2020年11月10日火曜日

鴇田智哉「二歳から凩のこゑ聞えたり」(『エレメンツ』)・・・


  鴇田智哉第3集『エレメンツ』(素粒社)、著者「あとがき」には、現俳句界へのアンチテーゼ、いや俳句形式に対する問いがある。また、帯の惹句には、


『ガイコツ書店員 本田さん』『ほしとんで』作者、/本田さん推薦!

粒々であり、波であり、そんな句が/澄ましていきいき並ぶので、なんだか光にあふれています。」

/一句ずつ、ちゃっかり意識を持っていそう。—本田


 とある。少し長めの「あとがき」から、少し引用する。


  この句集の、「Ⅰ」は俳句という現象への興味、「Ⅲ」は社会と私と体からなる現象への興味、「Ⅱ」はそれらに収まりきれなかったものへの興味から句を並べた。(中略)

 ところで、私は前に、俳句に関するある実験をした。屋外を走りながら、あるいは走ったすぐあとに、頭がぼうっとした状態で俳句を作ってみようという実験だ。できた句には「乱父」(らんぷ)と署名することにして句作を続け、やがて走らなくてもそういう句ができるようになり、夜な夜なツイッターに「乱父#lamphike」と署名した複数のツイートしていた時期があった。乱父の句はそのつど初めて書かれ、その後の推敲や表記の変更はしないことになっている。「Ⅱ」にある見開き「乱父#lamphike」は、それらである。(中略)

 この句集はいわば、私の組成の空想的な設計図だ。ただし文法が言葉より先にあるのではないのと同じで、設計図が先にあるのではなく、私と句が先にある。句を配置するにあたっての私の興味はあくまで、私の組成における大まかな傾向、への推測によるものであって、もとより「Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」の相互に浸透する様相があり、すべてが連動しているともいえることは、確かである。それは、一人の人間がそのようにできていて、解きあかされ終わることがない、ということと同じなのだ。


 ともあれ、以下に、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。


  抽斗をひけばひくほどゆがむ部屋        智哉

  くさむらを出てゐる虹に苦みあり

  透かしみる羊に青いされかうべ

  もろもろの孫のとんでるフルダンス

  見よどうしても葉っぱのきゅうきゅう

  ふらっと吸ってすわっと戻らなん

  紙箱のぱたんと倒れたる語る

  しらいしは首から上を空といふ

  春の野の覚めるとひとり減ることも

  凍晴を剥げば終りのない工場

  桃ぁ烟(けぶ)たぁてチャリごと突っくらす 

  ひらがなが散らばり夕焼けてしまふ

  つるつるの函に風船詰めになる

  次はいつ覚むるとゑのころ草を問ふ

  ゐるものの名前を呼んでゐる泉


鴇田智哉(ときた・ともや) 1969年、千葉県木更津市生まれ。



        撮影・芽夢野うのき「秋晴れの空深くありみなの顔」↑

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