言館』は、そのほとんどが戦没画学生に捧げられた句で占められていた。図書新聞で書評させていただいた印象からして、本句集は、先師や「風の道」を共に歩いてきた同志への感謝の一集であるにちがいない。
以下に愚生好みのいくつかの句と、松本澄江に捧げられた句を挙げておきたい。
石の神木の神草の神も留守 霧海
菜の花の沖渺渺と火車の旅
夾竹桃真つ赤原爆ドーム燃ゆ
死者も来て踊子に蹤く夜更かな
行秋(ゆくあき)や水かげろふも木を登る
澄江忌の俳の昂り梅真白
燭ゆるる雛のまばたき澄江の忌
万緑を透かし先師の叱咤の声
澄江師も死もまた美学ちる桜
先師を想う
先師追へど距離ちぢまらぬ花野道
句碑に倚れば師の俤(おもかげ)の花衣
つまくれなゐ先師のおしやれ老い知らず
大高霧海(おおたか・むかい)昭和9年広島県生まれ。「風の道」主宰。
因みに、司馬遼太郎には、『菜の花の沖』という小説がある。菜の花忌は遼太郎の命日で2月12日。
センニンソウ↑
2015年9月6日日曜日
第8回世界俳句協会大会&「うらめしや~、冥途のみやげ」展・・・
特別講演・平川祐弘氏↑
世界俳句協会(ディレクター・夏石番矢)の第8回世界俳句協会大会が明治大学駿河台キャンパス・リバティータワーで9月4日(金)~6日(日)まで開催されていた。
愚生の勤務日の都合がつかず、4日(土)にしか顔をだせなかった。
プログラムには興味あるテーマ「無限の対話」に関する講演や討議、さまざまな人の俳句朗読がある企画だったが、愚生が聞けたのは、残念ながら、梅若猶彦「謡曲における言葉と節の関係に潛む美意識」と平川祐弘「ハンドアウト世界的総合芸術としての俳句」の2講演のみだった。
その平川祐弘は夏石番矢の『空飛ぶ法王』に関して、ユーモアを交えて以下のように講演を結んだ。
私は『神曲』を半世紀前に訳してpapaを教皇ではなくて法王の語で訳しましたが『空飛ぶ法王』を読んだとき歴史的に由緒ある法王にしてよかったとあらためて感じました。夏石さんの句集もあれは法王だから自在に舞えるので教皇だったらそうはいかない。法王には高雅な鳳凰のおもむきがある。しゃちこばって教皇などと呼ばれようものなら夏石俳句の法王は恐慌をきたして天から墜落してしまうでしょう。
空飛ぶ法王まばゆき今日の初日の出
この句はいかがでしょう。これは夏石の句ではなくて年賀状の返事に私が夏石に書き添えました。
閑話休題・・
もうひ一つは、現在開催中の「うらめしや~、冥途のみやげ」展(東京藝術大学美術館~9月13日)に足を運んだ。全生庵・三遊亭圓朝の幽霊画コレクションを中心にした展示だったが、お目当ては上村松園「焔」。と言いながら、古今の画家が、よくぞ幽霊にまつわる絵を描いたものだとも思った。葛飾北斎、月岡芳年、歌川国芳、河鍋暁斎、曽我蕭白、伊藤晴雨、鏑木清方、高橋由一、歌川広重などをふくめ、圓朝画、圓朝遺品などなど、けっこう楽しませてもらった。
2015年9月4日金曜日
石田郷子「白髪を連ねてゆきぬ草の王」(『草の王』)・・・
石田郷子句集『草の王』(ふらんす堂)、ちょっと菊地信義をおもわせるような装丁・・・しかし、帯に配された文字使いが違うと思ったが、なかなか良い。
石田郷子の名を最初に認めたころ、愚生は、石田波郷の係累に属している俳人なのかと思っていた。もちろん、今は、そうではないらしいことはわかっている。先日のクプラス謹製の「平成二十六年俳諧國之概略」の図には「等身大派」の領袖のような扱いでその名は大きく書かれている。本集の句を眺めると、確かにそのような印象もあるが、清潔感がある。等身大ということは、その人の人格そのものが句に大いに反映するということだろうから、自らを律する高貴さが求められ、かつその向上のために心身を修行せしめねばならないような気がして、愚生のようないい加減の者には、端からあきらめるほかなさそうだ。
ところで、これも不確かな記憶でいうのだが、かつて高柳重信が林田紀音夫の句を評して「等身大の句」と言ったように思う。半分は褒め言葉だが、残りはその俳人の身の丈以上の俳句の世界は創造できないということだったように思った。
いずれにしても「俳句をやるほど君は不幸なのか?」と問いかけた重信だった。そうであるならば、石田郷子の句の世界にだってそれが宿っているのかもしれない、と思えば、それは、たぶん逆説としての清潔感になるだろう。
ともあれ、愚生好みにしかならないが、いくつかの句を挙げておきたい。
燃えてゐる黒と思へり冬林檎 郷子
揺れはじめ揺れをさめたる蕎麦の花
打水にくるりとのりぬ鳥の羽
つぎつぎに時雨忌の傘たたみ入る
大杉を恃みぬ人も寒禽も
杉山の暗きに花の吹雪をり
柴栗のひろびろ落ちてなぞへ畑
凩や古布に棲む蝶や鳥
狼のたどる稜線かもしれぬ
ルコウソウ↑
2015年9月2日水曜日
「平成二十六年俳諧國之概略」(クプラス謹製)・・・
タイトルは「平成二十六年の俳句界をマッピングしてみたらこんなことになった」。図の頂点にあるのが「ロマン主義」で金子兜太が鎮座ましましている。左軸に「大衆性」、右に「新しさ」、真下側に「専門性」が置かれていたりする。いわば、現俳句界の支配図式ということだろう。したがって現俳句界から排除されているマイナーポエットはおのずから現れてはこない(もちろん、そんなものはあっても、パワーバランスからすれば、一向に影響力を保持しないのだからやむをえない・・・)。
お楽しみ企画であれば、それなりに面白い。
ただ、メインの特集が「正岡子規ネオ」だから、というわけではないが(新調クプラスにしては分類語彙が意外と古い印象?・・)、「低廻派」は、あいまいな記憶で失礼するが、漱石が低徊趣味といったのは、虚子に対してで、その低徊派は、同時に高踏派、余裕派のことであったような気もしないではないが・・・。
ともあれ、愚生にとっては、こうした腑分けされた図によって初めて知ることも多く、その労苦に感心もしたのである。なかで、山田耕司が以下のように発言しているのには、なるほど、そうなのかと納得させられたりした。
山田 (前略)一方、《伝統主義》は、厳然として存在する俳句の、その存在を疑わないという主義。師匠の言ったことを一言一言ゆるがせにしないという姿勢の問題でもある。《伝統主義》がマナーとしての俳句であるのに対して《原理主義》は言語表現としての俳句を対象化し、詩歌および表現することそのものの広い領域を批評の座に組み込もうとします。かつ、現状を疑い、ともすればあるべき理想へと傾倒してゆく。
また、上田信治の説明も分かりやすかった。
上田 (前略)《伝統とロマン》にあって《原理》にないものは〈大衆性〉です。《ロマンと原理》にあって《伝統》にないものは〈新しさ〉。《伝統と原理》にあって《ロマン》にないものは〈専門性〉です。
これらの当否は議論されていくだろうが、余談ながら、本誌の活字が小さいのは(世の中では普通かも知れないが、今や新聞でさえ大きな活字なのに・・)、愚生のような老人には、すでに読む困難を強いる。ただ、それは自分の老いということだから、つまらぬ愚痴にしかならない(嗚呼、年は取りたくないものだ)。
2015年9月1日火曜日
茨木和生「戦争を知りゐる樹々も山桜」(『真鳥』)・・・
茨木和生句集『真鳥』(角川書店)には、右城暮石の弟子らしく、暮石忌の句がいくつかある。1990年、茨木和生が右城暮石の「運河」を継承してからもすでに25年の歳月が流れている。師の暮石が松瀬青々ゆずりの自然讃仰一筋に歩いたように、茨木和生もまた、自然讃仰の道を、ますます平明な句作りとともに歩いているように思える。それを「あとがきに」、
ますます自然をありがたいものと思うようになった。しかし、このところ自然は人間の手によって荒らされていることを嘆かないわけにはいかない。(中略)
日本の自然は本当に美しいのかと問い直してみたい思いでいっぱいである。東日本大震災と原子力発電所の事故は言うまでもない。山に目をやれば、楢枯れ現象は留まるところがない。杉檜の植林も手入のされない山が増え続け、山の竹林化のスピードは進むばかりである。自然を心底ありがたいと思って句を詠める日の来ることに微力を尽くしたい。
ところで、余談だが、茨木和生は、攝津幸彦の高校時代の先生だった。確か島田牙城もそうだったと思う。また、早逝した安土多架志もそうだったのではなかろうか。ともあれ、以下にいくつか暮石関連の句と愚生好みの句を挙げておこう。
竜天に登りしあとの雲の色 和生
下野国平畑静塔の墓に詣づ
墓地に立つ月下の俘虜の句碑も灼く
一睡のあとに校正暮石の忌
ここのこの暮石も見たる吾亦紅
ひひと鳴く声のあはれも麦鶉
吉野山中にて
戦争を知りゐる樹々も山桜
右城暮石先生の山墓の道
吉野よりここの一樹の山桜
高知県長岡郡本山町では
三日間雨量千ミリ暮石の忌
ちなみに暮石の忌日は、8月9日である。
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