2015年9月8日火曜日
大高霧海「虹の輪に天と地と海それに山」(『菜の花の沖』)・・・
大高霧海第6句集『菜の花の沖』(文學の森)は「風の道」創刊30周年の記念に、ともいうべき句集だから、ごく自然に「風の道」を創刊主宰した先師・松本澄江に捧げた句が多く目につく。その「あとがき」には以下のように記されている。
想えば俳句の道にかかわったことで、長い青春を享受することができ、今日の自分があることに満足している。この端緒は実は私の法律事務所の客員弁護士故上山太左久先生のお誘い、ご指導によるものであった。先生は俳号如山と言って風生・梧逸門の一人であった。ここに如山先生にも衷心よりお礼申し上げたい。日本固有の短詩型文芸の俳句は師系を大切にすることにある。私も師系を大切にしながら、師系を超える俳句を一句でも残すことを目標としてこれから命のある限り俳句の美の狩人として生きたい。
「美の狩人として生きたい」は見事なる心映えというべきだろう。本句集の前の第5句集『無言館』は、そのほとんどが戦没画学生に捧げられた句で占められていた。図書新聞で書評させていただいた印象からして、本句集は、先師や「風の道」を共に歩いてきた同志への感謝の一集であるにちがいない。
以下に愚生好みのいくつかの句と、松本澄江に捧げられた句を挙げておきたい。
石の神木の神草の神も留守 霧海
菜の花の沖渺渺と火車の旅
夾竹桃真つ赤原爆ドーム燃ゆ
死者も来て踊子に蹤く夜更かな
行秋(ゆくあき)や水かげろふも木を登る
澄江忌の俳の昂り梅真白
燭ゆるる雛のまばたき澄江の忌
万緑を透かし先師の叱咤の声
澄江師も死もまた美学ちる桜
先師を想う
先師追へど距離ちぢまらぬ花野道
句碑に倚れば師の俤(おもかげ)の花衣
つまくれなゐ先師のおしやれ老い知らず
大高霧海(おおたか・むかい)昭和9年広島県生まれ。「風の道」主宰。
因みに、司馬遼太郎には、『菜の花の沖』という小説がある。菜の花忌は遼太郎の命日で2月12日。
センニンソウ↑
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