2020年11月12日木曜日

たむらちせい「鷹柱頭上に立ちしを誰も知らず」(『四季と折り合う』より)・・・


 佐藤映二『四季と折り合う』(文治堂出版)、俳誌「岳」に、三年間連載されたエッセイを収載したもの。「あとがき」に、


 テーマは俳句に限定せず、広く、自由でよいとの編集部の意向を踏まえ、これまでの人生をふり返って、俳句以外に支えとなってきた宮沢賢治および音楽との関わりを素材に取り込むことにした。宮沢賢治との出会いは、二十歳で帰省した冬のひと日に遡る。


 とある。そして、


 後日談だが、宮沢賢治研究会(創立一九四七年」の顧問の一人であった小倉氏とは、私が八三年から十七年間、同会の運営に携わるなかで、親しくご指導を仰ぐ間柄となる。

 氏は戦時中から宮沢家と親交があり、畢生の大作『「雨のニモマケズ」手帳の研究』のほか、教科書にも載ったことがある『絶後の記録』を著わした人であある。(中略)

 音楽との出会いは、まず福島高校男性合唱団であった。電球一つだけの部屋が薄暗くなって楽譜がみえなくなっても歌った愛唱曲「野ばら」(ウェルナー)や「小夜曲」(マルシュナー)は忘れがたい。(中略)

 こうした体験がドイツとスイスでの銀行業務研修のトレーニーとして滞在する間に、現地人との親交を結ぶうえで力となったことをあらためて想起する。なかでも、フランクフルトでは、バッハの「ヨハネ受難曲」の練習に途中から参加して、受難節の教会での演奏会に、また、デュッセルドルフでは市の歴史ある合唱団の一員として、メンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」をオケとの共演で歌う幸運にもめぐり会えたことは、終生の思い出である。 

 ブログタイトルにした、たむらちせい「鷹柱頭上に立ちしを誰も知らず」の句には「徘徊老人ではありません椿の径」も記され、「肝胆相照らす俳人」と題して、


 たむらちせい(本名 田村智正)さんが二〇一九年十一月、九十一歳で他界された。拙句集『わが海図・賢治』をお送りするや、〈蟇穴を出るとき空気桃色に〉〈今宵どの螢袋に宿借らむ〉などの数句を選び、親しげな筆跡で見ず知らずの私を励ましてくださったお人だった。

 記されている。ともあれ、著書に収載された句のなかから、いくつかを紹介しておきたい。


  セロ弾いてゴーシュが野より蝶を呼ぶ    照井ちうじ

  野菊とは雨にも負けず何もせず        和田悟朗

  竹馬やいろはにほへとちりぢりに     久保田万太郎

  春の鹿まとへる闇の濃くならず        宮坂静生

  鶯や白黒の鍵楽を秘む           池内友次郎

  『銀河鉄道の夜』やすみやすみ一頁      茂田井武

  天の川下りといふにいくくねり       佐怒賀正美 

  出雲崎窓は銀河に開くもの          矢島 惠

  福島はわが臍の緒よもがり笛         佐藤映二


佐藤映二(さとう・えいじ) 1937年、福島県福島市生まれ。

    

        
        芽夢野うのき「急ぐともなく千両の実のさかり」↑

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