2022年4月29日金曜日

らふ亜沙弥「薄皮に包まれている春惜しむ」(第36回・メール×郵便切手「ことごと句会」)・・

 


  第36回メール×郵便切手「ことごと句会」(2022年4月16日付け)、雑詠3句+兼題1句「深」(出題・渡邊樹音)。以下に一人一句とそれぞれの寸評を挙げておこう。


   手品師の懐深く花の種          渡邊樹音

   ものの怪の押し合う春の闇深く      渡辺信子

   再雇用かくもありたし花筏        江良純雄

   父は筍母は蒟蒻一人っ子        らふ亜沙弥

   「深謝」とやメール「拝受」の春の宵   武藤 幹

   堅くあり短かき思い桜貝         照井三余

   襟元の一本の毛に春暑し         杦森松一

   受刑者と刑務官が並んで桜を見ている   金田一剛

   愛惜の髪ふれあいて咲くさくら      大井恒行


☆寸評

・「薄皮に・・」ー「薄皮に包まれている春・・」。ひよこも、餃子も春の賜。人の子だけは年中生まれる(剛)。最近の春の短さが重なる。あるようなないような春と、薄皮の頼りなさとの組み合わせに説得力がありそう(純雄)。

「手品師の・・」ー色とりどりの花の春の到来。手品師の技としか思えないほどの(信子)。さすがに種では花を出せないと思いますが、でも出てきそうな雰囲気です(松一)。

・「ものの怪の・・」ー春は明るさに満ちているが、いろんなものが蘇生する怪しげな季節でもある。春の闇が面白い(純雄)。

「再雇用・・」ー働く事がある喜びが伝わってくる、花筏が働くスペースをも想像される(三余)。

「父は筍・・」ー共に地下茎繫がりでの組み合わせ、想像を膨らませます(松一)。

「『深謝』とや・・」ーほどほどの良さが、春宵にある(恒行)。

「堅くあり・・」ー若き日の一瞬の鮮烈な思い出。一生ものですね(信子)。

・「襟元の・・」ー説明も解説も要らない!良く解る秀句!!特選とした(幹)。

「受刑者と・・」ー映画のワンシーンのような光景。こんなことが本当にあったらきっと減刑になるだろう(亜沙弥)。

・「愛惜の・・」ー何だろう何故なのだろうか、目にした瞬間に涙が出てきた(樹音) 


珍事がおこりました。金田一剛の全4句を選句したのはらふ亜沙弥さん。しかも一人だけ。佐々木朗希の完全試合のようですね(剛)。



★閑話休題・・(転載)☆★現代俳句協会の金曜教室へご参加ください★☆★

令和4年6月より、現代俳句協会本部にて新たに俳句教室が開催されます。

(対面方式の月曜、水曜、金曜とインターネットでの土曜の4教室)

現在、受講者の募集をしております。 

 ただいま、金曜教室の受講者を募集しております

講師は大井恒行氏、「豈」の編集顧問です。現代俳句協会の現代俳句評論賞の選考委員、また府中市生涯学習センター「俳句入門講座」講師などでご活躍です。

(ブログ「大井恒行の日日彼是」) 

 金曜教室は「教室」と言いながら型にはまらないのが特徴です。主に句会方式で行います。毎回講師よりお題が出されますので、とてもエキサイティング!参加者によって自由自在に変化する楽しい教室にご期待ください。

   現代俳句協会の会員でなくても、どなたでもご参加出来ます。

 

 ★金曜教室

 ★毎月第三金曜日 午後一時より四時まで(初回は6月17日から)

 ★投句2句。(お題あり)

 会場は現代俳句協会(地図はこちら

 東京都千代田区外神田6-5-4偕楽ビル(外神田)7

TEL 03-3839-8190 FAX 03-3839-8191

 会費(10回)1万円

 

●締切は令和4年5月10日(火)●

 協会は4月26日~5月8日まで休みですが郵便の他、メールやファックスでも受付けています。(メール:gendaihaiku@bc.wakwak.com

 

  詳細は現代俳句協会ホームページをご参照ください。


      芽夢野うのき「白髪を洗ふとき薔薇の花のこと」↑

2022年4月28日木曜日

清水哲男「さわやかに我なきあとの歩道かな」(「となりあふ」第6号)・・ 


 「となりあふ」第6号(となりあふ発行所)、清水哲男追悼号とある。句は招待俳人として、箭内忍選による清水哲男「緑のたきぎ あるいは古希の理路(2008年発表)」よりの22句。エッセイに今井聖「あれは違うよー清水哲男さんを悼む」、北大路翼「ふう、やれやれ」、府川雅明「愛の人」。まず、今井聖は、


(前略)哲男さん自身の生涯の歩みはまさしく「栄華の巷」を批評的に辛辣に見据えて「都の花に嘯けば月こそかかれ吉田山」の抒情を詩と俳句で詠われたように思う。


 とあり、また、北大路翼は、


 ビールを飲むのも抵抗だ。素面では、世の中の恥づかしさに耐へられなかつたのだらう。僕らが失敗したときも、すべて「ふう」の一言で飲み込んでくれた。その「ふう」のあたたかさ、やさしさ、重さ、哀しさ。僕にはお守りのやうな溜息だつた。

 終戦を敗戦と雑誌に表記したのも、清水さんの提案だつた。今のロシアを見たら溜息が止まらないんだらうなあ。


 とあった。愚生はと言えば、北大路翼も、箭内忍も退社した後に、そして、形だけは、偶然にも、清水哲男顧問職の後を継ぐことになった。が、愚生が文學の森入社の前日、吉祥寺のライオンに書肆山田・鈴木一民と一緒に呼び出され、入社に際してのアドバイスを、ビールを飲みながら受けたのだった。

 もっとも、清水哲男には、それ以前に、愚生の句集『風の銀漢』(書肆山田)の解説文をいただいていたし、FM東京の番組にも出していただいたことがある。思えば、清水哲男には、愚生と同じく、彼が少年時代を過ごした山口県の田舎の原風景があったように思う。ともあれ、以下に、同誌より、他のいくつかの句と、「んの衆」より、一人一句を挙げておきたい。


  鎌に寒星もう読むこともなきトロツキー    哲男

  ふくろうは飼われて闇を失いき

  どうせ死ぬわけかと凧を見ていたり

  ビールも俺も電球の影生きている

  物質に還る日なれば実南天

  被爆後の広島駅の闇に降りる


     清水哲男さん 悼

  Gジャンと煙草と黙とビアホール    箭内 忍

  梟鳴いて月蝕のま暗がり       神保千惠子

  裸婦像の坐りしベンチ猫の恋     鈴木わかば

  極月の警備本部のがらんどう     谷川理美子

  うぐひす徳利注ぐたびに啼き春立ちぬ  原 美鈴

  切手水色とりどりの花浮かせ     廣川坊太郎

  矢印の先病院と春の花舗       安田のぶ子

  門松とゴジラを立てて撮影所     山口ぶだう


清水哲男(しみず・しみず・てつお) 1938年~2022年3月7日、享年84。東京生まれ。


    撮影・芽夢野うのき「タンポポの絮の野原昨日飛んだ」↑

2022年4月27日水曜日

平敷武蕉「海に杭儒艮(ザン)の声降る銀河降る」(『島中の修羅』)・・


  平敷武蕉句集『島中の修羅』(コールサック社)、懇切な解説は鈴木光影「『 含みつつ否定する』沖縄文学としての俳句」。その中に、

 

(前略)野ざらし氏の俳句の流れをくんだ平敷氏の句は、季語の有無にとらわれず、また五七五のリズムからも自由である。それは、沖縄独自の言葉・ウチナーグチ(しまくとぅば)や本土とは異なる気候や自然物の言葉の使用に加え、沖縄戦の記憶や「構造的沖縄差別」に抗する内的衝動を抱いた、一つの必然的な沖縄俳句の姿であるとも思えてくる。俳句が人間にとって普遍的な文学であるならば、野ざらし氏や平敷氏の俳句によって日本本土的な歳時記俳句の常識が揺さぶられずにはいないはずである。(中略)

 平敷氏は、状況に絶望しながらも、それでも粘り強く思考し、文学による闘いを止めない。(中略)

 俳句が海外の多言語で作られるこれからの時代においても、本土とは異質の気候や風土を持つ沖縄は俳句にとって重要な土地である。そしてこの地から必然的に生れてきた「含みつつ否定する」平敷氏の俳句を、本土的な俳句観を絶対化せずに、いかに読むことができるか。「修羅」を抱えた島からの、現代の俳句読者たちへの問いかけでもあるだろう。


 と記されている。また、著者「あとがき」には、


  天荒俳句会に入会したのが一九八九年の十月頃なので、句作を始めてから三〇年余を継続したことになる。(中略)

 句会に所属していた頃は、月一回の定例句会があり、毎回、二〇句を提出、さらに定例句会以外にも、新年句会、観月句会、紀行句会などがあるが、それも不要不急の時以外は欠かさず出席したので、年間四〇〇句ほどは作句していたはずである。それを三〇年続ければ優に一万二〇〇〇句を越えることになる。(中略)「出来の悪い子ほどかわいい」というではないか。ただ、出来の悪さは結果であって、いい加減に向き合ったということではない。私なりに、現実と真摯に対峙し、言葉と格闘したのである。


 とあった。集名に因む句は、


    島中の修羅浴びて降る蟬しぐれ      武蕉


 であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


   月桃(サンニン)の葉裏めくれば亡父(ちち)の骸

   シーベルト嫌な言葉がなじんでゆく

   みちのくの瓦礫たどれば沖縄忌

   戦争を語らぬ父の手指がない

   凌辱のシャッター通りタスケテ―

   小満芒種(スーマンボース―)幻視の中の敗残兵

   滅びゆく国に抗い向日葵咲く

   人間の見えない村の雪だるま

   不夜城の闇に脈打つ「核発電」

   捩じ花空穿つほどの叛徒ではない

   洞窟のひとつひとつに兵の靴

   旱星(ひでりぼし)島は芯から枯れていく

   歌がみな抒情を拒む辺野古崎

   立ち入り禁止出入り自由の放射能 

      政府は高熱があっても、四日間は自宅で我慢せよとの方針を発表

   父逝った高熱続く四日目に

   土砂浴びた海にも銀河降りしきる


 平敷武蕉(へしき・ぶしょう) 1945年、うるま市(現具志川市)生まれ。



      撮影・中西ひろ美「行く春のうしろ姿にしか見えず」↑

2022年4月24日日曜日

安井浩司「廻りそむ原動天や山菫」(Ⅱ)(安井浩司『自選句抄 友よ』)・・

 

 救仁郷由美子「安井浩司『自選句抄 友よ』の句を読む」(14ー2)


        廻りそむ原動天や山菫       安井浩司


  (前略)自分が若い頃に夢みた文学の奇跡的示現、じっさいそう思ったことがあるので申しますが、俳句形式においてダンテの『神曲』に類するわが「神曲」をこそ成したかったのです。


 引用は『安井浩司選句集』(邑書林・2008年)に収録されている「インタビュー」の冒頭である。

 人にはいろいろ夢があるが、わが「神曲」を成したかったと安井は発言している。平成19年、『山毛欅林と創造』が刊行された直後のインタビューでの発言であり、まだ『句篇・全』六巻は途中である。

   わが神曲の思いあがり犬芥(いぬがらし)     浩司『汝と我』

 このインタビューの後、七年後に、わが「神曲」としての『句篇全』六巻、最終巻『宇宙開』が刊行される。

 そして、「ダンテの神曲に類する」安井の「神曲」は、掲句「廻りそむ」の世界観として表された。

 何故なら、句集『宇宙開』、第一句目「廻りそむ」の句だからである。

 掲句の「原動天」は馴染薄い言葉であるが、ダンテの「神曲に類するもの」から、導かれ ての『神曲』天国篇の「原動天」となる。

 ダンテ『神曲』「天国篇」(原基晶訳・講談社学術文庫)の解説によれば、十天からなる天国の第九天が「原動天」であり、最高の天である十天が〈至高天〉となる。この〈至高天〉をすべての中心とした「原動天」の不動の意志が、自らの場所とダンテなどがいる地上などの周囲の他の全天空を回転させていく。だから、全天空(第一天から第八天まで)の動きはあくまでも「原動天」を起点として動くということになる。

 掲句もまた、「廻りそむ」の「そむ(初む)が、ここから、長く続いていくときのすべてのはじまりの意味となる。

 少しダンテ的に『神曲』「天国篇」の「原動天」を言い直してみよう。

 『神曲』「天国篇」は神への愛と神から愛される地上を理想の世界とする。「愛」の叙事詩である。

 始原の〈神〉と被造物の組み合わせが宇宙の構造であることが示される「原動天」では、全宇宙のあり方、創造主の創造行為がダンテによって明らかにされる。


 ダンテは第二十四歌で詠う。

  我が思念が明らかになるよう助けたまえ。

 「俳句形式の私的絶対化(・・・・・・)の道(当為論)は、『私』にとって成立するのではないかと考える。つまり、この時点において、自らが即刻、俳句形式に対する創造主になることを命じて、だ」。


 上記引用は『海辺のアポリア』「定型の中でー覆したい独白ー」にあり、初出は、「俳句評論」昭和五十八年第199号にある。昭和五十八年は第八句集『乾坤』刊行、安井の四十七歳の年であったことを考えると、安井は俳句形式においての創造行為が掲句のうちで世界形成することを遥か以前から「かたり」かけている。

   廻りそむ原動天や山菫     浩司


*昨日、救仁郷由美子は、72歳の誕生日を迎えた。


           

撮影・鈴木純一「がんばれと言うしかなくてがんばれと言えばがんばると言って笑った」↑

2022年4月23日土曜日

久保純夫「久保るみ子/瑠璃茄子に身を委ねたり戀人よ」(『動物圖鑑』)・・


  久保純夫第14句集『動物圖鑑』(儒艮の会)、その「あとがき」に、


 第一四句集は『動物圖鑑』です。前句集『植物圖艦』に載せる俳句を選び、推敲も終わったときから、動物に関する俳句を作りはじめました。二〇二一年八月半ばから始め、一〇月の初旬にはだいたい終わっていました。そこからおもいついて「人」も作ることにしたのです。その間、小池真理子著『月夜の森の梟』に触発されて、オマージュ、あるいは魂鎮めとして一五〇句をものすることにもなりました。(中略)

 また畏れ多くも、番外として「人」の項もあります。ここに対象とした方方は、僕が大好きな作家のみなさまたちです。


 とある。ともあれ、ここでは、番外の「人」の項目かのみ、いくつか挙げておきたい。一人の作家に3句ずつが配され、そのうちの一句の太字の部分は、その作家の名が詠み込んであるが、ここでは、それも省略した(愚生のパソコン技術は、そこまで表記を複雑にできない・・)。


       鈴木六林男

    虚しさは林檎の赤と置き換えぬ       純夫

       西東三鬼

    再会の胸乳おそろし茸狩

       小川国夫

    國中の虹は二重と覚えたり

       中上健次

    蹴鞠する無上の極意児雷也よ

       那珂太郎

    たたなわる朗君あまた浮いてこい

       林田紀音夫

    桔梗の眠っておりぬおしらさま

       和田悟朗

    轟轟と楼蘭にあり馬の群

       三橋敏雄

    特別な使命とありぬ狼よ

       高柳重信

    白桃にピサの斜塔を育ており

       宇多喜代子

    麒麟児に夜が来ている紅蜀葵

       寺井谷子

    端正に匂う色の香獨楽の芯 

       加藤郁乎

    異界からくろしおあふれ夜光蟲     

       攝津幸彦

    識閾の眼の奥に雪が降る

       小池真理子

    真夜中の梁塵秘抄戀いにけり

       紀和 鏡

    隠国の神獣鏡の淑気かな

      

 久保純夫(くぼ・すみお)1949年、大阪府生まれ。



 撮影・芽夢野うのき「名は知らぬ花なれど、とて、花なるや」↑

2022年4月22日金曜日

救仁郷由美子「オメガアルファの春雲形(うんけい)蛇間に陽光(ひかり)射し」(「安井浩司へ 俳句無の時々②」)・・

         向かって右端・安井浩司(2009・6 男鹿半島)↑

          中央の帽子は、安井浩司の盟友・金子弘保
    

                 安井浩司へ 俳句無の時々②  


 文学における俳句形式のαとωは、幾たびの試練を経てなお永遠に問われよ(『句篇』ー終わりなり、わが始めなりー安井浩司・帯文より)

 ギリシャ語の最初の文字がアルファ、終わりがオメガであることから、最初から最後までを意味するが始原へと辿り返すならば、終わりなり始めなりと俳句形式を問う。

  オメガアルファの春雲形(うんけい)蛇間に陽光(ひかり)射し   由美子



     撮影・中西ひろ美「蝌蚪の紐見る今を見るごとく見る」↑

2022年4月21日木曜日

泰地美智子「老いた母に寄り添いかざす春日傘」(府中市生涯学習センター春季講座「現代俳句」第2回)・・


  本日、4月21日は、府中市生涯学習センター春季講座「現代俳句」の第2回目だった。前回に出した兼題「蝶」と「春日傘」で各人に2句持ち寄ってもらった。

 講議編で現代俳人一人を紹介しているのだが(時間が余り割けないので、レジメとして渡し、自宅で読んでいただいて可という具合)。今回は高屋窓秋にしたので、現代俳句鑑賞事典(東京堂出版)の高屋窓秋のページと「俳句」4月号の角谷昌子連載の「俳句の水脈・血脈」の第11回「高屋窓秋」の全ページをコピーして参考資料とした(愚生へのインタビュー記事も含まれていたので)。皆さん、初心者と言われて受講されていますが、句を拝見するとなかなかどうして・・・。愚生の若き日の入門時より、はるかにキチンと書かれている。ともあれ、以下に一人一句を紹介しておきたい。

 因みに次回、5月12日(木)の兼題は、無季の句(自由律可)と夏の季語で一句、合計2句の持ち寄りである。


  蝶々よ呂宋(ルソン)から運べ父の魂(たま)  清水正之

  和菓子屋をのぞく二本の春日傘         高野芳一

  羽搏つ影水面に映し蝶渡る           中田啓子

  キャベツ畑に湧き立つやうな紋白蝶      久保田和代

  初蝶やふわりと舞いて追いかけて        井上芳子

  春日傘胸に抱く子にさしかける        壬生みつ子

  舞い出でてひらり双蝶風に舞う         井上治男

  美仏へとはやる頭上に蝶の道          山川桂子

  雨上る木立の中を紋黄蝶            寺地千穂

  髪にリボン飛び回りし子夏の蝶        泰地美智子

  故郷の蝶舞う姿野良仕事            杦森松一

  木々匂う日陰の蝶を追いしとき         大井恒行


 


     撮影・鈴木純一「たけのこが土をつけてる誇らしげ」↑

2022年4月20日水曜日

中原道夫「回文に『ダリアもありだ』幸彦忌」(『橋』)・・

 

  中原道夫第14句集『橋』(書肆アルス)、その「あとがき」に(原文は旧仮名旧正字)、


 今回の句集のタイトル『橋』だが、どこにも〈橋〉を詠つた句は見当たらないはず。不意に浮かんだものだが、古希を過ぎた人生の〈過渡期〉といふイメージが、漠然と〈渡る〉、そして〈橋〉に繋がつたやうだ。どうしても、次なる地平を求めやうとすると、地続き、若しくは水の流れてゐない川だとしても、そこに架かる〈橋〉を渡らねばならない(気がする)。現に、今まで砂漠に現れては忽然と消える[ワジ Wadi]に架かる、存在自体無意味とも思へる〈橋〉を幾度か渡つた。無意味でも、水の流れてゐない〈橋〉をわたらねばならない。唯それだけ。ひとつだけ、こじつけやうがあるとすれば、私淑する橋閒石の名の〈橋〉は、「石」との閒に架かつてゐるし、氏の作品の中の〈柩出るとき風景に橋かかる〉の〈橋〉は、その時点では近未来のことでありながら、他者の葬列ではなく自己の葬列を眺めてゐるやうな不思議な安堵感に充ちてゐる。そして我々も生前に、そのうち渡る〈橋〉をしつかり見て措かなければならぬようだ。


 とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


   湯奴の湯あがりどきを失しけり      道夫

     神野紗希さん男子誕生二月五日

   産声は木の芽にもあり空に充つ

     三月廿一日四代目江戸家猫八急逝(六拾六歳)

   金輪際贋うぐひすは鳴きはせぬ

   ひとたびはふたたび誘ふ遠雪崩

   ひこばえを木の妄想と見做しけり

     六月廿七日金原まさ子死去、一〇六歳。かつて植田さえ子の名で「銀化」に

     投句、著書に『あら、もう一〇二歳』。自ら不良老女といふ

   金魚玉ゐないゐないBARに吊る 

   外つ國は行かねば遠し草の絮

     二月廿日 金子兜太逝く

   一老が一狼と化し雪解野を

     七月六日麻原彰晃死刑執行/

     前夜にはいつもより豪勢な食事が出ると仄聞する

   星合ひの前夜の餐とばかり思ひ

   容易なる仕掛けに見えて蟻地獄

   押し出しの敗けとは悔しところてん

     広島忌

   炎天はドームの骨をまだ舐る

   鉄砲は葱などよろし平和裡に

   こと醒めて投げ棄つも性若菜摘

   生れ来て奇禍とも知らぬ蝶の白

     後藤比奈夫先生逝去一〇三歳(六月五日)

   もう一度お出ましのあれ露の世に 

   花かつを黴のいのちも入れ削る

   茄子の馬どこで追ひ抜いただらうか

   ぶらさがることも修羅なら落ちよ柿


 中原道夫(なかはら・みちお) 1951年、新潟県西蒲原郡生まれ。 

   


    芽夢野うのき「胴吹き桜そんなところにまた来たか」↑

2022年4月19日火曜日

戸恒東人「春の夜やこころざしてふ『誌』の旁(つくり)」(春月自註俳句シリーズ1 戸恒東人句集〈1〉)・・


 春月自註俳句シリーズ1『戸恒東人句集(1)』(雙峰書房)、その「復刻改訂版へのあとがき」に、


  春月自註俳句シリーズ『戸恒東人句集(1)』は、平成十三年に俳人協会から刊行した自註現代俳句シリーズ『戸恒東人集』の覆刻改訂版である。(中略)

 制作年は、昭和四十五年から平成十一年までの二十九年間。私が大蔵省に入省し、退職した直後までで、年齢的には二十四歳から五十三歳までの間である。歌人であった父は、平成元年に七十六歳で亡くった。父の亡くなった年齢に達したいま、繰り返し繰り返し思い出すことは、親子七人で過ごした懐かしい故郷下妻のことである。


 と記されている。本集より、一・二抜粋する(原句のルビは省略した)。


   運動会消えたる国の旗つらね     平成4年

          一九九〇年代に入ると、ソ連・東欧の国々は分離独立して

          多くの新しい国が誕生した。

                   (季語・運動会、秋)『福耳』


   この蝶は冬衛のてふよ灘荒るる     平成9年

         一頭の蝶が荒海めがけて飛んで行った。私は韃靼海峡を

         渡っていった安西冬衛の詩の中の蝶かと思った。

                   (季語・蝶、春)『寒禽』  


  以下には、句のみになるが、愚生好みで、いくつか挙げておきたい。


   自転車に紙のからまる薄暑かな      東人 

   傷にまた傷を重ねて独楽の胴 

   癇の虫封じて山の笑ひけり

   散る花も残るも白し節子の忌  (愚生注:野澤節子)

   苗売の輪車(りんしゃ)は声で人を分け

   春眠に貌といふものなかりけり

   地球儀の流されてゐる秋出水

   絵襖(えぶすま)の山河もろとも古びけり

   狐火のなほ胸中に震災忌

   梁(うつばり)に洋燈(らんぷ)吊され誓子の忌

   夢の淵(わた)瀧は調べを持ちて落つ


 戸恒東人(とつね・はるひと) 昭和20年茨城県生まれ。



       撮影・中西ひろ美「これ以上近づくと恋春の露」↑

2022年4月16日土曜日

救仁郷由美子「厠から育む月日(げつじつ)如月仏の縁」(「安井浩司へ 俳句無の時々」)・・


             2018年6月6日 右端 安井浩司↑           

  救仁郷由美子から、安井浩司死去の直前、エッセイの原稿をブログに載せてくれるか、という声掛けがあり、あろうことか、ほぼ同時に、安井浩司の訃報がもたらされた。安井浩司『自選句抄 友へ』の救仁郷由美子によるエッセイの連載は、とびとびながら、残る3句となっていたが、自身、文章は、もう無理みたい、書けない・・・。俳句なら、少しは書けそう、と言ってきたので、『自選句抄 友へ』の代替えということにもならないが、句ができたら、その都度公開することにした。諸兄姉、お許しあれ。


       安井浩司へ 俳句無の時々   

          (1)水仙


   厠から育む月日(げつじつ)如月仏の縁      由美子

   水仙と三度(みたび)別れの媼おり

   侵入者夜音(やおん)立て来るやって来る  



     撮影・鈴木純一「籠の鳥せめて召しやんせ花ふぶき」↑

2022年4月15日金曜日

嶋野国夫「死に水の舌貝に似る小六月」(「ペガサス」第13号より)・・



   ペガサス」第13号(代表・羽村美和子)、本誌で、いつも読んでいるページに、檜垣梧樓のミニエッセイ「胡桃という酒場」(六)がある。その嶋野国夫についての随想中、「奥様の『水を待つ』で終っていた」の部分、「しばしば水を欲しがったが水を飲めるわけではない。舌を濡らす程度だが・・」というのがあった。医師も言っていたが、水を飲むというのは、末期の患者には、なかなか大変で、むしろゼリー状や小さな氷のほうが喉を通る。従って、じじつ、小さな氷片や、水分補給の為にOSー1やジュース、など寒天にして食べてもらうようにする。そうすると不思議に喉を通る。ブログタイトルにした句「死に水の舌貝に似る小六月」は、そのエッセイの末尾に添えられた句である。                             
 もうひとつの興味深い記事「雑考つれづれ」は、東國人「原民喜の俳句①」。愚生は昔、原民喜を下敷きにして、「人間はあきらめている夏の花」という句を作ったことがあるが、先年は、梯久美子の『原民喜ー死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)が出るなど、いくぶんかは広く知られるようになっているのではないだろうか。                  
 ともあれ、以下に、本誌5周年記念競泳「」の各同人の句を紹介しておこう(レイアウトが乱れているが、愚生のパソコン技術では正しようがない。読みにくさは、ご了承を・・・)。


五穀米しみじみ甘き開戦日           きなこ
未開の大地ムーンウオークを取り入れて   篠田京子
春愁の我を背開きする十指        瀬戸優理子
眼を開ける古都の五重の塔霞む       田中 薫
木の根開くペガサスに二十七士在り    徳吉洋二郎
風光る門は左右に開かれて         中村冬美
神話の扉開きそう春の山彦        羽村美和子
パンドラの匣かもしれぬ木の根開く     原田昌克
開けごまペガサス寒の闇へ翔べ       檜垣梧樓
人声を吸って牡丹の開きけり        水口圭子
ペガサスの声の北窓を開く         陸野良美
二度生きて今なら出来そう梅開く      浅野文子
開運招福パカッと鯖缶           東 國人
雪明かり「ペガサス」めざし開けゆく    石井恭平
いつたい何度開戦を聞く余寒        石井美髯
開会のファンファーレめく遠花火     伊藤左知子
金目鯛のはみだす開き網の上       伊与田すみ
くさめして非常口開く右脳かな       大川竜水
北窓を開けば遠いラクダの目        岡田淑子



撮影・芽夢野うのき「はつなつのはなもうなずきつつ揺れる」↑

2022年4月14日木曜日

濱筆治「はな雫まんまる透けてはるを呑む」(第4回「きすげ句会」)・・

  


 本日は第4回きすげ句会だった(於:府中市生涯学習センター)、句会前に、まず、府中市文化団体登録のための規約整備や、吟行句会の構想、また、次回までに、自己紹介もかねて、自分の好きな句(自他自由)を挙げて、感想、簡単なエピソードなどを書いて提出し、それを皆さんに読んでもらえるようにしたいと、代表の杦森松一から提案があり、そのためのA5サイズの紙が配られた。今回の兼題は、「蛙」(井上治男提案)だった。次回、5月19日(木)の兼題は、高点獲得の濱筆治が決めて、「鮎」、他に当季雑詠2句の計3句出し。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


   三世代花より団子の旅になり        井上芳子

   人生はなんとかなるさ山笑ふ       久保田和代

   土筆生う空地売りしと立て看板      壬生みつ子

   桃青も一茶も愛でし蛙かな         清水正之 

   太根(ふとね)天に突きあぐるままなお桜  山川桂子

   城の堀かわずやかましラブコール      濱 筆治

   キャンパスにピンクのトンネル笑顔咲く  大庭久美子

   若狭井の千年の水内陣へ          井上治男

   山桜つぼみ見つけて雲掴む         杦森松一

   かの石楠花かの牡丹とて老いたるか     大井恒行



      撮影・中西ひろ美「春は暗がり奥へ行くほど紫に」

2022年4月13日水曜日

遠山陽子「夏始まる蛇座は昏き星連ね」(「弦」第44号)・・

 

「弦」第44号(弦楽社)、特集は『遠山陽子 俳句集成』と『三橋敏雄を読む』、執筆陣は、髙野公一「『遠山陽子 俳句集成』を読むー日が昇り馬が走る宙(そら)」、関悦史「遠山陽子的極薄」、川名大「まなざしの継承ー『三橋敏雄を読む』についてー」、鴇田智哉「岬、そして」、角谷昌子「石を積む」、その他に、「拝受書簡より」、「自筆年譜 補遺」。ここでは関悦史のことばを、以下に、いくつか拾っておこう。冒頭から結びまでには、


  マルセル・デュシャンが晩年のメモに残した概念「アンフラマンス」は、「超薄」「極薄」と訳されることが多いが、実体をもつ物質の薄さをさすわけではないらしい。

 デュシャン当人は、人がたったばかりの座席のぬくもりはアンフラマンスであるとの事例を挙げている。影を落とすにに近い一時的な通過の跡といえるだろうか。

  著莪の花指のいたみは指でつつむ 『弦楽』

 指の痛みは座席のぬくもりの例と違い、つつむ指によってもたらされたわけではないし、つつむ指が離れ直接の接触が解けたとしても、それによっていたみが軽くなることはない。つまりいたみはアンフラマンスとしてあらわれているわけではない。むしろ「著莪の花」がアンフラマンスなのだ。(中略)

 遠山陽子(当時の俳号は飯名陽子)の第一句集『弦楽』の序文で藤田湘子は、その人と作品を「絹のような」と評した。印象による比喩にすぎないが、絹の触感や光沢がどこから直観されたのかを子細に見れば、このアンフラマンスとしての著莪の花となるだろう。

 ふれあった物たちが残す影やぬくもりのようなものの諸相とその審美化が遠山陽子の句の内実をつくる。名伏しがたい心理の襞につぶさに分け入ることが句のモチーフを成している場合ですらも、「自己」の鈍重さをまぬがれているのはそのためである。(中略)

遠山陽子の句には死後の世界を幻視しようとする類の超越志向は見られない。深みを探るのではなく、水平にずれようとし続けているといってもよい。(中略)

  もう誰の墓でもよくて散る桜  『高きに登る』

 座席に直前まで座っていたのは誰であってもどうでもよいのと同じように墓の主もどうでもよく、誰であっても桜は散るという認識。時間のスケールを引きのばしてしまえば人の生死も墓も次第に薄くなってゆく。自分以外の死は畢竟そうなるものと考えることもできる。

 ちなみにデュシャンには「死ぬのはいつも他人ばかり」なる名言があり、それが墓に刻まれているという。(中略)

  どうしても花火が平面に見える  『弦響』

 これも平面性の句。花火は球状に広がる。しかしどの方向からも平面の円形に見えてしまう。誰にも覚えのある内容の、諧謔味の勝った句であるし、そう読んで間違いではない。しかしここで重要なのは三次元が二次元に認識されてしまう次元の低減だろう。それはいわば極薄性の視覚化に近い事態なのだ。遠山の句はその狭間に匂いを放つ。

 

 と記されている。分析の見事さというべきか。ともあれ、以下に、本号の遠山陽子作品「『輪舞曲(ろんど)』以後」、から、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  軍艦島圧倒的な虫の闇         陽子

  風なく月なく命を賭けしこともなく 

  見えぬ手に頭叩かれ三橋忌

  外海の黒きを知らず冬鴎

  冬麗の野や止めどなき牛の尿

  晴男けふ晴ぼとけ冬紅葉

  海よりも駅舎にはげし夜の吹雪

  枝々に枝々の出て積る雪


 最後の「付記」には、「本号制作中、不覚にも大腿骨骨折、救急車で入院手術となりました」とあった。ご自愛と、一日も早い本復を祈念する。5月28日が、詩歌文学館賞の授賞式で、「それまでに歩けるようになって、出席したいと思います」ともあった。

 


     撮影・鈴木純一「タンポポや世界を敵にまはすとも」↑

2022年4月11日月曜日

久下晴美「新緑にゐて海底にゐる記憶」(『単眼鏡』)・・ 


  久下晴美第一句集『単眼鏡』(現代俳句協会)、懇切な序文は山﨑十生、その冒頭から、


 久下晴美さんの御尊父、吉﨑不二夫氏と私は、埼玉県俳句連盟を通じて知己の間柄であった。不二夫氏は、高柳重信、三橋敏雄、鈴木六林男、佐藤鬼房、赤尾兜子、林田紀音夫が選考委員だった「六人の会賞」を昭和五十一年に受賞され、平成七年に第三十五回の「埼玉俳句賞」を受賞されている俳句の世界でも有力な方であった。そういう俳人を父に、恵まれた俳句環境の中で育てられた晴美さんが、俳句を始める切っ掛けとなったのは、母上の命日に墓参りを済ませ、帰宅途中の車から遮断機が上がるのを見た瞬間に「句のようなもの」が浮かび、俳句を始めてみようかと思ったからとのことである。その時の思いを十七音にまとめたのがⅠ章の

  遮断機のゆつくり上がる春の雨

と云う一句である。(中略)

 特に句集名となった

  秋風をまるく切り取る単眼鏡

 は、作者が「あとがき」に「瞬間を切り取り十七音にのせる俳句は、単眼鏡で覗く世界のようだ」と書かれているように、自身の作句工房、俳句への態度を如実に示している。瞬間を切り取るということは、俳句には欠かせない要素である。韻文である俳句は、散文のように饒舌な表現ではなく、切り取った瞬間の断面の見事さが問われる詩である。


と記されている。その著者「あとがき」には、続けて、

 

 見たいものに焦点をあわせられなければ、ぼんやりとして歯痒い。ぴったり焦点があって、鮮明な画像を結んだ時の感動。それは俳句で表現することに似ていると思う。自分の五感で切り取った景をどう伝えるか、もがく日々が続いている。


とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


   かたつむり三歩先行く心かな      晴美

   真つ青な地球の上にゐて紅葉

   真夏日や切り取り線のない身体

   手がかりと云へば菜の花明りかな

   定位置に臍はありけり天の川

   ほんたうは水の塊渡り鳥

   どんぐりころころ一所懸命なら晴れる

   雲切れるあたりの山を恵方とす

   おはじきの青を弾きし白露かな

   グーグルマップ静寂の芒原

   四万六千日手の届かない背中

   真上から見つめる柩夜長し

   雪をんな位置情報が洩れてゐる

   黙食が辞書に載る日よ亀の鳴く

   マドラーに纏ひつく泡桜桃忌

 

 久下晴美(くげ・はるみ) 1956年、埼玉県狭山市生まれ。



      芽夢野うのき「消えて逝く時のかたみよ雪柳」↑

2022年4月10日日曜日

十六世川柳 青田川柳「みんな行ってしまって三途のサイコロ」(『牛のマンドリン』)・・ 

 


  十六世川柳 青田川柳作品集・平宗星編『牛のマンドリン』(あざみエージェント)、その「はじめに」に、著者の〈私の川柳観〉が掲げられている。


 十四世川柳 根岸川柳先生は「川柳は日本独特の短詩であり、凝縮とスピードが大切だ」といわれた。私の川柳では、形式よりも内容が重要であり、言葉の意味よりもイメージが重要である。

 私の川柳の三要素は、(1)「凝縮」(2)スピード感(3)「ベクトル」である。この三要素によって川柳は平面的なものから立体的なものとなり、ピカソやダリの現代絵画のようなイメージ豊かな比喩表現を用いた現代川柳となるのである。


 とあり、解説風の平宗星「十六世川柳 青田川柳論/シュールな原風景 モダニズム川柳への道」のなかには、本集名ともなった句、「牛のマンドリンを聴く騎兵ー秋の胃」について、


 「牛」という漢字から作者は「牛」のふっくらした乳房を連想し。その形状から「マンドリン」をイメージした。また「マンドリン」のイメージから「騎兵」の耳には心地よい音楽が聴こえてきたのだろう。作者はシュルレアリスムの手法を用いて「牛のマンドリン」という独自のイメージから、「マンドリン」という独自なメタファーを創造している。

 私はこのモダニズムの川柳には敗戦直後の日本を生き抜いてきた若者の原風景が描かれていると思う。昭和二十年の「秋」のある日、負傷した若い「騎兵」が日本に戻ってきた。飢えと性欲の極限状況の中でその若者は「牛」の乳しぼりをしている風景をじっと見ている。「騎兵」の頭の中には、「牛のマンドリン」のイメージから豊満な乳房をもつ女性の姿態と歓喜の声が聞こえてきたにちがいない。

 さらにこのモダニズムの川柳は、「騎兵」のあとに「ー」(ダッシュ)が入り、「秋の胃」が続く。この「ー」は「騎兵」の意識と無意識を連結している装置のような役割を果たしている。「秋」は食欲を誘う季節であり、「胃」はその食欲をあらわすメタファーであろう。

 

 と記されいる。また、著者「あとがき」の結び近くには、


 十四世川柳 根岸川柳先生は「連唱」という形式を発案しましたが、私はそれを川柳界に広く普及させたいと思っています。この形式は、俳諧のように約束ごとに捉われることなく、発句から揚句までイメージの連鎖で自由に展開したものです。私は、こうした「連唱」を通して「川柳という文芸は、どう考えようと自由である」という十四世川柳 根岸川柳先生の川柳観を継承し、独創的な表現を探究していきたいと願っています。


 とあった。ともあれ、本集より愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


   馬になる前の朝日が思い出せない      青田川柳

   水の中で割られてゆく頭

   月 マンホールを出て笑う

   人間をすだれにして 鬼火がみえる

   足跡を空に置いておきました

   ドア開くたび歴史と花がやってくる

   電柱が立っている 舌を届けにいった

   坂道で生活が転がってきた

   ポケットに虚兵かくして花火 

   山は紫 抜けると戦争だ

   口から船が出るぞ 舌を乗せてね


   青田川柳(あおた・せんりゅう) 1928年、兵庫県神戸市生まれ。

 


    撮影・中西ひろ美「休日は屋上で澄みきっていたい」↑

2022年4月7日木曜日

大井恒行「春盛りツネ(恒)は老老介護かな」(府中市生涯学習センター・春季「現代俳句」講座)・・


 本日、4月7日(木)は、府中市生涯学習センター第一期・春季「現代俳句講座」第一回だった。6月16日(木)第5回目までの講座で、終了予定である。12名の方々に参加していただいた。この講座を連続して受けられている方も多く、顔なじみの方がいらっしゃるのは、気心も知れてきてそれなりに、楽しみが生まれる。第一回目は、覚えの悪い愚生が、顔と名前を一致させるためと、それぞれの方々が、お互いに知り合いになって欲しいという意味もあって、初心者もそれなりのベテランの方にも、自己紹介俳句を作っていただくことにしている。選句はしないので、やむなく、愚生の句をブログタイトル「春盛りツネは老老介護かな」という自己紹介句を、皆さんと同じように、即吟で作った。

 ともあれ、その自己紹介俳句を挙げておこう。名前を詠みこむこと以外はフリーである(順不同)。


  濱筆治(はまふでじ)「筆で身を立て」親願う  濱 筆治

  ちるさくら井上芳子愛おしむ          井上芳子

  八十路越え井上治男春愁ひ           井上治男

  寺の地に花は咲くのか春過ぎて         寺地千穂

  久保田和代花吹雪に立ちつくす        久保田和代 

  卯の花や清水正之昼寝する           清水正之

  高野には二度目の受講春うらら         高野公一

  名は啓子夢追ひかけて花の山          中田啓子

  杉の森竹や梅あり松一(ひとつ)        杦森松一

  散る桜公園清掃壬生みつ子          壬生みつ子

  浅間山清しき芽吹きを桂子訪(と)う      山川桂子

  俳句読む泰地美智子春の風          泰地美智子



       撮影・鈴木純一「義理欠いて花の下へと桜餅」↑

2022年4月5日火曜日

岡本亜蘇「降る雪が時をもどしてゐのだらう」(「新・黎明俳壇」第5号より)・・

 

「新・黎明俳壇」第5号(黎明書房)、特集は「高浜虚子VS飯田蛇笏」、「二人の俳句から各8句、武馬久仁裕が選び、組み合わせ、気鋭の俳人、詩人8人に俳句の言葉に即して鑑賞していただきました」とある。その虚子VS蛇笏の一句鑑賞の8人は、山科誠・千葉みずほ・赤野四羽、村山恭子・井上優・田中信克・川島由紀子・なつはづき。ここでは、なつはづきの執筆部分を紹介しておきたい。句は、虚子「去年今年貫く棒のごときもの」VS蛇笏「極月やかたむけすつる桝のちり」、


 (前略)塵は物事のひとつひとつ。この句もまた時間は「点」である。時間を虚子は「棒」ー横につらなる「長さ」に着目し、蛇笏は「器」ー縦に増してゆく「深さ」として捉えた。俳句は瞬間を捉える、と言われるが、俳人たちはその瞬間である点を自在に操り、さまざまな「形」に変えるのだ。


 と記している。ブログタイトルにした句は、岡本亜蘇の連載「俳都松山便り④ 山頭火松山日記」の末尾におかれた句。ともあれ、以下に「黎明俳壇」から、いくつか挙げておきたい。


  蓮池の水に寝かせて鎌洗う     石川美智子(第28回・特選)

  いつかくる絶命の時蟬時雨     工藤厚子(第29回・特選)

  春を待つ小学校の鉄扉       眞鍋光彦(第30回・特選)

  五人目の傘の文字にも入らない   ギザギザ仮面(第28回・ユーモア賞)

  嘘嬉し敬老の日のケーキカット   斎藤あさえ(第29回・ユーモア賞)

  規格外「つ」や「し」の混じる胡瓜かな  長久暁(第30回・ユーモア賞)





★閑話休題・・「現代映画の陥没点 堀江実ドキュメンタリ—映画特集」・於:シネマハウス大塚・・・


日程:4月22日(金)~24日(日)
会場:シネマハウス大塚


 映画D「Kと流刑地」(2019)に、愚生と書肆山田・鈴木一民が一緒にインタビュー出演をしている。Kとは「豈」の表紙絵を長年にわたって提供してくれた風倉匠のことである。首くくり栲象(たくぞう)が、亡くなって、遺骨が置かれた彼の部屋でのことだったように思う。首くくり栲象は、先生と言えば、唯一、風倉匠だと映画A「首くくり栲象の庭」の中で言っている。FBに載った・作品情報には、

A「首くくり栲象の庭」2016年、73分。出演:首くくり栲象 音楽・藤田陽介、監督・撮影:堀江実。2018年に亡くなった稀代の首吊りパフォーマー・首くくり栲象を被写体として2014年末より一年以上に渡って撮影されたドキュメンタリー第一作。ただの記録にとどまらず、首くくり行為の虚構性を劇映画の手法を交えて映像化しようとした野心作でもある。

 (中略)
D「Kと流刑地」2019年、89分。1973年、前衛芸術家・風倉匠は北海道の網走へと移住し、カフカの小説『流刑地にて』の映画化を試みる。二年半つづけたものの、ついに完成することはなかった。首くくり栲象の師であり、日本のハプニング・アーティストの先駆者でもあった風倉匠は何故にこの映画を作ろうとしたのか。当時を知る者たちのインタビューや数多のテキストを頼りに、彼の思考と実像、そして戦後史をめぐる旅が2018年3月首くくり栲象の死とともにはじまる。

とある。その他、「黒澤美香ダンサーズ」もある。しかし愚生は、事情あって、籠の鳥で行けないが、興味を持たれた方は、是非、お出かけあれ!



    撮影・芽夢野うのき「さくら吹雪くまでわたくしを匿え」↑

2022年4月4日月曜日

重留香苗「就活の女のスーツらいてう忌」(『七つの子』)・・・

 


 重留香苗第一句集『七つの子』(本阿弥書店)、序は加古宗也。その冒頭に、


 香苗さんは”熱き人”である。それは友人に対しても、家族に対しても、あるいは花・鳥に対してもである。言葉をかえると出会いを大切にし、絆を深めることにいい意味での才能をもっている人だと思う。その才能が時に負に働くことも無いとはしないだろうが、そのことは持前の明るさで乗り越えてきたように見える。


 とある。また、著者「あとがき」には、


 (前略)私は、離婚後シングルマザーで、百貨店のアパレルの出向店長で二十年余りを勤め、課長職で退職しましたが、平成十五年、生まれ育った京都の宇治を離れ、会社の異動で名古屋に居を移しました。そしてこの地で俳句と出会い、又、主人との再婚をしました。この二十年は、私の人生の中で一番幸せな月日となりました。再婚後は、思いもよらぬご縁でまた、若い頃の夢であった幼稚園教諭として復職。十三年経った今もパートで勤めています。(中略)

 句集名は『七つの子』とします。〈木守柿母口遊む「七つの子」〉の句から取ったものです。

 私の母は、二十歳の若さで山口県から嫁ぎ、幼子三人を残され戦争未亡人になりました。その後江戸時代より続く宇治茶の生産農家が大事と戦死した夫の弟と再婚し、私たち四人が生まれました。母は辛く苦しい時はいつも、童謡の「七つの子」を唄っては慰められた、とよく私に話してくれました。それで、以前から句集を出すときは、『七つの子』にしようと決めていました。


 とあった。ともあれ、愚性好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。


   母米寿「おおきに」ばかり云うて萩       香苗

   露しぐれホームで父に書く手紙

   子に戻る母に頬摺り小豆粥

   大百足その足全部上げてみよ

   だしぬけの解雇予告や春の闇

   茶畑をめぐる柩に茶師の父

   さみどりに豆の煮上がる多佳子の忌

   さみしくてだれにでもつくゐのこづち

   埋火や母に前夫のラブレター

   木枯しや両手は子等を抱くために

   図書館にゲンもアンネも開戦日

   母を待つ汗の子延長保育の子

   春北風の紙ひかうきの屋根に乗る

   吾も娘も母も再婚冬ざくら


 重留香苗(しげとめ・かなえ) 1952年、京都府宇治市生まれ。



    撮影・中西ひろ美「春日や降らず晴れずもそのままに」↑

2022年4月2日土曜日

山﨑公一「夜も更けた明日にしたら探し物『私に明日あればそうする』」(『挽歌日乗五百』)・・


  山﨑公一歌集『挽歌日乗五百』(私家版)、山﨑公一、彼は歌人ではない。だが、妻を看取り、その後の約一年、妻の墓を建てるように、500首を目標にして、短歌を作った。妻の名は「てる子」、1952年、佐世保市生れ、2021年3月1日、腹膜がんにより永眠。享年69。


 みまかりしきみは何処へ旅立ちぬ三月一日十六時三十二分    公一


「あとがき」は、実娘の山﨑泉「本書に寄せて」、その中に、


  我が父がふたたび熱心にPCをいじりだしたのは、母が亡くなってすぐのことだった。(中略)

 それなのに父は何かを執筆している。・・・というより、ずっとディスプレイに向かって考え込んでいる時間のほうが長い気がする。聞けば、病床の母についてつづった短歌をまとめ、本にするのだという。

 短歌?彼にそんな趣味があるとは初耳だ。実際、母が末期に入ったあたりで、自然とノートに書きとめるようになったらしい。

 目標は五百首。私は短歌はさっぱりだが、その量が初心者には大仕事であることはわかる。しかも、旅立った人との思い出をつづるということは、同時にその喪失感を何度もなぞることを意味する。母のことを形に残したい思いは痛いほどわかるが、辛い作業ではないだろうか。正直、少し心配になったりもした。

 ともかく、母を亡くしてあきらかに気落ちしていた父の慰みになるならと、私はテレワークの傍ら見守ることにした。(中略)

 ところで天国の母がこの短歌集を見たら、どう思うだろうか。「あらあら、ハム一さんたらこんなの出して」、「こんなこと言ったかな」などと困ったように言って、それでも最後には「ハム一さんらしいんじゃない」とはにかみそうだ。結局は似た者夫婦だから。


 とあった。縁は不思議だ。この泉女史が誕生したばかりの頃、山﨑公一・てる子夫妻と同じ団地に住んでいた愚生夫婦は、愚生が夫君と、組合の争議団闘争の現場で知り合った縁で、短い間だっだが、保育園のお迎えをして、彼等が仕事から帰ってくるまでの時間、預かっていた時期がある(実際は、愚生ではなく妻が一人で見ていたのだが・・・)。その後は、お会いする機会がほとんどなかったのだが、山﨑公一の登山体験を書いた『山行記』と、泉女史のことが書かれた『イーちゃんの保育日誌』(いずれも私家版)はいただいていた。表紙絵は山﨑泉。ともあれ、絶唱揃いの500首なのだが、ここでは、いくつかを紹介し、挙げておきたい。


   ニ〇一九年七月〇日 (愚生注:以後、月日は省略)

 遭難(こと)あらば「私生きてはいけないわ」われのザックに重石のように

 病状をずばり言いくる医師なれど「私は好きよそんな先生」

 韓流のドラマにはまる君なれば三度も見たり「愛の不時着」

 抗がん剤効くものなしと聞かされて医療を嗤(わら)う地の果てへ駆け

 在宅の終末期ケア説かれつつわが妻なれどどこかひとごと

 麻薬増え時間と量を記録する在庫管理のわれは売人

 今宵よりベッドの下で宿直(とのい)する予期しながらもついにここまで

 オキノーム飲めば痛みが取れるらし4(フォー)は半減3(スリー)ならば消ゆ

 老老の介護はともに転(まろ)びつつわれらあらたに夫婦となりぬ

 きみの目がどこか遠くを飛んでいる遠くへ行くな遠くを見るな

 おいしいわ苺ジュースこれ飲めば生きていけますイチゴニンゲン

 氷割りかけらひとつを口におく見守りだけの長い一日

 唇を終日濡らす介護とはこれがまさかの末期の水か

 唇の動きを読めばごめんねと聞こえるならば空耳であれ

 もうゆくか弥生三月わかれ月われも続かんその野辺で待て

 葬儀社の問うオプションに答えゆくきみが遺せし言葉に沿うて

 母はいま夜ごと娘に会いに来し妻はいつ来る夫の夢に

   半世紀前のこと

 山が好き野猿峠を登りゆきひな鳥山で出会いしわれら 

 いつの日かてる子語録を作ろうと娘言い出しそれきりになり

 仏壇も位牌も置かぬせめてもと投げるわがうたみきみは受けとれ

 短歌とはわが身にまとうときどきのよそゆきの服いくさの鎧


 撮影・鈴木純一「ひと雨にひと夜に√2(ルート2)分咲きに」↑