2019年1月24日木曜日

小林一茶「亡母(なきはは)や海見る度に見る度に」(「俳句界」2月号より)・・



 「俳句界」2月号(文學の森)、金子兜太(昨年2月20日死去)の一周忌に合わせるように、特集は「兜太と一茶」。丁寧な論考は安西篤「金子兜太は一茶に何を求めたのか」、それには、兜太と一茶の句を具体的に上げて、

 こう見てくると、両者に体質的共感はあるものの、そこには時代状況の差があることはいつわれない。一茶の方が対象への眼が細かく客観的なのに対し、兜太の方は己の体感に即して自己の存在を強く意識しているところがあり、それほど素朴とはいえない。近代的自意識を潜り抜けて来たエゴの強さがあるからだ。

 という。さらに結びでは、

 兜太は「生きもの感覚」で書くことを「生きもの風詠」ともいい、「花鳥諷詠」を超える時代の方向性と位置づけている。さらに生きものすべてのいのちは、かたちは変わっても輪廻して不滅であると信ずるともいう。生死ということ自体あまり気にせず、これも一つの日常と受け止めていく。つまり死をも相対化しているのだ。辞世の場合でも、日常のいのちを詠うような構えが必要で、相手に向かって詠いきるという「ふたりごころ」ともいうべき表現であるべきだとしている。これは一茶が体感しつつも、自覚しえなかった死生観ではないだろうか。

 と述べて、説得力がある。他に、黒田杏子「兜太さんはピカソ」、マブソン青眼「自由と慈愛」、坪内稔典「初雪を煮る老人たち」、井上泰至「山峡の人」、小林貴子「苦難を糧に」、関悦史「兜太句の律動」など、それぞれ自らに引き寄せて、興味ある論じ方をしている。また一茶・兜太の各50句抄出は鳥居真里子。その選の句をみると、愚生は一茶をまともにまじめに読んだことがないせいか、一茶の句には、意外に古典的な新しさがあるようにもおもった。
 同誌今号の「私の一冊」コーナーは秋尾敏、水原秋櫻子著『高濱虚子 並に周囲の作者たち』だった。近作の一句に、

   客観に主観は並び寒い書架     秋尾 敏

 とあり、あとの一冊に安部筲人『俳句ー四合目からの出発』を上げていたのには、愚生もまた俳句初学の頃、俳句表現におけるダメ出し筲人の、その書に影響されていたことがあり、いまだにその影響が残っているところがある。ともあれ、以下に一茶と兜太の句を鳥居真里子抄出句の中から、いくつか挙げておこう。

  わかなつみわかなつみつみ誰やおもふ  一茶
  春の日や水さへあれば暮残り
  雲に鳥人間海にあそぶ日ぞ  
  とうふ屋が来る昼貌が咲にけり
  あの月をとつてくれろと泣子哉
  蜩やついつい星の出るやうに

  蛾のまなこ赤光なれば海を恋う     兜太
  人体冷えて東北白い花盛り
  呼吸とはこんなに蜩を吸うことです
  燕帰るわたしも帰る並(な)みの家
  よく眠る夢の枯野が青むまで
  陽の柔わら歩ききれない遠い家


 そうそう、あと一つ触れておきたい記事があった。坂口昌弘の連載17「秀句のテーマ・色」の高屋窓秋についての部分だ。「白」の言葉を配した6句をあげて、

 高屋窓秋は白の詩人である。句の「白」は、透明感のある白さであり、心に浮かんだ想像の風景である。白い夏野のイメージがとりにくく、むしろ具体的なイメージが拒否されているところに新しさがある。(中略)
 窓秋の白い夏野は月並み写生のイメージではなく無限に広がる魂の中の白い夏野のイメージである。(中略)白色はこの世を超えたものの色であった。句に詠まれた白虎は、道教の四神の一つであり、中国・朝鮮・日本の古墳に描かれた神である。東西南北と春夏秋冬と青朱白黒の、方角と四季と色が陰陽五行説の神の信仰にまとめられた影響を古代日本文化が受け、俳句も例外ではない。窓秋の白色へのこだわりは潜在意識的には東洋思想の中にある。
 
 窓秋の句について、かく語った人はこれまでいなかった。



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