秦夕美・藤原月彦『夕月譜』(ふらんす堂)、赤尾兜子の弟子であった二人は、師の死後、共同制作の「巫朱華」という雑誌を9号までだした。昭和59年4月~63年3月の作品である。秦夕美と藤原月彦の共同制作の句群なれば、二人の名から一字ずつ採って『夕月譜』と名づけられた。藤原月彦の「あとがき」には、
共同制作はいつも秦さんがテーマを決めて、私が従うというかたちだった。作品自体も秦さんが何句かをつくり、残りを私が埋めることもあったし、ごく希にその反対もあった。で、この本をつくるにあたって、読み直して驚いたのは、どの句をどちらがつくったのか、完全に思い出せなくなっていることだ。これは当時の秦夕美と藤原月彦の言葉に対する美意識が、一ミリのずれもなく一致していたことの証左だろう。
一連のテーマとなる物語や本歌を決めて文字数を統一、図形を決めて、特定の文字をその部分に詠み込む、さらには、頭韻と脚韻を同時に踏む。まあ、俳句という形式の虐使であり、よく言えば言葉のサーカスだった。こういう試みはもはやできない。昭和の終わり頃の一時期、こんな狂言綺語の試みに耽溺していた者たちがいたということである。
と、記している。以下はいくつかそれを写真にして紹介しておこう(全部写真で紹介すると著作権に抵触するだろうから・・)。太字の部分は紋様になったり、さまざまある。目次には「雪卍ーにごりえ遺文」「花扇ー謡曲班女」「定家曼荼羅」「乱蝶ー好色五人女」「月の船」など12編が収められている。
秦夕美(はた・ゆみ)昭和13年生まれ。
藤原月彦(ふじわら・つきひこ)1952年、福岡市生まれ。
★閑話休題・・45周年記念「無の会陶芸展ー花と食器をテーマに」(於:富士見市市民会館キラリ。11月24日(日)~30日(土)午後5時まで)・・
本日、数年ぶりに野村東央留に会い、彼が代表を務める「無の会」の陶芸展に寄せていただいた。久しぶりの再会である。初会は、たしか「沖」の能村登四郎がまだ健在だった頃、能村研三編集長時代の「沖」の記念会に招かれた折だったかと思う。その後は、鈴木鷹夫「門」の主要同人として同人会長も務められた。
皓と月あまねく照らす彼の世にも 東央留(「門」12月号より)
鳥とりどりの卍巴やももばたけ 真里子( 〃 )
野村東央留・鳥居真里子 ↑
右・愚生 ↑