2022年10月30日日曜日

安田俊朗「秋耕の畑膨らみ風渡る」(第58回府中市民芸術文化祭俳句大会)・・

 

 
               

 本日、10月30日(日)午後1時~は、主管・府中市俳句連盟の第58回府中市民芸術文化祭俳句大会(於:市民活動センター「プラッツ」6F)だった。特別選者の野木桃花に実に久しぶりにお会いした。当日句会の席題は、「鳥渡る」「鹿」であった。ともあれ、事前投句の結果を以下に少し紹介し、各選者(アイウエオ順)の特選句のうちの一句ずつを挙げておきたい。


  市内1位 秋耕の畑の膨らみ風渡る         安田俊朗

  市内2位 廃校の錆びた鉄棒盆踊         米山千賀子

  市内3位 饒舌な風の来ていゐる軒風鈴       島﨑栄子

  市外1位 送り火の果てたる闇の重さかな     吉沢美佐枝

  市外2位 風止みて手持ち無沙汰の猫じやらし   相馬マサ子

  市外3位 芋の露風がさらってゆきにけり      野木桃花


  (秋尾敏選) 緑蔭や渇いた風で身を拭う      松本秀紀

  (岡本久一選)皺のない涙拭ふや広島忌       島﨑栄子

  (倉本倶子選)野路の秋木々の影踏みけんけんぱ   濱 筆治

(佐々木いつき選)薄墨で書きし便りや秋深む     庄司知英子

  (清水和代選)ケチャップの蛇行ざくりと残暑なり  田中朋子

  (池原光夫選)鶏頭のギラギラと空燃やす      新保徳泰

  (野木桃花選)虫の声増して寡黙の父と娘と     高木暢夫

  (星野高士選)死ぬまでは酒止められぬ生身魂    笹木 弘

  (松川酔水選)学習田稲架高だかと夕日浴ぶ     小高歌子

 (山崎せつ子選)饒舌な風の来てゐる軒風鈴      島﨑栄子

  (吉田 功選)朝練の掛け声響く秋の浜       杦森松一

  (笹木 弘選)敬老日昭和の染みの日章旗     山中とみ子

 (米山多賀子選)満開の花野で箸を置くつもり     保坂末子

  (大井恒行選)ふる里のかて飯こはし敗戦忌     青柳 惠

         明日の色決めかねている牽牛花   岡﨑ひさ子

       あの根のね這い出た根にね黄のキノコ生え 濱 筆治


 当日句席題の愚生の特選句は、


      岩山を鹿軽軽とケーブルカー     砂川ハルエ



★閑話休題・・大井恒行「秋青空ウィズコロナウィズ核」(毎日新聞2022・10・30「季語刻々」より)・・


 今朝の毎日新聞朝刊/坪内稔典「季語刻々」に、愚生の句が載っていると、教えてくれた友人がいる。思えば、坪内稔典は、半世紀以上前、彼が「日時計」を創刊し、愚生はそれを注文して読んで以来、ずっと、彼の歩みを見てきた。愚生にとっては、いまだに、彼の著書『過渡の詩』である俳句形式という認識であるし、現代俳句の歩みは、彼なくしてあり得なかっただろうと思う。そういえば、伊方原発(もちろん,愚生は反対だが)の地、坪内稔典は、大本義幸とともに四国佐多岬出であった。



     撮影・中西ひろ美「糸くずや紙くずや混ぜ色の秋」↑

2022年10月29日土曜日

春風亭昇吉「露の世のいつぽん長きうどんかな」(10・20 TVプレバト)・・


  一昨日の10月20日(木)夜、プレバトの俳句部門(夏井いつき先生)は、遊句会の仲間である春風亭昇吉・特待生5級からの昇級試験だった。出された題は「セルフうどん」。それに応えた句が「露の世のいつぽん長きうどんかな」である。愚生は、それを録画で昨日見たのだが、これまでの昇吉句のなかでも、味わい深い良い句の筆頭だったと直感した。さすがに、夏井いつき先生、この句については、絶賛し添削なし、のお墨付きももらい、見事、特待生4級に昇級していた。デビューのキャッチフレーズ?が、東大卒の初めての落語家・・だったので、夏井いつき先生に、色々理屈をこねているが、こういう句も作れると言われながら、このところ、なかなか出来栄えの良い句を持参している。俳句のツボを心得てきた感じもある。いまや後期高齢者の多くなった遊句会のメンバーのなかでも、唯一の若手で、かつ、気働きのできる人であっただけに、みんなが応援していると思う。



 春風亭昇吉(しゅんぷうてい・しょうきち) 1979年、岡山県生まれ。



★閑話休題・・江川一枝「食はるるこほろぎかまきりと風の中」(絵葉書より)・・


 「円錐」同人の江川一枝から、句入りで、自作の版画の絵葉書が送られてきた。便りによると「円錐」編集人の山田耕司制作らしい。かつて、絵や版画をなされていたとは、初めて知った。30年以上お会いしていないが、ご健在の様子、喜ばしい。因みに「円錐」94号には、

  副虹の消えなんとしてつづきをり      一枝
  昼顔や犬の歩みの自づから
  夏の風行きつかぬ世をつつくかな
  夏草の夢のあとなど見てこよう

 などの句を発表されていた。



       目夢野うのき「秋冷えを包む懐かしいさびしさか」↑

2022年10月27日木曜日

荻上憲治「露の世に絶えぬ戦や天の川」(甲信地区現代俳句協会「第35回紙上句会」)・・


 「甲信地区現代俳句協会・第35回紙上句会結果発表」(甲信地区現代俳句協会会報/2022・10.15)、ブログタイトルの句、荻上憲治「露の世に絶えぬ戦や天の川」は、愚生の特選にした句である。応募総数74名、148句。以下にその選評と、各選者の特選句を紹介しておこう。


   露の世に絶えぬ戦や天の川     荻上憲治(恒行・特選)

   蜘蛛の囲の月を捕へて光りだす  西村はる美(〃・入選)

   檸檬手に紡錘形のふと不安     酒井和子(〃・入選)


【選評】

 特選の上五「露の世に」には、一茶が、満一歳余りで亡くなった長女を詠んだ句と言われている「露の世は露の世ながらさりながら」を踏まえていると読んだ。加えて現在、世界中に絶えない戦争で命を失う悲哀への思いが及ぶだろう。しかも、天の川。無数の魂のように星が瞬いているではないか。無常は一入というべきだろう。

 入選句の「蜘蛛の囲」の光りのその源が月光であるというのも頷ける。また、もうひとつの句「檸檬手に」は、梶井基次郎の『檸檬』を思わせて、その不吉な塊りである紡錘形の爆弾、そこにふとした不安。この句では、それほど深刻ではない、ちょっとした不安感を適度に表現している。いずれにせよ、佳作に推した他の句についても、それほど大きな差があるわけではない。作者の表現意志がよく表されている作品ばかりだった。


  檸檬手に紡錘形のふと不安     酒井和子(秋尾敏・窪田英治選)
  木曽馬の母情は篤し独活の花   大野今朝子(神野紗希選)
  死は一瞬その後の長きこの夏は   柳澤和子(宮坂静生選)
  鳥になる夢から目覚め梅雨明ける  新村洋子(城取信平選)
  風呂敷にみんな包みて生身魂    長崎玲子(中澤康人選)
  満席と断られたり天の川      鈴木臣和(佐藤文子選)
  扇風機に当たり続けて老けにけり  酒井和子(堤 保徳選)
  緑蔭に休める山羊の悟り顔     上村敦子(中村和代選)
  戦争を憎し憎しとなめくじら    樋上照男(島田洋子選)
  夏炉端熊の毛皮をどさと置く    黒沢孝子(久根美和子選)
  瞬くは楸邨・兜太星今宵     西村はる美(古畑 和選)
  麦の秋ただ平安を願いたり     奈都薫子(青木澄江選)
  坊主頭小突きつ葱の種吐かす    上原富子(西村はる美選)  



      撮影・中西ひろ美「島唄のやうに生きてよ黍嵐」↑

2022年10月26日水曜日

飛鳥もも「小鳥来てうつつのひとつ遠ざかる」(『壺中の蝶』)・・


  飛鳥もも第一句集『壺中の蝶』(俳句アトラス)、跋は坂口昌弘「この生を詩に咲かせたし」。その中に、


   夢ごごち出入り自由の壺の蝶

   壺中なる自由と孤独独楽廻す

   昔から君は壺中で遊ぶ蝶

 句集名の「壺中の蝶」については作者の解説がないので、想像するより他はない。

 『後漢書』の「壺中の天」と、『荘子』の「胡蝶の夢」の二つの話を合わせた世界と想像する。(中略)

 作者にとって、「壺中の蝶」は俳句の世界そのものを象徴する。現実の世界に満足していれば人は俳句を詠まないだろう。現実の生活や社会や政治や経済や戦争の世界に満足できないからこそ、十七音の狭い壺の中の世界に、作者の夢の世界の創作を試みる。現実の花はすぐに萎れて散ってしまうが詩歌の花は永遠に美しい。俳句の言葉は印刷して句集に残る限りは後世にまで残る。孤独であるが自由に独楽を廻せるのは俳句の壺の中だけである。


 とあった。また、著者「あとがき」には、

 

 (前略)私の青春時代の日記を紐解くと「目標や生き方をどこまで貫けたのか、いずれ自分史を書く」とありました。そこで人生の締め括りとして俳句を選んだのでした。

 すこしずつ作品が出来ると苦労も悲しみも喜びに変わることを知りました。

 沢山の苦労も出来るだけ愚痴にせず、子供には正しく明るく育って欲しいと願い、我慢の日々でした。今では俳句をやっている時の楽しさに自分自身が驚きです。


 ともあった。ともあれ、愚性好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。


  くるまつて光よ風よ春 春 春      もも

  春風をさそひ街までおろし髪

  ちちははのおもさますます桃の花

  押し入れがどこでもドアになる朧

  朧夜や地図になかりし黄泉の国

  匂ふ武器隠し持ちをり蟻の兵

  素数とは寂しくないか柘榴割く

  冬の虹詩人の渡る橋高し

  煮こごりは孤独のかたち火を入れよ

  もう父を召させ給へよ冬椿

  心拍の突とゆらぎぬ久女の忌

  舞ひ降りるあまたの胡蝶古日記

    天津日高日子穂出見は「山幸彦」の異称

  アマツヒコヒコホホデミは今霧の中


 飛鳥もも(あすか・もも) 1952年、大分県日田市生まれ。



        目夢野うのき「たましいの音色をだせり秋の花」↑

2022年10月25日火曜日

黛まどか「落葉して落葉してまだ落葉せる」(『北落師門』)・・


  黛まどか句集『北落師門(ほくらくしもん)Fomalhaut』(文學の森)、その「あとがき」に、

 

 気がつけば前句集『てっぺんの星』から十年が経っていた。今年私は還暦を迎える。(中略)

 初句集『B面の夏』の刊行からほぼ三十年の月日が流れた。俳句を始めてから今日まで私はどの協会にも属さず、俳壇とは距離を置いて独自で行動してきた。そのことで、多少の生きづらさを感じたことはあるが、他方、俳壇外の多くの人々との出会いに恵まれた。また、俳壇や俳人としての自分を、外から見つめる目を持つこともできた。

 タイトルの「北落師門」は、南の魚座の首星フォーマルハウトの中国名だ。旧都長安の城の北門を指す。別名「秋のひとつ星」。明るく輝く星が少ない晩秋の夜空にあって、南天にぽつんとともる孤高の星だ。クルーズ船で出会った元船長の石橋正先生に教えていただいた。以来北落師門は私の心にともり、輝き続けている。句集名を『北落師門』とした所以である。


 とあった。また、「あとがき」の後のページに「追而書」として、


 まさにこの稿を書いている時、期せずして石橋正先生のご子息から一枚の葉書が届いた。御尊父の訃報を知らせるものであった。句集『北落師門』の名づけ親とも言える石橋先生に拙著をお見せできないことは残念である。

 ご子息によれば、生前「自分は死んだらオリオン座に行く」とおっしゃっていたそうだ。オリオン座が高きに輝く一月に、先生は旅立たれた。


 ともあった。ともあれ、集中より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。


     福島県飯舘村

  ひたすらに雪を重ねて村眠る

     福島県昭和村

  糸積みの婆を冬日の離れざる

     飯舘村

  帰らうとすればかなかなしぐれかな

     伊勢神宮式年遷宮

  空澄んで水澄んで神遷(うつ)りけり

     二月二十一日、三津五郎さん逝去

  ひとさし舞ひて凍鶴となりにけり

  水と金魚揺れをひとつに曳かれゆく

  多佳子忌や胸の高さに波崩れ

  月よりも橋が朧の祇園かな

  しかすがに水の香放ち草いきれ

  踏切の向かうも風の花野かな

  きりもなく砂盛る遊び蝶の昼

  ちちははに遅れて浴ぶる落花かな

    父 十月一日「中秋」に退院

  今生の月を見てゐる背中かな

  竹煮草しるべ通りに来しはずが

    父へ

  現し世を抽んでて咲く朴ひとつ

  よき音を立てて澄みゐる忘れ水

    父の忌日「秋水忌」に

  夕星に泛ぶ山なみ秋水忌

  水澄みて山澄みて父澄みゆける

  パントマイムとり囲みたるマスクかな

    ロシア軍、ウクライナに侵攻

  白鳥の帰りゆく地を思ひをり


 黛まどか(まゆずみ・まどか) 1962年、神奈川県湯河原町生まれ。



       撮影・中西ひろ美「一燈を点し始まる冬用意」↑

2022年10月24日月曜日

打田峨者ん「秋は横顔 グレタ・ガルボに肖(に)た女」(『俳句いまむかし みたび』) 


  坪内稔典『俳句いまむかし みたび』(毎日新聞出版)、その「まえがき」の中に、


 このごろ、言葉を考える老人でいたい、と思っている。(中略)

コロナはいやだが、コロナが世界を、あるいは私たちの日々を変えようとしている。(中略)

 こういう情勢の中で、私の世代、すなわち老人は、新しい言葉についていけない、という感じになっていないだろうか。あるいは、激変する日本語に立腹し、日本語は乱れている、と思っていないだろうか。

 言葉が乱れているように見えるとき、言葉はもっとも元気がよい。二十歳前後の元気盛りのころ、たいていの人は、意識的に言葉を乱し、新しい言葉を作ろうとした。今でもしている。従来の言葉を乱し、新しい言葉を持ち込むことで、新しい世界、新しい人が生まれてきたのだ。それが私たちの言葉に関わる歴史だった。

 ところで、俳句の季語はいつも時代から少し遅れている。季語は人々の暗黙の約束によって成り立つが、その約束ができるまでには時間がかかる。季語は時代の先端の言葉ではなく、時代から少し遅れているのだ。


 とあった。ブログタイトルにした打田峨者(がしゃ)ん「秋は横顔 グレタ・ガルボに肖(に)た女」が「いま」の句で、対する「むかし」の句は、千代女「夕暮や都の人も秋の顔」だ。その打田峨者んの句の解説には、


 秋は横顔がすてきだ。ことにグレタ・ガルボに似た横顔が、というのであろう。「秋は横顔」のように体言止めにして肯定的な気持ちを強く表現する、この表現法は『枕草子』が代表し、俳句でも多用される表現法だ。『枕草子』では「秋は夕暮れ」。この句は句集『楡(にれ)時間』(書肆山田)にある。「楡の月 手に手に鈴(りん)のなりとよむ!」もきれいな光景。


 と記されている。以下は、「いま」と「むかし」を対比させた句の例のみになるが紹介しておこう。


   うぐひすの上目遣ひのこゑであり      鳥居真里子 

VS  鶯や製茶会社のホッチキス          渡辺白泉 


   初蝶来(はつちょうく)今年も音をたてずに来  池田澄子

VS  初蝶やわが三十の袖袂(そでたもと)      石田波郷


   草青む海まではそう遠くない        山﨑十生

VS  青き踏む亀は兎を意識せず        関口比良男


   行き合ひて風の光やこんにちは      高山れおな

VS  装束をつけて端居や風光る         高浜虚子  


   叔父といふ人が西瓜を提(さ)げて来し   仁平 勝

VS  いくたびか刃をあててみて西瓜切る    山口波津女 


   肩に乘るだれかの頤や豊の秋        山田耕司

VS  豊年の星座ぎつしり赤子泣く       鈴木六林男  


   USB差しては光る秋思かな       加藤又三郎

VS  秋あはれ山べに人のあと絶ゆる       室生犀星    

 

坪内稔典(つぼうち・ねんてん) 1944年、愛媛県生まれ。



       目夢野うのき「なんと赤いハナミズキの実ね空へとぶ」↑

2022年10月23日日曜日

歌代美遙「星いくつ宿して真夜の金木犀」(『月の梯子』)・・・


  歌代美遙第一句集『月の梯子』(邑書林)、跋は島田牙城「《美遙俳句を読む》俳句が喜ぶ俳句たち」。その中に(本文は旧正字)、


   髪結の道具を並べ冬ぬくし

   髪染めの薬調合冬桜    (中略)

 「冬ぬくし」「冬桜」どちらも、日々の充實実を担保してくれてゐるやうな明るい季語だ。

 今、明るいと書いたが、美遙さんはいつも明るく屈託なく笑つてをられる。この屈託がないといふことは結構俳句作りには大切なことで、技を使うて仲間を驚かせてやらうとか、誰かの真似をしてでも選に入らうといふ小賢しい小手先とは無縁の人なのだ。

   

 そして、「あとがき」の冒頭には、


 今まで美容界に身を置き、自らの美容室運営はもちろん、美容業務の経営講師、ヘアショウへの讃歌、コンテストの審査など、人生存分にどっぷりと美容界に浸っていた私が、職業を退くと明日は何しようかなと悩んでいたところ、古くからの友人で「浮巣」主宰の大木さつきさんから俳句のご縁を頂きました。句集を作るなど夢にも思わず、ただ楽しいからというだけで句座に参加していました。(中略)

   奈々と奈々をを呼び捨て蒸鮑

   何か言つて帆立をア―ンしてあげる

 などは、句が生れた現場に居合はせたので、あっけの取られたその時の情感を思ひ出すのだが、まさにその現場で思うたこと、見たことがそのまま書き留められてゐる。(中略)

 美遙さんの俳句は、自らが納得する句と言ふより、俳句形式が喜んでゐるやうな、そんな作品として僕には映る。

 「奈々奈々と」「何か言つて」といふ句をさへづつてゐると、さうした美遙さんの歓びや手応へが伝はつてくるんだ。


 とあった。集名に因むは句は、


  寒風に月の梯子の架かりをり


 であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句をあげておこう。


   毒婦より紅を借りたる雪女        美遙

   梅匂ふ風にも風の気配あり

   冉冉(ぜんぜん)と光をこぼす大桜

   囀りて虚子碑に虚子のこころかな

   流し目が恋文と化し祭笛

   小社に飢饉の史跡蜘蛛の糸

   担がれて曲がらぬ足の案山子かな

   愛されし日を愛しをり近松忌 

    近松門左衛門の忌日は、享保九年陰暦十一月二十二日。

   茶の咲いてこの家は傾いてゐる

   一行を呼ぶ一匹の雪蛍

   全世界見渡してをり炬燵から


 歌代美遙(うたしろ・びよう) 1947年、青森県生まれ。



★閑話休題・・豊里友行写真集『沖縄にどう向き合うか』・・


 豊里友行写真集『沖縄にどう向き合うか』(新日本出版社)、本扉裏の但し書きに「本書では、一般的に一般的にいわれている『集団自決』について強制集団死と記す(一二〇ページ参照)」と記されている。また、「あとがき」に相当する解説の各項目の小タイトルには、「女性や子どもを守れない民族」「沖縄に人々にとっての戦世」「強制集団死の記憶と戦後の人々」「日本と日本人は沖縄にどう向き合うのか」「私の中の戦世」とあり、


 私は一九七六年に沖縄で生まれ、沖縄で育った。そして二〇代のはじめから、約二〇年間、沖縄の写真を撮り続けておる。撮っているのは、沖縄戦、そして米軍や自衛隊の基地に関係する人、モノ、場所が多い。そうせずにはいられない、という気持ちがある。


 と記されている。


     
       
       

        

           

 

 豊里友行(とよざと・ともゆき) 1976年、沖縄県生まれ。写真家・俳人。



   撮影・鈴木純一「白河や螽(いなご)に稲のかをりして」↑

2022年10月22日土曜日

川崎果連「金言はアラームのごと誤作動す」(第5回「現代俳句講座・金曜教室」)・・


  昨日、10月21日(金)は、第5回「現代俳句講座・金曜教室」(於:現代俳句協会会議室)だった。課題は、即吟。その場で募った席題は「金」・「十月」の2句提出。即吟は、その人の持ち味が出てなかなか面白い。スリルもある。選句は特選一句は必ず選ぶ、その他の並選は0~幾つでも可。つまり、選んでも選ばなくても良い。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


    (10月21日、国際反戦デー)

  友よ皆今日のこの日が10・21      村上直樹

  ララバイはマリアの吐息金木犀       宮川 夏

  十月の空より来たる殺気かな        白石正人

  見つめられ煮ても焼いても金目鯛      杦森松一

  十月の夜のはずれの非常口         石川夏山

  十月の川底にある青天井          鈴木砂紅

  金秋や鈴懸の木は楽に満ち         山﨑百花

  十月のキャラメル少し固くなる       川崎果連

  夜逃げせし長屋の部屋の金魚かな      武藤 幹

  高く鳴る金管楽器へ流れ星         森須 蘭 

  十月の渦巻チーズフォンデュする      林ひとみ

  雲の海金木犀も又その中に         高辻敦子

  海のうえ金色の道十三夜          植木紀子

  十月の駅伝走者に随く神も         赤崎冬生

  今日の秋金の茶室の五百年         岩田残雪

  国名は金太古の蝶がいて          大井恒行


 次回、第6回は11月18日(金)、雑詠2句の持ち寄り。



     撮影・中西ひろ美「大風に避難できるかできないね」↑

2022年10月20日木曜日

井上治男「全山に紅葉燃えたり鬼女潜む」(第10回「きすげ句会」)・・

  

 本日は、第10回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。久々の澄みわたる秋空だった。兼題は「紅葉」+雑詠2句。以下に一人一句を紹介しておきたい。


  おんぶバッタ這い這い乳子(ちゝご)追われけり  濱 筆治

  届くなら今宵まくらに秋の雲           高野芳一

  菊香る寄書廻し通夜の席             杦森松一

  現し世のうらもおもても知るもみじ        清水正之

  眠る吾子結んで開いてもみじの手         井上芳子

  秋の風今日を限りに職を辞す           井上治男

  対岸のの多摩の横山薄紅葉           壬生みつ子

  現実逃避シネマのはしご秋深む         久保田和代

  天の怒り降り注ぐまっすぐな糸         大庭久美子

  白萩のしだる小径帰り来ぬ            山川桂子

  小庭にも嵐来たらし草紅葉            寺地千穂

  秋の真夜マネキンは眠らずに私語         大井恒行 


 愚性だけが、他の人と重なることなく選んだ句は以下の句である。

  

  錆び鮎とうるかを愛でて秋旨し          清水正之 


 次回は、11月24日(木)、兼題は「大根」+雑詠2句。 句会後に、初めての懇親会が予定されている。



       目夢野うのき「水引草逢いたいといふとゆれる」↑

2022年10月16日日曜日

下村光男「野の涯(はたて)みるみる秋の日は没す あすあることも明日までは不明」(『海山』)・・

            

  

下村光男遺歌集『海山』(KADOKAWA)、題字は前川佐美雄。序歌は岡野弘彦、


    下村光男君の歌集に贈る歌

 若き日の萬葉の旅かさね行きともに歌ひし君を忘れず   岡野弘彦


 序文は馬場あき子「星降る寒の駅で」と福島泰樹「哀別、抒情、愁烟の人」、その馬場あき子は、その中で、


  ゆく春や とおく〈百済〉をみにきしとたれかはかなきはがききている  『少年伝』

 これは下村光男の歌名を広く知らしめた『少年伝』(一九七六)中の名歌である。そのころの下村は激しい自負をひそめながら、表だっては温和な優雅さが親しみやすい人柄の歌人であった。(中略)

 彼は前川佐美雄、宮柊二、山崎方代に私淑していたというが、現実には多くの歌友の中にあっては孤独、ひとりはまして孤独、誰と付きあっても孤独の心をかかえてしまうのがその本領だった。(中略)

  銀河鉄道の夢より醒めて 四街道 星降る寒の駅におりたつ

彼の後半生のスタート地点をくっきり示したような一首である。(中略)

これは一面からみれば下村の勁い精神活動のたまものといえる。その歌の風体はやすらかで、短歌がもつ本来の美質に心をゆだねてうたうという、歌の王道をゆく風体であるのも、下村が到達した歌への答をなしているといえるだろう。


 と記している。そして、福島泰樹は、


 (前略)「一心」が発表された一九七八年を境に、下村光男は私の視界から遠ざかっていった。

 下村光男を想い、故地伊豆韮山を訪ねた。五月のひかりのなか、狩野川はゆるやかな曲線をなして流れ、若き日の君が歌った〈とおくゆくひと日、堤に腰おろしひるのおむすびわれは喰いおり〉〈おおいなる糞をのこしてなつかしの馬車馬とおくゆけりこみあぐ〉などの景を思い起こさせてくれた。(中略)

 ひかり眩く烟る狩野川のかわべに立ち、歌人下村光男の魂の源郷を思う。遺歌集となってしまった『海山』にこの一首がある。

  ゆっくりと帰りてゆける茄子の牛みえざるものも夕辺には見ゆ

 とまれ、下村光男は、鬱々と烟る情念の火を魂の奥底深く燃やし、抒情し、激しく、ロマンを欣求してやまない歌人であった。


と結んでいる。「あとがき」は夫人の下村きよ子、その中に、


 第二歌集『歌峠』の後、三十六歳から七十五歳までの作品の中から五百二十一首選びました。

 夫にとっての第三歌集は遺歌集となってしまいましたが、歌人として生きた証として、亡き夫に贈りたいと思います


とあった。ともあれ、本歌集より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。


 月を浴び咲く露草の瑠璃のいろ今日の怒りをおさめて見いる    光男

 懸命の試歩もかなわずさびしげに父は苦笑すわれに抱かれて

 妻癒えず。泣く児やむまでいだく夜夜ねむる花合歓われも朦朧

 天涯孤独の方代さんに貌おなじ親族つぎつぎあらわる怪

 真青なるひかり冬野の犬ふぐり人は信じてゆかねばならぬ

 嬉嬉として波にあそばれあそぶ子ら、われらが水の星よ滅ぶな

 歌集なぜ出さぬわが無為せめる声ただ困窮に尽きてそうろう

 口笛をおぼえしもそのころのこと口笛はわが詩歌のはじめ

 チャフラフスカ皺ある貌(かお)はこたえおり「プラハの春」ののちの歳月 

 特攻兵の遺影かざられいたりけり一千余名なべて童顔

 野末よりぐんぐんと来ているいま頭上、万の渡鳥(わたり)のまさに鳥雲 

 幾春秋くちを噤みて来しひとつ屁のごとくにも漏らしてしまえ

 もんじ「休」この人と木のものがたり人われは木によりていこうも

 花見とは萩を見ることーー古代びとの遊びおもえとばかり花萩

 葛の花ふいなり陰(ほと)のにおいもすかぐともなくてさやりいたれば

 とらえんと追うも敏捷 炎帝を舞う蝶若き日の君にか似たる

 すいすいと或るは止(とど)まり赤とんぼ翅うつくしく行くも肉食

 独眼となりていっそう眼に沁む菜の花の黄の連翹の黄の


下村光男(しもむら・みつお) 1946年1月21日~2021年11月4日、享年75。静岡県韮山町生まれ。



     撮影・鈴木純一「踊り場でしがみつかれる時雨かな」↑

2022年10月14日金曜日

阿部完市「栃木にいろいろ雨のたましいもいたり」(『俳句空間の言語』より)・・


  後藤章『俳句空間の言語』(現代俳句協会)、序に相当する「まえがき」は堀田季何「後藤空間の言語」の中に、


  いずれも珠玉にして問題作だ。例えば、『阿部完市とAIの言語空間について』は、数字の複素数平面とソシュールの言語学を背景に、阿部完市及びAIの言語空間を論じて話題作になった。複素数平面を基に、シニフィエ軸とシニフィアン軸からなる平面を想起し、第一象限を具象世界、第二象限を抽象世界、第三・第四象限を無意識の世界と位置付けた後藤独自の発想は、奇想のように思えるが、まさに理に適っている。しかも、この平面の応用範囲の応用範囲は広く、筆者は、この功績一つだけでも後藤の名は俳句史に残るべきだと思っている。(中略)

 後藤の俳論は、どれもスケールが大きい。一般の俳論と言えば、特定の作家や作品を取り上げる者が多いが、内容的に作家ないし作品の時代を超えることはないし、作品以外の分野を持ち込むことも少ない。それに対し、後藤章の俳論は特定の作家や作品を取り上げたものでさえ、俳句以外の様々な分野(短歌、漢詩、物語といった横の分野だけでなく、文化論、数学、言語学まで及ぶ)や作家ないし作品の時代以外の歴史(古代から現代まで)も積極的に持ち込む。(中略)

 それゆえ、本書『俳句空間の言語』は「後藤空間の言語」に言い換えられる。


 他の、目次の項目をいくつかを示すと「二、痴呆俳句の構造ー草田男を巡って」、「三、日本語と俳句」、「六、俳句以外ー近代俳句の捨てたもの」、「七、篠原梵論」、「八、中景の発見」、「十、現れつつあるものー『風景』の変容について」、「十一、春愁の発見」、「十二、季語と自然(季語。遍路の成立をめぐって)」等である。また「あとがき」には、


 ここに納めた評論は平成十四年から平成三十年までの間に現代俳句評論賞に応募したもの十三編を原文として、形式の違いによる変更や、間違った年代の訂正など一部変更をおこなったものです。(中略)

 私はあまり俳句作品の鑑賞には興味がありませんでした。俳句という文芸の社会的意味をずーっと考えていたようです。世の俳句評論の多くは小さな範囲で深堀りされているだけとも感じます。もう少し俳句を考えるレンジを広げなければ、俳句評論は廃れてしまうのではないかと危惧の念を抱きます。


とあった。ともあれ、文中に引用された例句の幾つかを以下にあげておきたい。


  暖夏の灯隈ストリッパーに臍深き    中村草田男

  誰かまた銀河に溺るる一悲鳴      河原枇杷男

  夏の河赤き鉄鎖のはし浸る        山口誓子

  聞くうちに蝉は頭蓋の内に居る      篠原 梵

  蟻の道まことしやかに曲りたる     阿波野青畝

  うすうすとわが春愁に飢もあり     能村登四郎

  遍路宿泥しぶきたる行燈かな       芝不器男


 後藤章(ごとう・あきら)、1952年、仙台市生まれ。


★閑話休題・・春風亭昇吉「白秋の雲穿(う)ぐ右投げ左打ち」(プレバト・金秋戦・決勝戦より)・・


 昨夜は、、TV・プレバト金秋戦2022決勝戦、お題は「大谷翔平」。われらが遊句会のメンバーの一人だった春風亭昇吉が、決勝戦初出場で、特待生5級の下位ながら、永世名人・名人十段などに交じって、見事、第3位に入った。慶賀!!夏井いつきからは、中句の「穿(う)ぐ」が難しいところで、「撃つ」くらいで良かったのでは・・という案が示されていた。



  
 因みに、優勝・第一位は、FUJIWARA・藤本敏史「大きく振りかぶって秋爽の只中に」、第二位は、フルーツポンチ・村上「大谷の球大谷が打つ案山子」だった。



       撮影・中西ひろ美「掌の温みを蹴ってゆく蝗」↑

2022年10月11日火曜日

大泉史世「雨の空群れるものかよ独り往く」/「ーんげなごどえっだっではがなえごどにい。」(「河口から」Ⅷより)

 

「河口から」Ⅷ(季村敏夫個人誌)、その季村敏夫「歩く、歩かされるーあとがきにかえて」の最後に、


 この五月(愚生注:19日)、書肆山田の大泉史世さんが亡くなられた。掲載した作品「しろいくも」は同人誌「月光亭」七号(一九九三七月)に収録されたもの。大泉さんは毎号散文詩とF・アラバールの翻訳を発表している。七号のあとがきに「生き残っている者は、口をへの字にして、不当な欠損感に耐える」と記している。能面の癋見(べしみ)である。「んげなごどえっだってはがねえごどにい」、雑司ヶ谷の向うから音ずれる訛りのある語り口、想起する度に励まされるだろう。


 とあった。大泉史世「しろいくも」の冒頭の5行のみだが、引用しておきたい。


それは、とてもとても、とても不可能なことだと思えた。 

またね、またいつかねーー。

ぼくは、両手をポケットにつっこんで、どうやってもこみあげてきてとめら/

れないルフランを鼻先から逃がしている・・・アンダ、ライフ、ゴウゾン。

ーーんげなごどえったっではがなえごどにい。


 ブログタイトルにした句「雨の空群れるものかよ独り往く」は、夫君・鈴木一民によると、彼女の死の一ヶ月ほど前のメモに残されていた、という。合わせて三句あったそれらの他の二句を挙げておきたい。


   鉄塔の下とびまどう黒い羽根      史世

   腫れ足で蟻をイッピキ介助する


 二句目の腫れ足は、癌によって、浮腫で大きく脹れあがっていたのだ。その足で介助される蟻とは・・・無限に優しい。聞けば、癌は克服されて、寛解に向かうはずだった。直接の死因は、誤嚥性肺炎の診断だった、という。享年77。詩書を柱に、書肆山田は大泉史世・鈴木一民の文字通り「二人態勢で困難な道を歩んだ」(池澤夏樹「ある編集者の仕事」毎日新聞7月13日付)版元である。



★閑話休題・・安藤元雄『惠以子抄』(書肆山田)・・・


 安藤元雄『惠以子抄』(書肆山田)、おそらく、書肆山田としての最後の刊行詩集ではないだろうか。奥付の前のページに、


 書肆山田の大泉史世さんが、文字通り最後の力をふりしぼってこの本を編んで下さった。

 尽きない感謝をこめてご冥福を祈りたい。      著者


 と記されてあった。詩篇については、本書収載中、唯一の書下ろし「虚空の声」を以下に挙げておきたい。


 虚空の声

死んだ妻が

夢の中から

不機嫌な声で

悲しいわ と呟いている


何か苦情を言いたいらしいが

何が不満なのかわからないので

なだめようがない

声だけが虚空を伝わって来る


そんなことを言わず我慢してくれないか

もう長いことでもあるまいから

そう言いかけて口籠ったが

妻の耳に届いたかどうか


悲しみを訴える妻の声が

暫く虚空に漂い

やがて私の中の悲しみとなって

澱のように沈み込む


 安藤元雄(あんどう・もとお)1934年、東京生まれ。



    撮影・芽夢野うのき「秋冷え包む懐かしいさびしさか」↑

2022年10月10日月曜日

米岡隆文「ハイクトハトワニカノヨニサミダレル」(「無限」創刊号)・・・


  「無限」創刊号(無限俳句会)、その「編集後記」に、


 年二回の発行で、五年で十号という小誌であるが、かつての篠原鳳作が「傘火」で目指した「総合俳誌」に少しで近づけるべく、評論は元より、短歌、現代詩を創刊号から掲載出来るのは嬉しい限りである。


とある。前田霧人「歳時記雑話/青水無月」の中に、


 「青水無月」は旧暦六月の異称の一つで、歳時記には「樹木が青く繁茂する頃であるからという」などとされる。(中略)古くて新しい季題であるが、用例はさらに平安期までさかのぼり、また、語意も全く異なるものであった。

  あかねさすあをみな月の日をいたみ

       扇のかぜぬるくも有るかな    (中略)

江戸中期の類書(百科事典)『類聚名物考』の「青六月」では、この歌について次のように記している。

 茜さすは炎天の夏日をいわんとして枕詞とせり。

 暑気さけがたくて扇の風もかいなしとなるべし。

 青六月は夏天みどりにして雲もなく陽気さかんなる故かく云えり。

「夏天みどり」とは、梅雨明けの後の碧天、晴絮れわたった青空の意であり、緑陰を髣髴する如何にも涼しげな現在の「青水無月」とは、まさに正反対の感がある。 


  とあった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


  をみなごに花びらユウチュウブ二イクサ     上野乃武彌

  我何時か還る虚空や春の星           筒井美代子

  ふんはりと春の人らがたつてゐる         花城功子

  早朝の風に五パーセントの秋来る         松尾桜子

  河馬海馬どちらか酔っているのやら        米岡隆文

  花の雨どうせよみせもなにぬねの         稲垣濤吾

  はいくとはとわにこのよへさえかえる       前田霧人 

  渾沌の外の無限へ恋螢              綿原芳美



★閑話休題・・「アトリエグレープフルーツ3人展」(2022.10.2~10.16)・・

 昨日は、「アトリエグレープフルーツ3人展」(於:ぎゃらりー由芽のつづき・三鷹駅南口徒歩6分)で、書肆山田・鈴木一民と待ち合わせ、その後、武蔵小金井の愚息のワインダイニングの店「switch」で、コロナ前に行こうと言って果たせなかった約束をやっと果たした。彼とは、大泉史世と書肆山田を引き継ぐ以前からの付き合い、50年以上、同時代を生きたことになる。思えば、少ないながら、愚生の単独句集はすべて彼の慫慂に拠っている。40代の頃から、愚生の次の句集を「オオイズミとオレが生きている間に・・」と言われ続けていたが、愚生の怠惰ゆえに果たせなかった。


                ぎゃらりー由芽↑
 
         吉田廸子↑          小島顕一↑
                  井坂奈津子↑ 

 
 画集の巻末に寄せられた詩・藤原安紀子「オトナシクナイ」には以下のように記されている。紹介したい。

 オトナシクナイ  立ち上がれないものが和音で 絵筆が持てなくなっても庭は話した

まぶたをなくした みっちゃん せんせい なつこ

子どもでもない もちろん大人じゃない 甲虫でも四つ足でもえら呼吸でもない まぶたをなくした時空に はじめ ぬり絵をした 外からでなく中心から 見える色も見えない色もかさねた かくのじゃない うでやゆびやつまさきが探っている 

 ここ
触れた 
 ここ がすこし冷たい ちぢこまって 
 震えている みっちゃんは逆向きに線を引く
 なぞるのではなく線で器をつくる ひとまわり
 ふたまわり広く 泳いでもぜったい
 つかない岸をおもって 線を ひく ふりしぼって
 もえる もえて 熱になって草花がつぎつぎに
 目ぶく 庭を
 いまもつくっている



     撮影・鈴木純一「乃木まつり七つの星のまゝでやれ」↑

2022年10月9日日曜日

鈴木六林男「射たれたりおれに見られておれの骨」(「575」10号より)・・


  「575」10号(編集発行人:高橋修宏)、年2回刊ペースの高橋修宏の個人俳誌である。表2右下隅に、「私は進歩しない。旅をするのだ。(フェルナンド・ペソア)」と、小さい文字で献辞されている。その編集後記に、


  今号では、「いま、俳句に想うこと」というテーマをめぐって、各々自由に書いて頂いた。何故、そのような依頼をしたかと言えば、年を追って俳句の世界が拡散の一途をたどり、どこか容易に捉えがたくなっているのでは、という実感にも似た想いがあったからである。


 と記されている。それらエッセイの執筆者は、水野真由美「77年目の夏に」、高山れおな「好きなこと」、久保純夫「いま、俳句に想うこと」、谷口慎也「読みのコード(code

)をめぐって」、九堂夜想「詩に逆らって,詩を」、打田峨者ん「俳事なる楕円を旋(めぐ)れる」、大井恒行「Gのつぶやき・・」、その他の連載に、高橋修宏「六林男・断章十六〈まなざし〉の行方」、今泉康弘「蒼ざめた龍を見よー木村リュウジ試論(2)」。中では、打田峨者んは、その結びに、


  蟷螂の腹にはハリガネムシという相方が棲む。繰り返すが、俳句とは「季(とき)」という共補完者を吞み込んだアイロニカル(ノン・シニカル)な、呪言(まじごと)に他ならない。


 とあった。また、高橋修宏の「六林男。断章十六〈まなざしの行方〉」には、


 (前略)(愚生注:六林男「視つめられ二十世紀の腐りゆく」)「腐りゆく」二十世紀と共に滅んでゆくしかない六林男。それを「視つめ」ている者もまた、六林男自身だ。作中主体は見る/見られる双方へと解離し、二重化している。それは戦場で記した「射たれたりおれに見られて俺の骨」に対する、密かな応答にも見えないだろうか。 (中略)

 おそらく、その晩年に至るまで、ついに六林男は変わることなどできなかった。そのことを非転向と呼んでも、理想への殉教と見ても、あるいは終りのない後退戦と言ってもかまわないだろう。しかし、そのとき戦争は、宇多喜代子が語るように六林男の〈杖〉と呼ぶしかないものになったのではないだろうか(現代俳句協会編『二十一世紀俳句パースペクティブ』二〇一〇年)

 われわれは、ふたたび問いかけるべきなのかもしれない。六林男に救済と呼べるものが訪れたのか。そして、自身への真の鎮魂はあったのか、と。たとえ、その答えが否であってもー。


 と記されている。ともあれ、本誌より、いくつかの句を挙げておきたい。


   対幻想の垣高々と凌霄花       高山れおな

   冬瓜を提げ来し橋に弾の痕      水野真由美

   日や流れゆく天児の蓮まなこ      九堂夜想

   凡百のゆめの抜殻みずぼたる     増田まさみ

   月を太らせ坐して倍速子守唄     打田峨者ん

   

   言語野の

   端ばかり見て

   秋の暮               木村リュウジ


   汝と我不在の秋の陽がのぼる      大井恒行 



       撮影・中西ひろ美「未熟にも一番二番秋深し」↑

2022年10月8日土曜日

安藤喜久女「編機とめ今は枯野を意識する」(『薔薇は薔薇』)・・

 


 安藤喜久女第一句集『薔薇は薔薇』(文學の森)、著者「あとがき」には、


 身も心も弱かった私が九十年も生かされてきた事に感謝します。(中略)

 一志庵田人の長女として生まれて、弟妹六人、嫁して子三人、孫七人、曾孫二人に生きた証として句集を残したいと思いました。

 昭和世代として、戦争があり、阪神淡路大震災で罹災し、家を失い、再建し、火宅の苦しみから大病にかかり生還した等、記憶を蘇らせてみると、いつも大真面目に生きてきました。「ハイさようなら」となる前に、これからは愉快に遊びごころたっぷりに生きてみようと・・・。そこで出来た句を句集の標題にしました。

  定命や娑婆は娑婆つ気薔薇は薔薇


 とあり、「実父の一志庵田人からは十歳より手ほどきを受ける」、ともあった。巻頭の句は、昭和26年の「ミシン踏む指より寒はしのびよる」である。句歴が長く、その間に句風の変遷があるのは当然だが、ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。


  梨の花淡く恋して闇を行く         喜久女

  バプテスマ受く落葉のくるめく舞ひ

  もみぢ散る雲ちる風の中の思慕

  雲は雪の芯となりゆき昼灯す

  蕗のたう俎上に苦みほどきけり

    六角堂

  臍石(へそいし)や京の真中(まなか)をしぐれけり

  うりずんの天地(あめつち)いのち動きだす

  師を偲ぶ多情多恨の亀鳴きて

  生駒より明けて摂津の初御空

    吾転倒す

  五感まで拉(ひし)がせ哄笑(わら)ふ花嵐

  大津絵の鬼も喰はれし雲母虫

  水葬にいざなはれゆく花筏

  かぎろひの野に魂しばし遊ばせて

  ステイホームいやはや素敵に五月晴

  秋霖やデータ医療は人を診ず 

  初空をフランスさして鸛(こうづる)の舞ふ

  ロックダウンされど雲雀よ揚がれかし

  生きるとは初息吸ひ初声す

  幻と見て立つ嫗花の下

  コロナフレイル何とかせねば梅雨滂沱

  つどへないしやべれないので月を観る

  

 安藤喜久女(あんどう・きくじょ) 昭和7年、大津市生まれ。



    目夢野うのき「母よ萩トンネルの向こうも雨ですか」↑