2021年3月11日木曜日

秋尾敏「人類癒えよ銀河に年の豆を打つ」(「軸」3月号)・・・


 「軸」3月号(軸俳句会)、表2の「俳人筆跡」は441回で滝春一の短冊「けむり吐く汽車にかゞやく春の富士」である。「鳴弦文庫藏」とあり、こうした墨蹟、古典籍の所蔵は、先代の「軸」主宰で、父であった河合凱夫時代からのものも多く含まれていようが、個人藏としては相当なものにちがない。現在、鳴弦文庫は、週に何回かは公開されているのではないだろうか。本号の巻頭のエッセイ「軸の光陰」は、「俳句の観点別評価」と題した興味深いものである。以下に、長くなるが引用する。


 俳句は、さまざまな観点から評価することができる。

江戸時代からある伝統的な概念としては、次のようなものがある。それぞれ一行で解説できるようなものではないが、とりあえずの解説を付しておく。

風姿    芸術的な姿。

風情    思いの深さのある情趣。

本意    季語が共通項として持つ本来の意味。

取り合わせ 句中に置いた二つのものの関係性。 

切れ字   中断や終止で表現を膨らませるための文字。

景     その句が見せる景色。

滑稽    日常的・常識的な見方を打ち壊す表現。

新奇    それまでになかった表現

 近世の概念というのは、近代科学の概念のように論理体系の構造に置かれたものではないから、どこか漠然としていて、ペダンチックなところがある。しかし、それだけに揺らぎ深みがあって面白い。

 一方、近現代俳句では。次のような概念もよく使われる。こちらは論理に裏打ちされている。

抒情性    感情表現の表出、伝達性。

韻律     音の響き。韻や連鎖。音数だけではない。

イメージ   句を構成する各語が作り出す心象。

伝達性    意図の伝わり易さ。

切れ     中断や終止で表現を膨らませる箇所。

異化表現   日常言語とは違う言葉の結びつき。

幻想性    見えぬはずのものが見えてくる感覚。

シュール   超現実的な実感。不思議。

ナンセンス  無意味であることのおもしろさ。

 これらは比較的概念規定が明確なので、論理的に語りやすいが、その分、含蓄には劣るかもしれない。これらの概念の内実は江戸俳諧にもあった。ただ、そういう概念(言葉)が使われていなかったということである。

 この二種類の概念のどちらかで俳句を語るかというこが、その人の見識であろう。混在していてもよいのだが、無自覚では困る。自分が今、何をしているかは分かっていなくてはならない。


 と述べられている。 この上に、例として、今号の自身に作品評価を一覧表にして、各項目の採点を行い、一項目の上限5点で、その総合評価を一句ごとに出している。相当な努力と時間が必要だろう。因みにブログタイトルにした句「人類癒えよ銀河に年の豆を打つ」は、合計23点の最高点だった。ようするに、客観的な句の評価として、どこまで数字上にあらわせるか、ということだろう。だが、愚生が、自分の好みで、二番目に挙げようとした「磔刑の大義を空に囀れる」は18点で(5段階評価・総合満点は40点)、意外に低い。次に評価点の高い22点句は「野火激し雲は縁(へり)からほつれだす」は、愚生にとっては、一応できている句だが、これ以上でもこれ以下でもない、敢えて言うと、類想感ありの、ツマラナイ句のひとつである、ということになる。ことほどさように、客観的に納得するのもなかなか難しい。


 (前略)しかし、この作業をするようになって、自分の選句力が高まっているように感じている。佳句の見落としが減った。俳句のさまざまな良さにも目が届くようになった。

 優れた俳人は、直観力で選句する。直観力とは、句を読んだ瞬間に、どの項目で評価するかを決められるということである。1以下の項目と、3以上の項目が見えれば、他は考慮する必要はないのである。(以下略)

     

 とも、述べられている。優れた俳人になりたいものである、と思う。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げさせていただく。


    鳥になるための杖あり木の芽時     秋尾 敏

    二百十日上空にプテラノドン      島 洋子

    三日月に引っかき傷のような雲    石井ひさ子

    枯木立いちばん端の木が優し      中村武男

    寒厳し鋸挽く音の虚空より       表 ひろ

    消しゴムのかす春の灯の削り屑   赤羽根めぐみ



      撮影・鈴木純一「まんさくの最後なんとなく過ぎる」↑

2021年3月10日水曜日

中内亮玄「蚊は矢 (世界最短句)」(「月鳴」第2号)・・・

 

「俳諧旅団 月鳴」第2号(狐尽出版・月鳴会)、表紙絵は、安彦良和。じつに短い編集後記には、


 新しいことをはじめようとすれば、それがたとえ良いことであろうとも、波風は立つものだ。いいぞ。風がなければ、船は進まないじゃないか。(亮)


 とある。また、巻末に【俳まくら】(第23話~第56話)、2014年(平26)1月~翌年12月、著者 秋山狐哮(あきやま ここう)「日刊県民福井」(中日新聞系列)が、掲載されているが、ほとんどが、俳句にまつわるエッセイと句集評に費やされている。一回の分量は限られているので、長文になると、連載になっている。なかでも、注目したのは、「第25話 吉田透思朗」が3話あったこと。その1には、彼についての評論が書かれていないことを嘆き、


(前略)透思朗氏の第一句集は『仮面の群』であるが、第一句集から第二句集を出す十年の間に師と仰ぐ金子兜太に会い、「観念の具象化」という作句理念を獲得している。そのため、彼を探るのに第二句集『光るこけし』を読み解いていきたい。

 鷹蒼く翔(た)つ春寒の洋酒棚    透思朗   (中略)

                       *注:吉田透思朗の吉は土に口

 黄葉濃しかつて人間魚雷の日々    透思朗

透思朗は戦争を経験している。身長178センチ体重90キロの巨漢は、当時、自ら飛行予科練に志願した。あいにく視力が悪く飛行機には乗れなかったが、戦争が終わってみれば結果として良かったと思う。(以下略)

 と記されている。愚生が知っているのは、「頂点」の同人だった吉田透思朗だが、今は、すでに「頂点」も無く、透思朗、兜太も鬼籍に入られている。他に三回分の紙面を割いているのは、『宇多喜代子集成』であった。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げ、創刊号に寄せられた祝辞が、自筆のまま、写真で乗せられているので、それをいくつか再掲載しておこう。

                 黒田杏子↑
                 石寒太↑
                 筑紫磐井↑ 
                 岸本尚毅↑


    師を思うひとつにあつきてのひら忌       中内亮玄
    枝雀胸毛吹かれて花吹雪            猪狩鳳保
    紅葉より淋しいと言いまた歩く        塩谷美津子    
    若僧のかりんと痩せて花の堂          林 和清
    十二月八日ただ轟音・轟音          ナカムラ薫
    首里炎上蹴出しのままで手を合わせる      植田郁一
    足音を聞き分けている木の芽和え        山田冨裕
    内海の四温やなだらかな生死          石田秋桜
    流星が胸に飛び込むまで開く         佐藤日田路
    考える葦に火を付けわれら黒し         成井惠子
    影踏むは別れの合図狂い花          らふ亜沙弥
    ラマーズ法で乗り切る古稀の溽暑かな      若林園枝
    ライオンに止まると見せて黒揚羽       惣次美都子



     芽夢野うのき「ほのぐらき辛夷の色に朱を貰う」↑  

2021年3月9日火曜日

竹本仰「皇軍に肛門検査夜に桜」(「We」第11号より)・・・


 「We]第11号(We社)、特集は、編集発行人の一人・加藤知子句集『たかざれき』。メインは竹本仰「加藤知子句集『たかざれき』鑑賞」、小見出しの「3、劇場」では、句に即した鑑賞・解説が展開される。例えば、


 鵜を抱いてわたし整う骨の冴え

 痛んだ鵜の魂を抱きしめることによって一体化され自分を感じる、そんなカタルシスが成り立つ。究極にはこの詩人はここをめざしていると、筆者なりに思っている。

加藤知子の出発点を思っている。(中略)


 海に降る風花ならば抱きしめる

ああ、石牟礼道子を抱きしめているなあと思う。

ニーチェに「深淵を覗き込むものは、また深淵に覗き込まれる」の名言があった。

 だが、加藤さん、あなたの覗き込みたい深淵、まだ足りていないのでしょうね。

 あらためて、常少女の詩人・加藤知子の道行きのここからの再出発に注目している。


 と結ばれている。他には、多くの私信(手紙)が公開されている。ともあれ、本誌本号より、いくつか句を挙げておきたい(招待作家と、たぶん、愚生がどこかで知っている人になるだろうが・・)。


   女神像崩れたあとの薔薇真青       高 鸞石

   北方で混ざつてしまふとどと星      亀山鯖男

   桜散る誰の指紋もつかぬまま      松永みよこ

   泥くさき白鳥として愛国者        竹岡一郎

   抗ガン剤の滴りおもちゃ箱匂い      竹本 仰

   ため息ほどの愛で生姜をおろす夜     中山宙虫

   寒雁の北の匂ひの風を呼ぶ        廣島佑亮

   寒月光笑ひが受信できません       森さかえ

   お父さんもお母さんも言葉あきのかぜ   男波弘志

   歓喜してひとだま奮えみな椿       加藤知子 



★閑話休題・・・鈴木比佐雄詩集『千年後のあなたへ――福島・広島・長崎・沖縄・アジアの水辺から』・・・


 鈴木比佐雄詩集『千年後のあなたへ』(コールサック社)、著者「あとがきに代えて—福島・広島・長崎・沖縄の経験からなぜ学ばないのか」には、


 十一冊目となる今回の詩集『千年後のあなたへ――広島・長崎・福島・沖縄・アジアの水辺から』については、既刊詩集『木いちご地図』、『日の跡』、『東アジアの疼き』の中の原爆や原発に関する詩篇やその後に書かれたそれらのテーマにした詩篇を集めて再編集してみた。この詩集の中で最も古いものは一九九五年の詩「桃源郷と核兵器」だが、南太平洋でフランスが核実験したことに対して感じたことが記されている。そのあたりから私は原爆と原発について自らの最も重要なテーマとして考え始めた。

  

 とあり、ふと、愚生も当時、つまり、フランス領南太平洋のムルロア環礁で行われた核実験(1966~74年まで)について、前書付きで、次の句を発表したことを思い出したのだ。


  フランス人形みな美しき核の風     恒行 

   

 余談はさておき、紙幅もないので、「元総理と現総理を鞭打ちたくなった」(初出・2020年十二月「コールサック」104号)の部分を以下に引用する。

      1

二〇一一年のあの日から十年目が近づいてくる

新たな詩集と浜通りの文学史を記した評論集と

来春の「福島浜通りの震災・文学フォーラム」の打ち合わせで

南相馬市の詩「神隠しされた街」を書いた詩人に会うために

千葉県柏市から常磐自動車道に入り

一時間ほど車を走らせると茨城水戸市を越えて

まだ廃炉を断念しない東海第二原発のある東海村が見えてくる

二〇年程前の一九九年には東海原発で

ウランの核分裂が手作業で引き起こされた

二人の作業員がバケツでウランを取り扱っていて

一〇シーベルトで即死すると言われていたが

二〇シーベルト近くの青い光を浴びた作業員二人は

細胞が再生することなく内側から破壊されて

そのうちの大内久氏は八十三日間も苦しみ化け物のようになり

日本で初めての臨界事故で死んでいった  (以下略) 


 この当時、愚生の友人は、現地に赴任したばかりで、その事故の対応に、日々昼夜をわかたず追われていた(過労死するのではないかとさえ思えた)。後に、それらの様々な状況も直接聞いた覚えがある。 


 鈴木比佐雄(すずき・ひさお) 1954年、東京都南千住生まれ。 



   撮影・鈴木純一「三椏が咲いて『□何もしない』に(チェック)」↑

2021年3月8日月曜日

広瀬惟然「きりぎりすさあとらまへたはあとんだ」(「俳壇」3月号より)・・・

          

                                   「俳壇」3月号↑

 「俳壇」3月号(本阿弥書店)の巻頭エッセイは、仁平勝「文語と口語の交差点」である。いつもながら,読みやすく説得力がある。まず冒頭に、


 俳句は、文語で作る人と、口語で作る人がいる。ようは五七五という音数律が大事なのであって、この韻文(定型詩)は文語でも口語でも成り立つ。五七五は文語の定型詩だと主張する人もいるが、蕉門の惟前は、〈きりぎりすさあとらまえたはあとんだ〉のような口語の句を得意としていたし、その主張にはなんの根拠もない。文語か口語かは、個人の好み(あるいは結社の方針)で決めればいいことだ。私はどっちでも作ります。 


 とあった。見開きページの短いエッセイだから、立ち読みでも、図書館ででも、直接当たられたい。ここでは、結びの部分を引用しておきたい。


 また、文語派の俳人の中には、主格の助詞「が」は口語だと思い込んで、主格の助詞をなんでも「の」にする人がいる。でも、「が」は文語でも使います。蕉門の野坡に〈長松が親の名で来る御慶哉〉の句があるし、何より文語の模範である源氏物語で、「若紫」に「雀の子を犬君(いぬき)が逃がしつる」という用例がある。まだ子供の紫の上が、光源氏に初めて会ったとき話す言葉だ(有名な場面ですよ)。ちなみに藤原俊成の「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也」という名ゼリフがあるけれど、「が」を使わざる俳人も「遺恨の事」です。


 とあった。ここからは、同誌本年1月号から開始された連載、秋尾敏「俳句史を見直す」に、少し触れておくが、やがて一本に纏められるに違いない。資料を丹念にたどっての労作になると思われる。とにかく、これまでの定説を覆し、また補完する営為であろう。文中の小見出しを拾っていくだけでも、興味深い。まずは、「一〈俳句〉の出自」については、現在3月号まで続いている(小見出しの通し番号は付されているが、(3)が重複している)。


(1)〈俳句〉は子規以前からある/(2)句集『夜たゝ鳥』の〈俳句〉/(3)〈俳句〉と言い始めたのは其角?/(3)〈近代俳句〉を発明したのは岡野伊平/(4)仮名垣魯文の〈俳句〉/(5)三森幹雄の〈俳句〉/(6)明治二十年代の前半の〈俳句〉/(7)正岡子規の〈俳句)


 と、現在(3月号)までは、ここまで。通覧し、引用は少々になるが、以下に記しておきたい。まず冒頭は、


 近代俳句史は、根底から書き直される必要がある。

 特に、その出発点となる明治期の俳句史については、平成時代にいくつかの重要な発見があったにも関わらず、それらをまとめた書物がないため、未だに昭和時代の資料が参照されたままになっている。そろそろ新しい資料に基づいた俳句史が記述されねばならない。

 まず、教林盟社が神道系の宗教団体であったことの意味が理解されていない。(中略)

 また、明倫講社は、それをより自発的に推進しようとした人々の団体である。彼らが芭蕉を神としたのは、寺院の枠組みを外し、神道による宗教の再編を企画した初期明治政府の意図に関わってのことである。分かり易く言えば、廃仏毀釈の潮流の中で、俳壇が再編されていったのである。

 その根源にあるのは国学で、特に平田篤胤による復古神道の影響は大きい。


 と書き出されている。また,「(3)〈近代俳句〉を発明したのは岡野伊平」では、


 明治十年代、〈俳句〉という用語は、東京の活字メディアに広がり、それが全国に波及していく。

 まず、明治九年十月に岡野伊平によって東京市京橋区弓町の開新社から創刊された「風雅新聞」(後に「風雅新誌」、「滑稽風雅新誌」と改名)の二号以降に〈俳句〉と題された句が出現する。三号に載る〈俳句〉を読んでみよう。

 世(よ)のはじめ思(おも)はるゝなり霧(きり)の海(うみ)  東京 佳峰園等栽(中略)

 つまり、当時の俳壇の中心人物であり、この人たちが〈俳句〉という用語を認知していたということは重要である。

 これらの句に〈俳句〉というタイトルを付けたのは岡野伊平であろう。『国学者伝記集成続編』(國本出版社・昭和10年)によれば、伊平は文政八年(一八二五)、江戸の町家に生まれ、幼少から読書を好み、長じて浅草庵三代黒川春村に学んで浅草庵五世となった狂歌師だという。(中略)

 七七の短句を付けることを想定しない「一吟の発句」を〈俳句〉と呼んだのは、岡野伊平と仮名垣魯文であった。とすれば、〈近代俳句〉は、彼ら二人の創始ということになるだろう。


 そして、「(6)明治二十年代の〈俳句〉」では、


 明治二十年代に入ると、郵便を利用し、全国に購読者を広げた雑誌が、〈俳句〉という用語を用い始める。

 「頴才雑誌」(頴才新誌社)は、明治十年に創刊された日本初の子ども向け投稿雑誌だが、その第五一五号(明治20年5月14日)から〈俳句〉欄が設けられている。(中略)

 〈滑稽〉という観点からも、子規の〈俳句〉は、俳文芸の本質を探究する復古運動であった。子規一門は、形だけの風雅を求め、〈滑稽〉を忘れて月並調になった俳文芸に、いきいきとした精神の運動を取り戻そうとしたのである。


 と結ばれている。次月号からの展開も楽しみだ。以下は、文中、「頴才新誌」入選句より、


   卯のはなや雪と見まかふ垣つゝき     東京 魯堂

   ふねてたく烟からひくかすみかな     常陸 桂里

   むかしめく今めく雛のすかたかな     埼玉 海造

   のとかさや雲につかゆるおきの船     丹後 竹陰


         芽夢野うのき「つかれたな水仙の白さも傾きも」↑

2021年3月7日日曜日

加藤楸邨「山ざくら石の寂しさ極まりぬ」(『加藤楸邨の百句』)・・・

 

 北大路翼著『加藤楸邨の百句』(ふらんす堂)、ふらんす堂の「・・・の百句」シリーズのひとつだが、右ページに句が置かれ、左ページに句の鑑賞・解説が置かれるという基本レイアウトは変わらないが、本シリーズの他の書の多くは、句中の「季語」・「無季」について、わざわざ注記されているが、さすがに北大路翼は、そんなささいな?ことには頓着せず、いきなり句の本題に切り込んで述べている。そこが面白く、良い。もっとも、それに同意するか否かは、読者次第であるが、例えば(記述はすべて、歴史的仮名遣い)、


    木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ  『起伏』昭和23年

 警句のやうな句は広がりに乏しく成功しづらい。この句も「いそぐなよいそぐなよ」に同様の懸念があるが、独特のリズム感が標語臭さを解消することに成功してゐる。そして何よりも、誰が何に対して「いそぐな」と呼びかけてゐるか具体的に書かれてゐないところが魅力的である。

 僕はかつて、男女の性交シーンを書くときにこの句を挿入したことがある。まあ、さういふことではないと思ひますが。

 また、巻末の「難解だとは言ふけれど」には、


 楸邨の句は難解だと言はれることが多い。

 僕は初学の頃から「寒雷」系の先輩方の話を聞いて育つたおかげもあり、楸邨の句がわかりづらいと思つたことがほとんどない。今回、解説を書くにあたり、その思ひがますます強くなつてゐる。わざと恣意的な解説を付した句もあるが、句の内容については、さほど外れてはゐないはずだ。

 難解さとは句意のわかりづらさではない、いはゆる俳句的情緒、俳句的手法からの距離感が難解だと呼ばれてしまふ。(中略)

   霧にひらいてもののはじめの穴ひとつ

 楸邨の観念で一番好きな句は文句なくこの句だ。女陰をもののはじめの穴ととらへる凄さはいつ読んでも感嘆の声を上げてしまふ。何度も言ふが、観念のオリジナリティと観念的であるということは違ふのだ。(中略)

   十二月八日の霜の屋根幾万

 一方でこんな「モノ」だけの俳句もある。こちらの句の方がよほど解釈が「難解」だと思ふがどうだらうか。観念は作者に即して考へればさほど難解なものがないといふのが僕の持論だ。俳句の解釈はできる限り作者に寄り添ふべきだと思ふ。(以下略)


 とあった。北大路翼の師は今井聖、その師は加藤楸邨、つまり、加藤楸邨の孫弟子である(もっとも、加藤穂高「両親について」によると、楸邨は先生と呼ばれることも、まして弟子を名乗ることさえ嫌っていたらしい)。愚生と楸邨の句との出会いは、『野哭』である。愚生の故郷山口市の古本屋で見つけて、500円で買った。当時、大塚にあった俳句専門の古書店・文献書院に売り(店主には、他にも『野哭』はあるんだけど・・・、と言われながら、それよりは高く買っていただいた。いわゆるセドリになったのです。以来、今日までお付き合いをさせていただいている)、生活費の足しにしたのだ。50年以上前のことだ。


   死ねば野分生きてゐしかば争へり   『野哭』 昭和21年


 ともあれ、本書中より、楸邨の句をいくつか、以下に挙げておこう。


   鰯雲人に告ぐべきことならず        『寒雷』昭和12年以後

   つひに戦死一匹の蟻ゆけどゆけど      『颱風眼』昭和14年

   雪を噛み火夫機関車の火を守る        『穂高』昭和15年

   生きてあれ冬の北斗の柄の下に      『雪後の天』昭和17年 

     三月十六日(午前警報あり)

   冴えかへるもののひとつに夜の鼻     『火の記憶』昭和20年

   落葉松はいつめざめても雪ふりをり      『山脈』昭和26年

      原爆図

   原爆図中口あくわれも口あく寒    『まぼろしの鹿』昭和28年

   おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ     『吹越』昭和48年

   百代の過客しんがりに猫の子も       『雪起し』昭和54年

     ないものねだり

   押す糞が消えて糞ころがしつまづく 『鶴(こふ)と煙突』昭和55年刊 

   天の川わたるお多福豆一列          『怒濤』昭和59年 

   蘭の香がつなぐ手術の前と後         『望岳』昭和61年   

   

  北大路翼(きたおおじ・つばさ) 1978年、神奈川県生まれ。



     撮影・鈴木純一「①緩和ケア②手術③延命④残る鶴」↑

2021年3月6日土曜日

三橋敏雄「われ思はざれば我あり籠枕」(「戛戛」第126号より)・・・

 

 「戛戛」第126号(詭激時代社・第3次詭激時代通巻第170号)、特集は 、「讃 池田澄子」「三橋敏雄生誕百年没後二十年記念」。「讃 池田澄子」には、讀賣文学賞受賞にまつわる各務麗至と池田澄子のいくつかの私信のやりとりが掲載され、文中に「久しい間、敬愛する『池田澄子」について私は何も書くことはしてこなかった。三橋敏雄を別にしても、五人に余るだろう論考や鑑賞を書いてきた記憶はあるが、『池田澄子』は書くことが出来なかった」とあり、想い出とともに、川上弘美の選評「『池田澄子という唯一無二の詩形が、ここに極まっている」を紹介し、句の引用がある。しかし、本号のメインは、偶然に、三橋敏雄の臨終に立ち会うことになった顛末とともに、その様子が、「風鑑抄」(「夢幻航海」47~49 平成十四年五~同十五年一月『たましいの聖櫃』改題)として、記され掲載されていること。その中から、全体の分量からすると、ほんの少しになるが、以下に引用しておきたい(原文は旧仮名正字)。


 一歩入るなり、ベッドのかたはらで立ち竦んでしまつた。

 嘘でせう。連絡もとらず、先生を驚かさうと思ひ立つて四国から出て来たのに。

 嘘でせう。

 おそるおそる両手でつつむやうにして握つた掌はあたたかだつた。

 はじめて先生のお宅へ伺つた折、夕暮れ近くなつて瓜生坂から小田原の町まで下り、地理のおぼつかない私をその宿なら分かると送つていただきましたよね。(中略)

 先生の声が聞きたくて、先生の文字が見たくて、電話も、手紙も、三回思ひ立つては三回思ひとどまり、もう三回の内のゐても立つてもゐられなくなるまで辛抱してたのに。

嘘でせう。どうして、ここに、麗至ひとりがゐることになるんです。(中略)

 あの瓜生坂を、息を切らして・・・、あのうれしさつたらなかつたのに。先生に、やつと会へる、つて。

 三橋敏雄の表札を嬉しさうに眺めながらチャイムを押すと、ブラインドの目の高さに隙

間が開き、各務さん、麗至さん・・・あなたつて。知つてゐたの。すぐ行つて。

 その後は、何があつたのか、何が起こつてゐるのか、怖くて何も聞けませんでした。

 奥様の妹さんが、間中病院間中病院。国道を左に行くとすぐ分かる。転ぶわよ、転ばないで。

奥様の声が、今も頭の中に谺してゐます。(中略)

奥様の知らせを受けて飛んで来て、私のゐることにも驚いたに違ひない。

「各務さん、知ってたの。聞いてゐたの。知る訳ないわいね。さうよね」

「池田さんと、電話で先生のこと話したことあるけれど、先生ますます元気で、と、いふ話ばかりで、まさかこんな」

「さうよね、急だから」

と視線が先生に向けられ、そのまま崩れるやうに取りすがり嗚咽してしまつた。

「先生、眠つてるけれど、聞こえてる筈だつて、先程親戚の人が」

「先生。先生、澄子です。聞こえる。聞こえる。頑張らう。頑張つて」

池田さんも、私も、心も声も壊れさうな限界まではりつめてゐる、その頂点にあつた。(中略)

 先生の脈を執つてゐた医師は、やがてゆつくりとしたしぐさでポケットライトを出した。

先生の左右の瞳を照らした。先生の胸をはだけて聴診器を当てた。(中略)

 白衣の医師は時計を確認した。

「七時五十分・・・」

その後の言葉は耳に入らなかつた。奥様が、信子さんが、遠山さんが、池田さんが、力が失せたやうに崩れた。・・・縋る以外なす術もなかつた。

 やがて、その声にもならぬ慟哭を、奥様はどのやうに抑へられたのであらう。決然と衿を正された奥様はふかぶかと医師に頭を下げられた。(中略)

 普遍といふ永遠といふ穏やかな尊厳を持した先生のお顔を拝し、かはるがはる末期の水を差し上げる。手はうちふるへ、心はわななき、誰ともしれない嗚咽はいつまでも続いてをさまらなかつた。(中略)

 ――先生。先生、いつたいどうなつてしまつたのです。昨夜帰られた儘、仰臥された儘、無言の先生なんてないでせう。来たい会ひたいと、やつと四国から出て来れたのに。こんなのないですよ。

さう思うふとまたこみあげて来るものがあつた。怺へきれずに、私は先生の書斎へ救ひを求めるやうにして逃げ込んでしまつたのだつた。(中略)

 蓋しこの私が小田原を訪ふことがなかつたなら、先生の最期にも、果たして通夜や明日の告別式も知らぬまま間に合はなかつただらう。何故もつと、何故もつと頻繁に先生を訪ねなかつたのだらう。いくら煩がられてもいい、・・・。(中略)

明日は、高尾山薬王院貫主大山隆玄大僧正が来られるといふ。位牌には、大僧正による戒名『蒼天院眞観敏雄居士』とあつた。燈明が上がり香が焚かれた。(中略)

 渦巻の香は朝まで持つから、やすむやうにと奥様はおつしやられた。先生と先生の水滴に矢立を前にして、私は、はいと頷いたものの眠れさうにもなかつたのであつた。

 ひとつの部屋で先生と龍さんと私だけの通夜の夜が更けて行く。

 渦巻だけではなく、私は二本づつ、香を朝まで継ぐつもりでゐる。四国でいふ夜伽の風習であつた。


 そして、「あとがき」は、以下のように締めくくられている。


 (前略)あの日、玄関先まで先生の柩を抱いて出た時だった。夫々が空を仰いだと思う。

池田さんの書信にあったのは・・・、あの日、暖かな青い澄んだ髙空の遥かを、式の始まる寸前、二羽の鳶が悠々と旋回し西へ向かって飛んでいった。

「敏雄と松雄よ」

松雄というのは、白馬の富沢みどりさんの夫君で、昨年の夏長逝していた。

先生を、高空で待っていたのだろう松雄と一緒に・・・。と、奥様は潤む声をあげて手を振られたのだった。


 そうか、各務麗至も、小田原城のお堀端を通って、三橋家に向かう坂を登ったのか、愚生はただの2回ばかりだたったと思うが・・・。ともあれ、「讃 池田澄子」と「風鑑抄」よりいくつかの句を挙げておきたい。


  赤飯を炊くたび疲れやすくなる        池田澄子

  猫の子の抱き方プルトニウムの捨て方

  大雑把に言えば猛暑や敗戦日

  先生ありがとうございました冬日ひとつ


  山に金太郎野に金次郎予は昼寝       三橋敏雄



       芽夢野うのき「クリスマスローズ七つの顔を隠します」↑

2021年3月5日金曜日

渡辺信子「寒茜エンドロールの流れるか」(第22回「ことごと句会」)・・・


  第22回「ことごと句会」(2021年2月10日)、通称「切手句会」。雑詠3句+兼題「水」。らふ亜沙弥初参加で、少し賑やかになった。ともあれ、一人一句を以下に挙げておきたい。


    春水の息吹にふれる櫂の音         渡邉樹音

    晩節にいま泳ぎ出す春の海         武藤 幹

    薄紅梅そろそろ私泣きますよ       らふ亜沙弥

    警策(けいさく)に叩かれのちの梅蕾    照井三余

    静止画の微かに変わる水の色        渡辺信子

    おおいぬのふぐりはちいさいなあ春     金田一剛

    水音もシンコペーションして春に      江良純雄

    水性(すいしょう)の女うつくし春の暮   大井恒行


以下に一口評を上げておこう。

・「寒茜・・」―作者の寒茜への思い入れ!正にエンドロールにふさわしい(幹)。

・「春水の・・」-春水に躍動感を与え、動画を演出(純雄)。

・「晩節に・・」-最近自分も晩節、晩年を考える時がある。「いま泳ぎ出す春の海」に終わりではなく、生きるエネルギーを感じます(樹音)。

・「薄紅梅・・」-先日、梅が丘に観梅に行きました。家人は、きんきんの紅梅よりも、薄い紅梅が好きですと(剛)。

・「警策に・・」-森閑とした空気の流れと清らかさ(樹音)。

・「静止画の・・」-静止画にさえ、かすかに変化する色合いを見逃さなかった。無季なので、下五を「水の春」とでもすれば、句はもっと良くなったと思う(恒行)。

・「おおいぬのふぐり・・」ーもう本当に素直な心情の句。・・・春の季語を頭に「春」を着地に。これ迄の句会では大先輩がダメ出しをするところですが、「春」には心奪われました(亜沙弥)。

・「水音も・・」-水の音も三寒四温とともに、そのリズムで春を呼び、運んでくる(恒行)。

・「水性(すいしょう)の・・」-まさに水もしたたるいい女。「水性」のルビは、「すいせい」でも良いような。男性、女性、水性…(信子)。


                                   

★閑話休題・・・西東三鬼「兵隊が征くまつ黒い汽車に乗り」(「図書新聞」3847号・2021年3月13日より)・・・


 「図書新聞」3846号・2021年3月13日(土)(武久出版)に、川名大著『戦争と俳句』(創風社出版)の書評を執筆した。編集者が付けてくれたタイトルは「悲惨な状況ゆえにかけがえのない俳句表現/時局に不都合な句は、弾圧され、当局の許す範囲でのみ掲載をゆるされる時代があった」。もとはと言えば、本著のなかの「『支那事変六千句』八十年目の真実」は、川名大はよく調べているが、本書の川名大の〔注〕にも記されているように、筑紫磐井の「従軍俳句の真実」(「豈」57号)や「八月の記憶ー従軍俳句の真実」(「俳句新空間」4号)の記事において、川名大の論の不備を指摘されたもので、その不備に答えようとする営為、努力の賜である、その産物といっても良いだろう。その営為には率直に敬意を表したいと思う。ただ、当時、筑紫磐井とのやりとりの際に、川名大が戦争俳句について詳しい人に聞いてみたら・・・云々の部分があったので、愚生のいい加減な勘に過ぎないが、その詳しい人とは、高橋龍ではなかろうか、と推測していたのだ。それに関連して言うのだが、「俳壇」2月号の筑紫磐井「俳壇時評」の「断捨離の効果」では、


 先ごろなくなった高橋龍氏は、新興俳句の大先輩であり、私と少し歴史の見方が違うところはあったが、「わたくしが死蔵しているよりも戦時下の俳句の研究をなされておられる大兄の手許にあるほうが資料価値が生じると思いますので」と様々な資料をご恵贈いただいた。(中略)

 頂いた資料の中には日本文学報告会編『俳句年鑑』(桃蹊書房刊)があった。日本文学報告会編が珍しいだけでなく、全俳壇を網羅した日本で初めての「俳句年鑑」ということになる。三五八頁の大冊は、「昭和十七年俳句界観」「作品」(自選五句)「記事目録(雑誌けいさいの研究・評論一覧)「書目解題」「作者略伝」「主宰雑誌」「日本文学報告会紀要」からなり、今日の俳句年鑑とほとんど異ならない。(中略)

 戦後になると、この『俳句年鑑』の出版元桃蹊書房は、新発足した現代俳句協会の機関誌「俳句芸術」第一号(昭和二十三年七月)・第二号(同十二月)を刊行している。これも高橋氏から頂いたものであるが、報国会から現代俳句協会へ、出版社のその変わり身に早さに啞然とする。

 

 とあった。思えば高橋龍は、彼の生きてきた時代の俳句の生き字引き、生き証人のような俳人だった。そういう俳人はもう皆鬼籍に入られてしまった。


    落つる日の方へ消えゆく葱の畝   高橋 龍 (昭43)

    六月を歩き出す山みまかる山     〃   (昭44)              



撮影・鈴木純一「飛行機に行き先がある霾晦(よなぐもり)」↑