2022年5月30日月曜日

高濱虚子「草を摘む子の野を渡る巨人かな」(『鍾愛百人一句』より)・・  


 林桂選編・俳句詞華集『鍾愛百人一句』(鬣の会・風の花冠文庫)、その「鍾愛百人一句覚書」になかに、


 (前略)つまり、これは一般的な作者の代表句を並べようというような試みではなく、個人的な「読者」としての喜びの体験を収集しようとするものである。そして、できればそれをシェアしたいという願いを込めた宝箱である。もっとも、子どもの宝箱は、宝箱に入れることで石も玉になる魔法がかかっているが、ここにはそんな魔法はかかっていないことは承知している。読者の判断をあおぐ次第である。(中略)

 読者の「読み」を邪魔しないように、敢えて鑑賞文等は付さないこととした。(中略)

     *

   雪はげし抱かれて息のつまりしこと

 高校一年の英語の授業だった。あるとき突然青年教師Kがこの句を板書した。Kには吃音があり、それが聞く生徒に適度の緊張感を生んでいた。到達度別クラス分けで、学習塾もない田舎のわが中学出身者は、殆どが下位クラスに在籍するというレベルで、そのクラスの一つだった。(中略)

 俳句が好きな者はいるかという質問に私は挙手しながら、思わず誰の句か質問を返した。kはにやりと笑うと、オレの句だよと言って、英語の授業にかえってそれきりだった。


 とあった。ともあれ、集中より、句のみになるが、いくつかの句を挙げて紹介しておきたい。


  夢の世に葱を作りて寂しさよ      永田耕衣『鹿鳴集』

  限りなく降る雪何をもたらすや     西東三鬼『夜の桃』

  北風の少年マントになつてしまふ    高 篤三『少年河童』

  しんしんと肺碧きまで海の旅      篠原鳳作『海の旅』

  日と夜と同じ永さや切りの花      伊藤信吉『たそがれのうた』

  山鳩よみればまはりに雪がふる     高屋窓秋『白い夏野』

  天上も淋しからんに燕子花      鈴木六林男『国境』

  灰色の象のかたちを見にゆかん    津沢マサ子『楕円の昼』

  野菊まで行くに四五人斃れけり    河原枇杷男『烏宙論』

  返す書へひとひらはさむ薔薇が欲し  小檜山繁子『流沙』

  流すべき流灯われの胸照らす      寺山修司『花粉航海』

  枯蓮は日霊(ひる)のごとくに明るけれ 安井浩司『密母集』

  空たかく殺しわすれし春の鳥      澤 好摩『印象』

  だれもついて来るな双樹に雪が降る   永井陽子「歯車」99号

  致死量の月光兄の蒼全裸(あおはだか) 藤原月彦『王権神授説』


 林桂(はやし・けい) 1953年、群馬県生まれ。



     撮影・中西ひろ美「一生は祭のごとしといつ言はむ」↑

2022年5月28日土曜日

小川楓子「わらへつて言ふから泣いちやへががんぼ」(『ことり』)・・・


  小川楓子第一句集『ことり』(港の人)、著者「あとがき」の中に、


  作品は、わたしでもわたしの所有物でもないと思っています。なぜなら、スープのにおい、くすぐったい蟻、通りすがりの鼻歌などを授かって(いえ、素直に言うと、ひょいと掴まえて)放ったものだからです。集中の句はそれぞれ、友人のような存在として、ゆらぎながら、息づきながら、おおらかに歩んでほしいと願っています。


  とあった。集名に因む句は、


   ひとりとてもたのしさう蠟梅ことり    楓子


 であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。


   泣きがほのあたまの重さ天の川

   たふれたる樹は水のなか夏至近し

   滝しぶきねぢれたるまま葉のそだつ

   椎若葉こころちひさくなつてきのふ

   にんじんサラダわたし奥様ぢやないぞ

   身に入むやつてことあるんだか寝ぐせ

   寒林へゆく胸のこゑつかひつつ

   素足ですし羊歯類の王ですわたし

   ひややかに鱗のふるる油紙

   陛下ごきげん金魚売かしらなんて

   甲虫ちつちやくピースだしていいし

   秋やハレルヤ絵具ぐんぐん絞る

   月にちかづくまでゆくよ

   黄葉ふるしなんかの実もふつてるし


  小川楓子(おがわ・ふうこ) 1983年、神奈川生まれ。



     撮影・鈴木純一「芍薬はちるのちらぬのちりにけり」↑

2022年5月27日金曜日

渡辺信子「生きて読む書の数見えて鳥雲に」(第37回・メール×郵便切手「ことごと句会」)・・


 5月21日(土)付、第37回・(メール×郵便切手)「ことごと句会」、雑詠3句+兼題一句「生」(出題・らふ亜沙弥)。以下に一人一句と寸評を挙げておこう。


   蝌蚪に脚惑星移住計画中          渡邉樹音

   近頃ね金魚か俺か生存競争         照井三余

   たっぷりと筆に墨 春の一文字      渡辺信子  

   ソワール梅花空木と白磁の茶碗      金田一剛

   紫蘭ほどの紫が好き生女房       らふ亜沙弥

   ちゃんと生きろと言ってる和菓子 柏餅  武藤 幹

   古書街の香るマロニエ交差点       大井恒行


寸評・・・

・「生きて読む書の数見えて鳥雲に」ー哀しくも美しい句です。私は死後、三途の川で「もぉ、背中のリュックに何冊も本入れちゃって、舟が傾ぐやんかぁ」と鬼に言われたい(樹音)。

・「蝌蚪に・・」ーむかし、秋田の蒪菜沼を取材の折、一千匹もの脚の生えたおたまじゃくしが沼からぴょんぴょん逃げ出す光景に遭遇しました。沼のオーナーは、「うちの蒪菜は有機無農薬だあら、け(食え)というので、勇気を出して食べました(剛)。あらら、あのちっちゃな足でそんな計画を!?何度も音読したくなる心地よいリズムの句です(信子)。

・「近頃ね・・」ー金魚に餌を遣り乍ら、諸物価高騰などに思いを馳せて居るのか?(幹)。

・「たっぷりと・・」ーたっぷりと筆に墨、春の一文字が大きく見えます(杦森松一)。「一文字」の「一」を、いち、はじめ、、とかルビがほしかった(三余)。

「ソワール・・」ー「梅花空木と白磁の茶碗」どちらも気品あり!正にボン・ソワール!!(幹)。

・「紫蘭ほどの・・」ー紫蘭の花の程度の色が好きと言っているのは、若い女性らしくて、濃紫、いや、もう少し深い色にならないところが魅力か。古女房でないところに初々しさが花にも現れているように感じられる(恒行)。

・「ちゃんと・・」ーなるほど、柏餅は和菓子だから和菓子という必要はない。一拍あける必要もない(編集室解説)。

・「古書街の・・」ー懐かしい神田の古書街、残念なことにマロニエの花の時期には行ったことがなく香る交差点も経験なし。古書街の名称が魅力的(亜沙弥)。



★閑話休題・・作品募集・第59回現代俳句全国大会(投句締切は8月1日)・・


■応募規定■

・投句料 3句一組・2000円、何組でも可。但し、未発表作に限る。「3組9句同時投句に限り、6000円を5000円にいたします」

・「前書不可」所定用紙使用。郵便番号、住所、氏名、電話番号、現代俳句協会員・会員外の別を明記。投句料は普通為替(無記名の定額小為替)、または郵便払い込み。

・送付先 807-0827 北九州市八幡西区楠木2-6-12 現代俳句協会全国大会事務局・福本弘明 宛、電話093-602-6058

・締切 来る8月1日。

・全国大会 令和4年11月12日(土)午後1時から、JR九州ステーションホテル小倉 北九州市小倉北区浅野1-1-1 093-541-7111

 記念講演・平出隆 「蕪村を中心に」

 懇親会 午後5時より(会費6000円)



    芽夢野うのき「十薬やお世話になります死後もまた」↑

2022年5月26日木曜日

高野芳一「夏蝶へ窓あけ放つ路地のカフェ」(府中市生涯学習センター春季講座「現代俳句」第4回)・・


 本日、5月26日(木)午後2時から、府中市生涯学習センター春季講座「現代俳句」第4回、緑風が吹く気持ちの良い日だった。雑詠2句。少しの空き時間は、俳句の歴史のうち、戦後俳句の出発からを少し話した。句については、愚生は生徒に追い抜かれては歩いている感じ。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


  「ただいまー」と立ちこぐ背なに若葉風      高野芳一

  群雀おしゃべり止まず日永し          壬生みつ子

  はじき豆土塊(つちくれ)割ってひょいと出る   井上治男

  世はきしみレクイエム聴く五月闇         中田啓子

  やご二匹右往左往で暮れにけり          寺地千穂

  (ちゅ)ら海や不戦を誓うわだつみに      清水正之 

  月かくれなほ芳しや梔(くちなし)のはな     濱 筆治

  初夏の葉擦れやさしい子守歌          久保田和代

  ごっつんと朝のあいさつ蟻の列          井上芳子

  青楓山門の朱のうごめきぬ            山川桂子

  石蕗を庭へと移し墓じまい           泰地美智子

  夏蝶や呪文のような声を聞き           大井恒行


 次回、6月16日(木)は、春季講座最終回、府中市美術館、府中市生涯学習センターの近辺を散策したのちの、嘱目吟2句が宿題である。


       撮影・中西ひろ美「心身によろしかるらん樟の花」↑

2022年5月24日火曜日

堀本裕樹「急ぐ夏蝶急がざる夏の蝶」(『一粟』)・・

 


 堀本裕樹第二句集『一粟』(駿河台出版社)、集名に因む句は、前書のある次の句であろう。


     俳誌「蒼海」創刊

   滄海の一粟(いちぞく)の上や鳥渡る    裕樹


 また、著者「あとがき」の中に、


 (前略)同時に拙句「蒼海の一粟の上や鳥渡る」を踏まえた。この成句は北宋の詩人・蘇軾が記した『赤壁賦』を出典とし、宇宙における人間の存在の微塵を、広大な青海原に極めて微小な一粒の粟が漂っていることに譬えている。私は句作しながら、己の存在の卑小を痛感し、無辺なる宇宙の広がりや自然への畏怖の念をさらに強く意識するようになっていった。湘南の片隅に居を移し、日々海を眼にしながら千変万化する波の光景を目の当たりにするようになってから、一層その感が増していったといえる。 

 私という人間はこの宇宙において、一粒の儚い粟に過ぎない。大海の波間に漂い翻弄されながらも、生きていくしかない。


とあった。ともあれ、愚性好みに偏するがいくつかの句を挙げておきとぃ。


   霜の花倒木すこしづつ沈む

   首すぢに蛭のやうなる落花かな

   狂気狂喜いづれともなき鵙のこゑ

   秋の虹くぐれぬ鷗ばかりかな

   どの駅に降りても夜寒どこに降りむ

   みんなみに行く道に蝶凍ててをり

   目に見えぬ傷より香る林檎かな

   地を祝(ほ)けるにはくなぶりや初御空

   蟇穴を出でて落ち合ふ蟇もなし

   雛罌粟に羽あるものの来ぬ日かな

   凍雲を裂く日千手となりて海へ

   脚一つ浮く空蟬の傾ぎかな

      八木重吉の詩「素朴な琴」より名付けぬ

   琴世の名奏でよ風よ爽やかに

   生臭きものうらがへす野分かな


 堀本裕樹(ほりもと・ゆうき)1974年、和歌山県生まれ。



   撮影・鈴木純一「終はりまでひとりしづかは待つことに」↑

2022年5月23日月曜日

鈴木光影「まくなぎになりかけてゐるときのあり」(『青水草』)・・

 


  鈴木光影第一句集『青水草』(コールサック社)、帯文は齋藤愼爾、それには、


 少年の涙痕(るいこん)に生ふ青水草(あおみくさ)

   十七音で少年の本質に迫るのだから、、大変なことである。こんなふうに詠んだ人   

   は、これまでに居ない。

 摘草や母の野性の胎動す

   僕の場合、母といえば「永遠の母」という固定観念がある。自分が母にどうであって    

   ほしいかという祈りみたいなものを込めて詠んでしまう。母を野性でとらえるという    

   ことは、僕には出来ない。しかし、この句、そこがおもしろい。


 とあった。また、著者「あとがき」には、


  俳句とは、伝統と新しさの間を行き来する越境精神それ自体であり、社会に開かれた時代と対峙する個人的な言葉である、という私の初学時代の俳句観は、能村登四郎、鈴木六林男、宗左近という戦争を知る世代の俳人・詩人の書物との出会いにより培われた。そして、直接的には、その先師世代の謦咳に接した戦後世代の先達方からの恩恵を受け、私は今ここに至る。

 一句一句に、いまの時代を生きるなまの実感を読み込もうと試みた。(中略)それは特段おかしなこととは思われない。この世界への自由で本質的な想像力は、俳句が私にもたらしてくれたものであり、私が俳句に表したいものでもある。


 とある。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  地下鉄ににんげん臭ふ敗戦忌       光影

  写真屋に古びる家族薄暑光

  主役の黒裏方の黒星月夜

  被曝牛の眼の中にゐて氷りけり

  噺家の舌打つ虛盃春めける

    新吉原花園池跡

  色鯉の痛みを縫ひて着飾りぬ

  朝顔市未定の色を買ひにけり

  はじまりの穢れあり白曼珠沙華

  落つるかに昇る緑雨のエレベーター

  誰も皆その身に湧いて秋の風

  木洩れ日の光の穴を蟻の行く


 鈴木光影(すずき・みつかげ) 1986年、秋田県生まれ、千葉県育ち。


              

★閑話休題・・ねじめ正一 文・コマツシンヤ 絵『ゆかしたのワニ』(福音館書店)・・


 フェイスブック繫がりで、ねじめ正一の案内に『ゆかしたのワニ』が、ハードカバーで再刊されるというので、府中市立中央図書館蔵書を検索したら、2018年に刊行された当時の月刊絵本(通巻392号)、年中向き・こどもの友があった。借りてきて置いていたら、5歳の孫娘がけっこう面白がって、見て、読んでいた。それで、G(ジー)に読んでくれ、とせがまれ、いくどか、繰り返し読まされた。よそ様がみれば、一見、幸せいっぱいの光景が出現していた、というわけだ。という次第です。ねじめさん・・・・。

 

    芽夢野うのき「やはり白桃だったんだねチューリップ」↑

2022年5月22日日曜日

細谷源二「幸来ると思いぬ新樹天に燃ゆ」(『俳句事件』)・・


 二か国語版・マブソン青眼 日本語原文覆刻・フランス語訳『CRIMINEL POUR QUELQUES HAIKUS…俳句事件』(PiPPA)、細谷源二『どろんこ一代』(春秋社、1967年刊)所収の「俳句事件」を覆刻した日仏対訳本である。表3に、マブソン青眼は、


  世界が第二次世界大戦に逆戻りしたような昨今。暗黒政権がいかにして社会全般を束縛し、侵略戦争を正当化して、平和主義者のあらゆるレジスタンスを潰すのか。80年前の俳句弾圧事件で投獄された細谷源二は、ビビッドな描写と悲喜劇的なユーモアを交えながら、貴重な証言を残す。今こそ日本とフランスで、そして願わくば東欧の国々でも、この”獄中俳文”のメッセージに耳を傾けて欲しい。


 と記している。「俳句事件」の部分を、愚生は、外国語はからきしダメなので、日本語部分のみ引用をする。


  一九四一年二月五日、東京はみぞれが降って寒かった。どこかでけたたましく鶏が鳴き、犬がそれに答えて吠えた。妻が名刺を私の前につきつけた。警視庁〇〇巡査部長。目黒、H署の特高の刑事なのだ。「来たな」、私は布団からガバと立ち上がった。と同時に、黒い鳥打帽子をかぶったままのデカが三人、部屋にはいって来て、いきなり私の腕をつかまえた。

「ちょっと調べることがあるから署まで来てくれ」  (中略)

 本庁(警視庁)からY刑事が来て、手記を書くよう命じた。世界情勢に対する意見やら、ソ連のコミュニズム革命のこと、天皇制のこと、次の俳句作品の自句自解を書かされた。プロレタリア革命のことなどよく知らない私は、刑事の気に入るようにはなかなか書けなかった。ある日、そんな私にじれったくなったか、Y刑事は、同じ日に捕らえられてS署にいる秋元不死男の手記を持ってきて見せた。それによって私は、「広場」からは私のほかに藤田初巳・中台春嶺・林三郎・小西兼尾、「土上」から秋元不死男・古家榧夫・島田青峰、「俳句生活」から栗林一石路・橋本夢道・神代藤平・横山林二、「生活派」から平沢英一郎等がやられたことがわかった。 (中略)

 十二月八日、アメリカに宣告、真珠湾の奇襲攻撃、敵戦艦の撃沈のニュースが留置所にも届いた。スリもかっぱらいも売春婦も「たたき」も赤も、一瞬厳粛な気持ちになる。いよいよ本格的戦争に突入だ。留置所生活などしてはいられない。家はどうなる。妻はどうしているだろう。そして子供は・・・。私の手記も早く完成させなければならない。(中略)

 昭和二十年三月十五日夜の大空襲で飛鳥山の工場も焼かれ、私はまた失業者になった。(中略)

 油のきれたリヤカーがギーギー鳴るのをだましだまし曳っぱってゆくと、目黒署の玄関に大きな立て看板が立っていた。「北海道開拓団員募集」と大きな字で書いてある。家へ戻って妻に相談すると、妻も、

「働くところはないし、このままいたら七人のものが飢え死にしなければならないから、父ちゃん行こうよ」

と言う。(中略)

 誰に聞いたか中台春嶺がたずねてきた。妻にそばをつくらせて、中台とふたりですすった。俳句事件で一緒につかまり、苦労を共にしたこの友達とも、これで一生会えなくなるのだと思うと、目頭が歪んで、くすんと涙が流れてきた。


 以下には、本書に書かれていた細谷源二の俳句を抜き出して、獄中吟をふくむ、いくつかの句を挙げておきたい。


  虱とる手にしみじみと梅雨は来ぬ       源二

  軒下のひよこあやうし雪崩かな

  獄に秋風片仮名でくる子の手紙

  脱走を考える獄の秋風に乗って

  君に似し白鳩は憂し獄の初夏

  英霊をかざりぺたんと座る寡婦

  鉄工葬をはり真つ赤な鉄打てり

  地の涯に倖せありと来しが雪


 細谷源二(ほそや・げんじ、1906・9・2~1970・10・12) 東京小石川区(現・文京区)生まれ。

マブソン青眼(まぶそん・せいがん) 1968年、フランス生まれ。

  


★閑話休題・・悼・大泉史世・・大井恒行「万華鏡寂しき鳥の手の夢ばかり」(『風の銀漢』)・・


 書肆山田・鈴木一民から、彼の同志にして妻の大泉史世の訃を聞いた。先日19日(木)に誤嚥性肺炎によって亡くなったと・・・。これまで、愚生の単独句集『秋(トキ)ノ詩(ウタ)』(私家版・1976年刊)と『風の銀漢』(書肆山田・1985年刊)は、すべて鈴木一民の慫慂によるものだ。とりわけ、『風の銀漢』は、大泉史世の手による本である。若かった愚生には厳しい注文も飛んだ。その大泉さんが、好きだ言ってくれた句が、「万華鏡寂しき鳥の手の夢ばかり」だった。書肆山田の装幀の多くは、大泉史世こと亜令がしている。それによって、本を見れば書肆山田の本だとすぐにわかる瀟洒な造本ばかりである。鈴木一民からは、愚生が40歳代の頃から、次の句集をつくれと勧められていた。還暦を過ぎたあたりには会うたびに督促をされたが、納得できる句の数がないと答えていた。最近では、「大泉と俺の命」、つまり書肆山田があるうちに出せと言われ続けていた。またも愚生は約束を果たせなかったというわけだ。闘病中とは聞いていたが、これまでも何とか持ちこたえられていたので、まさかという思いだ。享年77。今はひたすらご冥福を祈るのみである。先には、『風の銀漢』の解説を書いていただいた清水哲男も逝った。合掌。



       撮影・中西ひろ美「小満や苔の素ふりかけてある」↑

2022年5月19日木曜日

井上治男「じゃがいもの花稚子(おさなご)のかんざしに」(第5回「きすげ句会」)・・


 本日、5月19日(木)は、第5回「きすげ句会」、於:府中市生涯学習センターだった。兼題は「鮎」+雑詠2句の合計3句の持ち寄り句会、欠席投句2名だった。以下に一人一句を挙げておこう。


    清流に見立てし皿に鮎の菓子      山川桂子

    石苔の味知り初めし稚鮎かな      清水正之

    苔の花煉瓦通りの目地埋む      壬生みつ子

    茄子苗に夢のせるなり土押して     寺地千穂

    夏来たる光あつめて地下壕へ      井上芳子

    果てしなく平安の調べ藤棚に     大庭久美子

    鮎跳ねて真珠の如く光る原       杦森松一

    ヒマラヤ杉の垂直見上ぐ近未来    久保田和代

    鮎上る飛沫の中へ一直線        井上治男

    背ヒレ立て光るや鮎の滝に撥ね     濱 筆治

    みどり濃しかげろうの日も薔薇の日も  大井恒行


 次回は、6月9日(木)午後1時半~4時半。会場は、府中市中央文化センターに変更です。兼題「短夜」、当季雑詠2句の計3句出し。



       撮影・鈴木純一「芍薬の雨のたのしみ後にする」↑

2022年5月18日水曜日

鈴木しづ子「葉の蔭にはづす耳環(みみわ)や汗ばみて」(「なごや出版情報」第5号より)・・

 

 「なごや出版情報」第5号は、愛知・岐阜・三重、東海の出版社13社が共同で出しているフリーペーパー、各出版社の宣伝情報誌である。黎明書房の武馬久仁裕が送ってくれた。そのなかで、武馬久仁裕は「鈴木しづ子拾遺」を連載している。本号は、その2回目で、「葉の蔭(かげ)にはづす耳環(みみわ)や汗ばみて」(句集『指環』昭和27年)、所収の句と、「万緑や腰おろすべき石さがす」(「樹海」昭和38年6月号)の句を、紹介、鑑賞している。

 それは別にして、愚生が興味を惹かれたのは、もう一人、俳句に関するエッセイ「一家に遊女も寝たり萩と月 芭蕉 /本当に、市振に遊女はいたのか」を書かれている俳人がいることだ。まつお出版社の、名は松尾一(俳号・一歩)とあり、かつ、「獅子門小竹社第一世詞宗 齊々庵一歩」とある。その中に、


  (前略)それでは、実際に芭蕉と曾良が泊った市振の桔梗屋に遊女あるいは飯盛女がいたのだろうか。

 享和二年(一八〇二)、加賀藩士が江戸からの帰途、親不知を避け、親不知の山側を越えて市振に着いたが、ここで難所通過祝いという名目で遊女が売っていた餅を買っていた。まあ、一種の勧誘行為であるが、これによって市振に実際に遊女がいたことがわかる。(中略)

 『おくのほそ道』を連句に例えれば、那須の「かさねとは八重撫子の名成るべし 曾良」を歌仙の初折の裏の恋句、市振のこの句は名残りの表の恋句といわれている。

 江戸時代、遊女とか飯盛女はほとんどの宿場にいたといっても過言ではないが、芭蕉は、『おくのほそ道』において、あえて市振という場面で遊女を登場させたのは、この作品を、やはり連句に見立てた構図にしたのではないかとおもうのである。


 と結んであった。話を、武馬久仁裕にもどすと、同封されていた案内ハガキにには、「遊五人展」朗読会ー詩と俳句というのを5月14日(土)~5月19日(木)まで、松山市のギャラリーキャメルK(松山市錦町33-3)でやっているという。お近くの方は、立ち寄ってひやかしてやって下さい。ちなみに案内ハガキの絵は、小西昭夫「いのち NO2」(上掲写真)とあった。



★閑話休題・・第37回詩歌文学館賞贈賞式・・5月28日(土)午後3時ー入場無料ー・・


・第37回詩歌文学館賞贈賞式、来る5月28日(土)午後3時・入場無料。

・記念講演は松平盟子「『みだれ髪』と『白桜集』を繋ぐものー晶子没後80年」。

・会場 日本現代詩歌文学館 JR北上駅からタクシー約6分。電話0197-65-1728。

 ちなみに、今回の受賞者は、詩部門は田中庸介『ぴんくの砂袋』(思潮社)、短歌部門は志垣澄幸『鳥語降る』(本阿弥書店)、俳句部門は遠山陽子『遠山陽子俳句集成』(素粒社)である。慶祝。



     撮影・芽夢野うのき「頭のなかがいつも散らかって昼顔」↑

2022年5月17日火曜日

大牧広「沖縄を捨てる人居て春寒し」(『大牧広全句集』)・・


 『大牧広全句集』(ふらんす堂)、栞文は高野ムツオ「すててこ俳句礼讃」、能村研三「「父寂びのこころ」、櫂未知子「語り切れなかった思い」、関悦史「気分に染みとおる社会」。既刊10句集に、『朝の森』以後の作品を加えた、4176句を収録。『朝の森』以後の中には、ふらんす堂のホームページに一年間日々連載された「俳句日記2018そして、今」を収録。他にエッセイ、自句自解100句、さらに句集解題は仲寒蟬、小泉瀬衣子編による年譜を収載し、大牧広のほぼ全容を知ることができる。帯の惹句には、


 能村登四郎を師としし人間の肌触りを大切にする抒情性から出発した大牧広は、したたかな批評精神をもって戦後日本をみすえた昭和一桁生まれの俳人である。その俳諧魂(スピリット)は屈折した哀愁をただよわせ、悲しみの眼差しをやどす。一介の庶民であることの誇りを失わず、時にその怒りを作品にぶつつけつつ都市生活者として生き抜いた一俳人の全句集である。


 と記されている。愚生が大牧広に直接お会いして以後、ことあるごとにお付き合いをいただいたが、その最初は、たしか現代俳句協会の通信講座の講師を共に務めることになったときだ。また、「俳人九条の会」の呼び掛け人に要請されたのも、大牧広の直接の誘いによるものであった。あとは愚生が月刊「俳句界」の仕事をしていた時は、金子兜太との対談をしていただいたこともある。全句集「あとがき」は仲寒蟬がしたためていて、その結びには、


 平成三十一年四月二十日に大牧先生が逝去されて三年が経過しようとしている。実はその丁度一か月後に筆者の父も亡くなった。同じ昭和一桁生まれということで、筆者にとって二人はかさなる。先生の句業を読むという行為は父の生きた時代を知ることであり、ひいては自分の育った時代を見直すことにつながる。

 どうか多くの人に読んでいただきたい。大牧広が再興を望んだ新しい時代の社会性俳句を志す人も、そうでない人も、この全句集によって大牧広の句業をもっと身近に感じていただければと願っている。


 とあった。ともあれ、以下に、最晩年の『朝の森』以後のなかから、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。


      一月一日(月)(2018年)

  太箸といふ厳粛をいまさらに         広

     十二月三一日(月)

  なんとなく心締まりて大晦日

  三伏や文法説くに居丈高

  海を見る分だけ空けて夏帽子

      沖縄戦を朝の森

  揚花火芸術のごと見る勿れ 

  絶筆となるまで書かむ百千鳥

     第十句集「朝の森」上梓

  退路絶つ思ひに満ちて冬桜 

    「港」終刊

  めつむりて皆に詫びたる春夜なり

  妻が来て帰りて泣きしほととぎす

  あゝと言ひあとは無言や花の下

  戦中の夢ばかり見て明易し 

  

 大牧広(おおまき・ひろし) 1931年4月12日~2019年4月20日、享年88.東京府荏原区(現・品川区)生まれ。



    撮影・中西ひろ美「梅雨らしくしているけれど走り梅雨」↑

2022年5月16日月曜日

森須 蘭「あめんぼう明日はいつも目分量」(「祭演」65号)・・

  


 「祭演」65号(ムニ工房)、特集は、森須蘭の第4回口語俳句作品大賞受賞作「木のベンチ」と 成宮颯の第三次ノミネート作品「深海魚」。論考は、藤田踏青「『連星の輝きー第四回口語作品大賞』寸感」、田中信克「『木のベンチ』と『深海魚』:進行形の魅力」、萩山栄一「ファンタジー俳句の可能性ー森須蘭氏の俳句の魅力」である。他に招待席に、つはこ江津「ぽこぺん」。その藤田踏青は、第4回口語俳句作品大賞受賞について、


 昨年の杉本青三郎氏に続き、主催の森須蘭氏が大賞を受賞、「祭演」にとっては連星の輝きである。つまり、同人誌である「祭演」では、同人それぞれの句風の輝きがあり、それが連星のように更に輝きわたるということである。


 と記している。ともあれ、ここでは、招待席作品、また「豈」同人(元「豈」同人も含む)でもある一人一句を紹介しておきたい。


  読みさしの本にしおりの枯野かな     つはこ江津

  赤い靴焼くなら冬のいつがいい?      伊東裕起

  風上にまわれぬままに涅槃西風       川崎果連

  涸れ川の青きしらべを空におく      杉本青三郎

  病む右目庇う左目沈丁花          成宮 颯

  揚げ雲雀明日を意識する姿勢        森須 蘭



       撮影・鈴木純一「緑蔭や咎められるも嬉しげに」↑

2022年5月13日金曜日

筑紫磐井「静かなる前衛といふ風が吹く」(「篠」200号記念号)・・


 「篠」200号記念号(篠の会発行所)、「篠(すず)」200号、再来年は創刊40周年という。辻村麻乃「二百号を迎えて」に、

 

 「篠」を続けて行くということは、この舟に乗り合わせる会員の皆さんを沈めないように大きな海へ導いて行くことだと思っている。道先案内人として常に海や空の状況を考慮に入れつつ、より良い道を進んで行かなくてはならない。


 とあった。特別寄稿に、岩淵喜代子「俳句は必死の遊び」、林誠司「俳諧自由と麻乃俳句」。ともあれ、以下に、主宰の辻村麻乃作品「オラトリオ」からと、「二百号の寄せて」などから、一人一句を挙げておきたい。


  凩や真夜の底ひを掬うては       辻村麻乃

    故木村リュウジ君へ

  木の幹になりたがり逝く龍天に

  春暁篠の触れ合う音確と       宇多喜代子

  篠の子や入江名残りの小埼沼      能村研三

  大枝を揺さぶつて桜満つるかな    雨宮きぬよ

  すみずみに篠の喜色や風光る     上田日差子

  澎湃ときらめく篠や春闌けぬ      奥坂まや

  うこぎ摘む指に棘の仕業かな      関島敦司

  知恵の輪のほどけやすさも春愁     助川伸哉 

  濡れ落葉オークル系にくくりをり    渡辺優子

  木々も人も氷柱に灯る点描画      歌代美遥

  先生の面影梅の南部坂         山野邉茂

  風光るペットボトルの作る虹     谷原恵理子



      芽夢野うのき「内輪の話少しうつくし車輪梅」↑

2022年5月12日木曜日

濱筆治「過去(こしかた)を「一括消去」夏の浜」(府中市生涯学習センター春季講座「現代俳句」第3回)・・


  本日は、府中市生涯学習センター春季講座「現代俳句」の第三回目であった。前回に宿題として、無季の句(自由律可)、と夏の句、計2句を持ち寄るということだった。無季俳句を作ることによって、有季俳句が意外に作りやすいことが理解できる。皆さんも有季・無季の隔てなく作句して来られ、無季の句にも、けっこう点が入った。ともあれ、以下に一人一句を挙げておきたい。


  スイングジャズ自由自在な玩具箱          久保田和代

  けり上げし空に白くつ夏きたる            高野芳一

  凪の海葉の如く浮く浮き身かな            杦森松一

  くらやみに人生担ぐ神輿かな             清水正之

  風吹けば生けるが如し五月鯉            壬生みつ子 

  五感研ぎ友と学ばん五七五              中田啓子

  荒れ空き家粗壁(あらかべ)の蔦(つた)驟雨(しゅうう)浴び 濱 筆治

  葉陰よりのぞけしまんまる青き梅          泰地美智子

  からまつの若葉輝き見あぐ空             井上芳子

  娘から感謝の気持ち花干菓子             寺地千穂  

  川曲がる先へ行けない僕らの昭和           大井恒行


 次回、第4回目の講座は、5月26日(木)、実議編は、当季雑詠2句持ち寄り。時間が許せば、講義編は俳句の歴史(戦後俳句の出発以後)。



 撮影・鈴木純一「こんなにあってまだ足らないかゼニアオイ」↑

2022年5月10日火曜日

鈴木節子「われが灰になる日の桜乱舞せよ」(「門」5月号)・・・


 
              「俳句界」3月号↑

 「門」5月号(門発行所)、「門」名誉主宰・鈴木節子の訃が届いた。つい先日、卒寿を迎えられ、お祝いをされたたばかりだった、という。それにしてもブログタイトルにした句「われが灰になる日桜乱舞せよ」は、彼女らしい予知だったかもしれない。愚生は、これまで、「門」の創刊主宰・鈴木鷹夫と夫人の鈴木節子には、いくつかの想い出がある。また、毎月の「門」誌のみならず、其角の小説をはじめ多くの著作を恵送にあずかった。先日も「俳句界」3月号(上掲写真)の「俳句は境涯の詩」特集で、偶然に見開きページで愚生と隣り合わせになったことで、便りをいただいていた。愚生の筆不精、怠惰のせいで、その返信を一日伸ばしにしていたのが悔やまれる。元気なご様子だったので、まさか訃を聞くとは思わなかったのだ。言葉もない。今はひたすら、ご冥福を祈るのみである。

 鈴木節子(すずき・せつこ)1932年4月29日~2022年5月8日、享年90。虚血性心疾患。葬儀は近親者のみで行われる、という。合掌。

 ともあれ、本誌本号より、以下に一人一句を挙げておきたい。


  万の忌日のおぼろ三月果つるかな    鈴木節子

  絶妙な浮橋この世のナミアゲハ    鳥居真里子

  死すあとも愚弟賢兄春の虹      野村東央留

  寄るほどにくすぐつたいぞ猫柳    小田島亮悦

  いつかわが柩寒萬月の黙        成田清子

  探梅の風くぐるとき目を閉づる     大隅徳保

  パソコンの遠隔操作鳥帰る       長浜 勤

  根こそぎの雪折にして逆しまに    石山ヨシエ

  なにかしら掴みさうなるシクラメン  梶本きくよ

  天秤の片下がりして狐の火       石丸和雄

  本音です鵙の喉赤黒い         村木節子

  音にしてもいちどふゆのはなわらび   島 雅子

  全身に青がたりない冬の川      中島悠美子



     芽夢野うのき「山のあなたの修羅をみつくし山法師」↑

2022年5月9日月曜日

田中いすず「泪には種がある白さるすべり」(「現代俳句」5月号より)・・

 

「現代俳句」5月号(現代俳句協会)、巻頭のエッセイに「直線曲線」がある。本号は杉本青三郎「何度も読むということ」。その後半に、

 

 (前略)さて、何度も読む句集として紹介するのは、次の二つ、一つは田中いすずさんの『ときめかねば』で一九九七年発行。発行時の作者の年齢は七十歳を超えている。もう一つが、大坪重治さんの『直』で発行日は二〇〇四年。これも作者は発行時七十代後半の年齢になっている。二冊とも時間の侵食は夥しいが、その感覚は今でも新しく斬新でさえある。まずは、『ときめかねば』から作品を上げる。

  春の雪ものの根元は微熱して

  ながいながい助走のはての凩か

  白繭にこもる気でいる障子貼り    (中略)

続いて『直』の作品を上げる。

  銀河から鯨一頭分の冷え

  今日を返しに鶯の谷へゆく

  きのうより大きな真昼白山茶花    (中略)

 二つの句集とも、温故知新の最たるものである。


 と述べられている。思えば、愚生が現俳協の青年部役員だった頃、現俳事務局長?だった大坪重治氏には、大変お世話になった。また、田中いすず氏にも、多賀芳子の句会であったか、現俳の句会であったか、その句柄に魅せられていた。すでに30年ほど前のことになる。  他には、第22回現代俳句大賞が川名大(はじめ)に授賞が決定したとあり、中村和弘選考委員長が、

 

(前略)新興俳句、またこの区分には異論もあろうかとも思うがその実証性は高く評価されるべき、と私は考える。この俳句史観をベースに現代俳句協会の『昭和俳句作品年表』戦前・戦後篇が成立した。現代俳句協会の事業として更に評価されるべきである。


 と記している。また、川名大の受賞の言葉のなかで「新たにスタートした第三次『昭和俳句作品年表』の作品収集に力を尽し、受賞に報いたいと思っている」とあった。つまり昭和46年以後、昭和64年までの作品集ということだ。期待したい。ともあれ、以下に、本誌本号から、いくつかの句を挙げておこう。


  へなちょこもカバも午前の虹の中        坪内稔典

  恋結び濃いもうすいもあやめどき       横須賀洋子

  以津真天(いつまで)鳥あやめケ原に影落とす  永瀬十悟

  虎落笛アンクル・トムの逃げた川        金子 嵩

  はこべらへ重機が爪を入れにけり       ふけとしこ



★閑話休題・・森澤程「最終の白鳥ゆきて雨となる」(「ちょっと立ちどまって」2022・4)・・
 

 毎月のハガキによる二人の俳句通信である。以下に一人一句を挙げておこう。


  惑星に深き凹凸飛花落花     森澤 程

  銅像のチェロに弓なし鳥曇   津髙里永子



        撮影・中西ひろ美「回想の蕾ありけり花蜜柑」↑

2022年5月8日日曜日

小島明「たかぞらは無季のごとしや鳥帰る」(「ふらんす堂信」172号より)・・


 「ふらんす堂通信」172号(ふらんす堂)、本号には、書き下ろし特別寄稿が2編ある。高橋睦郎「小島明句集『天使』を読むー出会うということ」と八木幹夫「酒井弘司句集『地気』を読むーガイア(地母神)の歌」。いずれも読み応えがある。酒井弘司は、すでによく知られた俳人なので、ここでは、愚生の初見の小島明について、高橋睦郎の部分を引用しておきたい。


 (前略)この道の作者については同名句集巻末に詩人中上哲夫の「猫さんという俳人」、同じく関富士子の「付記」があって、おぼろげに知ることができる。彼は二〇〇五年から故白川宗道が主宰するJ句会という詩人・俳人混合のゆるい句会にまねき猫なる俳号で参加して猫さんと親しまれていた、それが昨二〇二一年三月、関富士子にメールが届き、膵臓に腫瘍が見つかったという告白と、最後に句集を一冊くらい遺したいので相談に乗ってほしい、と言ってきた、という。

 ふだんは寡黙だった彼がすこしずつ静かに自らを語りはじめたのはそれからで、敬愛する俳人たち(安東次男、飯島晴子、攝津幸彦、田中裕明など)と個人的な対話を続けるつもりで細々と句作してきた、入院してからは「ことばの日々」が始まり、それこそが自分のしたかった生活だったのだという高揚感がある、などと語った、という。


 そして、その論の終りに、「高橋睦郎抄出『天使』五十句抄」が置かれている。そのなかから、愚生好みにいくつか紹介したい。


   狐とはああこんなにも痩せてゐて      明

   たましひもおほよそ水と知る秋ぞ 

   芒原みな去りてみな此処にゐる

   水澄みて且つ水音の澄みにけり

   梅の香やときどき風を乗り換へて 


 小島明(こじま・あきら)、1964年、滋賀県生まれ。2021年5月没、享年56とある。ともあれ、本誌本号より競詠俳人の他、一人一句を挙げておきたい。


   春風と思えば嬉しあぁ寒し      池田澄子

   白猫の亡き家灯し草の餅      大木あまり

   亡きひとは声漏らさずよよもぎもち  小澤 實

   青山河声を挙げねばわれ在らず    酒井弘司

   ごろり寒卵わが前のふいの言葉よ   上田睦子



    撮影・鈴木純一「夜目遠目あやめたひとは好きなひと」↑

2022年5月7日土曜日

江田浩司「やさしさは海鳴りの時期(とき) エンブリオ翼の生えたメランコリック」(『メランコリック・エンブリオ/憂鬱なる胎児』)・・


  江田浩司第一歌集『メランコリック・エンブリオ 憂鬱なる胎児』(現代短歌社・第一歌集文庫)、文庫版解説は神山睦美、他に、再録の栞文に、岡井隆「江田君に」、谷岡亜紀「私・言葉・世界」、藤原龍一郎「知性の自慰」。巻末エッセイ・江田浩司「他者の声」が収載されている。また、集中、903首とともに33句が収められている。1996年7月2日、37歳の誕生日に記されたエッセイ「他者の声」には、


 自分の創作の原点を探ろうとする場合に、どうしても目を逸らすことのできない一つの思い出がある。その思いでは傷(いた)みとなって、静かな水の流れのように消え去ることはない。そして、その水の流れには、さらに静かな淀みがあって、いつのまにか得体の知れない歪(いびつ)な生き物が住みついていたようだ。生き物の吐く泡は、僕にさまざまな苦悩と同時に感傷を与えつづけ、生き物自体すこしの間も同じ形のままでいることはなかった。(中略)

 その得体の知れない生き物を、仮に名づけるならば、「憂鬱な胎児」とでも言うことができるだろうか。「憂鬱な胎児」は、今も僕の中でさまざまな声を発しながら、誕生を待ち望んでいる。(中略)

 今、僕は、自分の”内部の他者”から、”外部の他者”への通路を、半歩でもいいから進んでゆきたい。この「憂鬱なる胎児」の誕生に立ち会いたい。たとえ僕が父としてふさわしくなくとも・・・・。


 とあった。あと一つ、解説の神山睦美の論のごく一部を、紹介してこう。


 (前略)それはともあれ、「メランコリック・エンブリオ(憂鬱なる胎児)というタイトルの言葉が明らかにするのは、喩が想像力の解放であるといった意味にとどまらない、メタファーそのもののありかたなのである。喩とは、いわば、存在そのものにかかわる表現にほかならない。江田浩司のうたの優れたメタファーは、すべて、存在の根源から発せられたものといえる。私たちは、どこからやって来たのか、そして私たちが負わされている苦しみは、どこに由来するのかという問いから発せられているといっていい。(中略)

 さらに存在の苦しみは、宿命的なものに帰結し、反復されるとしたうえで、そのような「宿命強迫」を解き放つものは、「死の光」といっていいような、はるか彼方からやって来るものにほかならないと述べながら、この「死の光」こそが、私たちをタナトス(死の衝動)から解放してくれるものではないかと暗に示唆している。

 江田浩司のメランコリック・エンブリオもまた、もし解き放たれるとするならば、このような「死の光」によってではないか。短歌表現とは、江田浩司にとって、そこにいたるまでの道すじなのである。


 ともあれ、集中より、わずかとなるが、いくつかの歌句を以下に挙げておきたい。


 君も水われも水かな掌(て)の中に囲いてやればさんざめく乳房(ちち)  浩司

 あんなにも二枚の舌が父さんを呼んでる俺は父さんじゃない

 神々の手淫に虚(うつろ)な河生(あ)れて世界の終りに葦の耳かな

 春は哭(な)け、まだあたたかき一筋の血が描く詩篇蒼白のロシア

 アウシュビッツ飼われし犬よ監視兵にユダヤを咬めと教えられし犬

 俺の中で咲いている雨 民族は三位一体を濡らしてゆきぬ 

 溶鉱炉をいま出たばかりの肉体に全存在を対峙さすべし

 民主主義の敗北が木にぶら下がりきりきり回る影も回れり

 戦後日本・僕らの世代はオナニスムどんな思想もやさしく抱くさ

 夕空の櫂(かい)こぎゆくは月草のかりなる命曳きゆくわれら

 悔しさの距離に海見ぬ雲雀の死ヴェーユは完膚なきまでヴェーユ

 寒晴れの光の中を歩みたる片耳の犬 わたしは飢える

 自慰をする葉脈のような日記から救われ難き過去は寒晴れ

 

  わたしが孵す空一つあり天球儀

  火傷(やけど)せしロバなるわたし桜散る

  家族はじけ桃の量感残りける 

  混血の卵は北へ転がりぬ

  ミシマの喉に覗く卵やホリゾント

  その肋霜積むごときシーレの絵

  地の傷のごとき思想や冬の河

  用のないわたしのしっぽが垂れている


江田浩司(えだ・こうじ) 1959年、岡山市生まれ。



       芽夢野うのき「消えて逝く時のかたみよ雪柳」↑

2022年5月6日金曜日

橋本七尾子「クレヨンの青のいろいろ春の空」(「円錐」第93号)・・


 「円錐」(発行人・澤好摩、編集委員・山田耕司、今泉康弘)、本号のメインは、「発表 第6回円錐新鋭作品賞」である。その発表経過に、


 第6回です。

 今回は6篇のご応募をいただきました。(第1っ回47編、第2回40編、第3回58編、第5回67編)。(中略)

 審査の上、20句を対象に、第一席から第三席までを選出。

句単位での顕彰は、5句。「これからに期待する作家」という枠も前回から継続しています。

 毎度のことではございますが、三人の審査委員の推薦作品が、まったく、重なりません。バラバラです。これこそが、個々の価値観を頼みに活動する同人誌ならではの結果、と言えるかもしれませんが。(以下略)


 とあった。ともあれ、「円錐」特別作品からと、加えて「新鋭作品・推薦」と「これからに期待する作家」の一人一句を、以下に挙げておきたい。


   火焔土器に何詰めようか木の芽吹く       山﨑浩一郎

   人の声吸いとるあそび冬の雨           林 ゆみ

   水葬やあないな波に菊は散るか          矢上新八

   ひと光淡雪が手に消ゆるとき       木幡忠文(花車賞)

   オカリナの息の長さや冬の川       小谷由果(白桃賞)

   きれいな手きれいなマスクさようなら  星野いのり(白泉賞) 

   さめぎはの淋しい鼻梁流氷来       内野義悠(奨励賞)

   金琵琶をかましく思ふ日がありて     吉冨快斗(林檎賞)

   しし座からそのままわたしへ落ちてこい 雨宮あみな(エリカ賞)


 

            


★閑話休題・・悼 日本太極拳法一楽庵・出井現兵子(げんぴょうし)先生・・


 このたび、『追悼 出井朗夫先輩』(京都大学空手道叡空会有志一同・令和3年12月)が刊行された。愚生は、健康のためにと、67歳から、太極拳を始め、偶然とはいえ出井現兵子先生に入門した。そのときすでに先生は88歳だった。稽古の時間の合間に、雑談の方が長くなることもあったが、愚生にとっては、その雑談の方が面白かった。また、稽古も健康第一のようで、ストレッチや準備体操の方に時間がおおく割かれていた。
 このたびの、追悼集によって、愚生の知らない老先生のあれこれを知ることができた。
略年譜を見ると、昭和2年、愛媛県松山に生まれ、昭和26年4月、京都大学経済学部「臨時編入」として入学されている。武道歴は柔道、沖縄空手、銃剣術、剣道、また古武道は兵法大和流柔術、柳生心眼流兵術を相伝。昭和36年に台北で、太極拳・形意拳・八卦拳(柔拳)をまなび、昭和44年に、健康と長寿を目的とした「日本太極拳法一楽庵」を創立とあった。その他、京大時代に「心茶会」(茶名・宗朗)。昭和44年、茶道・太極煎茶道を創設ともあった(茶名・一楽)。愚生は、その最晩年の何も分からない弟子であった、ということだ。
令和2年2月にご逝去、享年92。合掌。
 そして、現在、愚生は、先生の高弟だった内田慎一先生に師事し、一向に上達しない愚生を励まして下さっている。「一楽庵太極拳法心得」の一つに「発気発勁」「健技美愛」、特に後者は「健とは健康長寿であること。技とは練拳によって技をみがき、心身を鍛え養生すること。美とは練拳を通じて四季の美意識に目覚め、美しい心と体を作りあげること。愛とは人道の基本であり、見返りを求めない博愛のこと」とある。道は遥かである。
 
 


     撮影・芽夢野うのき「昼顔や夢うたかたの風すこし」↑

2022年5月5日木曜日

髙柳克弘「戦争も退屈も嫌白日傘」(『涼しき無』)・・・

  


 髙柳克弘第3句集『涼しき無』(ふらんす堂)、著者「あとがき」に、


(前略)こ句集に主題の明確な作が多いのは、私なりの挑戦だ。とはいえ、作者の意図は脇に置いて、読者の方には、自由に鑑賞していただければ嬉しい。たとえば子供を詠んだ句が多いが、この句集に出てくる子供は、私の息子でもあり、戦場のみなしごでもあり、安寿厨子王でもあり、あるいは私自身でもあるだろう。


 と記されている。また、集名に因む句は、


   子にはほほゑむ母にすべては涼しき無      克弘


  であろう。ともあれ、集中より愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。


   本書くに読む本の数柚子の花

   街の時間原野の時間鳥渡る

   噴水や団結を説くビラ浮ける

   ふところに拳銃欲しき秋の暮

   電脳の妖精の国冬籠

   魔術なきこの世に奇術冬灯

   盤上の兵はひるまず揚雲雀

   機械は人に人は朧に近づく夜

   弾丸もヘアピンも鉄夏の月

   桃・煙草ゾンビの方が楽しさう

   年忘れ毒もて制しきれぬ毒

   ぬぐふものなくて拳や米こぼす

   水草生ふ死ぬならばその腕にこそ

   紙雛換気の風に倒れけり

   ハンカチを敷くやひとりの花筵

   

 髙柳克弘(たかやなぎ・かつひろ) 1980年、静岡県浜松市生まれ。



       撮影・中西ひろ美「万感の花咲き終へし緑かな」↑

2022年5月4日水曜日

森賀まり「好きな人なれば声浮く五月かな」(『しみづあたたかをふくむ』)・・

  


 森賀まり第3句集『しみづあたたかをふくむ』(ふらんす堂)、集名について、その「あとがき」に、


 水泉動(しみずあたたかをふくむ)。新年が明けて大寒の少し前の時候である。

 暦の中にこのことばを見付けたときなつかしくなった。

 私の生家は四国石鎚山の登り口に近く、湧き水を水源とする地にある。凍るような朝は蛇口を開け放ち、水が温んでくるのを待ってから顔を洗った。

 七十二候を眺めるに、その多くがふとした気づきを誰かがつぶやくようだ。なかでも玄冬の底に置かれたこの語にひかれる。水の温度はほとんど変わらないのに、いっそうの寒さがはじめてその温みを気づかせる。ひらがなに開いてみると、その先の春を待つ心がより感じられるように思った。

とある。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。


   綿虫や豆腐は水を見つつ購ふ        まり

   春風に背中ふくらみつつ行けり

   烏瓜の花が黙つてついてくる

   こほろぎの滴のごときかうべかな

   札納人の中より手をだしぬ

   帷子の何も握らぬこぶしかな

   生身魂返杯眉にかかげたる

   大年のその日へ花の届きけり

   押すとなくころがすとなく恋の猫

   夏蓬真白でもなき白を着る

   鬼灯をあげようと言ひくれざりき

      母は

   灸花聞こえざるときわれを見る

   白桃や過去のよき日のみな晴れて

   梅真白その奥に泥舟がある

   シクラメン灯りつけても暗かりき

   橋よりも低く花火の上がりけり


 森賀まり(もりが・まり) 1960年、愛媛県生まれ。



     撮影・鈴木純一「さあ入れ大きな蕪を抜いたなら」↑