2020年11月19日木曜日

時実新子「ほんとうに刺すからそこに立たないで」(「詩歌の森」第90号より)・・・


 「詩歌の森」第90号(日本現代詩歌文学館館報)のトップ記事は松平盟子「『明星』創刊120周年を迎えて」で、その結びには、


  創刊号が放つ高揚感に促されて、鳳志よう(のちの与謝野晶子)、山川登美子は第二号から短歌を発表する。若く才能ある女性たちが『明星』に華やいだ空気を送り始めたことを鉄幹は新たな展開への最短距離と直観した。第六号以降、雑誌形態へ移行するにあたっての推進力は実にここに潜んでいたと言えよう。


 と記している。 その才能ある女性たち、つまり、川柳の世界においてもそうなのではないかと、述べているのが、島田駱舟「川柳界のこれから」(連載 「現代川柳時評」3)である。 それには、


 (前略)川柳の幅の拡大は女性次第であるという筆者の思い込みを述べたい。

    ほんとうに刺すからそこに立たないで   時実新子『有夫恋』

  これはベストセラーになった川柳句集にある作品だが、いわゆる情念句。筆者が川柳界に入った頃に話題になっていたが、大方の川柳家は彼女の作品には否定的だった。(中略)

 その後、川柳界への女性の進出は目覚ましく、結社や句会でも女性が多いのは珍しくなくなった。こうなれば従来の男社会の考えでは川柳界は成り立たなくなるのは必定だが、政府同様に川柳界も男社会から抜け出せないでいる。(中略)

    遅刻するみんな毛虫になっていた    広瀬ちえみ『雨曜日』

 この作品は男性作家のように、面白くしようとして詠んだものではあるまい。従来の川柳のイメージを簡単に乗り越えられるのは男性よりも女性だろう。これからの川柳の幅の有り方は女性に委ねられる、と思うこと頻りである。


という。


★閑話休題・・蕪村「みのむしの得たりかしこし初しぐれ」(松林尚志詩集『初時雨』より)・・・

 松林尚志詩集『初時雨』(砂子屋書房)、その「あとがき」に、


 私は以前、中野一夫、星野徹両氏等十人で「方舟」という詩誌を出していたが、平成二年に終刊となって以来、詩集を二冊出したものの重心は俳句の方へ移り、ほとんど詩作から遠ざかった感じで過ごしてきた。(中略)平成に入って主力は評論の方へ移り、急き立てられるように次々と評論集を出し、気付けば卒寿を迎えていた。そして句集も昨年出したことでもあるし、ともかく締めくくる意味でも詩集をと思い立ったのであった。


 とある。また、詩人囲碁界、文人囲碁界においてもなかなかの実力者のようである。愚生も俳誌「木魂」を毎号、恵まれているが、それについては、郷原宏が以下のように本書帯文で触れている。


 詩誌『方舟』を代表する詩人にして詩論家でもあった松林尚志氏は、平成の始まりと同時に俳句に舵を切り、俳誌『木魂』を主宰して精緻な古典文学論を展開してきた。文壇碁会の名手としても知られる。本書はその稀代の文人がふたたび詩の原点をめざす新しい船出といっていいだろう。


 とあった。ともあれ、以下に一篇のみになるが、短い詩を挙げさていただく。卒寿とはいえ、お元気の様子、ますますのご健筆を祈りたたい。


       墓域

訪れる時雨に暮れていく墓地

そのあわいに野菊が清浄な光を放っている

野菊の一むら一むらには死者が濃やかに立ちこめているようだ

熱い血や肉のいましめから癒された死者たちがひっそり寄り添っている

雨に洗われて隠れていた死者たちがしめやかに薫っているのだ

昼の形ある生者の世界から、夜の魂の分厚くきしむ

死者の世界へと移り行くあわい

虚空には死者達がしきりに飛び交う

墓地は虚空へと往き来する魂達で溢れるプラットホームだ

死者達の世界は懐かしい

次第に暮れてゆく夕闇のなかで

野菊はいつまでも魂の瞼を洗わせている


  頂上や殊に野菊の吹かれ居り     石鼎 


松林尚志(まつばやし・しょうし) 1930年、長野県生まれ。



撮影・鈴木純一「一歩宛(イツポヅツ)後期高齢(マヘニススミテ)山茶花(サザンカ)白(99)」↑

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