2015年2月24日火曜日

和田悟朗「肺を病み大脳少し人麻呂忌」(「俳句界」3月号)・・・



和田悟朗氏が逝去された。報道によると23日に肺気腫で死去。享年91。
今月発売の「俳句界」3月号に「天と地と人と」と題した特別作品21句を発表されていたので、健在だとばかり思っていた。改めて21句を読み直してみると、掲出の病の句があり、続けて、

      元気かと問われ答えずヒヤシンス                悟朗
    
の句が置かれていた。
ヒヤシンスの句といえば、和田悟朗の師の橋閒石の「銀河系のとある酒場のヒヤシンス」の句を思い浮かべる。当然ながら、その閒石先生に「元気か」と尋ねられ、対話しているのである。悟朗氏は閒石の亡きのち「白燕」の終刊まで代表をつとめていた。
和田悟朗の70歳の時の句集『少閒』の「あとがき」には「〈閒〉は、いうまでもなく昨年逝去された橋閒石先生のお名前から勝手に一字頂戴したものであって、『少閒』ということばは「小閑」とほぼ同じような意味である『疾小閑』とは『小康』というところか」とあったが、肺を病んだ悟朗氏に小康は訪れなかったようだ。
ともあれ、愚生にとっては、和田悟朗氏は、何と言っても赤尾兜子と切り離しては思い浮かばない。それは愚生が俳句の修練のごく初期に赤尾兜子の「渦」に拠っていたことにも関係していよう。
和田悟朗は兜子亡きあとの夫人赤尾恵以に継承された「渦」の行く末について、よく相談に乗られ、「渦」の今日までの継続に力があったと思われる。あるいは、また、鑑賞現代俳句全集第6巻(立風書房)の高屋窓秋鑑賞において、確か「原始人のことば・・・、窓秋はそういうことばを選び出す」と指摘していたことが、記憶に残っている。
もうしばらくすれば、『和田悟朗全句集』が上梓されるというようなことも漏れ聞いていたので、いささかの無念を禁じ得ない。合掌。

    秋の入水眼球に若き魚ささり             悟朗
    春の家裏から押せば倒れけり               
    日だまりのいずこにいても狙撃さる
    腦軟化して点点と寒雀
    少年や紫雪(しせつ)を浴びてまぼろしに
    邯鄲や地上三尺まで暗し
    即興に生まれて以来三輪山よ
    後の世はヘリウム漂う夏帽子
    永劫の入口にあり山ざくら
    寒暁や神の一撃もて明くる
    われわれは地震になじみ焼茄子
    天国に一歩近付き菊を刈る
    人類の弱り始めや猫柳 
    歓声は沖より来たり風車



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