2014年3月24日月曜日

榎本好宏『懐かしき子供の遊び歳時記』・・・


              『懐かしき子供の遊び歳時記』(飯塚書店刊)↑

物のない戦中・戦後に育ったという著者・榎本好宏によるこども時代の遊びのあれこれを歳時記と名付けて春夏秋冬雑の部に分類して一本にまとめたもの。
ある意味で民俗的な伝承遊びのおもむきさえ感じられた。その意味では、懐かしさだけではなく、たぶん現在の幼稚園、小学生の子どもたちにも受け継がれている多くの遊びがあるはずである。
それにしても、本書を読んでおもうのは、かの時代背景もさることながら、著者の遊んだ記憶と遊びの方法をよくも克明に覚えているものだと、しきりに感心する。
愚生などはせいぜいチャンバラ、しゃぼん玉、メンコ、本著には出てこなかったが相撲もあったよな~、くらいのものである。
面子を例にとって少し・・・
本著には「泥だらけになって面子(めんこ」のタイトルで出て来る。
次のように記してある。

   私の疎開していた群馬県では、どういう字を書くのか知らないが、面子のことを「めん  ち」と呼んでいた。ちなみに手許にある『日本方言辞典』(小学館)で面子でひいてみると、 その呼び名はあるわあるわ、全国の六十六の面子の方言が採録されている。そして、私が 群馬で使った「めんち」は、遠く離れた徳島県海部郡で使われていることも分かった。その 方言の多さは、いかに全国で子供に好かれた遊びであるかの証左であることを示してい  る。

こう書かれたあとに三通りの遊びがあったと、さらにその遊び方の詳細が書き込まれるという具合である。
面子の表には絵が描かれており、彼の育った戦中戦後には田河水泡の「のらくろ」の絵が記憶に残っている、という。


        府中町古書店「夢の絵本堂」で一枚10円で売っていた面子↑

その面子だが、愚生の育った山口県山口市付近では「ぱっちん」と言っていた。「めんこ」という名称は上京してから初めて知った。が、いまだになかなか口出しては言えない。愚生の育った地方では、一字ほどの違いで女性器をいうときに隠語のように言われていたので、口に出すと、いまだに恥かしい感じがともなうからである。その「ぱっちん」には勝つためにいろいろ工夫をした記憶もあるが、戦利品となった多くのぱっちんは宝物のように缶に入れて、だれにも分からないようにどこかに埋めたようにおもう。そして、ついにこれまで、一度も掘り出されることなく、行方不明になったままである。

                コブシ↓

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