坪内稔典『俳句いまむかし みたび』(毎日新聞出版)、その「まえがき」の中に、
このごろ、言葉を考える老人でいたい、と思っている。(中略)
コロナはいやだが、コロナが世界を、あるいは私たちの日々を変えようとしている。(中略)
こういう情勢の中で、私の世代、すなわち老人は、新しい言葉についていけない、という感じになっていないだろうか。あるいは、激変する日本語に立腹し、日本語は乱れている、と思っていないだろうか。
言葉が乱れているように見えるとき、言葉はもっとも元気がよい。二十歳前後の元気盛りのころ、たいていの人は、意識的に言葉を乱し、新しい言葉を作ろうとした。今でもしている。従来の言葉を乱し、新しい言葉を持ち込むことで、新しい世界、新しい人が生まれてきたのだ。それが私たちの言葉に関わる歴史だった。
ところで、俳句の季語はいつも時代から少し遅れている。季語は人々の暗黙の約束によって成り立つが、その約束ができるまでには時間がかかる。季語は時代の先端の言葉ではなく、時代から少し遅れているのだ。
とあった。ブログタイトルにした打田峨者(がしゃ)ん「秋は横顔 グレタ・ガルボに肖(に)た女」が「いま」の句で、対する「むかし」の句は、千代女「夕暮や都の人も秋の顔」だ。その打田峨者んの句の解説には、
秋は横顔がすてきだ。ことにグレタ・ガルボに似た横顔が、というのであろう。「秋は横顔」のように体言止めにして肯定的な気持ちを強く表現する、この表現法は『枕草子』が代表し、俳句でも多用される表現法だ。『枕草子』では「秋は夕暮れ」。この句は句集『楡(にれ)時間』(書肆山田)にある。「楡の月 手に手に鈴(りん)のなりとよむ!」もきれいな光景。
と記されている。以下は、「いま」と「むかし」を対比させた句の例のみになるが紹介しておこう。
うぐひすの上目遣ひのこゑであり 鳥居真里子
VS 鶯や製茶会社のホッチキス 渡辺白泉
初蝶来(はつちょうく)今年も音をたてずに来 池田澄子
VS 初蝶やわが三十の袖袂(そでたもと) 石田波郷
草青む海まではそう遠くない 山﨑十生
VS 青き踏む亀は兎を意識せず 関口比良男
行き合ひて風の光やこんにちは 高山れおな
VS 装束をつけて端居や風光る 高浜虚子
叔父といふ人が西瓜を提(さ)げて来し 仁平 勝
VS いくたびか刃をあててみて西瓜切る 山口波津女
肩に乘るだれかの頤や豊の秋 山田耕司
VS 豊年の星座ぎつしり赤子泣く 鈴木六林男
USB差しては光る秋思かな 加藤又三郎
VS 秋あはれ山べに人のあと絶ゆる 室生犀星
坪内稔典(つぼうち・ねんてん) 1944年、愛媛県生まれ。
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