2021年5月31日月曜日

阿部鬼九男「自己同一性へ速水を錯覚せよ」(『黄山房日乗』五月三十一日)・・・

 


                1986年5月31日↑


一九八六年六月十六日、花火の夜に↑
(あとがき)


                   奥付け↑
        1986年8月25日 端渓社刊 頒価3000円 120部限定
  

三十一日、「環礁」へ〈春光賞〉選評。サッカーW杯予選始まる。アルゼンチン優勝に賭ける人なきや。

稿了。旅立ちへ。榎本武揚の”函館“には北前船泊し居り、蠣崎波響の何点かの「夷酋列像」

観られるかも知れず。


      自己同一性へ速水を錯覚せよ    阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


        5月31日(月)・・・晴


 前日の「六月の旅の地名採取」とは、函館のことだったようだ。 蠣崎波響(かきざき・はきょう、1964・6・25~1826・7・26)は江戸時代後期の画家にして松前藩家老。函館中央図書館に、アイヌを描いた連作肖像画「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」があり、訪ねるつもりらしい。「一九八六年六月十六日、花火の夜に」の中、「あとがき三」として、「日常の雑記は非日常への入口探しかと問ふ人がゐた。そんなに巧く日常が屹立してくれはしない。/寸断された日常は世のカタログ文化を写すばかり。こんなところへ陥ち込みを誘ふのも自虐的快感であらう」と記している。

 愚生は、この二ヶ月間の『黄山房日乗』の六十一句のみならず、日乗に記された様々の非日常への入口に、幾度となくとまどった。ご自宅での語らいに幾度となく接したが、愚生には、彼のインテリジェンスがついに身に付くことはなかったようだ。その語らいの場には、阿部鬼九男の手料理をふるまわれながら、酒巻英一郎と救仁郷由美子の同席があった。アルコールにめっきり弱い愚生がまず居眠り、愚生が目覚めると、今度は、したたかに呑んだ酒巻英一郎が居眠り、その間を、救仁郷由美子と阿部鬼九男が間をつないでいた。生前最後に、お会いしたのは、全く連絡の途絶えてしまったある時期、あまりの心配に、三人で、アポなく強引に訪問した。その時、近くにお住まいだった阿部鬼九男(善久夫)の教え子の方が、面倒を見ておられ、実弟の阿部幸夫に連絡をされていた時だった。翌日、入院され、いわば、これが、永の別れとなった。たぶん亡くなられた2015年12月19日から、逆に推測すると、愚生らの急襲は12月初めだったように思われる。あれから、すでに5年半以上が経っている。

 本日が『黄山房日乗』最終日、「35年後の剽窃譚」も最終回である。故阿部鬼九男、そして、2ヶ月間、少なからず、本ブログを読んで下さった方々、有難うございました。内容はともかく、何とか完走することができてホッとしています。


      回生のすべなく夏の光陰や    大井恒行



     撮影・芽夢野うのき「馥郁と紫陽花の藍かしぎけり」↑

2021年5月30日日曜日

阿部鬼九男「白髪やつひに投機の花を降らし」(『黄山房日乗』五月三十日)・・・

 


               1986年5月30日↑


三十日、現代俳句協会賞に、「未定勅語」を快調に飛ばす夏石番矢を推薦、票を投ず。採取地名、辞典で調査。

『グレの歌』の歌詞に、Gruften が Luften と誤植されてゐた。「墓場」から「天空」へ、この奇妙な誤植愛すべし。


     白髪やつひに投機の花を降らし   阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


        5月30日(日)・・・晴のち一時雷雨


 のちに、1991年、夏石番矢は、戦後生まれ俳人としては初、しかも30歳代の若さで、第38回現代俳句協会賞を受賞する。その授賞前のこと、余談だが、選考委員の一人だった三橋敏雄が、言うともなく、「受けてくれるかなぁ」と愚生に呟かれた。当時、夏石番矢は受賞を拒否するのではないか、それくらい向こうっ気が強いと思われていたのだ。思えば、当時の愚生は、金子兜太の肝いりで創設されたばかりの現代俳句協会青年部の活動を夏石番矢と共にしていたから、尋ねられたのだろう。愚生は、「受けると思いますよ」と応えたのだった。また、夏石番矢は、澤好摩とともに、愚生も含めた「未定」の創刊同人でもあった。

 『グレの歌』(ドイツ語:Gurre-Lieder)はアルノルト・シェーンベルクの初期の代表作。句中の「投機の花」は、この場合は、禅的な悟りを開くことか。


     アンガジュマンの咳をしながら聖五月    大井恒行    



          撮影・鈴木純一「月一日四葩見ひらくこひはさみし」↑

2021年5月29日土曜日

阿部鬼九男「魚気御慶南海に言語は目覚め」(『黄山房日乗』五月二十九日)・・・


                           1986年5月29日↑


ニ十九日、モスクワ放送交響楽団『ペトルーシカ』ほか二曲(三軒茶屋)六月の旅地名採取。

関節技が有効なのは、俳句が定型であるためだが、その関節をひとつ外すと“吊し“の問題が生ずる。


    魚気御慶南海に言語は目覚め     阿部鬼九男



*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


       5月29日(土)・・・晴


 モスクワ交響楽団は1930年設立、ソ連邦崩壊後は「チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ」と称されている。「『ペトル―シカ』ほか二曲」は、ストランヴィンスキーのバレエ曲だとすれば、ほか二曲は「火の鳥」と「春の祭典」か。ペトルーシュカはロシア版ピノキオと言われているらしい。

 句中の「魚気」の読みは「さかなっけ」「うおき」?、「ぎょき」ならば、その音韻から、「魚期(ぎょき)」、「御慶(ぎょけい)」も「魚形(ぎょけい)」に通じるかも? ならば南海もありえよう。


      南凕の中に占う言語あり     大井恒行




撮影・芽夢野うのき「金魚の夜さあ水中でジルバを踊ろうくるしくなったら飛び出して」↑

2021年5月28日金曜日

阿部鬼九男「風の日を封じコンプラ壜Zoya」(『黄山房日乗』五月二十八日)・・・

 


                  1986年5月28日↑


二十八日、R・カーター・クヮルテット(五反田)不思議な音作り。R・ハナ、インテレクチュアルな味付け。

恃むものとしてあるなら、思想と言ふべきだらう。定型の共同性が信じられてゐるのは、隠微なところから来てゐる。


     風の日を封じコンプラ壜Zoya     阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


         5月28日(金)・・・晴


 ロン・カータ―(1937・5・4~)はジャズ・べ―ス奏者。元ニューヨーク市立大学シティカレッジ教授。当日の東京公演の(五反田)は郵便貯金ホール。ローランド・ハナ(1932・2・10~2002・11・13)はジャズ・ピアニスト。

 句中の「コンプラ壜」は、元は染付白磁の徳利のような瓶のことをいうが、ここではZoya(ゾーヤ)のカラーネイルのことだろうか。


    ネイルにヒシオ 瓶の名に乗る香りかな  大井恒行


                         撮影・鈴木純一↑

2021年5月27日木曜日

吉永敏子「樹も草も梅雨晴れみあげ深呼吸」(府中市生涯学習センター「現代俳句入門講座」)・・・

         


  本日は、雨中ながら、第二回目の「現代俳句入門講座」(府中市生涯学習センター)だった。前回の最後に、兼題「紫陽花」「梅雨」を出しておいて、各題一句、各自2句づつ持参していただいた。早々と句会の実践をしていただいた。初めてという方も多くいらっしゃたにもかかわらず、皆さん、苦心のあとが伺えて、合評も興味深かった。次回、3回目(6月17日・木)は、この講座の特徴である(と思う)無季の句を、一句作っていただくことにしている。無季の句の兼題は「笛」、季語のある一句は「ビール」。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


   芽吹いたよ去年(こぞ)の紫陽花母の笑み   清水正之

   梅雨寒や病みし友へのカーデガン       井上芳子

   ハケ上の茶屋のぐるりと濃紫陽花       高野芳一

   天日浴びせんたくパラリ梅雨晴れ間      野田美絵

   あぢさゐや二つ揺れゆく赤い傘        井上治男 

   もう飽きた梅雨にコロナの禁足令       濱 筆治

   ふと仰ぎ雨痕恋し梅雨の月          杦森松一

   紫陽花やわれや我やと競いたり        吉永敏子

   紫陽花の出迎えほほ笑む誕生日       大庭久美子

   青梅雨に肩甲骨の疼く夜          久保田和代

   紫陽花や嬉しき人とくらしけり        大井恒行 

   


              撮影/ノブコ・ワタナベ ↑

阿部鬼九男「月旦や雨期に瞠く火狭など」(『黄山房日乗』五月二十七日)・・・

 


                1986年5月27日↑


二十七日、永田耕衣書画集『錯』着。J=R・ゴダールの『探偵』(六本木)思想・政治に関はらぬこの作、駄作。

S社のダメ本を放る。観念的な思考のむかふに菅孝行も顔を覗かせる。埴・吉論争を捌いたびーと・タケシに劣る。


     月旦や雨期に瞠く火狭など     阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


        5月27日(木)・・・雨


 永田耕衣書画集『錯』(永田耕衣書画集刊行会・限定500部)。『ゴダールの探偵』はフランス映画、ジャン=リュック・ゴダール監督の探偵映画。ただ推理ものではなく、登場人物の人間模様を描いていたドラマだという。

 埴谷雄高・吉本隆明論争は、1984年、女性誌「an・an」に吉本隆明がコム・デ・ギャルソンを着て登場したことから、埴谷雄高から「資本主義のぼったくり商品を着ている」と評されたことから始まったと言われている。菅孝行(1939‣7・17~)は評論家・劇作家。「びーと・タケシ」は「ビート・たけし」。

 句中の「火挟(ひばさみ)」は、火縄銃の撃鉄近くの金具のこともいうらしい。愚生の句は、火挟みから日挟みに転じたのみ。昨夜の、スーパームーンの皆既月蝕は見られなかった。


      日挟みの南北を忌む月蝕は    大井恒行



      撮影‣芽夢野のき「柿の花夢のはなやぎ零しけり」↑

2021年5月26日水曜日

阿部鬼九男「先勝の人馬は征けりコンピュータ」(『黄山房日乗』五月二十六日)・・・

 


                    1986年5月26日↑


二十六日、坂本龍一『未来派野郎』 吉祥寺、近畿日本ツーリストにて周遊・クーポン券予約、東北―道南巡り。

ドロップアウトの主格は人間だったが、スピンアウトとなれば人間は目的格に過ぎない。


     先勝の人馬は征けりコンピュータ   阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


          5月26日(水)・・・晴


 『未来派野郎』は坂本龍一の、1986年4月21日に発表された6作目のスタジオ・アルバム。ジャンルにはシンセポップ・現代音楽・ロックとあった。タイトルの未来派は当然ながら20世紀初頭のイタリアに起こった芸術上の運動、1909年、詩人マリネッティ(1876・12・22~1944・12・2)の「未来派宣言」に由来していよう。

    

   サンプリング・リミックスとて夏の暮   大井恒行



      撮影・鈴木純一「帰ろかなありし昔へからころも」↑

2021年5月25日火曜日

阿部鬼九男「一叢に夕べの半身獣を醸す」(『黄山房日乗』五月二十五日)・・・


                 1986年5月25日↑


二十五日、吉本隆明対談集『さまざまな刺激』 恵比寿界隈散歩、アメリカ橋から広尾に至る。明治屋に寄る。

IMA近藤等則がCFで空中散歩してゐる。彼のアジア的戦略は『コントン』へ。平岡正明の始動“宣言“を憶ふ。


    一叢に夕べの半身獣を醸す   阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・


        5月25日(火)・・・晴


  吉本隆明(よしもと・たかあき、1924・11・25~2012・3・16)対談集『さまざまな刺激』(青土社)、装幀は高麗隆彦。対談者は、磯崎新・萩尾望都・りんたろう・伊藤俊治・川本三郎・浦達也・寺本英。余談だが、加藤郁乎は吉本隆明・三島由紀夫が大嫌いだった。とはいえ、吉本が「日本の非戦憲法だけが、唯一、現在と未来の人類の歴史のあるべき方向を指していることは疑念の余地がない」(『超「戦争論」』アスキー)と言ったことには愚生は納得する。

 IMAバンドで一世を風靡した近藤等則(こんどう・としのり、1948・12・15~2020・10・17)はジャズ・トランぺッター。1986年のアルバムに『コントン』がある。

 平岡正明(ひらおか・まさあき、1941・1・31~2009・7・9)は、60年安保闘争に参加。政治結社犯罪者同盟を結成。さまざまな政治活動に身を投じ、評論も多数、『韃靼人宣言』(現代思潮社)、『ジャズ宣言』(イザラ書房)、『山口百恵は菩薩である』(講談社)などがある。


    獣めく嗅覚持てり熱き群衆    大井恒行



     芽夢野うのき「刃もてこころ守るやスイカズラ」↑  

2021年5月24日月曜日

阿部鬼九男「回路かな青きむかしをカラコルム」(『黄山房日乗』五月二十四日)・・・

 


                1986年5月24日↑


二十四日、M・マイスキー、ソロコンサート、J・S・バッハ『無伴奏チェロソナタ1・2・5番』(赤坂)

待望の新人初来日、宿命的とも言へるバッハを顕じて熱演。彼によりE・ブロッホも喚び戻されやう。


     回路かな青きむかしをカラコルム   阿部鬼九男



*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


      5月24日(月)・・・晴


 ミッシャ・マイスキー(1948・1・10~)はラトヴィア(旧ソ連)生まれのチェロ奏者。ユダヤ人家系、17歳でソ連邦音学コンクール優勝。1969年、姉がイスラエルに亡命し、70年、マイスキーも逮捕、師の別荘にソルジェニツィーンをかくまい、演奏活動を禁じられた。70年、国外移住が認められ、73年、イスラエルに移住。現在、もっとも活躍しているチェロ奏者のひとりらしい。鬼九男の文中に宿命的ともあるのは、マイスキーが少年時代からバッハの音楽に惹かれていたということを指していよう。

 エルネスト・ブロッホ(1880・7・24~1959・7・15)はスイス生まれのユダヤ人作曲家。ブロッホの円熟期に、ユダヤ人の民俗音楽をよりどころにした、チェロと管弦楽のためのヘブライ狂詩曲「シェロモ」があるという。

 句中のカラコルムは、さて、山の名か?、モンゴル帝国の首都であったの名か?または、上五「回路かな」から呼び出された言葉か? かつて愚生の職場の仲間を中心に出していた同人誌名も「カラコルム」だった。ほとんどは散文や詩だったが、愚生のみ、唯一、俳句を発表していた。


       青山脈も海路も青きチェロソナタ   大井恒行

    


  撮影・鈴木純一「雷電瓶(Leyden jar)あけた虎かセイレーンか」↑

2021年5月23日日曜日

阿部鬼九男「ほととぎすわが真姿の揺るる夏」(『黄山房日乗』五月二十三日)・・・

 


                1986年5月23日↑


二十三日、憂歌団レコーディングコンサート(新宿)山口昌男編『林達夫座談集・世界は舞台』

この蟇目のブルースバンド、依然ラディカルに。「お掃除オバチャン」忽ち「お政治オバチャン」へ転轍する力あり。


     ほととぎすわが真姿の揺るる夏   阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


       5月23日(日)・・・晴


 憂歌団は、ブルース・バンド。1975年「おそうじオバチャン」でデビューするも、一週間後には「掃除婦に対して差別的な歌」として放送禁止処分を受けた。蟇目(ひきめ)は、妖魔を降伏させるための蟇目役の略か。

 山口昌男編『林達夫座談集 世界は舞台』(岩波書店)、4本の鼎談だが、、林達夫と山口昌男にそれぞれ一人加えた、大江健三郎・中村雄二郎・古野清人との全て1972年~77年にかけてのものである。巻末に「生ける林達夫ー解説に代えて」の大江健三郎、中村雄二郎、山口昌男の座談が収載されている。林達夫(はやし・たつお 1896・11・20~1984・2・25)は思想家・評論家。


      お掃除も蟇目の法にあらざるや   大井恒行



     撮影・芽夢野うのき「どくだみもはなにらも母ににて寡黙」↑

2021年5月22日土曜日

阿部鬼九男「角矯めてわれは存在八重葎」(『黄山房日乗』五月二十二日)・・・


                1986年5月22日↑


二十二日、端渓社へ第五稿。黒田寛一『ゴルバチョフ架空会談』竹田青嗣『陽水の快楽』

古傑クロカンのはき出す政治戯画浮き、気鋭竹田のおのれをからめる欲望論溶ける。


    角矯めてわれは存在八重葎     阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


       5月22日(土)・・・曇り一時雨


 『ゴルバチョフ架空対談』(こぶし書房)は冒頭から、1985年5月12日に、ゴルバチョフのアパートの一室で、という設定で始まる架空の対談で、「イブ・モンタンVSゴルバチョフ」と同じように、鄧小平、ミッテラン、レーガン、ロマノフとの連続対談を収録。他に「ゴルバチョフの真夏の夜の夢」「毛沢東—アンドロポフの激論」「ゴルバチョフの独り言」を収載。

 竹田青嗣『陽水の快楽』(河出書房新社)は、「陽水の快楽ーロマン的憧憬と挫折」、「陽水の眩暈ーエロス的世界の体験」の二章から成る井上陽水論である。


     蒼い夜のダンスにふりまくライトビール  大井恒行




         撮影・鈴木純一「下野や傘の持主あらはれず」↑

2021年5月21日金曜日

阿部鬼九男「あぢさゐへ降りてナボコフをくすねる」(『黄山房日乗』五月二十一日)・・・

 


                1986年5月21日↑


二十一日、秋葉原にてCD四枚購入。築地の寿司喰つて帰宅。“古池考“概ね纏るが発表する気起らず。

世界は安全ではない。都市にはおのずからのr戦略あり。山には警戒鳴きの鶯の谷渡り。


     あぢさゐへ降りてナボコフをくすねる   阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


         5月21日(金)・・・雨


  「r戦略」とは、「r-K戦略説」という生物の種がどのように子孫を残そうとするかについての仮説で、島嶼生物学の分野で考えられるようになったのだという。島内で絶滅は絶えず起きていることの自然選択、rは内的自然増加率と環境収容力Kにもとづいて「r-K戦略説」というらしい。1967年にロバート・マッカーサーとE.O.ウイルソンによって提唱されたとあった。r選択は内的自然増加率を高くする方向へ進化するという。単純にいうと同一時間でどれだけ多くの子どもを産めるかにかかっているらしい。K選択は環境収容力によっているので、一般的には厳しい環境のもとではr戦略が、熱帯雨林のように生息に適していればK戦略をとるものが多くなるらしい。

 句中の「ナボコフ」は、ロシアの貴族出身、アメリカに帰化した作家。中年亡命男の早熟な少女への情熱を描いた「ロリータ」で有名。

   

      蝶々 されば偏愛の七変化   大井恒行



      撮影・芽夢野うのき「虹二重はるかなる声ふたえなり」↑

2021年5月20日木曜日

平井弘「石くらゐは包めさうなしんぶんを石はつつまずとどけてくる」(『遺らず』)・・


   「東京新聞」夕刊4月10日・「土井礼一郎の短歌の小窓」↑


 平井弘第4歌集『遺(や)らず』(短歌研究社)、門外漢の愚生には、随分と長い間、目にしていなかった歌人である。だが、愚生の若き20歳代後半に、歌集『前線』(国文社)に出会って以来、その作者の名とともに忘れることはなかった。今、現代歌人文庫『平井弘歌集』(国文社)を開くと、やはり、


  奪われるままに両掌をひろげおり野の虹の下遁れられなく       弘

  男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくがやさしく殺してあげる

  膝ひらいて搬ばれながらどのような恥しくなき倒されかたが

  空に征きし兄たちの群わけり雲わけり葡萄のたね吐くむこう 

   

 などの短歌が、新鮮に甦る。そして、いま、愚生の眼前の本歌集は、表記が歴史的仮名遣いに変わり、かつ平仮名の多用によるばかりではない、読みがなかなか進んでいかない(まぎれなく平井弘の文体なのだろう)。挟まれた栞に、斉藤斎藤は以下のように記している。


 (前略)『遣らず』で描かれるのは、私という主体が確立するその手前の出来事であり、主体がほどけてゆくその先の出来事である。そのような出来事は、主体の位置を明確にする短歌の言語では捕まらない。だから『遣らず』の口語は、時に幼稚園児のようであり、時にひいじいさんのようでもある。その世界では、あげる側ともらう側が、死にゆく側と生きのこる側が、くりかえしなかよく入れ替わる。「誰が」のわからない言葉が、いつまでもこだましつづけている。


 栞のもう一つは著者自身の「『遣らず』ト書控え」である。中に、


   国会の安倍首相、艤装を終えた自衛艦空母

 狼なんかあなたきませんつぎのもそのつぎのもうそつき

 笹舟にささの葉のせてなんとせうなんとせういえこれは笹舟


 とある。また、著者「あとがき」には、


(前略)なお、表題とした『遣らず』は加藤道夫の戯曲「なよたけ」によったものである。「なよたけ」は戦地に赴く加藤が遺した青春の遺書、ながくわたしの心にあった。〈なよたけ〉とは権力によって奪われる希望や愛、青春といったものの喩である。なよたけは天へ召されるのだ。「だれか青春の作家は現代の『なよたけ』を書け」といった劇作家矢代静一に応えたわたしの「なよたけ」である。


 ともあった。ともあれ、集中よりいくつかの歌を以下に挙げたい。


 いつのことだか思ひ出してごらんだからあんなことなかつたでせう

 眼圧をはかりますねまだ美しいものをみなければなりません

 川からあがつてきた人に聞いたところでは生きたいものは沈む

 すきなのはどちらなのつて急かされてもとにかくこの木蓮はしろ

 このさき石をなげることがあるだらうかたまたま落ちてゐたとして

 水たまりがいまを映してゐないことをいつておくべきだつたかなあ

 難聴なもんできこえてきますのんやろなけふもとほくでらつぱの音(ね)

 この道しかないのならばともかくいつたきりの人だつてゐるから

 声に出さなくてもいい同意はただあづけてくれるだけでよろしい 

 キハメテケンカウとつたへる平熱をこのさいですほめてください

 それはもう手なんか振られてをりましたそんななかを還れるもんか 


  平井弘(ひらい・ひろし) 1936年、岐阜市生まれ。



               撮影・ノブコ・ワタナベ↑

阿部鬼九男「からす瓜しきりに明滅するわれは」(『黄山房日乗』五月二十日)・・・

 


                 1986年5月20日↑


二十日、坂戸淳夫編集長より「騎の会通信」第十号、同人の活動ほか。鶯声しきり、Len Deighton “XPD“

例の三部作であぶらののったところをみせた、ディトンのイージー・イングリッシュでの包容力に驚く。


     からす瓜しきりに明滅するわれは   阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


        5月20日(木)・・・曇


 「俳句評論」終刊ののち、折笠美秋のために10人で創刊された「騎」の編集に携わった坂戸淳夫(さかと・あつお、1924・3・4~201・1・3)、代表句に〈血ぬられし大和やさしく夕焼けして〉〈野空昏れここに燕子花とわれと〉(『影異聞』)がある。

『XPD』は、1981年に出版されたレン・ディトンのスパイ小説。小説のなかでの秘密コードで略して「便宜的な終焉」、1985年からBBCラジオで、当時,ドラマ化されていた。


    明滅の暮れたる野空かきつばた   大井恒行



  撮影・中西ひろ美「はじめのいっぽ約束は雨の日だった」↑

2021年5月19日水曜日

(後世への日雀)フェニクソロジーを毟る」(『黄山房日乗』五月十九日)・・・

 


                 1986年5月19日↑


十九日、月曜句会秋田宅(菊名)E・コザリンスキー『ジャン・コクトー、知られざる男の自画像』(渋谷)

コラージュ風な構成、語りすぎるJCのナレーション。そして、「攻撃性を喪失した芸術は、・・・」の言葉、今や浮く。


     (後世への日雀)フェニクソロジーを毟る  阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


       5月19日(水)・・・曇のち雨

月曜句会秋田宅(菊名)は、TerrA'同人の秋田博子宅。(菊名)はJR横浜線と東急東横線が連絡する菊名駅。

 『ジャン・コクトー 知られざる男の自画像』、映画の解説によると、1963年に没したジャン・コクトーの人生と仕事について、本人が遺したことばを基にコラージュしたドキュメント形式の作品。監督脚本はアルゼンチン生まれのエドガルド・コザンリスキー。1983年制作。配給は(渋谷)のユーロスペースで、この年の5月10日に公開されている。

 句中の「フェニクソロジー」は、コクトーの「芸術家は死んで蘇らなければならない」(不死鳥術)という意のようだ。


     美女と野獣も恐るべき親も不死の日雀    大井恒行




        撮影・鈴木純一「オペラ座の蠅は科白がなしで死ぬ」↑

2021年5月18日火曜日

阿部鬼九男「Lu Lugod ! 熱き白帆を捲きて来たれ」(『黄山房日乗』五月十八日)・・・


                                                1986年5月18日↑


 十八日、飯島耕一『鳩の薄闇』 都合つかず新誌準備会再び欠席。半月間の私信二十数通、日付誤記に気付く。

どこかにパロディに過ぎぬといふ侮蔑の口調あり。左様、この祝祭空間にはあなたを招待しない。


      Lu Lugod ! 熱き白帆を捲きて来たれ  阿部鬼九男 


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


       5月18日(火)・・・曇


 飯島耕一(1930・2・25~2013・10・14)『鳩の薄闇』(みすず書房)、その「あとがき」に、「題名の『鳩の薄闇』は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩『見知らぬ街』から来ている。ユダヤの命名法によれば、『鳩の薄闇』とは暁闇をさしらしい。ほのかな、きれいなことばなので気に入った。本書で論じた敬愛する詩人たちが『鳩の薄闇』の中に立っているイメージをわたしは抱いた」とあった。本書は、瀧口修造や永瀬清子など日本の詩人について、また、オクタビオ・パスに多くのページをさき、最後の章に写真家について論じている。

 句中の「Lugod」は、愚生には、なじみの全くないタガログ語らしい。で、愉快、たのしみ、喜びというような意味とある。句中の「熱き白帆」は、オクタビオ・パスに関する飯島耕一のエッセイ「熱い感覚の詩人」の呼称に由来しているのかもしれない。


     真昼に羽広げるは鷲か太陽(ひのかみ)  大井恒行



撮影・芽夢野うのき「ももいろ月見草わたしも誰彼もいま生きている」↑

2021年5月17日月曜日

阿部鬼九男「けらけら鳴く蛙 写植されつつ我」(『黄山房日乗』五月十七日)・・・


                   1986年5月17日↑


十七日、先先月、時評の枕にのせたS・ブーニンの演奏TV駒切再放映。志摩、改めて筆名捨つ案内、残念。

「JJつてどんな人?」「ヴェーベルンを弟子にしたシューンベルクかな。彼の後継ぎはベケットだから」


    けらけら鳴く蛙 写植されつつ我   阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


       5月17日(月)・・・曇


 スタニスラフ・ブーニン(1966・9・25~)は、19歳でショパン国際ピアノコンクールで優勝、文中「TV駒切再放送」はNHK特集「ショパンコンクール 若き挑戦者たちの20日間」のことと思われる。日本におけるブーニン・フィーバーが起こった。ブーニンは1988年、西ドイツに亡命、妻は日本人で家も日本にあるらしい。東日本大震災で被災した子たち、北朝鮮による拉致被害者家族へのチャリ―ティー公演なども行っている。

「JJってどんな人?」のJJは、ジェイムス・ジョイス(1882・2・2~1941・1・13)か。

 たしかに、音楽家、アルノルト・シェーンベルク(1874・9・13~1951・7・13)の弟子にはアントン・ヴェールベン(1883・12・3~1945・9・15)がいるが、このあたりの繫がりや音楽的な継承に、愚生は全くお手上げだ。ましてや、比喩的に書かれた文なら、なおさらである。

「志摩」は、14日に記されていた筆名・志摩聰のこと。


   邪飛あらんダブリンの夏待ちながら  大井恒行



     撮影・中西ひろ美「老鶯や遠くで祈ることばかり」↑             

2021年5月16日日曜日

阿部鬼九男「白雲に先立つランドマークの一味」(『黄山房日乗』五月十六日)・・・

 


                  1986年5月16日↑


十六日、「環礁」〈時評の時評〉六枚半。小川双々子、返信にて雑誌掲載の「回廊」と「椿説」の差異を評す、謝。

日常性の止揚が旅によってなされるなら事は容易だ。旅に辿る道、すべての”道“と呼ばれる邪悪な罠。


     白雲に先立つランドマークの一味    阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


        5月16日(日)・・・曇


 小川双々子(1922・9・13~2006・1・17)は山口誓子に師事し、名古屋で「地表」を主宰した。代表句に〈わが生ひたちのくらきところに寒卵〉〈虹の下われら人間われは一人〉がある。双々子から、時評を読んでの何らかの便りをもらったのかも知れない。鬼九男には三鬼の慫慂によって、若き日「天狼」に「山口誓子論」を連載したことがある。

 句中の「白雲に」は、奥の細道の「片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず」が隠し味かも知れない。


      旅なれやランドマークの火に寄ると  大井恒行




     撮影・鈴木純一「奈辺(イヅク)より芍薬國は傾ける」↑

2021年5月15日土曜日

阿部鬼九男「一日が千秋である 峠のごとき疣」(『黄山房日乗』五月十五日)・・・

 


                  1986年5月15日↑


十五日、このところ「中央公論」充実。山崎正和「日本文化の世界史的実験」鉤多くして益。

自転車の抒情、飛行機嫌ひのR・ブラッドベリが愛用しているのは自転車なのだ。


    一日が千秋である 峠のごとき疣     阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


        5月15日(土)・・・曇のち晴


 山崎正和「日本文化の世界史的実験」(「中央公論」1985年1月~86年6月号)は、翌1987年3月に、書名を『文明開国への挑戦』(中央公論社)として刊行された。その「あとがき」の中に、「けだし、内に柔らかい個人主義の成熟がなくては、日本の真の国際化はありえないし、外に国際化の刺激がなくては、柔らかい個人主義の将来も難しいといふのが、私の確信にならうとしている」とあった。

 レイ・ブラッドリ(1920・8・22~2012・6・5)は、紙の発火温度を題名とした『華氏451度』のSF小説が有名。その温度に因む攝津幸彦の未刊句集に『四五一句』(『攝津幸彦全句集』に収録)がある。その「あとがきにかえて」の中に「意味は深く言語の底なし沼に没して、(中略)ゴーシチゴ、ゴーシチーゴと、たしかに聴き取れる。意識することなく表出されるこのゴーシチーゴの正体を二十一世紀は如何に解明するのだろうか」とある。

 そしてまた、ブラッドベリには、「酔っ払い、自転車一台所持」(『ブラッドベリがやってくる―小説の愉快ー』)のエッセイがある。


      生涯に書かざる言葉あふれ 秋    大井恒行



      撮影・芽夢野うのき「花ざくろさびしき鳥の鏡里」↑ 

2021年5月14日金曜日

阿部鬼九男「外典や恭々しきは桐の花」(『黄山房日乗』五月十四日)・・・

 


                 1986年5月14日↑


十四日、「“志摩聰“消滅」の便りに感慨。「騎」への活動続けると言へど、栄光の名、口惜しき事、返書。

殺すことは生きることでもある。あるひは、名を捨てるといふ観念に拘り過ぎる自分に腹立たしい。志摩に会ひたし。


    外典や恭々しきは桐の花    阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


       5月14日(金)・・・晴・夏日


志摩聰(しま・そう)こと原聡一(1928・2・22~2003・1・24)。途中、俳名を本名(原聡一)に改めた。初発を加藤かけい「環礁」にて阿部鬼九男と同門。代表句に〈葦焚けば神が窒息したまえり〉〈黄海軟風/黄帆走魚/黄葡萄酒〉がある。


    下天はや外典(がいてん)のうち炎帝に   大井恒行



   撮影・中西ひろ美「渇いたら出会つてしまふ事がある」↑

2021年5月13日木曜日

阿部鬼九男「奈辺可変を問はれ優曇華をかざす」(『黄山房日乗』五月十三日)・・・

 


                1986年5月13日↑


十三日、端渓社へ第四稿。懸案の蕉門十哲相関図はかどる。

就寝起床時間の不定が続くが、むしろ体調安定。

近頃、車輪にセラミック使用の、スポーク吊力を利用しない自転車の出現は、不届き至極にして魅力的。


    奈辺可変を問はれ優曇華をかざす     阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


       5月13日(木)・・・小雨


  蕉門十哲は、芭蕉の高弟の10人を指して言うが、その10人には諸説がある。ただ、宝井其角、服部嵐雪、向井去来、内藤丈草、森川許六、各務支考あたりは、ほぼ共通して名があがっているようだ。いずれ元禄時代の末頃らしい。

 句中の優曇華(うどんげ)は3000年に一度開花するといわれるが、クサカゲロウが夏に卵を産み付けて白い糸状の柄があり花のように見えるらしい。が、また芭蕉の花の異称でもある。たぶん上句の問いの内容からすると後者だろう。

 本日は午後から、府中市生涯学習センターでの現代俳句入門講座の第一回を行う(緊急事態宣言延長により、一度は延期連絡があったが、都の教室に定員の半数での開催はオーケーということで、急遽、予定通りの開講になった)。


      不届きにして魅力ありとは吊忍   大井恒行



  芽夢野うのき「にぎやかなあの世駆けるやシャリンバイ」↑

2021年5月12日水曜日

さても発端プロトプテルスの乾眠」(『黄山房日乗』五月十二日)・・・

 


                1986年5月12日↑


十二日、北里行。途中大井寄托のものあり、折笠美秋訪問。

芦田日記のことなど話尽きず。夜、寺田澄史へ電話。

円とは中心からの吊力の等しいときに生ずる円形である。

自転車の車輪に実例を見つけて喜ぶ。


    さても発端プロトプテルスの乾眠    阿部鬼九男   


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


       5月12日(水)・・・晴

 大井寄託は、何かの見舞いもののことであろうか。愚生は失念している。『芦田日記』は当時、岩波書店から全七巻が刊行されたばかり。ALSの折笠美秋は筆談もままならず、まぶたや唇の動きを読んでの智津子さんを介しての会話だったのだろうか。寺田澄史は皮職人でもあり、「騎」関係の印刷造本などを手掛けていた。また、「豈」の表紙絵を頂いていた風倉匠とも知り合いだったと聞いて驚いたことがあった。縁はどこで繋がっているか分からない。
 句中の「プロトプテルス」は、淡水魚、体長約70センチ、肺魚の一種で、乾期には水底の泥の中に入り、泥と一緒に、かためた繭を作り、休眠する(その間空気呼吸する)。熱帯アフリカの河川、湖に分布しているという。
 さて、昨日の新型コロナウイルスのワクチン一回目接種の愚生の経過を報告しておこう。医院でもらった紙に、二人に一人は、痛み、だるさなどの副反応があると書かれていたが、接種の際の痛みも、チク・・、普通の注射程度・・。その後、夕方より、注射痕に少し痛みとかゆみあるもたいしたことはない。少しだるい感じと、少々の痛みありで、念のため、もらったカロナール一錠を飲んで寝る。朝も普通に起床した。血圧は少し高め、左上腕は、昨日よりは痛みがあるが、許容範囲。ただ、左上腕から首まわりのコリは、いつもよりハード。首を回したり、身体をほぐす。頭痛が少し出たので、夜の勤務のためにカロナール錠を服用した。インフルエンザの予防接種よりはかなりキツイ感じである。

    北里へ航海記あり美秋折笠(びしゅうおりがさ) 大井恒行



    撮影・鈴木純一「まどろみは夏への扉出たり入ったり」↑

2021年5月11日火曜日

武馬久仁裕「抑留の人一枚の石の下」(『サマルカンド。サマルカンド』)・・・




  武馬久仁裕『サマルカンド。サマルカンド』(しまうまプリント)、「アマビエ」の絵葉書は上掲写真右の「遊五人展」に出品されたアクリル画だそうである。さっそく部屋の前に張り出した以前にもいただいたアマビエの絵葉書があるので、それと並べた。「2021遊五人展」は「詩と俳句と朗読会」とあって、会期は5月7日~12日(松山市・ギャラリーキャメルK)なので、明日が最終日である。案内ハガキによると、五人展とあるが本年は11名の参加者のようであった。『サマルカンド。サマルカンド』は武馬久仁裕の写真と句と若干の旅の記述があって、楽しめる。




 同書より、句を幾つか紹介しておこう。

     鳥葬の鳥が今ごろ鳴いている     久仁裕
     胡旋舞の女は煌めくだけである
     月のの光に乙女はのぞくかの虚妄
     褐色の壁に向かって人を待つ
     あてもなくサマルカンドに来て眠る



     芽夢野うのき「天空にともすや鳥と夏みかん」↑