2016年6月30日木曜日
流ひさし「空の中に虹現れて鳥立てり」(『LOTUS』第33号)・・・
「LOTUS」第33号は「森久/流ひさし 追悼号」である。
流ひさしのLOTUS時代の誌上句集として、作品308句も掲載されている。
流ひさしは本年2月12日に死去。享年65。愚生もそうだが、「未定」創刊同人だった。東大では俳句会ともども将棋部に所属したらしく、愚生などは完敗もいいところだったような・・・。
追悼文は、同人以外では、かつて学習塾を共同経営したという小林恭二、「未定」の高原耕治、また清水愛一、高柳蕗子、久保明が寄稿している。高柳蕗子によると、俳句を中断していた時期は青山鉄夫という筆名で歌誌「かばん」に所属していたという。
以下に寄せられたLOTUS同人以外の面々のいくつかの追悼句を挙げておくこう。
脱ぎ捨てて君はとうめいに大空に抱かれまさぐりすすり呑む青 高柳蕗子
微風にともる
魔の
かの昔日の
蟬しぐれかな 高原耕治
虫こぶの
またたびいらず
旅烏 田沼泰彦
皇宮の
森の
流れの
久遠かな 山口可久實
流れゆく春の夢こそひさしけれ 今泉康弘
ひはかげるさはげるせおとしづまれよ 上田 玄
流れるあかるさ ひさしきは丘の火よ 大井恒行
森氏に「寸志とて藪の入日を賜りぬ」の一句あり
得しものはなけれど清(すが)し懐手 小林恭二
いちがつの真空を行く羽音在り 増田まさみ
以下はLOTAS誌の中で引用されたいくつかの流ひさしの句である。
海時化てががんぼを出す天袋 ひさし
春の水かわいて春ののこりけり
水底の陽を漕ぐ薔薇をなす灰よ
星々は月には触れず椿落つ
秋の山しづかに土をつみかさね
滴りの落下の途中にて終る
もう蝶の飛ばぬ野原を蝶とべり
オシロイバナ↑
2016年6月25日土曜日
福島菊次郎追悼写真展で福島泰樹に会った・・・
本日と明日(26日)、愚生の勤めている府中グリーンプラザ5F展示ホール((京王府中駅すぐ)で「福島菊次郎追悼写真展」(主催・福島菊次郎写真パネル保存会・無料)が行われている。
午後の昼食後の巡回で展示ホールの前を通る時、見覚えのある人だな、と思ったら、誰あろう、愚生第二句集『風の銀漢』の跋文をいただいた福島泰樹だった。思わず声を掛け、久しぶりだと握手し、ハグした。写真展は夕刻5時の勤務が終わってゆっくり観た。
戦後民主主義の極みやマスメディアに飼い慣らされて国滅ぶべし 福島泰樹
府中グリーンプラザ入り口でポーズをとってくれた泰樹氏↑
そのパネルの中に、愚生が二十歳の頃に京都で出会って、先年亡くなった牧田吉明「ある挫折、牧田吉明の青春」というのもあった。また、郷里、山口県祝島の原発反対運動の写真にも興味を魅かれた。
福島菊次郎は国家からの年金支給を拒否し、島での自給自足の生活に入ったが、胃癌のために島での生活を断念した。
山口県下松市出身、94歳で亡くなる直前まで現役写真家としての生を全うした。かつて愚生が読んだのは『戦場からの報告』(社会評論社)の三里塚闘争を収めた写真集だったと思う。数年前に横浜の「日本新聞博物館」での展示を観た記憶もある。
展示の多くは「日本の戦後を考える」というテーマで括られ、原爆被災者、自衛隊、鶴のくる村、東大闘争、靖國神社など天皇制を含む差別問題など、いわゆる社会問題への批評を貫いたものばかりだ。まさに叛骨の写真家にふさわしい内容だった。
ワルナスビ↑
2016年6月24日金曜日
志賀康「言わざりしこと返しあう山と海」(『幺』)・・・
「俳句界」7月号(文學の森)の特集「私の一冊ースペシャル」は、それぞれの作者の在り様、現在の志が伺える好企画である。
そのなかでごく稀なことだが、安井浩司が執筆している(現在、総合誌に安井の文章が読めるのは本誌のみではなかろうか。貴重である)。
そこに、取り上げられているのが、志賀康『幺(いとがしら)』(平成25年刊・邑書林)である。安井浩司は以下のように記している。
過日、当方は恥ずかしながら〈宇宙開〉なる詩業に挑んだが、志賀康『幺』は、そこを更に推し進め、宇宙神秘の開示を志していたのだ。作者の言ういとがしら(傍点あり・・・・・)とは、その糸先の極細い、鋭い細密な探針をもって、自然の妙理、かつ古代実存の秘所を確実に探り当てようとするのだ。(中略)
そこでは、いわゆる意味の跛行運動というか、凡庸な意味の伝達を断ち、新しい関係が成されている。それは俳句史に於けるいとがしら(傍点あり・・・・・)的な尖端に誌心を預け、無限宇宙をまさぐる堂々たる試運転でもあろう。昨今の軟弱な姿勢の中で、強固な骨骼(こっかく)を現わした句集として、敢えて申せば、現代俳句の勲(いさおし)の一巻なのである。
因みに、その他の「私の一冊」の執筆者と書を挙げると、冨士眞奈美は松尾あつゆき著『原爆句抄』(書肆侃侃房)、眉村卓は坪内稔典著『一億人のための辞世の句』(展望社)、金原瑞人は御中虫著『関揺れる』、大輪靖宏は高濱虚子『俳句への道』、宇多喜代子は現代俳句協会編『昭和俳句史作品年表戦前・戦中編』(東京堂出版)、池田澄子は林桂著『ことのはひらひら』(ふらんす堂)、齋藤愼爾は原満三寿著『いまどきの俳句』(沖積舎)である。大輪靖宏を除いては、近年出版された著著ばかりである。スペシャルということで、編集部がたぶん近年に出版された著作を挙げるよう要望したのかも知れない(もっとも、松尾あつゆき『原爆句抄』は復刻と言ってよいが貴重な句集である)。句集のみから以下にいくつかの掲載句を挙げておこう。
子の母も死す、三十六歳
なにもかもなくした手に四まいの爆死証明 松尾あつゆき
自ら木を組みて三児を焼く
とんぼう、子を焼く木をひろうてくる
セックスぢゃなひんだ関の微振動 御中 虫
関揺れる人のかたちを崩さずに
咳をしても一人 尾崎放哉
日本の夜霧の中の懐手 髙柳重信
妹よ見えない先はまだ翼 志賀 康
葦原を八度潜れば風の卵(らん)
海の蝶最後は波に止まりけり(折笠美秋)
阿蘭陀坂に海の恵みの入日かな 林 桂
死亡退学届。手続きに両親の元に行く
のが辛くて、一人っ子だしね。とクラス
担任は言う。
葛の葉の起ちあがらんとして斜め
ノウゼン↑
2016年6月22日水曜日
山﨑百花「身の錆の水に溶けざる涼しさよ」(『五彩』)・・・
山﨑百花『五彩』(現代俳句協会)は彼女の第二句集である。がしかし、第一句集はまだ日の目をみていない。原稿が某版元に眠ったまま序文待ちだと聞いたことがある。従って『五彩』は第二句集ながら、昔風にいうと処女句集である。
本句集の序文は松浦敬親。序文そのものが、優れて、現代俳句論であり、芭蕉論、山本健吉論、桑原武夫論にもなっている。その最後に以下のように餞している。
最後にもう一つ。文学の言葉は自他との血みどろの戦いによって獲得するものである。だから、それを百花さんに強いたりはしない。虚子がしたように、第二芸術やそれ以下の現実にたっぷりと根を張り、そこから、豊かな養分を吸い上げて、時々第一芸術の花を咲かせる道もある。悩んだら、そう言って居直るといい。その方が長続きするし、文章力もつく。百花さんには文章の才能もあるので、これが一番よい道だろう。そうやって思いを深化させ、その深化を俳句の言葉として持ち帰った時、俳句は文学になる。
句集の装丁(小島真樹)も落ち着いた感じで良いものだが、挿画は「豈」同人でもあり、早逝した長岡裕一郎、感慨深い。それに本句集はよくある句集のように、四季別になっているが、何よりも歳時記の分類に従って、さらに時候、天文、地理、生活、行事、動物、植物の項目に分けてある。そして、雑の部立もある。それを、松浦敬親は、
「俳句で発句を含む歌仙の内容をすべて扱う道」ということになる。従って、歌仙の一句一句を独立させたような多様な句が並んでいる。巻末の「麻風(まふう)賞」(俳誌「麻」を創刊した菊地麻風を記念した賞。30句競詠)の応募作品8編は「歌仙のように、連作や群作で行く道だ」。一句一句が独立していることは言うまでもないが、30句全体でそれ以上の何か(思想や世界観など)が醸し出されていれば、作品として成功だ。
と解説する。そのようにみて、百花作品の成功率は高い、と思う。よろこばしいことだ。まだ見てはいないが、幻の第一句集より、きっと、この第二句集の方が優れているにちがいない、と思わせる。
ともあれ、以下にいくつか、句を挙げさせていただこう。
山﨑百花(やまざき・ももか)、1947年、青森県弘前市生まれ。
死してなほ骨立ちあがる敗戦忌 百花
ロザリオ祭長子も末子も母は愛す
見上ぐれば日のある不思議昼の虫
悲しみに添へぬ悲しみ梨を剥く
弟切草倒れ易くてたふれたる
ミトコンドリアにイブの血の濃さ寒卵
体力のこのあたりから風邪といふ
冬木の芽みな大空を胎として
大夕焼地球はいまも燃ゆる星
競泳の水着にもあり進化論
星飛ぶや人に地上の願ひごと
一灯へ集まる雪の五彩かな
壊れゆく母とは我か浮氷
仏眼や澄む水に日矢たちてをり
2016年6月20日月曜日
池田澄子「前ヘススメ前へススミテ還ラザル」・・・
池田澄子夫君の著書を紹介する。愚生の記憶では、攝津幸彦の亡くなったとき、夜、池田澄子のお宅に数名が集まって、その連絡にあたり、確か、各新聞社宛にその死亡記事を作っていただき、FAXを送る際に一度だけお会いしたことがある、と思うが、優しそうな人、という印象以外は、今、あまり思い浮かばない。ただ、夫君は、ここ数年、週に数度の人工透析をしながらの執筆だとは耳にしていた。
池田龍夫著『時代観照ー福島・沖縄そして戦後70年へ』(社会評論社)。略歴には、1930年生まれ。ジャーナリスト・日本記者クラブ会員。
主著に『新聞の虚報・誤報』(創樹社)、『崖っぷちの新聞』(花伝社社)、『沖縄と日米安保ー問題の核心は何か』(社会評論社・共著)などと、愚生が現役書店員だったころの社会科学書関係の懐かしい出版社の名が眼に入った。
ああ、そうなのか、この道一筋、筋金入りの人なのだ、と思ったのだ。内容は主にウェブ上の「ちきゅう座」「NPJ」に掲載されたものをまとめたとあるから、読めば、まさに只今現在の、現実認識に、その批評眼とともに、時代状況の困難さを思い知らされる。
第1部2010~2011年から第5部2015年までの項目のみの目次が13ページも続くのを見ても継続する眼を感じる。。そのことが帯文にしるされている。
2011年3月11日の東日本大震災・東京電力福島原子力発電所の惨事から、戦後70年を迎えた2015年、9月19日の自民・公明連立政権による安保法制の強行採決にいたる約5年間の、日本における政治的焦点をめぐる「観照」を集大成した。憲法を破壊し戦争ができる国家へと進む安倍晋三政権とそれに抗議する市民の抵抗の記録でもある。
ついでと言っては憚られるが、俳人にして写真家の豊里友行(39)の「基地の島直視 俳人が詠む」「沖縄の戦いは現在進行形」という東京新聞6月18日夕刊記事に彼の、沖縄を詠んだ句が紹介されていたので、以下に紹介する(記事には、彼の写真・シュワブゲート前・ガマの中の水没する遺骨なども掲載されている)。
蝶の影奪う基地は白い海 友行
蛙啼く声紋を剥ぐ基地の闇
怒怒怒怒怒怒オスプレイ怒怒怒怒怒怒
牛蒡(ごぼう)抜きされてく草の民の声
鮮やかな原野遺骨に星のさざなみ
ネム↑
2016年6月18日土曜日
森田廣「海全体が墓なんだよ飛魚とぶ」(『樹(き)』)・・・
森田廣(もりた・ひろし)は1926年島根県安来市生まれ。九十歳翁だ。健在である。
句集『樹』(霧工房)の「あとがき」に、
かつては未熟の歩みを重ねていたとしても、句想の飛躍をのぞむことが出来るという多少の自負もあった。が、九十歳の寿齢にめぐまれた今、感覚的な弾力がかなり乏しくなっているのは否めない。然し、諦念のはたらく一方で、内なる問いかけはおのずから自在性を得ているという思いもあり、たとえて、古木のさくらの枯れた風情を見せつつも、なお葉桜のそよぐはなやぎをもつ姿に通う意識と言ってもいいように思われる。
(中略)
混沌の思いは尽きないが、最晩年と言っても差し支えない只今の句業に、何程かの実りがあれば幸いである。なお、かなづかい表記は現代かなづかいに依っているが、例外として「いづも」は歴史的かなづかいとした。(中略)
二〇一六年 初春
先師福島小蕾の句「われひとや出雲純系雪消えゆく」をこころに。
と、しるしている。以下にいくつかの句を挙げさせていただく。
尽未来谷間の墓に春立ちぬ 廣
愛でらるる阿保は絶えて稲の道
夜時雨を近づくは聖赤ん坊
オオクニヌシという大闇や栗の花
母恋の陰恋となる星月夜
産土神(うぶすな)の深股妻も髪に霜
かぁんと鳴る寒林かわが首か
はんにゃはらみつ窪眼にあふれ寒昴
トケイソウ↑
2016年6月16日木曜日
首くくり栲象(たくぞう)「6月の庭劇場のご案内」・・・
愚生が二十歳を少しでたばかりのころ、古沢栲(たく)、現在の首くくり栲象(たくぞう)に出会った。
しばらくして、彼の部屋で、まだ、俳句界に登場していない仁平勝(その頃、彼の愛称はジミーだった)に、そして、「豈」の表紙絵を提供してもらっている風倉匠に出会った。
かつて杉並公会堂や草月ホールの大駱駝艦の公演など、彼のいくつかの首吊りも観た。
ユーチューブは「密着24時!首吊り芸術家 - The Hangman」で観られる。
梅雨空の下でも、自宅兼の庭劇場は毎月行われる。
終わると、彼は、酒と手作りのちょっとしたものを出す。6畳の部屋は、人で埋まる。
以下はその庭劇場の案内である。
●開催日と開演時間
〇6月28日(火曜日)夜8開演
〇29日(水曜日)夜8時開演
〇30日(木曜日)夜8時開演
開場は各々十五分前
〇雨天時も開催
〇料金→千円
〇場所→くにたち庭劇場
◎庭劇場までの道筋
中央線国立駅南口をでて大学通りの左側を一直線に歩き、二十分ほどで唯一の歩道橋に出ます。そを左折する。右側は国立高校の鉄柵で、鉄柵沿いに歩いて三分ほどで同高校の北門に到達します。その向かいの駐車場(赤い看板に白抜き文字で『関係者以外立入り禁止』の文字が目印です)に入って下さい。左奥で、木々の繁みにおおわれた、メッシュシートで囲まれた、平屋の中が庭劇場です。
なお国立駅と向かい合っています南武線谷保駅からですと、谷保駅北口をでて国立駅方面へ大学通りを直進。七分ほどで唯一の歩道橋に着きます、こんどは右折し、以下国立駅からと同記述です。
首くくり栲象
電話090-8178-7216
メールアドレス kubikukuritakuzou.japon.kooi@ezweb.ne.jp
庭劇場:国立市東4-17-3
http://ranrantsushin.com/kubikukuri/keitai/
クチナシ↑
2016年6月14日火曜日
川口重美「六月猫が曲つた方へ曲らう」(宇多喜代子『俳句と歩く』)・・・
25歳9か月で逝った夭折の俳人・川口重美の名を知ったのは、数年前、遺句集の復刻版『川口重美句集』によってである。これも宇多喜代子の手配によるものだった。川口重美は宇多喜代子と同郷の山口県、愚生にとっては同窓ともいえる山口高校、旧制山口中学には、ほかに詩人の中原中也、俳人・種田山頭火、小説家・嘉村磯多がいる。これに川口重美が加わったのだ。これには、さしたる意味もないが、とおく離れてしまった故郷の幾人かを何かにつけて思う望郷ナショナリズムのようなものかもしれない。そういえば、金子みすずもそうだが、愚生にはなじみが薄い。故人を別にすれば、現在の同郷の俳人ならば、宇多喜代子、江里昭彦、葛城綾呂、河村正浩、藤田美保子、福永法弘あたりが思い浮かぶ。
宇多喜代子は『俳句を歩く』(角川書店)に次のように記している。
川口重美が山高理科を卒業したのは昭和十九年九月、短縮卒業で東大第二工学部建築科に入学したのが同年十月、まさに戦火盛んな時期である。翌年が敗戦。敗戦後国家観や制度の変化変貌に混沌とした日を過ごした青年の一人であった。そんな中で俳句を始めた連中にとって、昭和二十一年五月に創刊された「風」は、いまや黄変はなはだしい全三十二頁の雑誌ながら、若者にはさぞ魅力があったろうと思われる内容である。(中略)
そんな若い重美は、女学校を卒業したばかりのS家の栗子さんの婿養子として結婚した。多分に経済的なことが絡んでことだったのだろう。ところが、大学三年の重美は、この幼妻から離れて倉石悦子さんという「戦争未亡人」と同棲(どうせい)するようになる。下関の小さな古書店を営んでいた女性で重美より六歳年上、彼女には十歳くらいの男の子がいた。
その幼妻・栗子との千葉での生活は、重美とは別の部屋を借りて暮らし、下関の身内には一緒に「居る」と思わせていたのだそうだ。やがて重美は大学を卒業、説得されて栗子同伴で下関に帰郷した。しかし、重美は死ぬ前日、上野燎に悦子と別れるつもりはないと話し、千葉から追いかけてきた悦子と旅館でアドルム(睡眠剤)を飲んで心中を選んだ。昏睡の二人を発見したのは、悪い予感を抱いた上野燎。
渡り鳥はるかなるとき光り 重美
生きたかり埋火割れば濃むらさき
泳ぐ身をさびしくなればうらがへす
焼跡やかつてもこゝらまくなぎ居し
炎天下穴に沈めり穴掘りつゝ
炎天の羽音や銀のごとかなし
炎天の鶏まつ毛なきまばたきを
金星見放しこの道曲らねばならぬ
ギンバイカ↑
2016年6月8日水曜日
阿部鬼九男「ひるがほや非在といふも沙鳴きせる」(『夏至殺法』)・・
阿部鬼九男が昨年末、12月19日に亡くなって、はや半年が過ぎようとしている(享年85)。実弟の阿部幸夫(さちお)氏より、以下のようなお話が来ている。
鬼九男逝去ののち、遺品の整理をしていたところ、句集『夏至殺法』30冊、『櫻襲』10冊が手元に残されていたので、ご希望の方々に、お譲りしたいとのこと。ただし、一人一冊(本代は無料、送料は申込者負担)にてご容赦下さい、ということである。
御入用の方がおられれば、連絡していただければ有り難く、詳細は、阿部幸夫氏に直接お申込み下されば幸甚です。連絡先は、
阿部幸夫・携帯電話 090-1467-0279
・住 所 150-0035 東京都渋谷区鉢山町5-9
すひかづら出してするすみ鏡の間 『夏至殺法』(端渓社・1985年)
ふりむけば落つる月日をさるをがせ
「この先避難所」白き言葉の陽涸らし
ふうせん葛はフーコー振子にはならぬ
夏(か)の國に木槿の夢を拓くなれ
わが身のみ薦(こも)を出でゆく花祭 『櫻襲』(端渓社・1976年)
明日又明日マチウ火を負ふ麦は扉(と)に
粥の木の昏くかやすく鬼かくし
空の空たり口中に鳥滅ぶ
一人死ぬ日向水二人死なぬ
裏口でのけぞる母か枇杷の花か
夏至至らば大工に與ふふくみ釘
くるしみのふりむけばみな芒原
2016年6月6日月曜日
坂間恒子「現代俳句雑感」(『現代俳句を探る』遊牧社)・・・
『現代俳句を探る』遊牧社は、「遊牧」100号を記念して「遊牧」に掲載された「好句をさぐる」「遊牧の一句」「遠交近交」「現代俳句雑感」などをまとめて刊行した一本である。
おおよその現在の俳句の在り様が伺える好著であり、「遊牧」が「海程」同人を多く抱えていることもあって、金子兜太にならうように俳句状況に竿さしている様がよくわかる。
ここでは、「豈」同人でもある坂間恒子を贔屓して、彼女の「現代俳句雑感」を紹介することにした。
まず〈1〉の「言葉の向うに」では飯島晴子の句をあげ、〈2〉では攝津幸彦の句を取り上げ、結論たる〈3〉では「実践批評」として桑原武夫「第二芸術ー俳句について」やリチャーズの「実践批評」に筆を伸ばしている。いわば現代俳句の可能性を追及してしているさまを考察しているのだ。飯島晴子については以下のようにまとめている。
現代俳句の可能性を求め、新しい境地を開いっていった晴子。読み手に正解を与えない俳句は、読み手のなかに「読み」の行方が委ねられる。そこには、俳句自身の厳しい自立があり、読み手にも俳句的因果律による「読み」の甘さを許さない自立を要求してくる。
白き蛾のゐる一隅へときどきゆく 『蕨手』
何のために、どんな方法で、なんて何の意味もない。
ところで、「遊牧」代表の塩野谷仁は「序に代えて」で、自らの目指すところ、つまるところ「遊牧」の同人が目指すべきところを「俳句」(平成25年4月号)のアンケートに答えた4項目「俳人100名言」から引いて示している。
その中でも俳句形式にとって大事と思われた部分を以下に紹介する。
②「俳句とは何か、五七調の最短定型詩です」(中略)つまりは、俳句とは、五・七・五字音を基本にする詩形式であるとのことだが、思いの丈は「詩形式」に傾けて受け止めて来た。俳句と言えど「詩」がなければならないとも思いである。
この「詩」とは何か。その中味の核は「叙情」と勝手に解釈している。つまり「存在の純粋衝動に裏打ちされた詩の本質としての抒情」すなわち「存在のかなしさに根ざした衝動」で、そこに「叙情」の根があると思っている。
以下、「遊牧の一句」から、
唇のしずかな水位羊歯ひらく 清水 伶
みちのくや時雨の芯も放射能 みちのくたろう
一本の独活見てからの無数の独活 大畑 等
龍の玉泣くなといわれ泣いている 松本梨麻
母の日の母筋トレをしておりぬ 相川玖美子
ここからは記紀以後の闇金木犀 塩野谷仁
2016年6月5日日曜日
政治を変えよう!6.5全国総がかり大行動・・・
本日、昨年以来久しぶりの国会前行動に参加。きっかけは、昨年の「アベ政治を許さない」総がかり行動の国会前で偶然に江里昭彦に会い、今年もこの日のために、彼は遠く山口県から参加していた。
愚生は私的事情で参加できるか否か、直前まで不明な状態だったので、きちんと彼に返信しなかったが、集会そのものは昨年よりは、小規模に落ち着いたせいか、またまた偶然に、江里昭彦に会ったのだった。愚生はといえば、昨年に引き続き、久方ぶりに会う京都時代の友人T・Mと一緒だった。
本集会の主催は「6.5全国総がかり大実行委員会」。スローガンは、
市民が変える/選挙を変える
明日を決めるのは私たちー政治を変えよう!6.5全国総がかり大行動
ー「戦争法廃止」「貧困・格差是正」「参院選野党勝利」「安倍内閣退陣」-
である。18歳以上に選挙権、さらに総がかり行動の運動がもたらした情勢として、今度の参議院選挙は、初めて野党4党が統一候補を擁立するという。いわば、選挙における反自民・公明党への統一戦線である。それだけ与党に勝ち抜くには個々の力では、数の上では厳しい選挙だということだろう。現在32選挙区で統一候補の合意が出来ているという。東日本の一人区はすべて野党共闘が成立することになったらしい。
あとは、我々が、政治をあきらめないで選挙に行って、野党統一候補に投票し、自民党の憲法改正案への道筋にノーを突きつけることである。
市民運動の拡大による初めての展開だろう。
かつて、愚生は、11年前、2005年「俳壇」12月号で、「これからの時代、、もっとも切実なる問題は何だと思われますか」というアンケートに以下のように答えたことがある。
グローバリズムによって将来される窮乏化する生活とセーフティネットのますますの破壊、それに直面する圧倒的多数の国民。さらに国家によって、大衆的な合意の名の下に進行する徹底した監視、管理社会。それがもたらす歪みは、人々の安らぎを奪うだろう。
その折に書きつけた句は、
鈴木六林男
片足に彈片を飼い 逝きたるよ 恒行
夏、一言も口をきかない戦地の自画像
「せめて絵具を使い切りたい」無限の落花
折りから、東京は今日から梅雨入りが宣言された。
池田澄子「花を見に来たわけでなし花から花」(「船団」109号)・・・
「船団」109号(南方社)の特集は「生誕300年の蕪村」。「豈」同人でもある池田澄子のミニエッセイと蕪村選句は「涼しさや鐘はるかなるかねの声」。
蕪村に関わる論で面白かったのは、木村和也「日の草城ノート②」で「ミヤコ・ホテル」連作と蕪村「春風馬堤曲」との関連性。
「ミヤコ・ホテル」はその物語性において「春風馬提曲」につながっている。また、あくまで女性が主人公で男は背後に潜む黒子にすぎないという構図も「春風馬提曲」と通じている。草城の脳裏にこの俳詩があったことはほぼ間違いないように思われる。
また、篠原資明「ポップ俳句ー足穂の蕪村評をめぐって」も興味深いものだった。蕪村吟行ではそれぞれのグループに分かれて、「丹後」「毛馬」「伏見」「四条烏丸」角屋」「金福寺」など吟行句会を開催しているのも、特徴だろうか。
その他、巻頭の特別作品30句は4名、以下に各人の句を引いておこう。
野遊びやくまなく黒き幕垂れて 鳥居真里子
二枚より一枚怖し春の舌
寒の入りオカンがブレークする予感 静 誠司
蛇穴を出るマニュアルはないけれど
ねてさめてまたねるまでの凌霄花 秋月祐一
ねじ一本あまつてをりぬ鰯雲
水鳥がどこにもいないので帰る 若林武史
梟はまとめて夜にぬりつぶす
2016年6月3日金曜日
秋尾敏「滑空の先の昂揚夏つばめ」(「軸」6月号)・・・
「軸」の表2は「俳人筆蹟」と題して、古今の俳人の墨蹟を紹介している。多くは鳴弦文庫(秋尾敏)に所蔵された品からの紹介であろう。今号で385回とあるから、毎月掲載され続けたとして、単純計算して36年近く継続されてきたことになる(「軸」通巻は594号)。
今号は先般急逝した大畑等の色紙(藤田富江氏蔵とある)である。句は、
家々に灰存在す茄子の花 等
大畑等は昭和25年6月20日~平成28年1月10日)、享年65。和歌山県新宮市生まれ。現代俳句協会ではその実務的な能力、人柄、人望もあり、さらに現代俳句協会組織の今後を担うべき人物として期待されていた。先年、現代俳句協会編で出版された『昭和俳句作品年表(戦前・戦中編)』でも、編集委員として、宇多喜代子・寺井谷子・安西篤・川名大・江中真弓ともどもその一翼を担った。
「軸」のもう一つの読み物は、不勉強の愚生には、なくてはならないような連載が、秋尾敏「選句入門」である。すでに6回目。
選句入門はまた読者論でもあると展開する秋尾敏は、時代とそれらの関係を実に明解に語ってくれる。例えば、外山滋比古の「近代読者」について記した件などは、以下のように述べる。
しかし、一方で、読者を作者の下に置き、自由な解釈を制限したのも「近代」という時代であった。特に第二次世界大戦中はそうであった。すべての文章は、国家の思惑に従って読むことを強制された。
たしかに近代は、近代的自我という自立した精神を人々にもたらした。だが、一方で近代国家は、人々をその枠組みに収めようともしたのである。
選句入門の実践編は、もちろん主宰にとっては同人の選句に表われる・・・「紅耀抄」(秋尾敏選)いくつかを紹介しよう。
サバンナ遠したてがみに桜しべ 荒木洋子
黎明のシマトネリコに告ぐ五月 赤羽根めぐみ
雲溶けておぼろに開く更紗木瓜 勝山喜美子
神妙に雨をくずして藪椿 栗山和子
逃水やひどく乾いている命 宮川登美子
小町圭「一億円金魚を作ろうと思う」〈『一億円』〉・・・
小町圭第三句集名『一億円』(東京四季出版)は、集中の次の句から、
一億円金魚を作ろうと思う 圭
句集名も変わっているが、収録されている句も、少し変わっている句が多い。それは、天性のものか、はたまた、意識的に滑稽を狙っているのか、にわかには定めがたい。「序」に代えて」の前田吐実男は以下のように指摘している。
現実では不可能な事でも俳句の世界では可能になる。だが、それがまるっきり嘘っぱちでは確かにそんな馬鹿なと誰も相手にしてくれないが、圭さんの嘘にはユーモアと実がある。そこを何処まで読めるかが読み手も試されているのである。虚実皮膜の間ではなく虚実自在(傍点あり・・・・)という新しい境地を切り開いた一冊の句集がここにある。
しかしながら、この道は、どうにも現代俳句の傍流にならざるを得ないという印象をぬぐい去れない。ゆえにたまに通俗に堕すときもある。ただ、それだけに困難な道を歩いている小町圭といってよいだろう。彼女の第一句集名『鬼は内』にもその片鱗はある。
ともあれ、いくつかの句を以下に紹介しておこう。
老鶯が延命料を急かすなり
蛇穴を出て人間は穴風呂へ
こきくるくるくれこい春よ来い
舟虫が戦艦三笠塗装中
人死して家が壊され霜柱
夕焼や只今父は湯灌中
湯たんぽは新婚の日のあなたです
ゲリラ豪雨へ溺れてゆくよ終電車
秋の山そろそろ猿に戻るかな
2016年6月1日水曜日
山本敏倖「半ドアの万華鏡から蝶生まる」(「山河)340号)・・・
「山河」告知によると、「豈」同人の山本敏倖が、これまでの松井国央に代わって「山河」代表に就任したとある。新編集室は吉田慶子とあった。まずはお祝いを申し上げる。
ページを開くと、特別寄稿に、これも「豈」同人の高橋修宏「六林男・断章Ⅲー〈星雲〉となる群へ」が眼に入った。
しかし、六林男は、なぜ「連作」ではなく「群作」と呼び続けたのだろうか。たしかに彼の「群作」では、「感情の流れ」に止まることなく、その時代と通底する社会的な主題性が持ち込まれていることは見逃せない。六林男による「群作」という名付けには、戦後における自らの俳句的方法を開発するために、戦前からの連作俳句を踏まえつつ、あえて袂を分かつという彼自身の矜持が込められていたのではないだろうか。
以下「山河集」からいくつか・・・
白梅の散る真夜中の抽象痕 松井国央
春昼の怺えきれないナイフ置く 岡田恵子
わたくし忌明けることなく遅ざくら 沖 和子
触っても触わらなくても草の餅 吉田慶子
三・一一「風の電話」に添う芽吹き 金谷サダ子
凍鶴を身に覚えなき声の出る 高野公一
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