明治5年の新聞記事に、
我ガ朝(チョウ)ニテハ中古以来肉食ヲ禁ゼラレシ二、恐レ多クモ天皇、イワレ無キ儀二 思召シ、自今肉食ヲ遊バサレル旨、宮内ニテ御定メコレ有リタリト云。
とある由、浜田儀一郎『江戸たべもの歳時記』にある。
もちろん、一般庶民に肉食のブームがきたわけではない。明治天皇の服装も変わって西洋式になり、外交上、宮中でも肉食を採用して、西洋料理を供しなければならないという事情があったらしい。岩倉具視の指示によって皇居馬場先門に民間の西洋料理店を開かせるようにしたともある。これが後の精養軒である。
それにしても、
居ながらに珍味類なしの大都会 天保5年「柳多瑠」
天保は江戸後期、仁孝天王朝の年号で1831年2月23日に文政から改元、天保15(1845年)年までの年号。下総(千葉県北部)一体で争闘した実録物講談「天保水滸伝」の平手造酒(ひらてみき)ならご存知の方もあろう。ともあれ、江戸時代に「大都会」という言葉があり、かつ句になっているところは少し驚きである。
川柳、いや、およそ文芸というものは、好むと好まざるとにかかわらず世間(現実)を写す鏡である、と言ってよいだろう。
天皇も守れる朝の味噌加減 恒行
ギンバイカの実↓
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