下村光男遺歌集『海山』(KADOKAWA)、題字は前川佐美雄。序歌は岡野弘彦、
下村光男君の歌集に贈る歌
若き日の萬葉の旅かさね行きともに歌ひし君を忘れず 岡野弘彦
序文は馬場あき子「星降る寒の駅で」と福島泰樹「哀別、抒情、愁烟の人」、その馬場あき子は、その中で、
ゆく春や とおく〈百済〉をみにきしとたれかはかなきはがききている 『少年伝』
これは下村光男の歌名を広く知らしめた『少年伝』(一九七六)中の名歌である。そのころの下村は激しい自負をひそめながら、表だっては温和な優雅さが親しみやすい人柄の歌人であった。(中略)
彼は前川佐美雄、宮柊二、山崎方代に私淑していたというが、現実には多くの歌友の中にあっては孤独、ひとりはまして孤独、誰と付きあっても孤独の心をかかえてしまうのがその本領だった。(中略)
銀河鉄道の夢より醒めて 四街道 星降る寒の駅におりたつ
彼の後半生のスタート地点をくっきり示したような一首である。(中略)
これは一面からみれば下村の勁い精神活動のたまものといえる。その歌の風体はやすらかで、短歌がもつ本来の美質に心をゆだねてうたうという、歌の王道をゆく風体であるのも、下村が到達した歌への答をなしているといえるだろう。
と記している。そして、福島泰樹は、
(前略)「一心」が発表された一九七八年を境に、下村光男は私の視界から遠ざかっていった。
下村光男を想い、故地伊豆韮山を訪ねた。五月のひかりのなか、狩野川はゆるやかな曲線をなして流れ、若き日の君が歌った〈とおくゆくひと日、堤に腰おろしひるのおむすびわれは喰いおり〉〈おおいなる糞をのこしてなつかしの馬車馬とおくゆけりこみあぐ〉などの景を思い起こさせてくれた。(中略)
ひかり眩く烟る狩野川のかわべに立ち、歌人下村光男の魂の源郷を思う。遺歌集となってしまった『海山』にこの一首がある。
ゆっくりと帰りてゆける茄子の牛みえざるものも夕辺には見ゆ
とまれ、下村光男は、鬱々と烟る情念の火を魂の奥底深く燃やし、抒情し、激しく、ロマンを欣求してやまない歌人であった。
と結んでいる。「あとがき」は夫人の下村きよ子、その中に、
第二歌集『歌峠』の後、三十六歳から七十五歳までの作品の中から五百二十一首選びました。
夫にとっての第三歌集は遺歌集となってしまいましたが、歌人として生きた証として、亡き夫に贈りたいと思います。
とあった。ともあれ、本歌集より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。
月を浴び咲く露草の瑠璃のいろ今日の怒りをおさめて見いる 光男
懸命の試歩もかなわずさびしげに父は苦笑すわれに抱かれて
妻癒えず。泣く児やむまでいだく夜夜ねむる花合歓われも朦朧
天涯孤独の方代さんに貌おなじ親族つぎつぎあらわる怪
真青なるひかり冬野の犬ふぐり人は信じてゆかねばならぬ
嬉嬉として波にあそばれあそぶ子ら、われらが水の星よ滅ぶな
歌集なぜ出さぬわが無為せめる声ただ困窮に尽きてそうろう
口笛をおぼえしもそのころのこと口笛はわが詩歌のはじめ
チャフラフスカ皺ある貌(かお)はこたえおり「プラハの春」ののちの歳月
特攻兵の遺影かざられいたりけり一千余名なべて童顔
野末よりぐんぐんと来ているいま頭上、万の渡鳥(わたり)のまさに鳥雲
幾春秋くちを噤みて来しひとつ屁のごとくにも漏らしてしまえ
もんじ「休」この人と木のものがたり人われは木によりていこうも
花見とは萩を見ることーー古代びとの遊びおもえとばかり花萩
葛の花ふいなり陰(ほと)のにおいもすかぐともなくてさやりいたれば
とらえんと追うも敏捷 炎帝を舞う蝶若き日の君にか似たる
すいすいと或るは止(とど)まり赤とんぼ翅うつくしく行くも肉食
独眼となりていっそう眼に沁む菜の花の黄の連翹の黄の
下村光男(しもむら・みつお) 1946年1月21日~2021年11月4日、享年75。静岡県韮山町生まれ。
撮影・鈴木純一「踊り場でしがみつかれる時雨かな」↑
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