2015年9月22日火曜日

岡田史乃「歩く人皆春光の塵となり」(『ピカソの壺』)・・・



近年の句集は「後記」に色々書き連ねる人が多い。短い「後記」といえば、愚生などはすぐにも飯田龍太を思い浮かべたりするが、なかなかどうして岡田史乃『ピカソの壺』(文學の森)の後記も短く、実に気持ちがいい。以下がすべてである。

 『ピカソの壺』は私の第四句集です。お目通しいただければ幸いです。
     
             平成二十七年六月二十日
                                  岡田史乃
句集名は、序句の、

   父からのピカソの壺や夏立ちぬ        史乃

によっている。

  一条九条岡田てふ蜃気楼

この句は愚生には難解だが、魅かれる。誤読を恐れずにいうと、「岡田てふ」は夫君・岡田隆彦のことではなかろうか、と思ったりする。愚生の世代にとっては、岡田隆彦は吉増剛造らと並んで現代詩人のスターであった(若くしてと言ってもよい享年58だ)。その詩人に『史乃命』という詩集がある。上句の「一条九条」は日本国憲法であるとしたい。一条は、もちろん、主権は国民の総意による象徴天皇。九条は、いまもっともかまびすしい戦争放棄、交戦権否定、戦力の不保持の平和主義。それらはすべて蜃気楼、いわば逃げ水であるといっている。それゆえ愛おしい。逃がしてはならない何かなのである。「春の章」の最後には「蜃気楼見えるかぎりは私ぞ」の句が置かれている。
蜃気楼とは幻影のことか。岡田隆彦の詩集『わが瞳』の「大股びらきに堪えてさまよえ」の冒頭には、

   道を急ぐことはない。
   あやまちを怖れる者はつねにほろびる。
   明日をおびやかすその価値は幻影だ。

と、あった。
話は変わるが辻村麻乃が岡田史乃(「篠(すず)主宰」)の娘であると知ったのはつい最近のことである。
ともあれ、以下にいくつか、愚生好みの句を挙げておこう。

  木の枝も棒切れもなく囀れり
  埃つぽい機嫌でありし羽抜鶏
  物言はばいよいよあやし花菖蒲
  着ぶくれて鏡天井皆仰ぐ
  茶の花のこぼれはじめし坂の家
  鬼を追ふ鬼のひとりが拾ふ豆
  母死せば荒神(あらがみ)悴むごとくなり  





                  ハナミズキ↑

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