横須賀洋子第4句集『体感』(文學の森)、著者「あとがき」の中に、夫君だった村井和一の横須賀洋子第一句集『絆』(昭和44年刊)の跋文の抜粋が記されている。一部を孫引きしよう。
横須賀洋子は、女なのに、化粧や着かざることに熱心な方ではない。だから、洋子の三面鏡は、ただあるというだけで、狭い部屋の片隅に積まれたままになっている。
しかし、ぼくは、洋子が、洋子自身の工房でじっと鏡を見つめながら、俳句を作っている姿を想像する。(中略)
空しさ、不安、いら立ち、悲しみなどから始まって、生きることのこわさやおかしさに至るまでの、いわば生命の実感がそこには生きている。
その夫・村井和一は、
「東日本大震災の二日後に旅立ちました」ともあった。愚生が現代俳句協会に入会したての頃、協会事務所など、さまざまな機会によくお会いした。全く偉ぶるところのない人で、しかし、温和にはっきりと意見を述べられるかたで、その見識について学ぶことの多かった俳人である。だからというわけでもないが、横須賀洋子と聞けば、なぜか必ず村井和一(ワイチさん)を思い起こす。
目高にも学歴があり賞罰なし 和一
真夏には死にたくないが仕方がない
絮吹けば五十万年飛びますねん
こうした俳諧味、イロニー、諧謔味は、横須賀洋子にとってもまた掌中ものと思われる。 |
そして、この趣は、たぶん第一句集『絆』よりはるかに深められているように思う。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
声かけて咲いたか咲いた桃の花 洋子
尺蠖ととことん気の合う暮らしなり その人の訃報が消えてから花野 煩悩の艶をならべるさくらんぼ しかしもしややがてそうかとねじり花 亀鳴けり歳時記を出たばっかりに カーネーションむかし愛国少女の日 中指は小指に遠し秋の暮 一時間後を忘れる人と見るさくら
人工の骨も身の内汗を拭く
うたたねに秋の蝶抱きこなごなに
サルビアの良し悪しを突く庭の鳥
サルビアの半身散って猛るいろ
スプーンの背から葬列おりてくる
暗い沼から嬰をうけにゆく祭笛
葉書の中で虎は四隅を淋しがる
横須賀洋子(よこすか・ようこ) 昭和11年、神奈川県生まれ。
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