2015年11月7日土曜日

行方克巳「素数わが頭上になだれ冬銀河」(『素数』)・・・



行方克巳(なめかた・かつみ)、昭和19年千葉県生まれ。句集『素数』(角川書店)は第七句集。「あとがき」に記す。

 俳句の五・七・五と十七音、また短歌の三十一音、いずれれも素数である(藤原正彦氏)。一とその数自身の他に約数を持たない正の整数は無限に存在する。しかし私が常に求め続けてきた短詩型の五音七音の音数律が、素数に関連するという事実に、私は少なからず興味を覚えたのである。

序文は中西進。題簽の揮毫は津金孝邦。中西進はその序文「素数詩としての俳句」に述べる。

 そしてさらに作者自身の身構えの上にも、素数的態度が要求されるはずだ。
 右にいう素に生きる者こそが、素数詩の作者となる。
 俳人は素数に生きよ。俳句は素数の如く物象を把握せよーーまずはこうした提言をわたしは行方から受け取る。 

 見事なる言挙げである。素数はともかく、いくばくのユーモアのしずくを思わせる趣の句が愚生には好ましく思われた。
ともあれ、いくつかの印象に留めた句を挙げておこう。

   白菊や死に顔をほめられてゐる     克巳
   啓蟄の男一匹出かねたる
   六千ボルトの夏に感電してしまへ
   骨肉を剥がれ晩夏の義手義足
   晩緑といふべし大いなるは静か
   鰭酒にだんまりの舌灼きにけり
   白椿万巻の書のみな白紙
   紙風船突くより叩き返すなり
   嵐電の終電はやき春灯




   
   
   

2015年11月5日木曜日

久々湊盈子『歌の架橋Ⅱ-インタビュー集』・・・



久々湊盈子『歌の架橋Ⅱーインタビュー集』(砂子屋書房)は、彼女が編集発行人を務めている「合歓」に毎号連載されていたインタビュー集の第二弾である。本集には、秋山佐和子(2008年8月5日 町田市玉川学園の秋山邸にて)から伊藤一彦(2015年5月25日 宮崎県立図書館名誉館長室にて)まで29名が収録されている。第一巻の『歌の架橋』は2009年8月で6年前のことだとあった。さすがに一巻目のインタビュー集ではすでに15名の歌人が鬼籍に入られているという。愚生も「合歓」をいただく度に、このインタビューを楽しみにしている。歌には門外漢の愚生にも幾人かの昔からの知り合いもいる。
インタビューされた多くの方々の中から、愚生と同じ「豈」同人の藤原龍一郎(かつて月彦の俳号をもつ)の記事を以下に少し紹介したい。

藤原 (前略)短歌はその時代とスパークするものを瞬間的に書くことが出来ると思うし、俳句はある意味では永遠性を求めているように思います。何か深いことを一つ言おうとするとき、俳句の方が深く突き刺さってくるものになる。例えば三橋敏雄さんの「いつせいに柱の燃ゆる都かな」という句は千年前に作られた俳句ということもできる。応仁の乱であってもいいし、9・11にも当てはまる。それに対して短歌では9・11を契機にしてその時の瞬間的な心の動きを歌う、ということだと思うんです。(後略)

インタビューで掲載されていた短歌もいくつかあげておこう。

  夢想するゆえに世界は存在し言葉こそ花腐爛せる華       龍一郎
  ついに近江を見ざる歌人として果てんこの夕暮のメガロポリスに
  檸檬なる浪漫果実皿にのせ刃を入れてのち孤立を択ぶ

久々湊盈子(くくみなと・えいこ)は1945年2月上海生まれ。1976年「個性」に入会、加藤克己に師事。1922年「合歓」を創刊。俳人・湊楊一郎は舅、先年亡くなった長澤奏子は実姉。
「あとがき」に「毎回、どなたにお話を聞こうかと思いめぐらせて少しずつ準備をしてゆく時間がとても愉しい。さらに基本的にお住まいの近くまで出かけていってお話をうかがうというのをコンセプトにしているから、これがまた愉しい」と記している。





2015年11月3日火曜日

武馬久仁裕「夜の河またも知らないもの流れ」(「子規新報」)・・・



「子規新報」(第2巻第52号)の特集は「武馬久仁裕の俳句」だ。
特集のための武馬久仁裕30句の抄出は小西昭夫。自筆略年譜によると、武馬久仁裕は1948年、愛知県丹波郡古知野町(現江南市)とあって、生まれは愚生と同年である。
彼と最初に会ったのは、たぶん「現代俳句」(南方社)のシンポジウムが名古屋で開催されたときだったとおもう。だが、それもすでに40年近く前?のことになるから記憶ははっきりしない。その頃は、彼の師であった小川双々子(「地表」)が健在で、そのシンポジウムの成功に協力してもらい、よく支えてもらった記憶がある。実に若かった愚生らの世代を応援していてくれたような気がする。その後、攝津幸彦との「豈」創刊の折りには「地表」のメンバーが幾人か道を共にしている。
また、武馬久仁裕と愚生とは「未定」創刊、「船団」創刊では同じ道を歩んだ。あるいは愚生の『大井恒行句集』(ふらんす堂文庫)の解説では清水哲男、福島泰樹とともに、彼に玉文をいただいた。
今回の特集の抄出句の中から、以下に少し挙げておこう。

    定期券差し出す右手薔薇を出す              久仁裕
    広島に生まれるはずはなかったのだ
    階段を上がる人から影となり
    列島に帰る行列から抜ける
    初夏の男女は二足歩行する

実は、「子規新報」には必ず目を通す連載が二つある。宇田川寛之の「となりの芝生ー短歌の現在ー」と堀本吟「近くの他人ー現代川柳論ー」で、いずれも100回を超えている(宇田川寛之は133回)。
愚生にとっては、短歌・川柳を覗き見る小さいながら大切な窓である。もちろん、小西昭夫は、ときに寺村通信などと名乗って相変わらずの健筆をふるっている。どうやら東莎逍こと、東英幸も健在らしい。
因みに武馬久仁裕のホームページ「円形広場+俳句+ART」は以下。

      http://www.ctk.ne.jp/~buma-n46/



2015年11月2日月曜日

前田弘「でで虫にバイキバイキと声をかけ」(「歯車」366号)・・・



本年4月には「歯車」の前身「風」が創刊されてから60年の節目とあった。11月22日には「歯車」全国大会が開催されるという。表紙には前代表の故・鈴木石夫の句「毛糸編むとは永遠をまさぐることか」が表紙絵ととともに描き込んである。
巻頭の特別作品は前田弘「半可句祭」50句。タイトルの「半可句祭」は、「半可臭い」北海道・東北での「ばからしい」「あほらしい」の当て字だろう。

   でで虫のバイキバイキと声をかけ        弘
   (バイキバイキ)は馬を後退させるときの掛け声。バックバックがなまったもの)
   はんかくさいじじいでごめん狸の子
   馬糞風泥んこの子がだはんこく
   人間ばんば故郷の駅が消えた
   水槽に水のかたまり青水無月
   千人針に久長運武秋立ちぬ
   雁首をそろえ八月十五日

「歯車」には幾人かの知人がいるが、まずは「豈」同人でもある若き杉本青三郎を初めに幾人か挙げさせていただこう。

   すぐ折れる翼ならある蜃気楼      杉本青三郎
   むかしむかし手は足であり鶏頭花     〃
   誰かが植えた樹でわたしが涼しい    田中いすず
   手拍子の整然たるに稲びかり      藤田守啓
   稲刈りや田んぼのこれが更衣      青木啓泰
   僕が僕であってよかった日のトマト    大坪重治
   黒百合やまっさかさまに日傘散る    佐藤弘明






   

2015年10月31日土曜日

蒼馬「気象台まで登り来る冬薔薇」(卯波句会俳句展)・・・


卯波の模型↑



愚生は、持病の漢方煎じ薬をもらいにハロウインの街、渋谷に出た。いつも一時間ほどは待たされるので、ついでと言っては恐縮だが、その時間を利用して、卯波句会俳句展(10月31日~11月1日)、於・ギャラリー楽水を見るために神楽坂まで行った。場所は新潮社のちょうど裏、もちろんギャラリー楽水からすれば、新潮社の方が裏というわけであるが・・。
若い人が多いらしく、俳句を見せるというよりも、楽しみ方をいろいろ見せているという展示である。
例えば、QRコードで読み取ると一句が記されてあったり(愚生は、教えてもらいながら、初めて自らのらくらくホンで実験)、ブラックライトで短冊の文字が浮き上がってきたり、ジオラマの中の句碑は拡大鏡でなければ見られなかったり、様々な楽しむための工夫が施されれいた。
蒼馬こと堺谷真人に卯波句会事務局の俳号・詩門(小山田幸雄)を紹介された。卯波の店の模型や貝合わせ、などはその御仁の製作だった。
夕刻には五島高資が来訪する予定になっているとか・・・。
残す一日の明日、興味のある方は是非、出かけて見られたい。
出展句数は総数125句。

  ふつふつと乾麺を茹で薄暑かな     今田宗男(田宗)
  木枯を満載にして貨車過ぎる         五六歩
  無き乳房母にも告げず障子貼る        唯我
  夕時雨また一葉と庭をうめ            詩門
  神主の祝詞とぎれし初日の出          風波
  雪女郎ぽとりと落とす体温計           貫之
  髪固く結ふ朝の来て水仙花           櫻子
  七草を言えてしたりの四年生          よしゆき
  みつめてもだまったままのキリギリス       早桃
  卯波立つ灯台守の絶えてなほ         古蝶
  啓蟄の隙間に銅貨落としけり          蒼馬 
  首筋の痣を隠して小望月            宏子
  お旅所の暗がり覗く修司の忌          北江



                      カツラ↑

2015年10月30日金曜日

『古沢太穂全集 補遺 戦後俳句の社会史』(新俳句人連盟)・・・



大冊の『古沢太穂全集 補遺』(新俳句人連盟)である。A5判、900ページ余の厚みがある。二年前の2013年に古沢太穂生誕100年を記念して刊行された『古沢太穂全集』に収めきれなかった座談会の記録や散文を収めている。巻頭は「展望 その似て非なるもの」1949年5月「俳句人」の「あざみ」4月号の評から始まっている。当然と言えば当然なのだが、最後は古沢太穂追悼で締められている。亡くなったのは2000年3月2日、享年86。
その時はまだ健在だった(数年前より消息不明)谷山花猿は、その追悼文のなかで、古沢太穂について、

 作品には、社会的現実を批判的に詠むものが若い時には目立ったが、高齢化にともない集会やデモに出掛けられなくなると、おだやかな抒情句の比重が高まった。
 無理して虚勢を張ったような句は避けており、おのずからうまれでる詩情に任せ、「自然流」をもって俳句の心情としていた。弟子たちの上辺だけ勇ましいスローガンめく句は容赦なく切り捨てられ、批判された。粗雑な観念的な「社会批判」は許されなかったのである。(中略)
日本社会の革新を願いつつ、抒情的なリアリズム俳句を詠んだ太穂は、戦後社会性俳句の巨匠として記憶されるに違いない。

と述べている。太穂の絶句は、

    神通(じんずう)川音いつか瞼の枯れの音         太穂

この『古沢太穂全集』と『古沢太穂全集 補遺』の刊行に尽力した新俳句人連盟は来春創立70周年を迎えるという。文字通り戦後俳句の歴史の一端を担い、その評価を思えば、日本の社会を見つめ、戦い抜いてきた時間の在り様が感じられる。



2015年10月29日木曜日

銀座「春画」展(永井画廊・監修石上阿希)・・・


                     永井画廊 5F 春画展

銀座永井画廊(4・5・8F)で開催されている(~12月23日迄)銀座「春画」展の主な内容は、案内チラシを引用すると「春画を見る、艶本を読む」と葛飾北斎の作画による二人の女性の性遍歴を滑稽なほどの物語に仕立てた「『萬福和合神』の世界」である。会場は、まだ、愚生は見ていないが大混雑らしい永青文庫「春画展」とは大いに違い(たぶん、規模も違うだろうが、それにしても、ぞろぞろ大勢で春画を眺める光景を想像すると少しばかりぞっとしないでもない)、空いていてゆったり鑑賞し、タブレットを操作するとゆっくり本が読めるのである。5Fは写真撮影もOK.。
それと江戸時代を含めて、やはりというべきか権力者の側からは、常に弾圧の対象であったことも歴史的事実として紹介されている。
また、当時の性具(陰陽瑞喜・女嶋互形・小乙女針形・薬の香閨不老丸・お香など)の図なども民俗としての興味も湧こうというものである。
この春画展の主催は銀座「春画」展実行委員会、監修は石上阿希(国際日本文化センター特任教授)、企画協力に浦上蒼穹堂・立命館大学アート・リサーチセンター・立命館大学細井研究室。
また、巷では、永青文庫「春画展」に関わる週刊誌のグラビア記事の掲載などを巡って、警察から要請が来ている週刊誌も数誌あって、週刊文春の編集長の休養までが報道されている。
春画・艶本の類は江戸時代も今も表向きの社会からは排除されてきたことは事実であろう。
かつて、芸術こそ猥褻だという言があったが、それで何がいけないのだろうか。