「山河」告知によると、「豈」同人の山本敏倖が、これまでの松井国央に代わって「山河」代表に就任したとある。新編集室は吉田慶子とあった。まずはお祝いを申し上げる。
ページを開くと、特別寄稿に、これも「豈」同人の高橋修宏「六林男・断章Ⅲー〈星雲〉となる群へ」が眼に入った。
しかし、六林男は、なぜ「連作」ではなく「群作」と呼び続けたのだろうか。たしかに彼の「群作」では、「感情の流れ」に止まることなく、その時代と通底する社会的な主題性が持ち込まれていることは見逃せない。六林男による「群作」という名付けには、戦後における自らの俳句的方法を開発するために、戦前からの連作俳句を踏まえつつ、あえて袂を分かつという彼自身の矜持が込められていたのではないだろうか。
以下「山河集」からいくつか・・・
白梅の散る真夜中の抽象痕 松井国央
春昼の怺えきれないナイフ置く 岡田恵子
わたくし忌明けることなく遅ざくら 沖 和子
触っても触わらなくても草の餅 吉田慶子
三・一一「風の電話」に添う芽吹き 金谷サダ子
凍鶴を身に覚えなき声の出る 高野公一
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