2020年11月7日土曜日

尾崎放哉「淋しいからだから爪がのび出す」(『常住此説法ー〔無〕に抗する 2』より)・・・


  森山光章『常住此説法ー〔無〕に抗する 2』(不虚舎)、「後記」には、


 表題は、『妙法蓮華経・如来壽量品』から取った。〔書物〕は、わたしの〔墓〕である。

雪崩(なだれ)いく、わたしの〔終わり〕。だが、わたしは、〔終わり〕という〔仮諦(けたい)〕へ出立する(・・・・)。わたしは、〔仮諦(けたい)〕に、〔糞〕という「現実」に定位する(・・・・)〔神秘主義者〕である。〔観想主義〕は、〔終わり〕へ踏み躙らなければならない(・・・・・・・・・・・・)


  とある。書名に「説法」を含んでいるように、全体がアフォリズム(評言、箴言)に満ちた集である。俳句に直接対する言説も多い。また実兄・帚木蓬生への言及もある(これまでの著作にはなかった)。いくつかの部分を以下に引用しよう(原文は正漢字である)。

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 わたしは、冨岡和秀の『テレパッスウル』を三百回、読誦した。先行する(・・・・)、冨岡和秀氏、江里昭彦氏、大井恒行氏、林桂氏、仁平勝氏、更に、西川徹郎氏、安井浩司氏には、〔俳句〕そのものの顕現を観た(・・・・・・・・・・)。〔俳句には、今だ可能性が、いや不可能なるものが(・・・・・・・)あった〕。それは、「帰らざる日々」である。

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〔無季自由律〕の〔俳句〕は、〔終わり〕と相即する(・・・・)。それは、「戦争」と共にある(・・・・)。〔終わり〕だけが、ある。それは〔俳句〕の本来的な態様(・・・・・・)である。

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〔俳句〕は〔終わりの詩型〕である。〔自己を破滅し〕、〔終わりの夜〕が、〔終わりの誼〕を宣示(の)る。〔終わる〕ことだけが、〔非(あら)ず〕だけが、深層の(・・・)〔言之葉〕を、現前させる(・・・・・)。〔俳句〕こそが、〔意味の深み〕に到る(・・・)。〔終わらなければならない〕。それだけが、〔正義〕である。

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〔生きようとしては、ならない〕。この〔無意味なる死〕を〔死ぬ〕のだ――〔南無妙法蓮華経〕を口唱しながら(・・・・・・)

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〔戦争は野合である〕。〔戦争〕に、〔敵ー味方〕の対立はない(・・・・・)。全て(・・・)、「世界権力(・・・)(イルミナティ)」の味方である。〔戦争〕は仮構(・・)であり、〔民衆〕だけが殺戮し合う(・・・・・)。〔通じ合っている〕のだ。支配層(・・・)は、〔戦争というゲームを楽しんでいる〕に過ぎない。

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〔閉鎖病棟〕を出て、〔自宅〕に戻っても(・・・・)、元の(・・)〔閉鎖病棟〕、〔円環構造〕に内閉される(・・・・・)だけである。〔民衆〕に〔外部〕は存在しない(・・・・・)。これが、〔現―存在〕の存在態様(・・・・)である。そこには、悍しさだけがある(・・・・・・・・・)。そこでは、〔仏教〕は、〔仏〕は敗北している(・・・・・・)。わたしは、〔終わり〕の闇(・)から〔終わり〕へ、出撃していく(・・・・・・)。〔諾(ダー)!〕。

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 実兄の小説家「帚木蓬生」の〔本地〕は、〔薬王菩薩〕である。そこには、〔仏教〕的〔共〕が、ある。感謝のみが、ある(・・・・・・・)

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 「新型コロナ・ウイルス肺炎」は、「世界権力(イルミナティ)」による、〔第三次世界大戦〕の代替物〕である。〔人口削減〕の方法(・・)としては、〔戦争〕より〔安価で容易〕である。先進国に、〔世界大戦〕を戦う意力はない(・・・・・・・)。そこには、「茶番(おわらい)」だけが、ある。


 ともあれ、集中に引用されていたいくつかの句のみを以下に挙げておきたい。


    頭の中で白い夏野となつてゐる     高屋窓秋

    戦争が廊下の奥に立つてゐた      渡辺白泉

    草二本だけ生えてゐる時間      富澤赤黄男

    一字に匙し季賀すべけんやの酔千年   加藤郁乎


    (おき)

    喚(おら)ぶ神(かみ)あり

    卑弥呼(ひみこ)

    (や)めりけり           高柳重信


    手と足をもいだ丸太にしてかへし     鶴 彬

    補聴器にふと混じりたる銀河騒    晴野みなと

    かたつむり折檻の音ふるさとは    中村マサコ

    桃の花ぎゃっと申せばぎゃっと申す   谷口慎也


森山光章(もりやま・みつあき) 1952年生まれ。

    


撮影・鈴木純一「不幸(ふしあわせ)公助(たすけてやるのやらないの)共助(おれはたすけぬ)自助(ああたすかった)」↑

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