2020年11月23日月曜日

大久保橙青「明日開く莟ばかりのバラを挿す」(『霧笛鳴りやまず』より)・・・


 大久保武雄・覆刻版 橙青回想録『霧笛鳴りやまず』(東京四季出版)、昭和59年6月25日初版、600ページ余の大冊、海洋問題研究会発行の復刻版である。大久保白村の挨拶には、


 『大久保橙青全句集』にお目通しいただいた方々から昭和五十九年に上梓した橙青回想録『霧笛鳴りやまず』の照会を複数いただいた。橙青の旧著については平成三十年に『原爆の証言』と『海鳴りの日々』を覆刻発行したので回想録もこの機会に覆刻することにした。この回想録以後にあたるものが五冊の橙青日記である。橙青は「回想録」の執筆にあたり長年記録していた日記を参考にしてまとめている。大久保橙青は明治三十六年生まれであるが、その年に生まれた方が今世界最高齢である。


 と記されていた。この回想録の「おわりに」では、


 (前略)本書の題名を『霧笛鳴りやまず』としたのは、歴史を回顧して、海洋の忘却が日本の運命を暗くすると思ったからであった。

 次にこの回想録には、幾つかの未だ世に明らかにされなかった史実を記述した。即ち、

 昭和九年満州に於ける日本文武官の対決。

 昭和十四年日本イラン親善飛行に渡洋爆撃機の使用。

 昭和十六年海軍飛行艇によるチモール飛行。

等である。これらは当時の満州に於ける関東軍独裁の特殊な事態、日支事変最中の兵器使用というデリケートな立場、大戦勃発直前の緊迫した情勢等から秘匿されて今日に至った。

 又、昭和二十五年朝鮮戦争の元山上陸作戦に、日本特別掃海隊が極秘の裡に出動したことについては、、昭和五十三年、私は『海鳴りの日々』を出版して初めて世に公にした。

 この回想録でも、再び朝鮮戦争について触れたが、朝鮮戦争の海上作戦を指揮した米海軍大将アーレイ・バーク提督の証言を掲載することができた。


 とも記されている。また、当時の本書の帯文には、


 〈海国日本の羅針盤〉

◆鈴木善幸(前総理大臣)

海の先覚者大久保武雄氏が、十年の歳月をかけ綴った回想録『霧笛鳴りやまず』は、動乱の時代の秘史であり、重要な歴史的文献と思う。

◆山口青邨(俳人)

若くして虚子に師事した俳人政治家大久保橙青氏が、政治外交防衛の複雑な流転を俳文的に綴った。こういう回想録は未だ例を見ない。貴重な文芸的作品だ。


 とある。そのように貴重な証言ばかりであるが、愚生には、海上保安学校を創設し、その教育に力を注がれたことは、ことのほか、志の有り様として大切なことのように思われた。以下に少し抜粋しておこう。


 (前略)昭和二十三年五月一日海上保安庁創設の日、私は庁の職員を集めて、海上保安庁の目指す精神は「正義と仁愛」であると述べた。この精神は三十五年を経た今日、全職員の合言葉となるに至った。(中略)

 しかし創立の当時は、運輸省、郵政省、旧陸海軍、税関、警察、船会社等からの寄せ集めであり、船員の間にも商船学校の学閥があって纏まらなかった。前線の海上では、日夜密航船と戦い、難破船救助に荒波を越え、機雷の掃海に血を流すという状況であった。(中略)いずれにしても役人が海上保安庁を出世の腰掛けとしてしか考えないようでは、命がけの前線がおさまらない。団結もできないし、伝統も生れない。(中略)

 私は、海上保安庁の伝統を築く爲には教育優先と考え、舞鶴に海上保安学校を、呉に海上保安大学校を創設した。(中略)

 之等の学校の教育精神は、占領後日本を風靡していた左翼偏向の所謂平和教育に拠らず、また占領軍の言いなりに屈従する文部省の監督は受けないこととした。(中略)

 また私はこういう命を的に働く職員をめざす学生生徒から授業料をとれないと思った。予算要求のとき、池田大蔵大臣が「官費教育はGHQの命令でご法度だ」といったが、占領軍は、私に之を許可してくれた。かくして海上保安学校も、海上保安大学も偏向教育の影響を受けない新しい教育精神で占領下に設立された。(中略)

 海上保安庁教育は日本の戦後教育界に立てられた初めての『コロンブスの卵』だった。

 

 と述べている。興味深い記述はいたるところにあるが、あとは本書に直接当たられたい。ともあれ、以下に、書中より、いくつかの句を拾っておこう。


   過去帖に忠僕とのみ盆供養      橙青

   母恋し秋海棠に立てばなほ

   手毬唄熊本どこさなつかしや

   原爆に果つ身なりしを吊荵

   南風やするする揚る長官旗

   骨埋む秋雨傘をさし連ね

   春惜しむ慶びごとに召されきて

   冬涛の立ち上りては壱岐隠す

   恩讐の彼方の月を仰ぎけり

   わが道をひたすらに行く春の虹

   ひろびろと鯥の干潟や大入日

   鷹舞うて阿蘇を遮るものもなく

   後の月仰ぎ生涯一学徒

   君逝きし十三日夜の大雷雨

   稿つぎてはや十年の天の川


  大久保武雄(俳号・橙青)、1903(明26)年11月24日~1996年10月14日。熊本市生まれ。   



撮影・鈴木純一「冬二日月(フユノツキ)見えてゐるのに見てゐない」↑  

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