2015年11月5日木曜日

久々湊盈子『歌の架橋Ⅱ-インタビュー集』・・・



久々湊盈子『歌の架橋Ⅱーインタビュー集』(砂子屋書房)は、彼女が編集発行人を務めている「合歓」に毎号連載されていたインタビュー集の第二弾である。本集には、秋山佐和子(2008年8月5日 町田市玉川学園の秋山邸にて)から伊藤一彦(2015年5月25日 宮崎県立図書館名誉館長室にて)まで29名が収録されている。第一巻の『歌の架橋』は2009年8月で6年前のことだとあった。さすがに一巻目のインタビュー集ではすでに15名の歌人が鬼籍に入られているという。愚生も「合歓」をいただく度に、このインタビューを楽しみにしている。歌には門外漢の愚生にも幾人かの昔からの知り合いもいる。
インタビューされた多くの方々の中から、愚生と同じ「豈」同人の藤原龍一郎(かつて月彦の俳号をもつ)の記事を以下に少し紹介したい。

藤原 (前略)短歌はその時代とスパークするものを瞬間的に書くことが出来ると思うし、俳句はある意味では永遠性を求めているように思います。何か深いことを一つ言おうとするとき、俳句の方が深く突き刺さってくるものになる。例えば三橋敏雄さんの「いつせいに柱の燃ゆる都かな」という句は千年前に作られた俳句ということもできる。応仁の乱であってもいいし、9・11にも当てはまる。それに対して短歌では9・11を契機にしてその時の瞬間的な心の動きを歌う、ということだと思うんです。(後略)

インタビューで掲載されていた短歌もいくつかあげておこう。

  夢想するゆえに世界は存在し言葉こそ花腐爛せる華       龍一郎
  ついに近江を見ざる歌人として果てんこの夕暮のメガロポリスに
  檸檬なる浪漫果実皿にのせ刃を入れてのち孤立を択ぶ

久々湊盈子(くくみなと・えいこ)は1945年2月上海生まれ。1976年「個性」に入会、加藤克己に師事。1922年「合歓」を創刊。俳人・湊楊一郎は舅、先年亡くなった長澤奏子は実姉。
「あとがき」に「毎回、どなたにお話を聞こうかと思いめぐらせて少しずつ準備をしてゆく時間がとても愉しい。さらに基本的にお住まいの近くまで出かけていってお話をうかがうというのをコンセプトにしているから、これがまた愉しい」と記している。





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