2020年11月13日金曜日

神野紗希「もう泣かない電気毛布は裏切らない」(『すみれそよぐ』)・・


 神野紗希第3句集『すみれそよぐ』(朔出版)、2012年夏~2020年春まで、20代半ばから30代半ばまでの344句を収める。著者「あとがき」のなかに、


 句集名は、人生の分岐点となった〈すみれそよぐ生後0日目の寝息〉から採った。二〇一六年二月、突然の破水で予定外に早い出産となり、救急車で運ばれ手術台へ。帝王切開の進む半身麻酔のベールの向うで、ふええ、と産声が上がったとき、その息の頼りなさに緊張の力が抜けた。なんでも、胎児は外界に出る最後の準備をして肺機能を整えるのだとか。たしかに、羊水にいる間は息をする必要はない。ところが、ひと月以上早く出てきたせっかちな息子は、まだ呼吸が不安定なため、新生児集中治療室にお世話になることに。空っぽになったおなかを縫い合わせる間、産声を反芻し言葉を手繰り寄せる。あれは今、早春の風の中に咲いているだろう菫の花が、かすかにそよぐほどの息だった。どうか、生きよ。出産後三十分、母としてはじめて、手術台の上で詠んだ句だ。(中略)

 そして、四歳になった息子へ。まだ言葉も話せなかった君が、みかんを剥いて一房を私に分けてくれたこと。北風の中で一緒に落葉を踏んだこと。眠れない夜、月に向かってシャボン玉を吹いたこと。幼いころの記憶はほとんど忘れてしまうと思うから、少しだけ、俳句に詠んで残しておくよ。寝息もずいぶんたくましくなった。君の未来を見るのが楽しみだ。

 時代を案じながら命を見つめる怒濤の日々のただなか、俳句は今を生きる言葉だと、つくづく思う。どうか生きよ。子に、蟻に、燕に、私に、呼びかけながら句を作る。


 とあった。他に菫を詠んだ句がある。挙げておこう。


   闇濡れる菫直径一光年           紗希

   振られるなら菫踏まなきゃよかった

   カメラあたらし雪の菫を試し撮り

   詩のすみれ絵画のすみれ野の菫

   

ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


   夏という一字の走り出しそうな

   鶏頭と「とまれ」がカーブミラーの中

   出社憂しマスクについた口紅も

   楽観的蜜柑と思索的林檎

   レシートにまぎれてボールペンの遺書

   西瓜南瓜糸瓜わたくしごろごろす

   太陽に地球小さき稲穂かな

   臨月は眠たいふきのとう苦い

   消えてゆく二歳の記憶風光る

   のうぜんや本焚けば文字苦しそう

   西瓜切る少年兵のいない国

   コスモスは束ねられない汚せない

   眠れない子と月へ吹くしゃぼん玉

   

 神野紗希(こうの・さき) 1983年、愛媛県松山市生まれ。



            撮影・鈴木純一「蜂蜜の壜を手前に冬隣」↑

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