「鷗座」10月号(鷗座俳句会)、その招待席に「豈」同人の堀本吟の力作「敗戦の記憶」10句が掲載されている。10句すべてに、前書と思しき、但し書きが、句の下段にカッコに入って記されている。ブログタイトルにした「夏を貫(ぬ)く手作りガンとあの青年(こ)の眼」には、(七月八日大和西大寺演説中の元総理を狙撃した青年の複雑な動機。)とあった。掲句は、小題「令和四年夏」(生駒市・わたしの八十歳の誕生日直前。)とある。少し面倒だが、「昭和二十年夏」の小題にまとめられた中の4句を挙げておこう( )内は前書として移した。
(おんぶされてわたしは逃げた。たんぼの泥が今もねっとりと足の裏に)
ひいやりと泥のねばりが指の股
(八月六日広島に原爆投下。軍港呉市には母の実家があった)
おおごとじゃ 呉はどうじゃろ ひそひそ西瓜(おやつ)
(翌日職場の窓が落下。ガラス片を身に浴びて倒れた祖父)
玉音放送瑠璃玻璃微塵膚に膿
(国家はフィクションである。フレームは自由に描ける)
国原のあわき象(かたどり) 月見草
他に、愚生注目の記事は、後藤よしみ「『蕗子』・高柳重信とその時代・12/大戦下の青春」の連載である。ただ、惜しむらくは(単純な誤植だと思うが‣・)、人名の間違いがいくつか目に付くことだ。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を紹介しておこう。
震度五の一撃あって雪予報 松田ひろむ
十二月八日つかまるものがない 川崎果連
鎹(かすがい)を打てど消えゆく秋の虹 後藤よしみ
ウクライナの水は澄まない水の秋 石口りんご
天国は何もないとこ昼寝覚 高橋透水
大輪の蓮に残る日のひかり 福島芳子
九月ひとに火雲火の影来て悼む 古沢太穂
友はみな征けりとおもふ懐手 高柳重信
黄金虫アッツに父を失ひき 榎本好宏
★閑話休題・・馬場駿吉編『中部美術縁起』(風媒社)/馬場駿吉「一家に餉あれば灯なく颱風過」・・
馬場駿吉編『中部美術縁起』(風媒社)、馬場駿吉は、俳人にして美術評論家、また耳鼻咽喉科の医師としても高名である。本書は、執筆陣一覧によると、馬場駿吉「名古屋の画廊と現代美術」、拝戸雅彦「表現の現場から」、栗田秀法「芸術を育む場」、高橋綾子「公共空間と芸術」、中山真一「作家と画廊、寄り添う」、佐藤一信「土を紡ぐ物語」など15名ほどが執筆している。その「はじめにー豊かな地域文化展望」には、
さて、本書は、中部地方の文化状況を近・現代美術という窓から回顧し、作家を中心に画廊、美術館、評論家、コレクターらが、どのような活動をしてきたかを記憶にとどめようとするもの。さらに今後、この地域が伝統として持つ外向的なエネルギーと内在的な創造性とのバランスを美術の世界でどう嚙み合わせ、独自の新しい文化圏に仕上げてゆくのかを展望する一道標として読んでいただければうれしい。
とあった。巻末には、馬場駿吉・髙橋綾子・栗田秀法の座談会「表現の場、多様に見つめて」が置かれている。愚生が馬場駿吉に出合うのは、約30年ほど前であったろうか。第3句集『夢中夢』、『加納光於とともに』(書肆山田)である。ともあれ、ご健在の様子、何よりと思う。
馬場駿吉(ばば・しゅんきち) 1932年、名古屋市生まれ。
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