2020年11月27日金曜日

加藤知子「海に降る風花ならば抱きしめる」(『たかざれき』)・・・

            


 加藤知子句集『たかざれき』(弦書房)、2018年から2020年の272句を収める著者の第3句集。巻末には、評論「高放浪(たかざれき)する常少女性ーー石牟礼道子の詩の原点へ」が収録され、石牟礼道子の俳句作品について、丁寧な読みが展開されている。その中で、「高漂浪(たかざれき)」に関して、


 (前略)石牟礼は、自分には「高漂浪」の傾向があると『花の億土へ』の中で言う。身体は現の世界にいるにもかかわらず、魂が抜けだしてどこかに行ってしまって、行方不明になるのだそうだ。水俣では、「高放浪のくせがひっつく」という。 


 と記している。また、石牟礼道子の句についての、読みの例のほんの少しと、締めの部分を以下に引用しておこう。


   前の世にて逢はむ君かも花ふぶき         「水村紀行」

   女童(めわらわ)や花恋う声が今際(いまわ)にて 「水村紀行」

   来世にて逢はむ君かも花御飯(まんま)      「水村紀行」


「花御飯」は石牟礼の造語。花でまんまを作るままごとのそれ。前世での「花ふぶき」は、現世での水俣病患者の「花恋う」清らかな声となり、来世では「花御飯」を食べながら、「より深く逢いなおす」。意識は、ことば以前の童心の世界に在る。(中略)

 原郷がディストピア化する危険に満ちた今、「近代国家の恩恵を受けて生きる生活者」である自身と如何に向き合い、不羈自在の誇りを守り抜くか。周縁部(=辺境=最前線)に位置すべき詩人も文学者も、孤独な闘いを強いられる。だが、天を仰ぐ時、祈りの中心に自分がいて、母郷でもあり、水でもある天と繋がっている事は間違いない。


とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、以下にくつかの句を挙げておきたい。


   ひとばしらの上で恋猫あやしてる      知子

   野蛮なる掌には祟りの血と霙

   猪の眼のかなしむものにアドバルン

   家出する前に行水そして香水

   あめんぼうあいまいに置いておく素足

   寒椿薄濃(はくだみ)にして愛すべし

   獣耳(カチューシャ)を着けにんげんという遊び

   春の猫ときどきかなし糞をする

   ゆきゆきてふたり火を噴く花電車

   あやとりのいくたび橋をかけ直す

   花ふぶく沖の宮(みや)へと虛ろ舟

   

  加藤知子(かとう・ともこ) 1955年、熊本県生まれ。



    撮影・鈴木純一「エビデンスとか言っちゃってカニのくせに」↑

0 件のコメント:

コメントを投稿