2021年11月27日土曜日

安井浩司&なそり「草露や双手に掬えば瑠璃王女/膳所の姿見みのしろとして」(『烏律律』+脇)・・・




 たまさかの縁により、なそり氏より、安井浩司の『烏律律(うりつりつ)』(沖積舎・平成29年刊)の巻頭の句から付けたいくつかの脇句を賜った。「むそうの連歌」だという。なれば、その一端をここに、氏の許可を得て掲載し、本ブログの読者諸兄姉に供すものである。

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安井浩司が凄い

と聞いて、句集『烏律律』を読みはじめたが、よく分からない。 

 

草露や双手に掬えば瑠璃王女  浩司 

 

分からないというのは「負けた」ってことだ。 

悔しいので、七七を付けてみた。 

 

 

草露や双手に掬えば瑠璃王女  浩司 


 膳所(ぜぜ)の姿見みのしろとして ― なそり 

 

付けたところで、分からないことに変わりはない。 

でもなんとなく楽になった。重しが取れた。 

そこで思い当たったこれって「むそうの連歌」じゃないか。 

 

むそうの連歌 

「夢想」と書く。 

中世の頃、夢にはたびたび神仏が現れ、その啓示によって歌や句を得たものである。

これは利益・利生であるから、謝して連歌の会を催し、百韻を巻き、奉納した。

これを「むそうの連歌」という。 

 

萎え足を浸さん秋野の菩薩泉  浩司 


ここまでひとり 

いまからふたり  なそり 

 

授かった句が五七五の長句であれば、これを発句として、脇の句(七七)以下、九十九句をつける。

授かったのが三十一文字の歌一首か、七七の短句であれば、百句付ける。 

これを「脇起し」と云う。 

 

山寺や雉近づけば木魚吼ゆ  浩司 


 指呼のうちなる冬の銀漢 ― なそり 

 

ふつうの連歌は発句(五七五)から始める(起こす)のだが、

「むそうの連歌」のばあい、発句は神仏の恵みである。

人は脇(七七)から起こす、だから「脇起し」というのだろう。 

 

悪夢のような安井の句に七七を付ける。

これを「むそう」と呼ばずして何を「むそう」と呼ぶのだ。 

 

アカンサス流れる風の縞模様  浩司 


実験室の窓に放てば ― なそり 

 

しつこいようだが、安井の句は分からない。 

世界の本質について語っているのかもしれないし、予言であるのかもしれない。

あるいは五臓の疲れかもしれないし、たんなる記憶の残滓かもしれない。 

 

海の母ゆびに五つの孔雀貝  浩司 


慈悲の雫はとびとびにあり ― なそり 

 

哲学的洞察・思想的探求のようで、韜晦・晦渋・衒学趣味・駄法螺にすぎないようでもある。

辻褄も合わない。お告げかもしれないが、寝言かも知れない。 

これに七七を付けるのは解釈や鑑賞ではなく、夢から覚めるための手順だろう。 

 

悲しみもあらん麦星(スピカ)の乙女座に 浩司 


開けて嬉しき御赦免の沙汰 なそり 

 

こうやって脇の七七を付けたところで、次の第三・五七五を続ける者がいない。

勝手に始めたことだから、安井浩司が付けてくれるわけでもないし、見回しても自分しかいない。

百韻どころか、短連歌ということになる。正体なしの歌一首があとに残るだけだ 

 

ところで句集のタイトル『烏律律』って何だろう? 

 

春陰の寺や午枕のからすども  浩司 


 千の目で見る千一の夢   ― なそり 

 

大井恒行の日日彼是」によると 

 

― どうやら道元の語録にある「一対眼精烏律律」の訳から推測すると、

 この前にある「以前鼻孔大頭垂」とともに、いくら悟りをひらいても、

 従前とおり鼻は大きな顔に垂れ、「両眼は変わらず黒々としている」

 ということらしい。― 

 

とある。 

なるほど。意味は分からないが、一歩前進した。 


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撮影・芽夢野うのき「この先は葡萄坂です戻り坂」↑

2021年11月26日金曜日

江良純雄「半眼の仏となりし日向ぼこ」(第31回(メール×切手)ことごと句会)・・

 


 第31回(メール×切手)ことごと句会、雑詠3句+兼題「半」1句。以下に1人1句と寸評を挙げておきたい。


  人形のみえぬ半分つねに 冬        照井三余

  立冬や龍角散のアルミ缶         らふ亜沙弥

  二回転半で宜しい散紅葉          渡邉樹音

    天台寺 寂庵

  在りし人 片側減りし草箒         金田一剛

  みっちりと闇も隙なき冬の色        渡辺信子

  青空や雪はまだかと田舎者         杦森松一

  風と行く冬の並木のバーコード       江良純雄

  気が付けば末枯れどきのものばかり     武藤 幹

  あるべきは四季の国なれわが俳句      大井恒行

  

「半眼の・・」ー母の縁側での姿、日向ぼこがほっこり(亜沙弥)。

「人形の・・」ー半分には常に陽が当たらない、そこは、つねに冬という凄惨を含んでよう。人形ならばなお・・・(恒行)。

「立冬や・・」ー龍角散のアルミ缶の冷たさと温さ。強すぎる「や切り」の嫌いなわたしですから、「冬に入る」とか「今朝の冬」の傍題で十一月の初冬を詠みたい(剛)。

「俳」は人に非(あらず)。柔軟に(もの)に変えよ!この句が見本(三余)。

「二回転半・・」ー紅葉の美しさはその色ばかりではありませんね。紅色がくるくると舞う姿もまた一興です(信子)。

「在りし人・・」ー昔、寂庵に吟行に行ったことがあります。片側の減った草箒に日常の美しさを感じました(樹音)。

「みっちりと・・」ー雪国の厳しさを100%感じさせます(松一)。

「青空や・・」ー掲句の江戸川柳的な雰囲気に参りました。良いですねぇ。江戸は。神奈川の田舎者は常に東京人にコンプレックスがあっていけねぇ(英一)。

「風と行く・・」ー枯れた並木の列がバーコードだという見立ては、少し通俗的すぎるかも。今回、トップの「半眼の仏・・」の句に、とおく及んでいないのが残念(恒行)。

「気が付けば・・」ー人生もサビシイものです(恒行)。



 撮影・中西ひろ美「まだ何も起こらずクリスマスソング」↑

2021年11月24日水曜日

正木ゆう子「いつの生(よ)か鯨(くじら)でありし寂しかりし」(「NHK俳句」12月号)・・・

 

 「NHK俳句」12月号(NHK出版)、今月の「わたしの第一句集」のコーナーは正木ゆう子『水晶体』。ほんのちょっぴりだが、愚生のことが出ているからと、わざわざ送って下さった方(浦川聡子)がいる。思い起こせば、『水晶体』の装幀は夫君の笠原正孝、活版で、瀟洒な匣入りの句集だった。そのエッセイのなかに、齊藤愼爾が連絡をくれ、宗田安正、攝津幸彦、仁平勝と初めて会ったという。そして、


  まもなく筑紫磐井の第一句集『野干(やかん)』が出ると、大井恒行(いおおいつねゆき)編集の「俳句空間」に攝津さんの書評が載る。しかし攝津・磐井の二人はまだ会ったことがない、というので、新宿で食事会をした。その席上で磐井氏の「豈(あに)」入会が決まり、後に「豈」編集長に。そして今は発行人であることを思えば、それぞれの第一句集と、齊藤さんからの電話と、そこから連鎖的に生まれた人間関係が、それぞれの今に繋(つな)がっていることを、面白いとも有難いとも思う。


 この席には、愚生もいて、筑紫磐井に会うのも初めてだった。その頃、すでに攝津幸彦は、肝臓を悪くして、酒が飲めなかった。愚生も仁平勝も酒には弱い。たしか正木ゆう子も「豈」同人に誘ったのだが、お酒で一晩中付き合ってくれない人たちとは、同人にはならないわ!と軽く袖にされたのだった。その頃は、夫君の絶対的信頼があつかった筑紫磐井が正木ゆう子のお守役で、これまた酒では全く乱れることのない筑紫磐井が、その夜も一夜、生贄としてお付き合いしたにちがいない。その頃はバブルの時代で、攝津幸彦は仕事柄、接待費が使い切れないと嘆き、そのお蔭て、同じメンバーで、すこしばかり、その消費のお手伝いをし、何度か、御用達だった料理屋、また、ゴーゴー(古いか?・・)を踊りに行ったことも、楽しい思い出だ。

 そのコーナーには、正木ゆう子の句と自句自解が施してあるが、冒頭の句を引用し、他は句のみをいくつか挙げておきたい。


  サイネリア咲くかしら咲くかしら水をやる

    句会で能村登四郎選に入り、俳句は自由に作っていいのだと知る。

    ひばりヶ丘(西東京市)の六畳間の窓辺。俳句を始めて間もなくの春。


  未婚にてふつとつめたき畳かな

  椅子といふ受身のかたち枯れ尽くす

  寒いねと彼は煙草(たばこ)に火を点ける

  ライオンは寝てゐるわれは氷菓嘗(な)

  双腕はさびしき岬百合(ゆり)を抱く

  桜前線父母を経て来りけり


 正木ゆう子(まさき・ゆうこ) 昭和27年、熊本県生まれ。



        撮影・鈴木純一「花柊ちいさく前にならえかな」↑

2021年11月23日火曜日

土屋秀夫「折合いのついた端から木の葉散る」(『鳥の緯度』)・・・


  土屋秀雄第一句集『鳥の緯度』(青磁社)、帯の惹句に、


 北から南から鳥は日本に渡ってくる/赤い実を食べた鳥が私の荒地に種を落とした

 種は俳句となって草花を咲かせた/俳句の交わりから、詩のミューズから

 到来した種が育って荒地は草原になった


 とあった。また、著者「あとがき」には、


(前略)俳句は変哲こと小沢昭一さんの「水酔会」から始まった。平成八年、白水社の和気元さんに誘われて小沢昭一さんを宗匠にした「水酔会」に入った。小沢さんはお酒が飲めないので土瓶に溢れた茶を横に置き、席題が出るとメンバーの牽制し合うかの様な軽妙洒脱なやりとりを楽しんでいた。(中略)

 平成二十一年の暮れ、学生時代に吉本隆明の購読仲間だった大畑等君と久しぶりに馬場の居酒屋で出遭った。彼は俳句の評論で賞をとるなど、既に現代俳句協会で活躍していた。早速、昔の仲間を集めて句会「ホチュウ類」を始めた。彼の誘いで現代俳句協会に入会し、早稲田の俳句集団「西北の森」の会員にもなった。その大畑等が平成二十八年、心不全で急逝してしまった。享年六十五歳、無念である。


 愚生も大畑等急逝の報を受けたときは、信じられない思いだった。あの頃、彼は,『昭和俳句作品年表』(現代俳句協会)の編集委員としての仕事を終えたばかりで、その本の中にいくつかある句の正誤表を送ってくれた直後だったので、なおさら、そう思えたのである。確実に今後の現代俳句協会を担っていくであろう、と目されていたし、人間的にも信頼されていた人だった。じつに惜しまれた早逝だった。ともあれ、本集より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


   春めくや蛇口の錆の血の味よ         秀夫

     平成二十四年十二月十日 変哲逝く

   折皺の通りに畳む初あかり

   水底へ虹のひと色捨てにゆく

   亀鳴くや手にしたものは裏をみる

   鳥帰る鳥に祖国は二つある

   美しき数列氷柱に芯はない

   迷路には入口がある夏木立

   省略のできないものに猫の恋

   冷蔵庫あけるに少し抵抗す

   風船をつなぎ自由を軽くする

   ため息を鸚哥が真似る大暑かな      


  土屋秀夫(つちや・ひでお)1951年、長野県生まれ。



      撮影・芽夢野うのき「秋燦々あらかた此岸の愛燦々」↑

2021年11月22日月曜日

佐藤りえ「植物の魂も又重からむ/人の腕一本ほどの重量のポトスライムの鉢抱き起こす」(「九重」1号)・・


  「九重」1号(発行人・佐藤りえ)、挿画・装幀も著者。その編集後記に、


 誌名の「九重(ここのえ)はおもに福島・宮城で販売されている小珠状のお菓子の名称が由来です。茶碗に入れてお湯を注いで飲む、飲み物と食べ物のあわいにあるような、すこし不思議な食物です。

 ごくささやかな個人誌に、創刊号はにぎにぎしく3名のゲストにお越しいただきました。現実の我が家には庭はありませんが、小さな庭にお招きして、ちょっとお茶を飲んでいってもらうような、そんなおもてなしができていたら幸いです。


 とある。ともあれ、一人一句(首)を以下に挙げておこう。


   ステッキで薬玉を突く菊日和     小津夜景

   毬藻らの恋ひそやかに結氷期     笠井亞子

   読みかけの本そのままにまどろんでしたたる文字におぼれてしまう 戸田響子

    忘れたり思い出したりする夕日

   あのくたら人を仕舞っておく箱を記憶と呼んで森は震える     佐藤りえ


★・・佐藤りえ「ぺこぽこと可愛い宇宙湧いてこい」(『ぺこぽこ宇宙(ユニバース)」・・

 佐藤りえ『ぺこぽこ宇宙(ユニバース)』(佐藤りえ・私家版)、副題に、戦火想望俳句ならぬ空想科学俳句集とある。著者紹介のところには、歌人・俳人・造本作歌・・「文藝豆本ぽっぺん堂」の屋号を持ち、手製本作品を発表している、とある。本集も手造りにて瀟洒。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておこう。


  はこべらがはびこるはこびはこぶねに

  ふた漕ぎで火星に届く海賊船(パイレーツ)

  きゆつと鳴くモスラにちよつと萌えにけり

  月はやし一番といふ孤独なれ

    「行け、新しいアダムとイブよ」

  ぎくしやくと掻き抱き合ふ大花野



   撮影・鈴木純一「ヤマユリは羽根があるでしょ飛びなさい」↑

2021年11月20日土曜日

中田美子「超現実主義的花嫁秋の虹」(「ユプシロン」NO.4)・・・

 


 「Υ  ユプシロン」NO.4、発行所の中田美子は「あとがき」に、


  この一年で一番心に残ったのは、ある惑星探査機から発せられた電子音だった。ごくごく普通の家電のスイッチを入れた時と同じ、あの「ピッ」という音だ。

 その探査機は地球から八年の歳月をかけて冥王星に向かっていて、その間、すべての機器の動きを止めて消耗を防ぎ、ただそこに存在している、ということを伝えるために、毎日、小さな信号音を地球に送り続けた。(中略)

 この一年、私たち四人もほとんど集まることができなかったけれど、何とか作品集をまとめることができた。小さな着信音のようなこの一冊が、たとえば広大な海の存在を伝えるものであってほしいと思う。

 

  ともあれ、以下に各人の句を挙げておこう。


  どうしても先に進めず水からくり     中田美子

  ももんがを飼うももんがの飛ぶ小部屋

  阿弗利加の木彫のきりん星月夜      岡田由季

  解体の和室あらはに木瓜の花

  金魚玉しずかに閉まる勝手口      小林かんな

  インパネス空はかもめを増やしつつ

  うっかりと如雨露より虹でてしまう    仲田陽子

  眠りつつ老ゆ鬼灯を手のひらに  

 


      
撮影・芽夢野うのき「不法投棄は犯罪です蟹歩む」↑

2021年11月19日金曜日

宮崎斗士「切り株は静かな器兜太の忌」(「豈」第64号)・・・


 「ー俳句空間ー・第4次・『豈』第64号」(豈の会)、第6回攝津幸彦記念賞発表・選考経過。特集は「兜太はこれからどう発展するか?」には外部から宮崎斗士、また通算では三度目となる「豈俳人名鑑」(①入会号数・②主要著書名など・④受賞歴・⑤代表句3句・⑥その他)、「豈」同人著作評では竹岡一郎「加藤知子『たかざれき』」評など。筑紫磐井は「『悪魔の俳句辞典」と「「池田澄子は何処」と「追悼・北川美美」など、。「豈」本誌は事実上年刊になっているが、それでも、それなりに、各人個々のエネルギーが感じられる内容だった。ちなみに特別作品40句は、大井恒行・城貴代美・高山れおな・亘余世夫。

 第4次の本号からは、印刷所もふくめ、発行体制の全面改革で、発行人・筑紫磐井にほとんどの負担をかけている。それでも、今後の見通しとしては、超高齢化の進む「豈」が、耕衣流ではないが、衰退のエネルギーを出し続けていけそうである。ともあれ、攝津幸彦記念賞を含め、できるだけ多くの同人の句を以下に、挙げておきたい。


  古人K朝臣の歌集に「天海丹 雲之波立 月舟 星之林丹榜隠所見」(七・1068)と詠じあり、現人Qは「夥し天を支へる血の柱」と、幻でない風に葉の騒めきを感じ句業

   一系舟の

      末

     星林

   千代風画                夏木 久


   初夏や素直な手のひらで触れる     なつはづき

   春しずかキエフの門に核の雨       大井恒行 

   目隠しの遊びをせんと梅雨の月      城貴代美

   元旦や此処に刺さりて影法師      高山れおな

   ぬばたまの夜の茂みの黒うさぎ      亘余世夫

   前近代誤倫不参加六名         安男亭翰村

   ちちちちと蜥蜴の舌は日を盗み      飯田冬眞

   女人微笑むかつて火柱やがて霧      井口時男

   あら鷹の日の班零れけむ         池谷洋美

   テレビニュースのあぁ熱そうな夏の火事  池田澄子

   人流は片蔭を往き花しづめ       打田峨者ん

   学歴をブリキの象に言わされる      岡村知昭

   瞑(めつむ)るや鼓動は水脈の音に消え  加藤知子

   身から出た錆を沈めて燗の酒       鹿又英一

   知らぬまに道濡れてゐる十二月八日    神谷 波

   

   身を清め

     身を沈め

     砂の掟 

     砂の罠               神山姫余


   遮断機をくぐって行った蟻の列      川崎果連

   東京の蟬の爆死と歩むなり       川名つぎお

   ガリ切りの肩叩かるも振り向かず     北村虻曵

   うなじあらばうしろもありぬ夏の闇   倉阪鬼一郎

   改札を入って不意に過剰なる       小池正博

   死の灰を忘れて咲いたすみれ草     小湊こぎく

   乗り降りもなくドア閉まるレノンの忌   五島高資  

   わたしからわたしが剥がれゆく良夜    堺谷真人

   「男性版産休可決」雉子鳴く       坂間恒子

   

   こころてん

   突き出る煙

   呑みにけり              酒巻英一郎


   つきなみの此岸の涯のけぶりたる     佐藤りえ

   ゲルニカに音を加える大夕立      杉本青三郎

   去年今年棒もとまり木もありぬ      関根かな

   暗闇の下人の汗ぞ火をはなつ       妹尾 健

     令和3年5月11日

   けふ息をひきとりました私の母は    妹尾健太郎

   霊長の尾より朽ちゆく花吹雪       高橋修宏

   白壁に虹の侵入ゆるさぬなるしすと   高橋比呂子

   手花火のふいに横切る老女かな      田中葉月

   落ち蝉をうちぶせにしてやるだけ     照井三余

   無限道を虚数の列が走っている      冨岡和秀

   凍てつくや原発補助の地方町       中島 進

   黒幕はやっぱり君か島ふくろう      中村冬美

   ひかうきの変態しゆく蛾の過程      橋本 直

   炎昼やマリオネットになき背骨      秦 夕美

   ばら色という薔薇の色薔薇ばらばら   羽村美和子

   押しピンを数えていけば万屋に     樋口由紀子

   夢の世に棲みて白髪愛おしむ       福田葉子 

   放念と声かけられる梅花藻に       藤田踏青

   地球儀は小さく青し春立つ日       渕上信子

   人類に長わづらひの咳あらん       干場達矢

   山笑ふ阿鼻叫喚も多少の縁       眞矢ひろみ

   あめんぼう明日はいつも目分量      森須 蘭

   堪忍袋など秘めている水中花       山﨑十生

   

   少年は白蓮を頭上に

   少女は紅蓮を

   スコール 滴るアジア           山村 曠


   八月の白から無へと変わる音        山本敏倖

   日常や色とりどりの夏マスク       わたなべ柊

   澁澤栄一(シブサワ)は韓国の札(さつ)草生える 仙川桃生

   冷まじと流木で編むベビーベッド     堀本 吟 

   蛇穴に入るたいがいはすぐに入る     男波弘志

   換言すれば換喩はすべて君への嫉妬   大橋愛由等

   見ず知らずの妻に出会へり夕ひぐらし   筑紫磐井


★・・第7回攝津幸彦記念賞 募集(正賞1作品)・・・

  ・内容 未発表作品30句(川柳・自由律・多行句も可)

  ・締切 令和4年5月末日

  ・書式 応募は郵便に限り、封筒に「攝津幸彦記念賞応募」と記し、原稿(A4原稿用紙)には、氏名、年齢、住所、電話番号を明記してください(原稿は返却しません)。

  ・選考委員 筑紫磐井以外は未定

  ・発表 「豈」65号

  ・送付先 183-0052 府中市新町2-9-40 大井恒行 宛



          撮影・鈴木純一「飛行雲テクノロジーは魂魄と」↑

2021年11月18日木曜日

長谷川和子「ラグビーの勇者優者の顔揃う」(府中市生涯学習センター秋季「現代俳句講座」)・・

 

 

 今日、11月18日(木)午後2時~4時は、府中市生涯学習センター秋季「現代俳句講座」第4回であった。残すところ、あと一回(12月9日)の、その日は、自主的な句会形式で進めたいと思っている。本日は、当季雑詠に、言葉「優」の一語を入れた句を一句という宿題が出してあり、計2句の出句だった。講座終了後、一階のレストランで30分程度のコーヒータイムで楽しんだ。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


  抱き枕優しさ香る小春かな         杦森松一 

  凍る朝優しさのこし父は逝く        井上芳子

  凛としてくれなひ優る冬薔薇        山川桂子

  日向ぼこ「そういえばね」と母話す    長谷川和子

  優れ人も憂きことのあり日向ぼこ      井上治男

  冬めくと母の優しさ懐かしむ        清水正之

  ボレロにのって昌磨のフィギュア冬の華  久保田和代

  落葉掻き玉虫見つけ至福とす       壬生みつ子

  月冴えて赤蕪照らす稲木(いなき)ごと   濱 筆治

  木もれ日に赤や黄色の絨毯冬仕度     大庭久美子

  冬霧に火の見櫓の昭和かな         大井恒行



     撮影・中西ひろ美「奥多摩や枯れ究むまでが一入」↑

2021年11月13日土曜日

蜂谷一人「海・少女・少量の毒・南風」(『ハイクロぺディア』)・・

 

 蜂谷一人『超初心者向け俳句百科 ハイクロぺディア』(本阿弥書店)、表紙絵や、扉絵もたぶん、著者のものだろう。序に代えて「【ああ】嗚呼」には、


 (前略)世の中には多く入門書があり、懇切丁寧に「わからないこと」を説明してくれます。ところが初心者の方に尋ねてみると「何がわからないのか、わからない」というのです。(中略)そこで、ハイクロぺディアでは「わからないことを初心者にみつけてもらう」ことにしました。

 だから、辞典形式。俳句の百科事典、つまりエンサイクロぺディアです。項目ごとに拾い読みしていただいても結構ですし、初めから順に読んでもらってもOK。辞典ですから、どこかの項目にあなたのわからないことが掲載されている筈です。(中略)

 ハイクロぺディアに並ぶ項目は、私自身が「嗚呼」と嘆息してきたことばかり。出来る限り「暗示→明示」していますので、今から俳句を始めるあなたにきっと役立つ筈です。このささやかな稿が俳句の迷路にまよってしまいそうなあなたの羅針盤とならんことを。


 と記されている。攝津幸彦だから贔屓にして、一項目を例にあげると、


 【きょ】虛

 俳句は写生。事実をありのままに写すことです。その通りではありますがが、何事にも例外はあります。堂々と虚構をうたうのもその一つ。

  ひとみ元消化器なりし冬青空

 シュールレアリスムの絵画を見るような一句。こちらも髙柳克弘さんが「NHK俳句」テキストで紹介していた作品です。消化器は胃や腸のことですから、まるでひとみが冬青空を飲み込んで消化してしまうような不思議な映像が浮かびます。髙柳さんによれば「虚の句は世界に対する別の見方を示し、柔軟な認識・思考への経路を開いてくれる」とのこと。CGを駆使したSF映画のように虚構であっても、差別や戦争など現代が抱える問題を様々な側面から描き出してくれるのです。

 掲句の場合は、何度も口にしていると「ひとみ」が女性の名前のようにも聞こえ、消化器に消火器のイメージが重なってきます。いくつもの仕掛けで、ありふれた日常が、異界のものとして感じられるようになります。まるで溶けた時計が垂れ下がるダリの絵画のように。


 愚生も、まだ全部を読んでいるわけではないが、それぞれに面白そうである。「【おんすう】音数」の項目には、次のように記され、その通りだと納得できる(超初心者でもない、俳人諸兄姉にもよく読んでもらいたい)。

 

 俳句は十七文字の芸術とよく言われますが、誤りです。正しくは十七文字ではなく十七音。和歌が三十一文字と呼ばれることから生じた誤用でしょう。


 と、正しく述べられている。表紙裏帯には、「楽しみながら読める俳句の知識全一八七項目!」とある。ともあれ、著者の句のみなるがいくつかを以下に挙げておこう。


  西瓜割る東京湾に星上げて       一人

  硯には蝌蚪千匹を放つ墨 

  植木屋は頭上に休む万愚節

  群青と青のはざまを遍路たち

  葬儀社と豆腐屋並ぶ秋の虹


蜂谷一人(はちや・はつと) 1954年、岡山市生まれ。


            


      撮影・芽夢野うのき「真白な天空裂いて秋の草」↑

2021年11月12日金曜日

植田いく子「片耳は空耳に似て冬雲雀」(『水でいる』)・・・

 


 植田いく子第一句集『水でいる』(山河叢書)、序は、松井国央「今という背景 染み渡る清潔感ー序にかえてー」の冒頭には、


   薄氷の一歩手前の水でいる

 この句集の表題となっている作品だ。また、植田いく子さんご自身の精神性を覗かせてくれるような作品でもある。

 おりしも昨今は人類を脅かす新型コロナウイルスのパンデミックの中、世の中は経済格差と分断が顕著になり、地球環境の保全からカーボン・ニュートラルへの対応も急がれている。暮らしを顧みればデジタル化は加速、リモートワークによる働き方改革等と、私たちが馴染んできた日常と大きく変わろうとしている。そんな中で「一歩手前の水でいる」姿はいく子さんの生き方、あるいは俳句に対する決意のようにも見えてくる。


 と記されている。また、著者「あとがき」には、


 コロナ禍のつれづれに句集を編むことを思い立った。俳句に出会ってから十八年になる。初めて句会というものに参加し、こんな世界があったのかと衝撃を受けた。初投句した時の気持ちは忘れ難い。恥ずかしさと訳のわからなさで身の細る思いであった。今でもその気持ちに変わりはない。(中略)日々俳句を通して受ける様々な恩恵は計り知れない。三百句を選び年代順に表題を付け配列した。ノートを読み返すたびのその時々の句会がよみがえり、かけがえのない時間を過ごすことができた。


 という。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。


   黙祷のアナウンスあり春の駅      いく子

   半周を残して帰る花見かな

   重陽の裏から入る親の家

   石橋の石の来歴石蕗の花

   刃を入れるたびに尖っていく西瓜

   家族という危険水域田水張る

   詰め込んでまだある隙間晩夏光

   ペン立てに孔雀の羽や天の川

   未来より過去が不確か冬の霧

   ふいに来るその日はいつか凧

   芹の水未生の我に会いに行く


 植田いく子(うえだ・いくこ)、1948年、福岡県小倉市生まれ。 



      
撮影・鈴木純一「縷紅草なにをやってもキョトン顔」↑

2021年11月11日木曜日

山川桂子「朋友逝きて空は真青な”がらんどう”」(府中市生涯学習センター「現代俳句」講座)・・

          


 本日、11月11日(木)午後2時~、府中市生涯学習センター秋季講座第3回目であった。講座風景は撮り忘れたので、看板と一階食堂からの風景にする(帰りに30分程、コーヒーで歓談)。前回の宿題は2句持ち寄りのうち、一句は「朋・友」の言葉を入れて、無季句作ってくることと、もう一句は当季(冬)雑詠一句である。

 また、無季句の持ち寄りに因んで、三橋敏雄「いつせいに柱の燃ゆる都かな」と鈴木六林男「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」の句を紹介し、かつ、鈴木六林男はおちょこでビールを飲んでいたというエピソードを話し、三橋敏雄は、航海で陸に上がると待ち受けている三鬼の飲み屋のツケをみな払っていたことなどを紹介した。もちろん両名とも西東三鬼の弟子であったことも・・・。

 次回11月18日(木)は、当季雑詠(冬)2句、その内一句は「優」の言葉も入れて作句する、という宿題。ともあれ、以下に、本日の一人一句を挙げておきたい。

  

   山里を墨絵に刷(は)いて時雨かな    清水正之

   小春日や青虫の這ふブロッコリー    久保田和代

   寝てばかりの犬を友とし日暮けり     井上治男

   枯菊を焚きて今年の庭じまい       山川桂子

   旧友は消息不明冬夕焼         長谷川和子

   秋晴れに誘われ歩くあてもなく     大庭久美子

   十余年公園清掃無二の友        壬生みつ子

   諦念や疫禍の日々に傘寿たる       牧野玲子  

   笑いあい友と語らう奥多摩路       井上芳子

   犬火葬骨なぞる指尻尾(しっぽ)まで   濱 筆治

   ほろ酔いのこれから先は親友だ      杦森松一

   朋よ朋へこの道の雲に陽が射す      大井恒行 



撮影・芽夢野うのき「しのび逢いという名ではない紅いダリア」↑

2021年11月10日水曜日

遠山陽子「紅葉かつ散るぐわんばらないでぐわんばれない」(『遠山陽子俳句集成』)・・・


  遠山陽子『遠山陽子俳句集成』(素粒社)、同送されてきたのは、遠山陽子『三橋敏雄を読む』(弦楽社)である。集成の「あとがき」には、


 気がついたら、なんと米寿と言われる齢になっていた。心身の衰えをつとに感じるこのごろ、これを機に生涯の総まとめをしておきたいと考えたのである。既刊の五句集に、未刊の第六句集『輪舞曲(ろんど)』を加え、一書とした。


 とある。その『輪舞曲』の解説は、永島靖子「ひたすらな響き」、福田若之「折句と割句、そのうえに立ち現れるもの」の二名。永島靖子は「最も古いお付き合いがあり、年齢も私に近い」といい、福田若之は「最も新しい友人で年齢も一番若い」という。その福田若之は、


 (前略)折句とは、ある言葉をひとつひとつの文字に分けて、俳句なら五七五のそれぞれの頭や末に、順に詠みこむことをいう。(中略)右に挙げた『輪舞曲』の一句は(愚生:注「風車守無骨な髭で着ぶくれて」)、各句の頭文字が「ふ」「ぶ」「き」で、「吹雪」の折句として書かれている。こうなると、一句に織りこまれた吹雪を読むか読まぬかによって、風車を回す冬の風や、着ぶくれた風車守の趣もいくらか違ってくるだろう。(中略)

 折句のほかに、割句というのもある。

  言の葉のごと風花の舞ひて来し       『輪舞曲』

 山からの風に乗って運ばれるなどして、晴れた空に雪が舞うのを風花という。一句は、まず、白くきらめくその風花をひとひらの言の葉に喩えたものと読める。人語を葉に喩え、喩えを喩えに喩え、さらにそのうつろう姿を舞に喩えー一句の喩はイメージの乱反射を起こし、まさしく冬の光のなかに舞う風花のように、めくるめくありさまだ。けれど、それだけではない。

 割句は天地とも呼ばれ、ある言葉を二つに割って、一句の頭と末に詠みこむことをいう。これも。もとは折句から派生したらしい。右の句は、「こと」にはじまり、「し」に終わる。一句は「ことし」すなわち「今年」という語の割句であったというわけだ。「今年」という語は、とくに俳句においては、新年の題として、明けて迎えたその年を指す。(以下略)


 と述べている。本修成には、精緻を極めた「自筆年譜」が巻末に置かれている。じつは、これを読むだけでも、興味が尽きない。また、同送された『三橋敏雄を読む』は、遠山陽子個人誌「弦」(第37号・平成26年~第43号・令和3年)に連載された作品評「三橋敏雄を読む」に加筆修正したものとエッセイ「先生のと時計」「先生の机」が収載されている。

 集名に因む句は、


  春濤の輪舞曲(ろんど)かの世の友の数    陽子


 だろう。ともあれ、未刊句集『輪舞曲』より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  孵らざる卵は転げ春の村          陽子

  愛人もこひびとも老いさくらかな

  芭蕉敏雄陽子申年永遠の春

  日の丸を噛み一月の天袋

    悼 中村裕さん 網走にて

  君逝きて二夜のはぐれ流氷よ

  雪虫を顔もて払ひ軍港へ

  残照の雪嶺いづれ行くところ

  帰去来(かへりなんいざ)星かざる冬欅

  0番線ホームに待てばほととぎす

  虫を聴く原爆以後の月日かな

  人はなぜ鬼を討つのか冬怒濤

  白い太陽駱駝は宙を嗅ぐしぐさ

  さくらさくら逢はぬ日の尾がまた伸びる

  月赤し馬齢怖ろし飯おそろし

  果て知れぬ花の奈落やわが昭和

  

遠山陽子(とおやま・ようこ) 1931年、東京市淀橋区(現・西新宿)生まれ。



           撮影・鈴木純一「①散りもみじ

                   ②残るもみじ

                   ③分からない」↑

2021年11月9日火曜日

久光良一「あの世とこの世 究極の遠距離恋愛だね」(「句抄覚え書き」第38号)・・


 「句抄覚え書き」第38号(周防一夜会)、自由律俳誌らしく、巻頭に荻原井泉水「『層雲の道』よりの抜粋」がある。その一部に、


 (前略)一茶の俳句というものは作品としては、ずいぶん駄作が多い。然し一茶は句を作るということを以て、そこに一つの自由の世界を見出しその世界に住んで、人間的の安心を得ていたということは、そこに「俳句の道」というものがあったからである。俳句の道にあっては「作品」と「人間」ということは離して考えられない。そこに「一行詩」とはおのずから違うところの「俳句」というものがある。今日から大正昭和(初期)のことを回顧してみても、その長い年代の間に深く記憶されていて、印象的に浮かびあがってくるものは、優れた俳句作品というものよりも、それを作ったもの、即ち人間としての作者というものである。 


 と、記されている。ともあれ、一人一句を挙げておこう。


  宿題のない余生で今日も自習です          久光良一

  人づてに褒められ 笑顔になれた日の幸せ     村田ミチヱ

  海ほおずきかんだ音の記憶             山口綾子

  目覚めてもう眠れぬ老いの午前四時         小藤淳子

  「恋」いい響きだ忘れた声見付けた         吉川 聡

  猶予(いざよ)う先の赤ちょうちん点いては消える  吉村勝義

  洗濯物たたむ手が生きています           甲斐信子

  波間によい色みえていちにちのはじまり       加治紀子

  妻がマスクしてちょっぴり若く見えた        石田帝児

  こんな月夜に眠ってなくてよかった         部屋慈音

  忘れたい言葉ふと月の澄む夜           藤井千恵子

  見送る後ろ姿 約束出来ない寂しさ        小村みつ枝

  服で隠してるだけ 皆傷だらけなんだ        松根静枝  

  雑草の葉に残る露に明日の自分を探し見る      山本哲正

  ビワがもぶれ付いている 好きに採ってよ     國本英智郎




  撮影・芽夢野うのき「飛び込んでも死ねませんからユリカモメ」↑

2021年11月8日月曜日

近江文代「海月ぷうかぷか/ほんとうはしゃべり足りないんだろう」(「猫町」NO.4)・・


 「猫町」NO.4(編集人・赤石忍 発行人・三宅やよい)、表紙裏(表2)に、献辞がある。それは、


 インテリというのは自分で考えすぎますからね。

 そのうち俺は何を考えていたんだろうって、

 分かんなくなってくるんです。

           映画「男はつらいよ フーテンの寅」より

 おう?・・・・

 てめえ、さしづめインテリだな。

           映画「続・男はつらいよ」より


 である。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


  ウクレレる死装束はアロハシャツ      沈 脱

  煮干しにも目あり顎あり秋の暮     ねじめ正一

  あおるものひとつもなくてあけのつき   藤田 俊

  投げうつとターンしてくるコガネムシ  三宅やよい

  打ち切りのドラマ無理矢理五月晴     諸星千綾

  マグネット伝言だけが抜き取られ     山崎 垂

  ヒロくんの前世は孔雀合歓の花    芳野ヒロユキ 

  軽くいなして秋場所の勝名乗り      きゅうこ

  残業と残尿感の春の月          静 誠司

  いま君は案山子と言えば案山子だな    赤石 忍

  かなかなはかなしかなかなとなく     今泉秀隆

  コーヒーの蓋のみにくい春の午後     杉山魯壜

  ふるさとは燃えてしまえばそれっきり   近江文代

  睡蓮へちょっと寄りましょキスしましょ  坪内稔典



      撮影・鈴木純一「愛された結果すぐ出す赤トンボ」↑

2021年11月7日日曜日

加藤瑠璃子「風の無きところより風の楸邨忌」(『雷の跡』)・・・

 

 

  加藤瑠璃子遺句集『雷の跡』(角川書店)、「あとがきにかえて」は、加藤瑠璃子の講演録「土屋文明先生と加藤楸邨」、その中の小見出しで「三、大陸に渡る」に、


 (前略)この旅行は問題になるんですね、後でね。ほんの一寸そのことに触れると、戦争中も楸邨は句会をやっていたわけですけど、その頃「寒雷」に三人の軍人さんがいらしたんですね。清水清山さん(大佐)、秋山牧車さん(中佐)、本田功さん(少佐)と。三人とも「寒雷」同人の方で、句会で並びますと軍服で来ますので、凄く目だったようなんです。「寒雷」の句会は凄いような感じになるのですが。特に秋山牧車さんは大本営報道部長というのをやっていらして、昭和十九年という日本が負けだしている頃じゃないかと思うんですが、戦っている人を通してばかりではなくて、または報道関係だけでもない、文芸的な目を持った人にも見てきて欲しいという。「芸術的な意図の下に終始してきて下さい」と牧車さんがおっしゃっしたようです。しかし命の保証はないわけです。まだ船は沈められることはない時と思うんですけれど、何時何処で命を落としてもおかしくない状態の所に行くことになります。

  雲の峯夢にもわきてかぎりなし     楸邨

がありますが私にはこの句から「よし何でも見て来るぞ」という意気込みのようなものを感じます。実は歌人はお二人で、土屋文明先生と石川信雄という方がご一緒でした。俳句からは加藤楸邨だけです。(中略)

 文明先生はこんな歌を作っています。

  利己のみの民というなかれ斯(か)くまでに力を集め国土を守る

  垢つける面にかがやく目の光民族の聡明を少年見る  (中略)

それから、渡邊直巳って方がいらしたようですが、多分歌人と思いますが、

  渡邊直巳戦死のあとを見すといふ塩ふかく土を踏みてつきゆき

 戦死した場所ということで、塩吹く土を踏んでついていくということで、実感があります。(中略)

 この旅行で、実に多くの句を作って来ていますが、この中では、

  天の川鷹は飼はれて眠りをり

が、最も有名になったと思います。また、実際いい句です。

  み仏に燕(つばくろ)に戦いつやまむ

  めくめき炎天下戦死者ばかり見き

等、戦争を感じさせる句もあります。すっきりしていて、情景が分かって、ああだこうだと言わずに、作者の気持ちのでている句を作っています。


そして、加藤真幸(加藤瑠璃子長男)は「巻末に」で、


(前略)この句集の題とした「雷の跡」も、そんな一夜の談義と創意による。山に雷が落ち、山肌が黒々と、あるいは樹の幹が黒々とえぐられる。現地の方が「『黒コゲ』と呼ぶ」と語った、というのである。こういった「感合」を何とか一句にまとめあげたいと、夜が更け、逡巡の挙句、元に戻ることが多々出であった。

  雷の跡黒コゲといふ冬の尾根

 決して秀句の類には入らないであろうが、最晩年の母との推敲の熱意が輝いた、忘れえぬ時間であった。一抹のあきらめを含めながらも一応の納得を見せる母の顔は美しく、作句への情熱は尊敬に値した。また、衰えに日々抗いながら、この句集編纂にむけても、自分自身にとことん厳しく、そして、「確かに」と唸らされてしまうような、自句の取捨を重ねた。


 と記している。愚生の知っている加藤瑠璃子も、現俳協などでお会いすると、実に誠実味にあふれる人の良さを感じさせる方であったことを思い起こす。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておこう。


  切子玉勾玉管玉青葉中         瑠璃子

  針供養針には色の糸通し

    井上ひさし氏を悼む

  黄沙くる道あるらしきまたもくる

  見ねば居ても居ぬと同じや群雀

  叫ぶは何時も形にならず蕗の薹

  どれほどの線量ならむ黄砂来て

  氷瀑の前なり己透き通り

  造形以上の造形山に雪が降る

  いまもつてしんがりを見ず蟻の列

  今も目に戦火に消えし雛達

  めじな釣り見えてる魚は釣れぬと言ふ

  見つけたと思へば空(から)のかたつむり 

  白き満月白き櫻の頂に


 加藤瑠璃子(かとう・るりこ) 東京生まれ。昭和11年9月~令和2年11月4日、昭和35年、楸邨次男冬樹と結婚。享年84。



     撮影・中西ひろ美「ささやかに冬菜育てて冬の顔」↑

2021年11月6日土曜日

赤野四羽「人類みな柿の木にのぼる」(『ホフリ』)・・・


  赤野四羽第3句集『ハフリ』(RANGAI文庫)、著者「あとがき」の結びには、


(前略)さて、「ホフリ」ですが、一つは「屠り」からきています。「屠るもの」「屠られるもの」の関係を通奏低音としています。加えていくつかの背景を重ねてはいるのですが、それは読者にお任せしたいと思います。章立てに用いた「前場」「中入」「後場」は、能曲、それも複式夢幻能の構造から得ています。私は作品に意図を込めますが、作品は意図を超えます。そのせめぎ合いにこそ言葉の凄みが生まれると考えています。自由に暴れる俳句を、自由に楽しんで頂ければ嬉しいです。


 とあった。「ハフリ」はまた「祝」かもしれない。その言葉「ハフリ」に関わる句は、


  天地より屠(ほふ)られて尚海胆(なおうに)である     四羽

  あなたが屠(はふ)りなさい鶫(つぐみ)の血のために  


 である。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。


  辣韭(らっきょう)・・・しかし月並みな性別

  秋の虹宇宙船なら乗る降りる

  ぽすとあぽかりぷす桜で飲んでます

  千人に一人がぞんび春の風

  人形と人間混じる霞(かすみ)かな

  〇時〇分〇秒元気な虹が生まれたよ

  青羊歯(あおしだ)や旧(ふる)きは神を誤らせ

  小鳥から糸を縒(よ)る業(わざ)失われ

  良心は知性にあらず秋の雨

  愛その他たっぷり笑う冬麗(ふゆうらら)

  たった一人の言語へ白と黄の蝶渦巻く

  雨よ永い永い昼寝ということか


 赤野四羽(あかの・よつば) 1977年、高知県生まれ。



  撮影・芽夢野うのき「まるごとの柘榴なげればさっと青空」↑