2015年1月11日日曜日

「難波田史男の世界ーイメージの冒険」世田谷美術館・・・



難波田史男(1941~1974)の父は難波田龍起(1905~1997)。うまく思い出せないが、難波田龍起の絵はどこかで観ている。その次男が難波田史男だった。龍起が69歳のときに次男・史男は瀬戸内海でフェリーから転落して死去。翌年には長男・紀男も死去。失意の画家はそれでも「絵を描くことで息子たちと共にいるような気持になる」と描けなくなるまで描くべく92歳まで絵筆をとり続けた。
画家の父を持ちながら、ほぼ独学の史男は、激動の60年代の時代の心象を奔放に描く。ときに太陽は黒く、ときにその円は眼を抱いている。32歳で夭折したためか、ついに自由に奔放な線を描き残したままだったように思われる。それらの多くの線に愚生はどこかで出会ったような気分をいだいたのだった。そして、かつて「俳句空間」にイラストやカットを描いてもらっていた平野勇によく似たタッチではなかったかと、ふと、思い至った。その頃、平野勇は武蔵野美術大を卒業して、無農薬野菜や自然食品をリヤカーに積んでひき売りをしていた。「俳句空間」には、小遣いにもならない謝礼で若い彼にカットを頼んでいた。あと一つ、仁平勝の句集『東京物語』の表紙絵も彼だった。もう、25年近くの年月を経てしまったが、平野勇は今頃どうしているのだろうか。
話を難波田史男展にもどすと、彼は15年ほどの短い期間に2000点を超える作品を残していたらしい。本展は世田谷美術館所蔵の800点のなかから250点の展覧だそうである。中に父・龍起のものも三点ほどあった。
パンフには、以下のように記してある。

 不条理の最高の喜びは創造である。
 この世界に於いては、作品の創造だけがその人間の意識を保ち、
 その人間のさまざまな冒険を定着する唯一の機会である。
 創造すること、それは二度生きることである。
             ー史男、27,28歳頃、1968-69年のノートより





あわせて「ミュージアムコレクションⅢ」の「世田谷に住んだ東宝スタジオゆかりの作家たち」とコーナー展示で「宮本隆司の写真」をみた。宮本隆司は愚生の世代には雑誌の連載などで、人気のある写真家だった。いつだったか、首くくり栲象の庭劇場に行った折に、風倉匠や書肆山田の鈴木一民と愚生が一緒の写真のほかに、宮本隆司の撮った首くくり栲象(古澤栲を名乗っていた時代だろう)の写真がピンでとめ、飾ってあったのを目撃した。 

・首くくり栲象・1月の庭のお知らせ----------------

「む」の力

寒ん空の真下で涎を垂らし。

●開催日と開演時間
〇平成27年1月21日(水曜日)夜8時開演
〇22日(木曜日)夜8時開演
〇23日(金曜日)夜8時開演

〇開場は各々十五分前
〇雨天時も開催
〇料金→千円
〇場所→くにたち庭劇場
◎庭劇場までの道筋
中央線国立駅南口をでて大学通りの左側を一直線に歩き、二十分ほどで唯一の歩道橋に出ます。そこを左折する。右側は国立高校の鉄柵で、鉄柵沿いに歩いて三分ほどで同高校の北門に到達します。その向かいの駐車場(赤い看板に白抜き文字で『関係者以外立入り禁止』の文字が目印です)に入って下さい。左奥で、木々の繁みにおおわれた、メッシュシートで囲まれた、平屋の中が庭劇場です。
なお国立駅と向かい合っています南武線谷保駅からですと、谷保駅北口をでて国立駅方面へ大学通りを直進。七分ほどで唯一の歩道橋に着きます、こんどは右折し、以下国立駅からと同記述です。
  首くくり栲象 

電話090-8178-7216
庭劇場:国立市東4-17-3

http://ranrantsushin.com/kubikukuri/index-1.htm
http://ranrantsushin.com/kubikukuri/keitai/



 

0 件のコメント:

コメントを投稿