2020年11月9日月曜日

石井英彦「もういゝカァいのちのことカァ寒鴉」(『炎』)・・・


  石井英彦句文集『炎』(文學の森)、懇切、情の溢れる序は対馬康子「純粋なる愛-

炎」、その冒頭に、


 この句文集は、戦後における結核患者の俳句活動に対する貴重な資料です。と同時に、予科練、神風特攻隊を志した軍国少年が、結核という死病を乗り越えてゆく過程に出会った、社会性俳句すなわち中島斌雄と、やがて妻となる「T子君」との命を懸けた純粋な愛の物語です。

 文集の末尾は、死の危険を脱し、たった三千円のお金をもって結婚、開業し人生を切り開く戦いがはじまるところで終わっています。つまり昭和二十年ごろから昭和三十年代初めまでの、自伝小説の青春立志編です。


と記されている。また、平成二十六年「麦」の同人作品評欄「踏生脚光」の引用には、


  未練なき死を秋冷の詩感来て    (「麦」4月号)


 「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」とは孔子の言葉だが、生と死の問題は命ある限り永遠に答えが出ない。ここでは「未練なき余生」でも、未練なき「生」でもなく、未練なき「死」なのである。なんという凄み。「し」でつないでいく孤独な言葉のリズム。虚無を超え、日々を生きる覚悟あればこそ、こうした表現になったのであろうと思う。


とある。「あとがき」は、長女の石井由以子。その終わり近くに、


 本のタイトルは父のペンネーム「藤平 炎(ふじひら えん)」より「命燃え尽きるまで」の意味も込めて。表紙のデザインは療養所に咲いていた「ねむの木」より。日光を浴び葉を広げる姿に生命の源を感じていた両親にとっても思い出の木からイメージしていただきました。

 最後に「これは俳句とは云えないよぉ」と、父に笑われそうですが、せっかくの句文集に寄せて人生初挑戦の一句。

  蟬の殻ふみ断捨離の母偲ぶ     (中略)


付記 残念ながら父は刊行を待たず、九月二十八日に亡くなりました。「麦」対馬康子先生より葬儀に際し、〈秋冷のふた星となる炎かな〉の悼句を頂き、心より感謝申し上げます。


 とあった。まだ成人前の著者・石井英彦が俳句を始めるきっかけは療養所での俳句会である。「馬酔木」「鶴」「若葉」、また石田波郷やさまざまな俳人と出会う。隣のベッドには、吉行淳之介。エピソードも多い。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。


    たたかいを忘れ月光懼るべし        英彦

    胸で受くべし氷柱千本と月光

    死出は旅にあらず白蝶と菜の花

    多老多死時の裏からいなびかり

    かなし湯灌くちびる吸えば密な春

    おかめ喪いひょっとこ踊れぬ風鈴

    やもめはかもめ冬波の上浮いている

    たましいに質量の有無大

    生と死の向きが変って台風来

    満月へ亡きものと乗るわが余生

    線香花火背に乗る影も息も風

    生前のすべてを愛す月の眉

    霜柱ざくり戦中よみがえる

    ぽにょポニョ芋虫戦さへ色めく

    鮨を前額(ぬか)白き師の春光す

      (愚生:注、師・石田波郷先生来院)

 

 石井英彦(いしい・ひでひこ) 昭和7年月25日~令和2年9月28日、享年88.東京都大田区生まれ。

   


       撮影・鈴木純一「冬立てる影を名づくるためにこそ」↑

0 件のコメント:

コメントを投稿