2015年1月20日火曜日

橋本照嵩写真集『石巻』・・・



 橋本照嵩に人物を撮らせたら、もっともその人らしい内面の表情を撮って示す写真家だという印象は、かつて彼の小野十三郎の写真集を見た時に感じたことであった。彼には『瞽女』という彼を写真家としてデビューさせた彼の原点のような一集がある。
 何より本写真集は、その書名『石巻 2011.3.27~2014.5.29』(春風社)が示すように、彼の生まれ故郷である石巻に、東日本震災後16日後に,やっとの思いで、故郷の肉親に再会してからの日々、彼の現在の生活の場である埼玉の自宅から毎月石巻に通い、かつて生活をしていた現地の写真を撮り続けた。
 愚生は、俳句総合誌「俳句界」にいた頃、その雑誌のグラビア撮影現場に、2、3度、橋本照嵩と一緒だったこともあって、3.11震災後、とにかく、石巻にきて見てよ、と彼は愚生に言っていた。愚生は、一年数か月後、たまたま東北を巡った旅の途中、時間が少しできたので、思い立って、急遽、石巻に行った。
 何の予備知識も案内も、準備もなく、とにかく北上川河口まで歩いた。
 河口の近くだったと思うが、仮設の店舗がいくつか集合しているなかの喫茶店に入って珈琲を飲んだ。愚然にも、目の前に橋本照嵩の写真が掛けてあるではないか。さらにカウンターには彼の写真集まで置いてあった。
愚生は懐かしい気分も手伝って、店の女性に、「飾ってあるのは橋本照嵩さんの写真ですね」と声をかけた。その女性は、「東京からよく見えるお爺さんですよ」と言った。
 橋本照嵩は、たしか冨士真奈美・吉行和子・ねじめ正一らと月に一度、神楽坂で句会をやっているとも言っていた。そのせいか、会うとたまに、この句はどうですかと聞いてくることもあった。その時は決まって、これから句会に行く直前であることが多かった。
 写真集『石巻』には冒頭、本写真集の編集・発行者、三浦衛の詩「鷗」が置かれている。「一万五千七百回のシャッター音/四万七千点のラッシュの中から/不意に現れた 一枚の写真/手には スコップ/土を掘る というよりも/まるで何か 語りかけているようなのだ/後ろには 竜の頭(かしら)のバックホー (以下略)」
 
 写真集最初の写真には橋本照嵩自身が以下のように記している。

(前略)。一週間ほどで肉親とその家族の無事がなんとか確認できた。地震から16日目の27日未明、石巻着。市内はまるでスクラップ状態だ。なんだこれは!なんとも酷い。魚市場からその日全国に向けて発送する魚を積んだトラックを出発直前に津波が襲い、膨大な量の魚が辺り一帯に投げ出された。日を重ね腐乱した魚の臭いが強烈な川口町や湊筑では、炊き出しの数箇所に人が集まっていた。崩れた自家から使えるものを拾う人々の姿もあった。人気の無い倒壊家屋の窓のカーテンが風に煽られバサバサと音を立てた。日常を取り戻そうとするふるさとの営みを、身近なところから写真に収めたい。

 橋本照嵩は今でもデジカメではなく、フィルムを使って写真を撮る(『石巻』はデジタルとのことだが)。このモノクロ写真集『石巻』について、佐々木幹郎は、「その見えないものを写し取ろうとする写真家の執念が、この美しさを生む。これは何だろうか。写真家が写しきれないものを写そうとするとき、写真の解釈や分析という、こしゃくな操作が弾き飛ばされる。わたしたちは魅入る以外にないのだ。この風景に」(「図書新聞」2015年1月10日号)と讃辞を送っている。


*橋本照嵩(はしもと・しょうこう) 1939年、宮城県石巻市生まれ。




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