2022年11月30日水曜日

金田一剛「豆腐屋の槽(ふね)の底から水の澄む」(第43回「ことごと句会」)・・


  第43回・メール×郵便切手「ことごと句会」(2022年11月19日付)、兼題は「理」+雑詠3句の計4句出し。以下に一人一句と寸評を挙げておこう。


   鰤並び競りの手ぶりの速さかな        杦森松一

  柿落葉 明日明後日明々後日         金田一剛 

  薄情も自愛も時に老介護           渡辺信子

  椎の実の雨樋(とよ)を転がる夜寒かな    武藤 幹 

  冬木立風の噂は聞かぬふり          江良純雄

  そぞろ寒む棚の撓みの遺物かな        渡邊樹音

  理科室の骸骨さんに初時雨         らふ亜沙弥

  曇天の秋日に慣れし竿のウキ         照井三余

  ふくら雀一歩一歩の世の幸を         大井恒行  


【寸評】・・

・「豆腐屋の・・」ー「豆腐」以外に何も語らず「水の澄む」と結ぶ(三余)。水の冷たさに豆腐を掬う赤らんだ掌が見えます(信子)。

・「鰤並び・・」ー臨場感ですね。師走の活気が伝わってきます(樹音)。

・「柿落葉・・」ー庭にちいさいけれど3本の柿の木、落ち葉の赤さは何とも美しく、きれいな葉を選んでは玄関の靴箱の上、玄関の格子戸に挟んだりと、直ぐに枯れてしまうまで楽しみます。実ですか、どうやら渋柿、鳥たちに食べさせています(亜沙弥)。

・「薄情も・・」ー内容が教科書的に正しいが、それが嫌味なく「俳句」成立!見事だ、特選だ!!(幹)。

・「椎の実の・・」ー「椎の実」と「夜寒」の季重なり、「速さかな」とサラリとしたい(三余)。

・「冬木立・・」ー人の便りもない寂しいところでは、噂さえも届かない。あえて聞かぬふりをする強がりがかんじられてしまう(松一)。

・「そぞろ寒・・」ー遺物は思い出の品か。棚の撓みは心理的な撓み。辛い思い出によるそぞろ寒」(純雄)。

・「理科室の・・」ー20番の句「理科室の窓から冬ざれの匂い」と同工だが、こちらは、いささか滑稽味のある「骸骨さん」。初時雨との取り合わせに功がある(恒行)。

・「曇天の・・」ー魚を釣る人でなければ、うまく説明できないだろう。さて晴天と曇天とどちらが食いつきがよいのだろう?(恒行)。

・「ふくら雀・・」ー冬の雀は不思議と米屋の前に集まります。「米」の文字が読めるのか、店の親爺が撒いているのか(剛)。



★閑話休題・・中田美子「天中に春半月と笛の音」(「ユプシロン」NO.5)・・


 その中田美子の「あとがき」に、


 (前略)初学のころ読んだ詩にはこんな一節があって、最近わりと身に染みる。

     人生は生きがたいものなのに

     詩がこう たやすく書けるのは

     はずかしいことだ。

                伊 東柱「たやすく書かれた詩」


 とあった。ともあれ一人一句挙げておこう。


   少年の手から素直に食べる鹿     岡田由季

   不在そしてぶらんこは風によじれ  小林かんな

   祈るその前に息吸う冬帽子      仲田陽子

   一区画相続となり蜜柑山       中田美子



        目夢野うのき「銅吹きの銀杏の色の濃かりけり」↑

2022年11月28日月曜日

相原左義長「爆心地で汗する無数の黙(もだ)に合ひぬ」(「里」第205号/2022年11月号より)・・

 


 「里」第205号・2022年11月号(里俳句会/発売・邑書林)、総力特集「Uー50が読む句集『広島』」、奥付に小さく「小誌は第七巻第百号で終刊いたします。残り八十五号」とあるが、月刊なので、まだ7年はある。総力特集の中扉の冒頭には、


 今年の原爆の日を前に、大ニュースが走った。当時の編集員、結城一雄さん宅で、原爆合同句集『広島』(1955年8月6日刊)が500冊見つかった!

草田男・鬼房・赤黄男・三鬼・兜太・民喜・重信・六林男・湘子・綾子・一石路・・・そして、無名の、また初めて詠んだ人たちの原爆俳句群。545名、1521句。原爆投下から77年、句集刊行から67年、この句集は、21世紀の私たちに何を伝えようとしているのか。


  とあった。因みに、総力特集の執筆者は、特別寄稿・福田葉子「思い出す一齣」、「U-50が読む句集」には、堀田季何「原爆俳句の当事者性と価値」、浅川芳直「証言・記録として『広島』を読む」、川嶋ぱんだ「百句選附随想」。その中の川嶋ぱんだは、


 『広島』に収めらている作品は、原爆の光に晒された人、原爆投下直後の広島を見た人、身近な人が原爆の被害に遭った人、原爆以後の広島に思いを馳せ平和を祈った人。さまざまな視点から詠まれた俳句が並んでいます。

 この句集を編むために全国から一万二千三句が集まったそうです。句集のなかには俳句だけではなく、当時の状況を克明に記した短文を寄せている作者もいます。そうして選ばれた千五百二十一句からなる句集『広島』が刊行されたのは、昭和三十年。翌年の『経済白書』には、「もはや戦後ではない」という私でも知っているような、有名な一節が記されます。(中略)

 未来の平和のために編まれた句集『広島』が刊行されて六十七年。いまロシアが核兵器を使用するかもしれないと囁かれています。その状況下で、句集『広島』が時を超えて出現したのは必然としか言いようがありません。いまこの句集を読み終えて、日本から遠く離れたウクライナで核兵器が使用されないことを、切に願ってやみません。


 と記されている。また、各人1ページのエッセイ「わたしの『広島』」には、大塚凱「黙って」、黒岩徳将「鑑賞の範囲」、佐々木紺「深く潜る」、中山奈々「距離」、野住朋可「それでも読む」、堀切克洋「言語と原爆」、小暮沙優「句集『広島』を読んで」、辻一郎「AI俳句・ドラえもん・広島」、野名紅里「句集『広島』のその後を生きる」、早川徹「人間の本質とは」、鳳彩「戦没悼歌(十二首)」、松本薬夏「その理由、あるいは衝動」の面々。

 ともあれ、本誌に掲載された句より、いくつかを挙げておこう。


  屍の中の吾子の屍を護り汗だになし     和多野石丈子

  廃墟すぎて蜻蛉の群を眺めやる         原 民喜

  怒りの詩沼は氷りて厚さ増す          佐藤鬼房

  音楽を降らしめよ夥しき蝶に          藤田湘子

  広島や卵食ふ時口ひらく            西東三鬼

  時ならぬ木の葉髪とて嘲はれし         鳴澤富女

  被爆地の夕焼口の中まで受く          新井哲囚

  歴史説く老教授原子病にて咳く        板倉しげる

  手もよ足もよ瓦礫に血噴き黒雨ふる       田原千暉

  毛糸編む気力なし「原爆展見た」のみ     中村草田男

  原爆地をたやすくはうたう気になれないでいる 吉岡禅寺洞

  虚空の掌 灰降らせてる 青い楕円       坂口涯子

  

  杭のごとく

  墓

  たちならび

  打ちこまれ                 高柳重信


  みどり児は乳房を垂るる血を吸へり      田中菊玻

  泥の中に人間積まれ 日の出前        若井三晴  

  屍体裏返す力あり母探す少女に        柴田杜代

  生きながら腐りゆく身を蛆に任す      釜我半夜月

  人ゆくゆゑ行かねばならぬ皮ひきずり     小崎碇人

  ケロイドの俺は黙つて生きている       岡山弘親

  目おほはず見ねばならぬもの原爆図      細見綾子

  原爆忌の黒光る蟻働く蟻           立岩利夫

  死ぬまでケロイドルーズベルト夫人目を上げず 島津 亮



★‥閑話休題・・第24回「朝鮮文化とふれあうつどい」(於:府中公園)・・



            

 昨日、11月17日(日)は、府中市中央公園に於て、第24回「朝鮮文化とふれあうつどい」(主催 チマ・チョゴリ友の会)が開催された。愚生は、午前中、中央文化センターの廃油回収業務の担当日であったので、ついでと言っては恐縮だが、業務が終わった後、隣接する府中市中央公園に行き、朝鮮学校の生徒たちの演奏や舞踏、またテコンドーの演武などを見学、フリーマーケットで、靴、杖などを衝動買いした。いくつかの写真を上に掲げておこう。



   撮影・中西ひろ美「つやつやの汝に触れむとすれば落つ」↑

2022年11月24日木曜日

山川桂子「生と死のあはひを縫ひて散る紅葉」(第11回「きすげ句会」)・・


 本日24日(木)午後1時半から、第11回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「大根」。句会の後、府中市駅そばのくるるの中華店にて、句会発足後、初の懇親会が開かれた。


  寒鴉ちょっとだけよのうさぎ跳び    寺地千穂

  煮大根透きとほりきて母の味      山川桂子

  退院の訛り飛び交ふ小春かな      高野芳一

  大根抜く引っぱり合いぞ我と土     井上治男

  大根のせり出す肩の白さかな     壬生みつ子

  湖(うみ)風に赤蕪吊るす竿連ね    濱 筆治

  光浴び古木の影よ白障子        井上芳子

  白黒映画淡い口づけ冬銀河      久保田和代

  陽射しよし大根干すや山に雪      清水正之

  トントントン朝の大根母のみそ汁   大庭久美子

  晩秋や湖面に浮かぶカヌー艇      杦森松一

  大根や道元の書は「空」とのみ     大井恒行


 次回は、12月15日(木)、兼題は「山茶花」。



       目夢野うのき「黄薔薇一輪そうそうそう誰の忌か」↑

2022年11月22日火曜日

藤島咲子「存念のいろか水辺の冬紅葉」(『自註現代俳句シリーズ・藤島咲子集』)・・


  自註現代俳句シリーズ・13期14『藤島咲子集』(俳人協会)、著者「あとがき」によると、「昭和六十一年から令和三年までの作品から三百句を抽出」とある。いくつかの句と自註を以下に挙げるが、原句には、すべて読者用にルビが付してある。


 緋鹿(ひか)の子を空に絞れる桃百花(ももひゃっか)

   小牧市北東部の桃の産地での詠。桃ケ丘小学校へ転勤した友に誘われて桃畑を

   巡った。桃源郷を想像しながら遊んだ日。


 うすらひは魚(うお)の天蓋丈草忌

   犬山で「耕」内藤丈草を偲ぶ俳句会。句会の朝賜るようにできた句。はじめての

   体験であり自分が一番驚く。合評で「天涯」より「天蓋」に。


 寂鮎(さびあゆ)の水底(みなそこ)の岩めぐりくる

  〈水底の岩に落ちつく木の葉かな〉のあれば。内藤丈草は書物の出逢いにより、心を

   豊かにしてくれた人のひとりであった。


 以下は、愚生好みに偏するが、句のみをいくつか挙げておきたい。


  風の蓮日の蓮またも雨の蓮

  山を負ふ川真闇より鵜飼の火

  越(こし)の国水仙の風尖りけり

  俳諧の鬼あらはれよ杜晩夏(もりばんか)

  禅林やいくたび蜻蛉(とんぼ)水たたく

  蛇穴を出て巳年なる草の上

  ひとにぎりの夢もて花野よりもどる

  伊勢湾の波を平らに昭和の日

  シャガールのすみれいろなる春の風

  百歳のふふむ一粒黒ぶだう

  白鳥の翔(た)つとき水のひかりひく

  懐しきひと来し方を爽やかに

  鉄舟の文字濃くふとき寺襖

  春の蕗摘んで煮てみる夕ごころ 

  紫陽花の毬良寛の毬ならむ


 藤島咲子(ふじしま・さきこ) 昭和20年、富山県生まれ。



    撮影・鈴木純一「冬の虹なにもせで去る浮世かな」↑

2022年11月20日日曜日

谷さやん「鳥よりも鳥籠欲しき冬はじめ」(『谷さやん句集』)・・


 『谷さやん句集』(朔出版)、跋は坪内稔典「谷さやんの俳句を読む」。その中に、


 (前略) 棒アイス舐めて鴉を従えて

 さやんの俳句は、実は音よりもイメージに傾斜している。音楽的でなく絵画的と言ってよい。音楽家よりも画家に近いのだ、さやんは。その典型とも言うべき作品がこの句だ。少年か少女だろうか(もちろん、私のような老人であってもよい)、棒アイスとカラスの取り合わせがなんとなくおかしい風景になっている。棒アイスという手軽さ(安さ)がなんとなくおかしい感じを漂わせるのだろう。


 とある。また、著者「あとがき」に、


 『谷さやん句集』は私の第二句集である。二〇一八年に刊行した俳句とエッセー『空にねる』から改めて一九九句を再録し、以降の約四年間の二百句を「夏柑ひとつ」として収録した。

 この間、二〇二〇年六月に「船団」(坪内稔典代表)が完結し、散在した。(中略)

 作り続けた俳句の新しい発表の場所は、思いも寄らなかったブログ〈坪内稔典の「窓と窓」〉だった。坪内先生に直接俳句を提出すること、翌日には講評とともに五句が公開されることは、経験したとのない緊張感を伴った。ブログの「常連」という言葉との出会いが新鮮で、自分の俳句にも、新しい言葉が兆していればいいのだが。


 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  ボートみな尻にスクリュー雲は秋       さやん

  猫じゃらしいつから考え込むように

  サキソフォン奏者は遺影缶ビール

  泥の手をあければ貝や風光る

  桜散る日の考える膝である

  団栗と貝殻団栗と拳銃

  囲碁の昼冬の波音しめ出して

  福引の白が気の毒そうに出る

  行く春の鞄に入る鞄かな

  菓子箱の中をすべるよ蟬の殻


 谷さやん(たに・さやん) 1958年、愛媛県生まれ。



 撮影・中西ひろ美「守られて露でいる間の朝(あした)かな」↑

2022年11月19日土曜日

高柳蕗子「ふたたびと言えばはばたく気配する古代の福耳未来の福耳」(『未来の福耳』)・・


  髙柳蕗子『未来の福耳』(私家版350円)&『よりぬき潮汐性母斑通信』(私家版350円)、


 文学フリマ(東京)用にに作成した豆歌集です。

 夜店や駄菓子やおもちゃ。そんな感じで手にとっていただければ幸いです。

 ■『未来の福耳』2007年の全歌集より後の歌から50首

 ■『よりぬき 潮汐性母斑通信』


 とあった。いずれも、「もとはすべて一行書きですが、豆本用に読みやすく改行を加えてあります」とある。文学フリマ東京は明日20日(日)於:東京モノレール流通センター駅徒歩1分の東京流通センター第一展示場・第二展示場,入場無料)。ともあれ、以下に、いくつかの歌を挙げておきたい。


 溶ける溶ける青空洪水あったあった内服用の液体飛行機      『未来の福耳』

 すれ違う列車に俳句が書いてあるむこうもこっちを読み上げている

 ふうん君は海洋深層水なのかぼくはそらみつヤマト糊だ

 海というパンツをはいたこの星の言葉はみんなすこしえっち

 しろたえの殺し文句と人乳は薄いからすすり続けてしまう

 半音ずつ低くなる空 空(♭) (♭) (♭)

 手を上げろ願いをよこせぜんぶ出せあとかたもなく叶えてやろう

 かしてごらん指と事実はこのように一本一本へしまげるんだ 

 ぺろんぺろん季節が顔を舐めあげて読み取っていく認証コード

 たましいはときめきがちな飛行体どんな蒼穹でもたちむかいます

 兄よ兄よ 母が今夜も他の人にわからぬ言葉でわたしを叱る 『よりぬき潮汐性母斑通信』

八の世は葉影はるかに歯を磨く父母おわします はろう はろう 

一度でも人のこころに触れたものは燃やせばわかる

父に教わったチェスでは盤上に交番があり正義が勝った

手錠した両てのひらにかわるがわる聴診器をあて「どちらも無罪」 

うずいている夕焼けている関係者各位わたしの乳首は交番である

手があれば胸をこうしてばってんに押さえて飛び立つだろう飛行機


 高柳蕗子(たかやなぎ・ふきこ)1953年、埼玉県戸田市生まれ。


 

  撮影・芽夢野うのき「風は木の葉欠けているから美しく舞う」↑

2022年11月18日金曜日

川崎果連「全力でリラックスするなまこかな」(現代講座・第7回「金曜教室」)・・


 本日、18日(金)午後は、現代俳句講座・第7回「金曜教室」(於:現代俳句協会会議室)だった(講座風景の写真を撮り忘れたので愚生の美しくない清記用紙兼選句を公開)。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


  木枯やことば殺がれて立つ一句       山﨑百花

  蹴られても踏まれても温しゆたんぽ     林ひとみ

  狐火を信じモーゼを信ぜざる        赤崎冬生

  封じ手を開く枯野道いっぽん        鈴木砂紅 

  三寸の熊手袂に神谷バー          宮川 夏

  枯野でも自己中心のフラフープ       川崎果連

  一日の終点であり焼鳥屋          白石正人

  パチパチとたき火よ我に話しかけ      植木紀子

  十日夜睨みにらみて三枡紋         岩田残雪

  落花生BARカウンター転がる夜       武藤 幹

  一雨の遥か遠くの冬化粧          杦森松一

  食道のような路地裏金魚行く        石川夏山

  手にのせて見す無花果を卒哭忌       大井恒行


 その他、愚生のみが採った句を以下に記しておこう。


  秋空にかけて白々「大根の月」       植木紀子

  短日や誰にも言はず鬼遊び         白石正人


 次回、12月16日、第8回「金曜教室」の課題は、「平仮名のみ」の句一句と、「カタカナ+漢字まじり可」の句を一句、計2句持ち寄り。



        撮影・鈴木純一「柊の白や香りや亡き友は」↑

2022年11月15日火曜日

寿賀義治「桜紅葉マスクのエルビス像褪せず」(『アンソロジー宙』)・・

 

 『アンソロジー宙』(八日会句会)、その前書、寿賀義治「八日会句会 アンソロジー 『宙』の刊行にあたって」には、


 八日会句会は二〇一七年四月八日にスタートした。その前は、姫路でしらさぎ句会の指導を前任の山本千之氏から依頼を引き継ぎ、二〇〇二年三月から二〇一七年三月まで十五年二か月間担当させてもらった。この間十年、十年二か月経った二〇一二年四月十七日に、十年の記録の意味もあって、しらさぎ句会アンソロジー「翔」を刊行したが、その後の五年間は、残念ながらアンソロジーを刊行できずに姫路での指導句会は終了した。そんなこともあって、二〇一七年四月、妻とふたりで二人だけの卓上句会をわが家でスタートさせた。その年が四月八日だったので八日句会と名づけた。(中略)五年間という期限付きの句会もことしの六月の句会をもって幕を閉じた。(中略)八日会句会アンソロジー「宙」は、めづらしい三人だけの、五年三か月の歩みの記録です。世の中に「やさしさ」は必要です。これからも元気で作句ができる限り、「人」や「もの」にやさしい俳句づくりをめざしたいと思う。


 とあり、また、三輪映子の「あとがき」には、


 俳誌「渦」の行く末が不明確なころ、「渦」に殉じることができずに、やむを得ず、二〇一七年十二月末日をもって退会された、寿賀先生ご夫妻が始められていた「八日会句会」に私も入れていただき、三人の句会となりました。


 とあった。本集の後半は、句会ごと毎月の「八日会通信」に掲載された寿賀義治のエッセイが収載されている。その「散歩道(四十五)変わるものと変わらないもの」に、


 私の俳句の師のうちの一人が赤尾兜子である。何度も書いたことであるが、「渦」は昭和三十五(一九六〇)年十月一日、まさに新秋とともに創刊された。昨年、二〇二〇年十月に創刊六十周年を迎えたわけである。(中略)

 時の流れはときに非情でもある。〈春意とは山墓箒立てしまま 兜子〉〈節分や寡黙を守る辞典類 木割大雄〉〈みずみずし病後の宇宙や金木犀 中谷寛章〉。世の中はすれ違うことも多いようだ。かつて「兜子は『俳句とは何か』『本物の俳句とは』と俳句の真実を追って夢を見つづけた俳人だった」と書いたが、いまもその考えは変わらない。


 と記している。ところで、寿賀義治は、本集で、友岡子郷の「椰子俳句会」に十年八カ月在籍していたことや、子郷の句などを記している。が、その子郷が亡くなったことは愚生は知らなかった。

 


  偶然ながら、「対岸」11月号に、今瀬剛一が「友岡子郷さんを悼む二句」と前書を付し、


  白桃を剥き滴れる夜であり       剛一

  翌る日の翌る日も凪秋の海  


 二句を発表されていたので、思わず絶句した。そして、何時、亡くなられたのだろうと、ネット検索したが、ウィキペディアの友岡子郷の項目、その他にも、忌日の類は無かった。しかし、本日、近くの図書館で、これもたまたま手に取った「俳壇」12月号に、坪内稔典と中岡毅雄による追悼文に接した。それによると、先般、「今年八月十九日(奇しくも俳句の日)に八十七歳で他界した」(坪内稔典)と記されていた。

 ともあれ、本集より三名の方の句を紹介しておこう。  


  虚空より縄飛びの子ら還りくる        寿賀義治

  終りたる曲芸飛行春ゆけり

  姉のあと追ふ妹や春いちご 

  母の家母のゐぬ冬来たりけり         寿賀演子

  しやぼん玉ひとつ残らず雲に乗る

  流れゆく水に音なき秋の暮

  薔薇の庭薔薇名人の弾くピアノ        三輪映子

  春の雲古墳の上に立つふしぎ

  色変わる時は見えざる酔芙蓉



      撮影・中西ひろ美「立冬や人は発ち座は残さるる」↑

2022年11月13日日曜日

星野椿「料亭の目貼りしてある控へ室」(「玉藻11月号より)・・


星野椿・高士↑

「玉藻」11月号↑

               覆刻版・虚子『喜寿艶』↑

  昨日(11月12日)は、「玉藻創刊千百号/星野椿プラチナ卒寿 合同祝賀会」(於:品川プリンスホテル)だった。コロナ禍により、三年前から、中止に次ぐ中止、三年目の開催である。愚生にとっても、コロナ以後初のお祝い会への参加である。お互い、数年ぶりの、マスク顔とあっては、すぐには判然としないもどかしさの在ったものの、「豈」の筑紫磐井、池田澄子にも会えたし、仁平勝ともけっこう話ができた。愚生のテーブルは山田真砂年、本井英、原雅子、文學の森の松本佳子であった。他に、少しお話しできたのは(受付開始から2時間余り控室待機があったので)、星野高士、森潮、阪西敦子、秋尾敏、日野百草、仲寒蟬、井上弘美、中原道夫、永島靖子、広渡敬雄あたり、ほんの挨拶だけになったが小澤實、高橋睦郎、小川軽舟、今井聖、坂口昌弘、鈴木忍、奥田洋子、天野小石、鳥居真里子、伊藤伊那男、小暮陶句郎、名取里美、岸本尚毅、浅井民子、井上泰至、藤田直子、中尾公彦、工藤進など、結局、総勢約二百数十名のテーブル着席では、名簿を見ただけで、挨拶も叶わずに帰ることになった人も多い。愚生としては、先日、書肆山田の大泉史世を偲ぶ会にも出席されたという名古屋からの馬場駿吉に数十年ぶりに会えたのは嬉しいことだった。

 ともあれ、「玉藻」11月号からと、覆刻版『喜寿艶』(鎌倉虚子立子記念館)から、任意にいくつかの句を挙げておこう。


   二の酉もとんと忘れて夜に入りし     星野立子

   草庵によくぞお越しや秋日和       星野 椿

   はぐれてもどぜう屋で逢ふ一の酉     星野高士

   子規の忌の野の果ての雨の果てのなく    〃

   海女とても陸(くが)こそよけれ桃の花  高濱虚子

   美しき眉をひそめて朝寝かな        〃

   女よし男なほよし朧月           〃

   鞦韆に抱きのせて沓に接吻す        

   麦笛や四十の恋の合図吹く

   闇なれば衣まとふ間の裸かな        〃

   コレラ怖ぢて綺麗に住める女かな

   どかと解く夏帯に句を書けととこそ

   虹立ちて忽ち君のあるごとし

   虹消えて忽ち君のなきごとし

   浅間かけて虹のたちたる君知るや

   其人を恋ひつつ行けば野菊濃し

   蔓もどき情けはもつれ易きかな

   うらむ気は更にあらずよ冷たき手

   仮にきる女の羽織玉子酒



       芽夢野うのき「君の言葉まだむねに桜紅葉しつ」↑

2022年11月10日木曜日

山田千里「晩夏光死に行く人の声を聴く」(「連衆」95号)・・

 

 「連衆」(連衆社)95号、「招待作家」コーナーの山田千里は「君は鳥になれ」20句を寄稿している。そのサブタイトルが「追悼・救仁郷由美子」である。救仁郷(くにごう)由美子は、足掛け7年の闘病の歳月を経て、本年8月10日に、本人が望んだたように、自宅で家族に囲まれて帰天した。享年72。由美子の数少ない友人のなかで、千里氏は毎日,最期の日にも絵葉書に言葉を添えて贈って下さっていた(生前にお会いしたのは、LOTUSでの豊口陽子を読む会を含めて二度ほどと聞いている)。その日々の便りさえ、読むことの叶わぬ日があったが、必ず目に入るところに、それを飾るように置いた。また、寄稿された全ての句を追悼として詠んでいただいたことには、感謝するばかりで、言葉が無い。その中のいくつかを紹介させていただきたい。


  天空へ飛び立つ君よ青になれ       千里

  夏の終り癒しのピアノ届けたい

  安井浩司よ死者生者となりて盆踊り

  池上線四月生れの私たち

  夕焼けの宙に浮かびし白き骨

  去年の秋いのちの期限つげられて

  君は三日月孤独の孤を描く

  ホスピスのXマスツリ―は青かった

  君は鳥になれ春夏秋冬鳥であれ  


その他、本誌本号より、愚生好みに偏するが、一人一句を挙げておきたい。


  炎昼の大きすぎたる穴である         上野一子

  糸瓜ゆれまちがって飼うかめれおん      松井康子

  ホオズキとけてしどろもどろになる私     黒川智子

  パクられよ紋白蝶と化す裸体         加藤知子

  うそ寒のことばが頭に引っ掛かる       瀬戸正洋 

  剥製もときに羽ばたく良夜かな        森さかえ

  人の世へモザイク烏瓜の花         羽村美和子

  目の前のあなたになれば揺れている     とくぐいち

  その金魚夕日と名付け泳がそう        夏木 久

  うさぎうさぎ踊っていればいいうさぎ     柴田美都

  葛かずら点線ばかりのウクライナ       鍬塚聰子

  人ごみを避けて残暑にからまれる       三船煕子

  流れ星あれは誰かの石礫          早坂かおり

  皆んなまで聞かず信号赤となり        江崎豊子

  草の花近道からは遠くなり          高木秋尾

  ほんたうの火となるまでを狐花        小倉班女

  川を汲む父の欲しがる冷たき水        花森こま

  あなたからZの距離にある林檎       小柳かつじ

  水切りの小石を集め涼新た           千原艸炎

  側溝にカワウソがいるネオン街       しいばるみ

  玉砕の散るもかなわず明日は追っかけ     墨海 游

  朝顔のお昼の顔と夜の顔           普川 洋

   無役無視の無月の柱お出ましぬ        柳井玲子

  秋風を少し予約しようと暦見る        増渕幹男

  重陽や神殿の間に風ぬける          古市輝夫

  馬追やどちらが先に老いの恋         下村直行

  電線も裸婦も横たえ夏の空          萩 瑞恵

  妻よ生きろと咳する我も38°C        川村蘭太 

  首折れの起重機(クレーン)へゆらり大揚羽  谷口慎也

  雲母剥がすみたい 忘れていくみたい    笹田かなえ

  火の用心すでに頭の中が火事        わいちろう

  一旦平和 一旦戦争 そして全滅      神田カナン

  うりずん(潤い初め)に火の雨が降る涙が降る 情野千里

  とりあえず犬を呼んだら犬が来る       楢崎進弘



     撮影・中西ひろ美「店に晩秋の忘れものがあるって」↑

2022年11月8日火曜日

北川美美「きさらぎの身を前傾に押す柩」(「豈」65号より)・・


 「豈」65号(豈の会)、その「あとがき」(筑紫磐井)に、


 今回は、第7回攝津幸彦記念賞の発表、特集・北川美美全句集、特集・兜太はこれからどう発展するかの続編で構成した。特に北川美美特集は、評論集『「眞神」考』の刊行に次いで北川美美の全句を伺う作品特集とした。評論集『「眞神」考』の特集は「ウエップ俳句通信」125号で大特集を組んだので「豈」ではあえて行わないこととした。これで北川美美の追悼企画は終えることが出来た。評論集及び全句集特集に当たっては、山田耕司氏並びに母堂の北川尚代様から様々なご協力をいただいたところであり、厚く感謝申し上げる。


 とあった。特集「金子兜太はこれからどう発展するカ!!」の論考の執筆者は、董振華「兜太俳句と中国文化」、井口時男「金子兜太論余滴」、小野裕三「兜太の世界戦略」。以下に攝津幸彦記念賞(選考委員評は、夏木久・眞矢ひろみ・筑紫磐井・大井恒行)と、同人の一人一句を挙げておこう。


  鉄屑になるまで鉄でいる穀雨     なつはづき(第7回攝津幸彦記念賞・正賞)


  咲いたので

  しばらく見ないことにする       水城鉄茶(准賞)


  石段にセシルセシルと囀りぬ    赤羽根めぐみ(准賞)

  いくつもの世界がはがれてはじまる   斎藤秀雄(准賞)

  護国寺の甍の秋や仁王立つ       井口時男

  とぶ記憶とばぬ記憶や秋蛍       秦 夕美

  石を巻く蛇は劫初の花なるも      堀本 吟

  廃墟より廃墟へ恵方道つづく      青山茂根

  頭の下を獏が通りぬ籠枕        飯田冬眞

  どしゃぶりを悦ぶ躰もちにけり     池谷洋美

  行ったことなく無き満州の方へ雁    池田澄子

  島前やぬりゑでゑがく王土なれ     丑丸敬史

  これやこの呑下かなはぬ夏の闇    打田峨者ん

  宿泊療養閉ざされて見ず夏の月     大井恒行

  寄り道こばみ朝な夕なのパルマ    大橋愛由等

  氷屋のさっそく熱くなる鏡       岡村知昭

  笑い茸美人キリキリ舞わせけり     加藤知子

  グレートリセット着々進む神の留守   鹿又英一

  皆流人めく五月雨の繫華街       神谷 波

  ひつじ雲冥府がのぞく午睡の書     神山姫余

  十二月八日つかまるものがない     川崎果連

  銀河系80年を核二発         川名つぎお

  階段をだんだん弾むダンロップ     北村虻曵

  もうゐないだれかのために鳥籠を   倉阪鬼一郎

  爆音が近づいてくる貝の耳       小池正博

  フィレンツェの夕映えを売る古本屋  小湊こぎく

  天翔けて人も都も灼けにけり      五島高資

  不発弾ゆつくり運ぶ神の留守      堺谷真人

  短夜の夢に漱石徴兵忌避        坂間恒子

  

  躍らばや

  いかで灰句の

  灰神楽               酒巻英一郎


  音に聞く見えざる声が手をさはる    佐藤りえ

  時には母のない子のように自爆せり   清水滋生

  加茂茄子のはちきれそうな乳房かな   城貴代美

  埋めなくていい余白にまでどくだみ  杉本青三郎

  泣くふりも笑つたふりも桜桃忌     関根かな

  素麵は無限これでもかと薬味     瀬戸優理子

  店中は暗くいつもの種物屋       妹尾 健

  ゆく夏の蜥蜴と思う人影を      妹尾健太郎

  七夕の畳屋の裏染物屋         仙川桃生

  無精卵(ビッグボーイ)日本海的皿の中 高橋修宏 

  あいの里玉蜀黍(とうもろこし)畑に魔法陣 高橋比呂子

  ちよつと憂鬱(カインド・オブ・ブルー)その浪裏を波のりは 高山れおな

  ひまわりの芯に少年うずくまる     田中葉月

  わたくしの心臓はどこ 春の鳶     筑紫磐井

  あの世は恍惚の胡桃になろう      照井三余

  十指に虻 連弾に死す羽ばらばら    冨岡和秀

  花アロエ地の涯遠き砂漠かな      中島 進 

  蛇穴を出る親知らず抜きに行く    なつはづき

  陽は沈む止めを刺さぬまま眺め     夏木 久

  円柱に腕生え僕を抱きしめた      萩山栄一

  公権ややがてマスクを狩る遊び     橋本 直

  しんがりに美貌の兵士日雷      羽村美和子

  メローなメロディーカウチポテトの真昼 早瀬恵子

  紅生姜あるのとないのとが格差    樋口由紀子

  土不踏 誰か故郷を思わざる      藤田踏青

  葉桜や「犬ノ散歩モ引受マス」    藤原龍一郎 

  海の日の定義忘れて今日がそう     渕上信子

  冬麗や別の窓より別の空        干場達矢

  垂線を登りきったるビルに月     眞矢ひろみ

  鍵盤の指から秋へ着地する       森須 蘭

  草むしり動員されし滑走路       山﨑十生

    

  義足外し

  少女 片足で立つ

  渚のあたり              山村 曠


  人類のノイズのような初日かな     山本敏倖

  朝焼けの空の彼方の凧(カイト)まで   わたなべ柊

  かじゅまる連理の枝へ枝駄戯(えんだぎ) 亘余世夫

                枝駄戯(えんだぎ)=ぶらんこ

  世界中死の予感して四月来る      北川美美



    撮影・鈴木純一「ふるさとを訊けばぼんやり蒸かし芋」↑

2022年11月5日土曜日

渡邉樹音「夜長し短波ラジオの微調整」(第42回・メール×郵便切手「ことごと句会」)・・

 


  第42回・メール×郵便切手「ことごと句会」(2022年10月22日付け)、雑詠3句+兼題「微」1句。以下に一人一句と寸評を紹介しておこう。


  秋刀魚の背地球の今が描いてある      江良純雄

  穴惑あんがい真面目に生きている     らふ亜沙弥 

  秋雲の彼方に未踏の句の懸かる       渡辺信子

  秋海棠ゆれて夙夜の雨に染む        渡邊樹音

  崖っぷち皆んなが其処に冬隣        武藤 幹

  微塵子の丸い煩悩を覗く          金田一剛

  微笑に何となくの秋風           照井三余

  敗戦のパンプキン弾南瓜ニル        杦森松一

  もう少し生きてみようか夕日中       大井恒行


【寸評】

・「夜長し短波ラジオの微調整」ー隣の7番句、松一「懐かしきラジオのつまみ微調整」は、年齢から推測するとなんとなく短波放送じゃないかと伝わりますが、樹音句「夜長し・・」は明らかに明快だ。ぼくの少年時代は短波放送でビートルズにチャネルを合わせていた。この2つの句は昭和をほうふつとさせる。どうして夜の電波がクリアに聴こえるか分かりますか?(剛)。

・「秋刀魚の背・・」ー今年の秋刀魚ったら、ギスギスに痩せちゃって「どうしたの?」と尋ねるとまあまあ長々と色々語った。なるほど、、君の背中おかしいよと言いながら美味しくいただいた(亜沙弥)。

・「穴惑い・・」ーイヤーその通りです。迷う事は真面目な証拠!「穴惑」からの展開が見事!!(幹)。

・「秋雲の・・」ー未踏の句、常に模索して前を向いて憧れて、秋雲が感慨深く、良いです(樹音)。

・「秋海棠・・」ーそれぞれの言葉に味わいがあり、雨の日も好きになりそうです(松一)。

・「崖っぷち・・」ー「皆で其処に立てば怖くない」イヤこわいでしょう!(信子)。

・「微塵子の・・」ーウン!実に意味深である。特選を最後まで迷わせた句だ!(幹)。

・「微笑に・・」ー下句「何となくの秋風」のフレーズの「秋」は、当然「厭き」にかけた心変わりを暗示していよう。微笑みは微妙ならずや秋の風、だ。〈秋風は身をわけてしも吹かなくに・・」(恒行)。

・「敗戦の・・」ー「パンプキン爆弾」は原爆投下の訓練、データ収集のために用いられた模擬爆弾のこと。ずんぐりした黄色い色からパンプキンと言われたという。日本各地の空襲に紛れて49発が落され、400人以上が犠牲になったと伝えられている。従って、そのずんぐりした形から、下五「南瓜ニル」は当然なのだが、付き過ぎの感は否めない。下五を別の言葉に斡旋すれば、この句、飛躍的に良くなると思う(恒行)。

・「もう少し・・」ー黄昏に思う人生の黄昏。夕日から渡された未練を抱いて、明日へ!(純雄)。



       撮影・芽夢野うのき「曇天のなかの日月秋夕焼」↑

2022年11月3日木曜日

小川軽舟「山中に日ざしさまよふ時雨かな」(『無辺』)・・


  小川軽舟第6句集『無辺』(ふらんす堂)、その「あとがき」に、

 

 この句集に収めた三五七句は、この世でひととき私の前に現れ、それを書き留めておきたいと思った事どものの蒐集である。私たちは果てを知らない無辺の世界に危うく浮かぶように日常を営んでいる。無辺より来たって今在るものは、いつか無辺に消え去る。その過程で偶々出会えた物や心の端正な姿を、俳句の形に残しておきたい。そう願って私は俳句を作り続けている。


 とあった。ともあれ、愚性好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


  元日や見渡すかぎりものに位置       軽舟

  連翹や降る音なきに軒雫

  日の丸の夕日と見ゆる桜かな

  水彩に下書の透く五月かな

  風鈴や降るぞ降るぞと暗くなる

  野に遊び爪なまぐさき夕べかな

  駅弁は窓に買ひたし山若葉

  作り滝商談済みて縁談に

  盛り場は裏を飾らず蚊喰鳥

  学歴と官歴に死す赤絨毯

  麗かや眠るも死ぬも眼鏡取る

  深緑やこどもの頃のひかり号

  写真剥ぐやうに八月また終る

  大阪にアジアの雨や南瓜煮る

  生涯の残光に父冬帽子

  累計は減らざる数字年を越す


 小川軽舟(おがわ・けいしゅう) 昭和36年、千葉市生まれ。



★閑話休題・・有賀眞澄「ひもろぎやおのが手で喰ふ雪の味」(「迷宮の虚像」展案内より)・・




 有賀眞澄他「迷宮の虚像」展(於:ギャラリー・ザロフ、渋谷区初台・03-6322-9032。10月30日〈日〉13時~19時、~11月8日〈火〉)。案内状にあった他の2句は、


  人はしらたふれて春の大深度       眞澄

  位置の似の差ンのあはひにてふ死せり


 である。そのチラシの中に、「有賀眞澄は俳人でもあり、そのオブジェも俳句のごとく、なにか具体的なイメージを投げかけくるものではない。だが、そこからはなにかが響いてくる。ーー 体感したことのない余韻が、その作品は、この世の世界とはかけ離れた次元を垣間見せてくれる異形なのだ」とあった。



       撮影・中西ひろ美「冬近しすぐに選べと道二つ」↑

2022年11月1日火曜日

井口時男「頬杖や銀河千年石の思惟」(「鹿首」第15号より)・・


   「鹿首」第15号(鹿首発行所)、EM(研生英午)の編集後記に、


 三年間の休刊の後に、ようやく「鹿首」を復刊出来ました。(中略)

 「鹿首」第15号の特集は「記憶のうつし」。「うつし」は、「写し」と「映し」さらには「移し」も目論んでいるつもりです。記憶は実在の世界と深い関係をもっていますが、夢の記憶というのもあるかもしれません。しかし、それも実在の世界での願望や希望が変容しているのではないでしょうか。(中略)

 この号ではそれぞれの書き手の問題意識に沿って自由に「記憶のうつし」について論じていただいてます。


  とあった。特集の論考は、小林弘明「カフカにおける伝承」、天草季紅「見えない国への旅」ー堆積し迷走する記憶の表現をめぐって」、中村茜「『ひかりごけ』論 第三章 逆説としてのカニバリズム」。「豈」同人の冨岡和秀は散文詩「浮遊するモナドの声」を寄稿している。ここでは、アトランダムに、俳句、川柳、短歌のいくつかを紹介しておきたい。


  つぶつぶのひかりをすくひまたこぼす    くまりしほ

  禁酒法縛るしょっぴく船燃やす        江里昭彦

  根開きやマタギは帰るマタギ村        井口時男

  飛んで来た首が根付いて花の森        内田正美

  夏落花鬼の祭りを飾るらし          奥原蘇丹

  向こうからすたすたと来て「ウレイです」  広瀬ちえみ

  淡墨桜枝八方に夏の影             翁 譲

  群舞より離れて光る蛍あり           星 衛

  

  くれなゐに染むる海の東方(ひがしかた)ニライの崖に風葬あまた  内藤隆子

  無限の時間を引き受けるものなにもなくきみがあらゆる廃墟のやうだ 森島章人 

  ひとつの巣穴にひとつのからだハチノコはかべに寂しきみみよせあつて 天草季紅

  沐浴を終へてしづかに真夜を待つ夢のなかにて夢むすぶべし     川田 茂



撮影・芽夢野うのき「もみじるりそうみんながまっている首かしげ」↑